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花柳 都子

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至近距離の最大幸福

先送りの終点

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 綿貫千春わたぬきちはるは、ようやく足を止めた。
 ここまで手を引いてきた妹の慈美いつみは息を切らし、兄の手を離して腰を折り、自分の膝に両手を置いた。
「……大丈夫か?」
「………………大丈夫に、見える、の…………?」
 息も絶え絶えに、妹は兄を見上げて睨みつける。
「……ごめん」
 しばらく返事もできなかった慈美いつみだが、大きく息を吐き出し、今度は腰に手を当てて空を仰ぎ見た。
「……元はと言えば私のせいだもん、ね」
「私のせい、って……別にお前のせいじゃないだろ」
「ううん、私が悪いんだよ」
 そうやって、慈美いつみは東京で自分が警察にされた経緯を語った。
 SNSで知り合った男と友達が実際に会っていたこと。その流れでホテルに連れ込まれそうになったこと。そこをなんとか直前で慈美いつみが阻止したこと。
 そして、友達を連れて逃げ、その道中にSNSで警察官の写真をあげた男の行動に危険を感じ、一晩街を彷徨って朝方に警察に駆け込んだこと──。
「でもさ、それってただ問題を先送りしただけでしょ。根本的な解決じゃないんだよね」
「根本的な解決って──お前には無理だろ」
 いち女子高生にそんなことできるわけがない。それが千春の意見だった。
 一般論として、男の端くれとして。
 何より綿貫慈美わたぬきいつみの兄として。
「わかってるよ。根本的な解決っていうなら、その男と闘わなきゃいけない。もうこんなことするなってお仕置きしなきゃいけない。でも私が現実にできることは、闘うことでもお仕置きでもなくて、ただ警察に起こったことを説明するだけ」
「それで十分果たしてる、と思うけど」
「それもわかってる。現実問題、それくらいしかできないもん。でもね、本当は、友達に言わなきゃいけないんだよ。もうしないで、って。私が、言わなきゃいけなかったの。もう手遅れなのもわかってるんだけど……あの子はもう知ってしまったから──。私が止めなきゃいけなかったのは、になる前じゃなきゃいけなかった。そもそもあの子がそんなこと考える前に、私が『そんなこと考える必要のない世界』をつくらなきゃいけなかった」
 途中から何を言っているのか、千春にはよくわからなかった。
 けれど──。
「その子が知ったっていうの」
 妹は答えを逡巡した。
 目をきょときょとと泳がせて、ようやくその言葉を口にする。
「──寂しさを、埋める方法」
 え、と声にならない声が漏れる。
 見知らぬ男といることが──?
 と首を傾げる千春に、妹が寂しそうに笑う。
「おかしいと思う? でも、私には、なんとなくわかる気がする。親にも友達にも、彼氏にも言えない。何が寂しいのかもわからない。ただ人肌が恋しくて、たとえ嘘でもあったかくて優しい言葉が聞きたいだけ。誰にも、否定されたくないだけ。怒られたくないって言ったら、自分勝手に聞こえるかもしれないけど、無条件で『私ここにいていいんだ』って認めて欲しいだけなんだよ」
「………………お前も、そうなの」
「──どうかな。私には、お兄ちゃんのがあったから。うーんまぁSNSに居場所を求めるところはおんなじか……でも今思うと、否定されたくないから、お兄ちゃんやお兄ちゃんの写真を否定する全部をしてたのかもね」
「じゃあ、人のこと言えないだろ」
「えーそうかな。屁理屈に聞こえるかもしれないけどさ、私には私の考えがあったんだよ」
「なんだよ、それ」
 少し溜めて、はにかんだような表情で妹は続けた。
「──否定の否定は肯定になる、でしょ?」
 確かにそれは子どもの考えそうなことではあったが、彼女の信念がそこにあることは痛いほどに身に沁みていた。
「お前が七緒さんと仲良くなる理由、わかる気がする」
「そう? 七緒さんが大人なだけじゃない?」
 そういうところが、とは言わなかった。
「それはある」
「ちょっと、してよ!」
「やだよ」
「意地悪!」
「否定の否定は肯定なんだろ?」
 自分で言ったくせに、慈美いつみは首を傾げる。禅問答のような掛け合いを振り返ってみたらしかったが、答えには辿り着けずに、うんうん唸っているので、千春はその姿を視界に入れつつスマートフォンを取り出した。
 自撮りをするように自分の目の高さに翳し、背後を確認する。
 もう誰もついて来てはいないようだった。
 けれど、いつまでもここにいるわけにもいかない。
 無我夢中で走ったせいで、自分たちが今どこにいるのか見当もつかない。
 相変わらず人通りのない道だったが、ほとんどジャージ姿の高校生くらいの男女が、すぐ脇を通り抜けるところだった。
「今日はどこ集合だっけ?」
「お城んとこでしょ。ここ真っ直ぐ行ったとこ」
「ああ、そうね」
「みんなもう待ってるんじゃない?」
 千春は地図を取り出す。
 お城──。
 確かに城跡がある。
 山や川も多いが、城もそこそこ多い県だななどと考えつつ、千春は慈美いつみを促した。

 その頃、風月七緒かづきななお山城優一やまきゆういちはと言うと──。
 千春と慈美いつみの後をつけていた男が、彼らを追って走り出し、そのさらに後ろを同じく走って追いかけた。
 やがて、前の男が立ち止まる。
 そこは十字路で千春たちがどちらに行ったかわからなくなったらしかった。
 スマートフォンを取り出して、どこかに電話をかける。
 七緒はともかく、山城やまきのほうは彼の声が聞こえるところまでもう迫っていた。
「逃げられたよ、今◯◯なんだけど、そっちに行ったかもしれな──」
 周りを見回す過程でちょうど後ろを振り返った男は、目の前に立つ山城やまきの姿に驚いて、言葉を切った。
? それは自白と取って構わないかな?」
 満面の笑みで訊ねる山城やまきに、彼は後退りをしながら、走り出すタイミングを図っているようだった。
 しかし、それも虚しく、山城やまきは加減した力で、それでいて有無を言わせぬ調子で、彼の手首を掴んだ。
「おやおや、つもりかな?」
「はぁはぁ……事情を、聞かせて、もらえるかな?」
 息が続かない。
 ようやく追いついた七緒は、座り込む勢いでぜえぜえと息を整える。
 山城やまきに掴まれた手首をなんとか離させようと力を込めながら、訝しげに男が訊ねる。
「…………警察の人とか、ですか」
「何でそう思うの。やましいことでもあるのかな?」
 相変わらずの山城やまきの笑顔に、男は残像が見えそうなほど強く首を振る。
「ちちち違います! もしそうだったら、今後の為にもお話しておかなきゃって……というか、お巡りさんには話が通ってると思ってたんですけど──」
 離すどころか余計に詰め寄りながら口を開きかけた山城やまきを、七緒が制した。
山城やまきさん。たぶんは大丈夫ですよ。今言ったことも、嘘じゃないと思います」
「そうですか? 風月かづきさんがそう仰るなら──」
 山城やまきは手を離す。
「君はこの町の人だよね?」
「え、あぁはい。一応、町おこしプロジェクトっていうのに関わってます」
「町おこし、プロジェクト──」
山城やまきさんはご存知ないんですね?」
「この企画が町おこしプロジェクトの一環であることは知っていますが、彼がどう関係しているかまでは把握していないですね」
「…………それは、その、最近のことなんで」
「この企画はちなみに誰が考えたの?」
「町おこしプロジェクトの代表で、結婚して都会からこっちに来た女性なんですけど──なんでも、県庁? の観光課の人の意見を取り入れたらしくて、まずは試しにやってみようってことになったんです」
「でも、問題が難しすぎて、あまり挑戦する人がいない」
「えっ、なんでそれを……まぁそれもその、あるんですけど、そもそも知名度がないんです。この辺はY県の中でもなんというか──地味に輪をかけて地味なんで」
「うっ」
 胸を抑える素振りを見せる山城やまきを、不思議そうに男が見つめる。
「この企画自体は結構長いことあるんです。でも、その人が言った通り、難しすぎて誰も問題が解けない。それどころか、問題を見つけることもできなくて、それなら誰かがヒントを出そうってことになったんです」
「その誰かが君だったんだね」
 こくりと頷き、彼は続ける。
「SNS担当と現地担当がいるんですけど、ここ最近は花火大会とかお祭りとかイベントごとが近くて人手が足りなくて。俺は普段SNS担当なんです。SNSで検索に引っ掛かるように、町おこしや個人のアカウントでヒントや答えに繋がりそうな発信をする。あとは現地で、あえて問題に挑戦する人たちに声が聞こえるように、話す役割もあって──」
「なるほど。すると、あの出発地点のお店が、君たちの出発地点でもあるわけだね」
「えっ、あぁはいそうです。ご年配のご夫婦と、あなた方と、若いふたりだったから、若いふたりならSNSを活用するだろうと、俺はいつも通りSNSを更新してたんですけど──」
「あぁ、どっちも見なかっただろうね」
 山城やまきは合点がいったように頷く。
 千春は元よりSNSをしないし、慈美いつみは今スマートフォン自体を兄に預けている。
「でも、一番この問題を解けなさそうなのもあのふたりだったから──」
「つまり、現地でヒントを出す為に君が駆り出されたと」
 またしてもこくりと頷く。
「でも、俺、普段はそうやってSNSでしか会話しないんで、その、どうしていいかわかんなくて、ずっと声かけそびれちゃって先送りしてたらこんなことに──タイミングとかめちゃくちゃ悩んだんですけど、声かけようにも怪しまれないか心配だったし……」
 うんうんと頷きながら、山城やまきが口を挟む。
「余計に怪しい動きだったよ」
「えっ、あ、すみません……」
「いやまぁそれはいいんだけど。君は人と話すのが苦手なのに、町おこしの為に頑張ってくれようとしたわけだから──県の観光課の職員として、お礼を言わなきゃいけないね。ただし、さっきも言ったけど、君の行為は大いに誤解を招く可能性がある。気をつけてくれると嬉しいよ」
「あ、えっ? あ、はい……」
 本人の言葉通り、コミニュケーションに慣れていないらしく、彼は山城やまきの話にどう反応していいかわからず、挙動不審になってしまった。
 苦笑いする山城やまきの横で、思案げに七緒が首を傾げる。
「その、さっき彼が言った『県の観光課の人の意見を取り入れた』というのは、山城やまきさんではないということですよね?」
「そうなりますね。私の立場で、県ではなく市町村それぞれの町おこしに対してあれこれと注文をつけるのは、『強制』と取られかねませんから。私は、その市町村に合った町おこしを模索するのもまた、その土地に一番詳しく一番愛しているであろう、その市町村の仕事だと思っていますので」
「そうですよね。では、その観光課の職員とは、一体誰なんでしょう?」
「うーん、可能性としてなら数名いますが──」
「あぁ、確か……自分が旦那さんと出会った婚活パーティーで知り合ったって、代表が言ってましたよ。それ聞いて、県庁の人もそういうの参加するんだって驚いたんで」
 コミニュケーションが苦手というわりには、人の話をよく聞いているし、論点を見定める力もある。
 山城やまきは感心しながら、さらに得心もしていた。
「それならいずみでしょうね。そういえば、前にそういう企画をあげてきたことがあると、風月かづきさんたちにもお話しましたね」
「ええ。彼女は婚活パーティーの受付などのお仕事をされている。そこで町おこしプロジェクトの代表の女性と出会い、やがて彼女が代表になると、自分の考案した企画をアレンジして提供した。抜け目のない方ですね」
 くすくすと笑う七緒とは対照的に、呆れた様子で山城やまきが息を吐く。
「ええ、それはもう。──あっ!」
 と思えば、よく通る声で叫ぶものだから、もうすっかり慣れた七緒とは違い、町おこしプロジェクトの彼はびくりと体を跳ねさせた。
「この間の映画村の件で、いずみに台詞探しを任せたと思うのですが、その後、電話したらこんなこと言ったんですよ。『課長、映画ロケ地のマップ作ったので。何かに活用できないか考えてみますね。この時のために、データも取り続けて来たんで』と──」
「それはそれは、楽しみですね」
「本当に、転んでもただでは起きませんよ」
「じゃあ、きっとそのデータ集めにこの町おこしプロジェクトも活用されているんでしょうね」
「えっ?」
「もう一つ、君に聞いてもいいかな」
「なんですか……?」
「どうして、難しいと既に把握しているのに、問題の難易度を変えないのかな? 逐一、君たちが参加者に張り付かなくても、そのほうが手っ取り早くて効率的だと思うけれど」
「それは俺もそう思います。ただ、せっかくの町おこしプロジェクトなんだから、地元の人との交流も欲しいだろうって。答えを教えるわけにはいかないし、できれば自分たちで辿り着いて欲しいけど、難しすぎるのもこっちの責任だから、助けを求める人には手を差し伸べたい。そんな時に、手を差し伸べる人が、普通に歩いているだけじゃいないんだって。そりゃそうですよね。じいちゃんばあちゃんが時々たまーに歩いてることありますけど、ほとんど人も車も通らない道が多いんで」
「それで、SNSや実際に会うなどして、『ヒントを教えた』というデータを集めてるんじゃない?」
「えっ、あ、はい……最後にアンケートを取ったり、俺たちの感触をメモしたりしてますね。項目は色々あるんですけど、たとえば近所の人を装って通りかかるプロジェクトの人間に声をかけやすかったかどうかとか、SNSの検索ワードにうまく引っ掛かったかどうかとか」
いずみさんはそれらを総合して──この辺りだけではなく、おそらく県内全域の──どれくらいの難易度が適切か、地元の人たちと自然に交流を持つ方法は何か、などなど模索しているのではないでしょうか。婚活パーティーや、休日も返上で色々なイベントに参加する彼女ならではの強みですね」
「…………私以上に仕事熱心で、困ってしまいますね」
「嬉しい悲鳴なんじゃないですか?」
「もちろんそれもありますが、上司としては複雑ですよ。いくら県職員とはいえ、時間外活動にそれほど手当が出るわけではありませんし、そもそも彼女は『自分が好きでやっていることだ』と答えるでしょう。精神面や体力面のケアも大切にと、上からは口酸っぱく言われますから」
「……彼女にとって、そのほうが精神を保てるのかもしれませんからね。ケアはもちろん大切ですが、人それぞれに合わせたものでなければ意味がありません。山城やまきさんはそれをわかっていらっしゃるから、いずみさんに様々な仕事を任せるのでは?」
「……まぁ、それが上司としての務めですからね」
「ところで、あの、もういいですか、その……俺、あの人たち見失っちゃったんで戻らないと」
「あぁ、じゃあこれ私の名刺です。何かあったら連絡してください」
「な、何かって──?」
「何でもいいですよ。困ったこととか、やりたいこととかあったら。それを叶えられるかはわかりませんが、全力を尽くしますから」
 そう言って彼が渡した名刺の裏に、いつものように『千の選択編集部』のアカウントが書かれていて、七緒は「この人も抜かりがないな」と内心思いながら、山城やまきと共に町おこしプロジェクトの男を見送るのだった。

















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