SNSの使い方

花柳 都子

文字の大きさ
上 下
62 / 69
至近距離の最大幸福

サイレント悩み相談

しおりを挟む
 綿貫千春わたぬきちはると妹の慈美いつみ、そしてひと足先にゴールに辿り着いていた風月七緒かづきななお山城優一やまきゆういちは、喫茶店で思い思いに過ごしていた。
 小さな喫茶店に似つかわしく、ここにはテーブル席がない。マスターのいるカウンターを囲むような形で席が配置され、その短辺に七緒と山城やまきが、角を挟んで長辺の端に千春と慈美いつみが腰掛けている。千春の位置からは、斜め前に山城やまきが、その奥に七緒が見える。
 千春は冷たいレモネードを味わいながら、ちらりとふたりのほうに視線を動かす。
 この暑い中、いくら最短距離で着いたとはいえ、汗ひとつ浮かべたこともなさそうな涼しい顔でアイスコーヒーを飲む七緒と、しゃくしゃくと小気味いい音を立てながらかき氷を爽やかに咀嚼する山城やまきが、なんだか別の世界にいるようで千春は腑に落ちないでいるのだ。
 一方、カウンター席の逆隣に座る妹の慈美いつみは、マスターに「これサービスね!」ともらった苺味のかき氷をゆっくり食べていた。
 もはやシロップと氷は一体化して──つまり溶け切って──いるのだが、妹はこういう状態のほうが好きだったとふと思い出す。
「このほうが味が染みて美味しいじゃん」
 千春の視線を敏感に感じ取ったのか、こちらを見もせずに妹が答える。
「それは氷じゃなくて、ジュースだろ……」
「ほどよく氷の食感が残ってるのがいいの」
「シャーベット状なのがいいってこと?」
「シャーベットは完全に凍ってるじゃん!」
 話が通じないとでも言うように、妹は眦を釣り上げる。そんなに怒ることでもないだろうに、と千春も唇を尖らせかけたところに、意外なところから援護射撃があった。
 千春にではなく、慈美いつみにである。
慈美いつみちゃんは、冷めたご飯も美味しく食べられるんだってね。前にお母さんから聞いたよ」
「んーまぁ、それはそうですけど……お母さんの作るご飯が冷めても美味しいからかも」
「そっか。じゃあ、お母さんがあえてなのかな」
 顔を見合わせて首を傾げる千春と慈美いつみに、七緒がそっと微笑んで続けた。
「冷めたご飯も溶けたアイスや氷も、形が変わっただけで、元は同じものだよね」
「……味は変わっちゃうんじゃないですか?」
「そうだね。でも、それって人も同じじゃないかな。時が経てば、外見や中身が変わる。考え方も人からの見え方だって違うかもしれない。ただ、その中には慈美いつみちゃんが好きなみたいに、過去の、僕たちが持つ生来の性格とか長年の癖とかそういうものも含まれてる。僕が僕として生まれてきたからには、全く新しいものや別人に生まれ変わることはできないし、時間が経ってアイスが外からの熱で溶けちゃうように、ご飯がいつまでも温かさを保っていられないように、周りからのに押し潰されながら、感動や感情を少しずつどこかに落として忘れていってしまうんだと思う。それでも、きっとみんながちょっとずつ踏ん張って、かろうじてその形や温度を完全に置いてきてしまわないように、必死に生きている。だから──」
 七緒は言葉を切って、真正面から慈美いつみを見つめた。
「そういうところも好き、と言える慈美いつみちゃんは、とっても素敵な感性を持っていると僕は思うよ」
「そうですねぇ。私も彼ら少年のような無邪気な心は、いつしかどこかに置いてきてしまいました。でも、誰かや何かを愛する気持ちは残っているし、無邪気な心でなくともそれは叶えられますよね」
 山城やまきがしんみりと同意する。
 千春としては『無邪気な心を置いてきた』という文言には異を唱えたい気持ちでいっぱいだったが、自分より20年も長く生きる彼には──まだ20歳にもならない──千春の、想像もつかない経験がたくさんあるはずだった。
 きっと彼にとってのは亡くした奥さんで、彼にとってのは今いる故郷なのだろう。
 うんうんと頷きながら、ちょっと綿貫わたぬき兄妹に目配せする形で、七緒が口を開いた。
「お母さんは温かかった頃のご飯のことも忘れないように、でもそれとは別に冷めたご飯そのものも愛して欲しくて、を作ってくれているのかもしれないね」
 悪戯っぽく笑う七緒に、再び千春と慈美いつみは顔を見合わせ、今度はくすくすと笑い合った。
 七緒の主張がどれほど母親の意思に沿っているのかはわからないが、いかにも母親の考えそうなことだと思ったのは事実だ。
「そういえば、お母さんたち遅くない?」
 確かに、千春と慈美いつみの到着が一番遅いだろうとこの店に戻ってきたのだが、蓋を──もとい扉を開けてみると、最後は自分たちではなかったのだ。
「あぁ、スタンプラリーそっちのけで楽しんでるみたいだよ」
そう言って七緒が見せたのは、父の千慈せんじと母の春美はるみが、若者たちとギャルピースをして写っている写真だった。
 思わず口に含んだ水を吹き出しそうになる。
 隣の妹も目をぱちくりさせているが、やがて楽しそうに笑い出した。
「こ、この人たちは一体──」
「たぶん町おこしプロジェクトの人たちじゃないかな?」
 そう言って代表の女性にその写真を見せると、彼女は「そうです」と手で口元を隠しながら答えた。おそらく笑っているに違いない。口元は隠せても目は誤魔化せない。
 ──恥ずかしい。
 と思っているのはおそらく千春だけで、写真では無表情に近い父親までもが恥ずかしげもなく、若者たちに囲まれた上で、誰よりも綺麗なギャルピースを見せている。
 しかも、時代遅れのピースではなく、教えられたのかそれとも知っていたのか、腕を伸ばして裏返す、今時のギャルピースなのだ。
「…………何やってんだよ…………」
 頭を抱える兄の顔を覗き込むようにして、妹がにやにやと提案する。
「お兄ちゃんもやれば?」
「やらないよ」
 食い気味に断ると、妹が可笑しそうに千春の肩をバンバンと叩く。
「ちょ、痛いから」
「お兄ちゃん、おもしろーい!」
「面白くない」
 ぎゃあぎゃあと言い合う兄妹を微笑ましげに(?)眺めながら、七緒がスマートフォンを操作する。
「あぁ、なんだ」
「どうしたんです?」
「おふたり、ただ楽しんでるだけでも、写真の上でだけ仲良くなっただけでもなさそうですよ」
 そう言って兄妹の隣で首を傾げる山城やまきに、スマートフォンの画面を見せた。
「へえ。おふたりともSNSでこんなことをされてるんですね」
「ええ。僕も千慈せんじさんに救われた一人ですよ」
「そうですか。私もぜひあやかりたいものですね」
山城やまきさんはもう十分でしょう」
「いやいや、私は特定のたったひとりも幸せにはできませんでしたからね。まだまだです」
 そこまでの話はほとんど聞こえなかったが、山城やまきのその言葉だけが耳に届いて、千春は口を噤んだ。
 急に黙り込んだ兄に、妹も不思議そうに口を閉じる。
「──そんなこと、ないです」
「えっ?」
「そんなことないです。これ、見てください──って山城やまきさんには全部見せたことがありますけど」
 カメラを手渡し、千春は拙いながらも、力説した。
 そう。あの頃の、写真と出会ったまさにあの頃の、写真屋の初老の店主に熱く語ったのように。
 を見つけたくて足掻いていた、そしてそれを何より楽しんでいた頃の自分にも届くように。
 ──山城やまきにも必ず伝わるはずだと信じて。
 こんなに自然体で、こんなに美しくて、こんなに感情溢れるを、自分はここで初めて知った。今までも写真に収めておきたい景色や風景はたくさんあったけど、それはあくまで表面──というか、こうして出来上がったとか、こういう理由があったとか、考えたことはなかった。だから、そのの核心を本当の意味では見て来なかった、理解して来なかった。正直に言えば、このY県のこれまで見てきた全てがどうやって今ここに在るのかも、わかっていないだろう。けれど、自分には『山城やまきさんが愛している故郷』だという先入観があって、ただそれだけなのに、こんなにたくさん良い写真が撮れたのだと。
「──俺には、山城やまきさんがとは思いません」
「……千春くん」
 彼にしては珍しく、小さな小さな「ありがとう」という声が聞こえた。
「お兄ちゃん、良いこと言うじゃん」
「──僕も、千春くんと同じ意見ですよ。山城やまきさん。『千の選択編集部』SNSプロジェクト、初めての地がここで、Y県で、そして初めて一緒に仕事をするのがあなたで、本当に幸運だと、幸福だと、僕もそう思います」
風月かづきさん……ありがとうございます」
 微笑み合う4人の間で、唐突に慈美いつみが大きな声をあげた。
「あっ、わかった!」
「なに」
「お父さんとお母さん、また誰かの悩み相談してるんでしょ! もう、他人の事情に首突っ込みすぎ!」
「…………それ、お前が言うなって」
 ぼそりと呟いた千春の声は幸か不幸か、慈美いつみには届いていないらしかった。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369
ミステリー
古代エジプト 名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。 しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。 突如奪われた王の命。 取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。 それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。 バトル×ミステリー 新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。

【完結】妹が子供2人置いて失踪した

白井ライス
ミステリー
妹が子供2人置いて失踪した。 主人公は妹の行方を探していく内に奇妙な事件に巻き込まれていく。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

死者からのロミオメール

青の雀
ミステリー
公爵令嬢ロアンヌには、昔から将来を言い交した幼馴染の婚約者ロバートがいたが、半年前に事故でなくなってしまった。悲しみに暮れるロアンヌを慰め、励ましたのが、同い年で学園の同級生でもある王太子殿下のリチャード 彼にも幼馴染の婚約者クリスティーヌがいるにも関わらず、何かとロアンヌの世話を焼きたがる困りもの クリスティーヌは、ロアンヌとリチャードの仲を誤解し、やがて軋轢が生じる ロアンヌを貶めるような発言や行動を繰り返し、次第にリチャードの心は離れていく クリスティーヌが嫉妬に狂えば、狂うほど、今までクリスティーヌに向けてきた感情をロアンヌに注いでしまう結果となる ロアンヌは、そんな二人の様子に心を痛めていると、なぜか死んだはずの婚約者からロミオメールが届きだす さらに玉の輿を狙う男爵家の庶子が転校してくるなど、波乱の学園生活が幕開けする タイトルはすぐ思い浮かんだけど、書けるかどうか不安でしかない ミステリーぽいタイトルだけど、自信がないので、恋愛で書きます

彼女が愛した彼は

朝飛
ミステリー
美しく妖艶な妻の朱海(あけみ)と幸せな結婚生活を送るはずだった真也(しんや)だが、ある時を堺に朱海が精神を病んでしまい、苦痛に満ちた結婚生活へと変わってしまった。 朱海が病んでしまった理由は何なのか。真相に迫ろうとする度に謎が深まり、、、。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

異常性癖

赤松康祐
ミステリー
変態的感性を持った男の顛末。

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

処理中です...