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花柳 都子

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至近距離の最大幸福

進撃の青年

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 綿貫千春わたぬきちはると妹の慈美いつみは揃って首を傾げた。
 何でもない小径にある、小さな石碑。
 そこが、千春たち兄妹の最初の目的地だった。
 しかし──。
 肝心の問題がわからない。
 答えがわからないのではない。
 そもそも問題が何なのか、見当もつかないのだ。
 一応、それらしきヒントはあって、この企画の専用ペーパーには、石碑とその石碑にゆかりのある人物が描かれている。
「……ねえ、もしかしてこれって」
「ん?」
「この土地の歴史がわからないと、問題もわからないんじゃ……」
 まるで機械仕掛けの人形のように、ガクガクと不自然な動作で首を回しながら、慈美いつみがこちらを向く。
 千春は引き攣った顔で沈黙する。
 
 悩んでいても仕方がない。
 千春はスマートフォンを取り出した。
「ちょ、ちょっと、何してんの?」
「え、スマホで調べようと思って」
「やだ!」
「…………なんだよ」
「正解に辿り着ければ何してもいいの?」
「……調べちゃダメとは書いてないだろ」
「でも、調べた答えなんて、じゃないよ。カンニングだよ?」
「じゃあ、お前はわかるのかよ」
「…………わかんないけど、さぁ~」
 むっと唇を尖らせながらも、兄の取ろうとする手段はどうも不服らしい。
「……はぁ、もうわかったよ」
「え、わかったの!?」
「違う違う。答えじゃなくて」
 千春はスマートフォンをポケットにしまいながら、紙の地図を広げた。
「先に別の場所に行こう。ここが解けないんなら、解けるところから解いていけばいいんじゃないの」
「…………解ける問題なんて、あるかな」
「それは──わかんないけど」
「さっきから、『わかんない』ばっかり」
「……それはお前もだろ」
 兄妹は口論していたが、険悪というよりは軽快で、お互いに呆れてはいたが、相手のせいにはしなかった。
 むしろ自分の無知さと無力さを呪って、ふたりは再び歩き出した。

 ふたつ目の目的地がもう間もなくというところ。
 千春は田舎特有のゆったりとした空気をどうにか写真に収めたくて、四苦八苦していた。
 幸い──というか、これがこの辺りの日常なのだろうが──人気ひとけは全くと言っていいほどない。ついでに言うと車もほとんど通らない。
「お兄ちゃん、何撮ってるの?」
「──空気?」
「あはは、なにそれ」
 何を被写体にすれば、この空気感を表現できるのか──そう考えながら、半ば無意識に後ろを振り向いた。
 それは自分のいる場所から360度の景色を確認したかったからかもしれないし、今歩いてきたばかりの道にこそ、その『ゆったりさ』を感じ取ったからかもしれない。
 前も後ろも言うなればなのだが、千春がカメラを目の高さに掲げた時、ふいに画角の端っこで何かが動いた気がした。
「ん?」
「どうしたの?」
 手持ち無沙汰に兄の様子を眺めていた妹が、カメラのレンズを覗いたり、視覚から本体を除いたりする千春を不思議そうに見上げる。
「……いや、なんか、……誰かいるような──」
「ちょ、ちょっと、怖いこと言わないでよ!」
 声を潜めて、それでいて、叫び出しそうな険しさで、慈美いつみが千春の服を掴む。
 昼下がりの太陽は眩しく、まだまだ暗がりを警戒するような時間帯では決してない。
 七緒よりももっと華奢な指先が小さく震えている。
 心なしか早歩きになって、慈美いつみは兄を引っ張るように裾を握る手に力込めた。
「おい、伸びる伸びる」
 千春は──仕事の日でもあまり関係はないのだが──、今日は気楽にTシャツ一枚で過ごしている。そんなに強く引っ張られるとビロビロになることは必至だ。
 けれど、聞こえているのかいないのか、妹は無視して俯いたまま足早に歩を進める。
慈美いつみ?」
「やだ……」
 独り言のように慈美いつみは首を振りながら、後ろどころか前を見ようともしない。
「…………心当たりでもあるの」
 尾行されるような心当たりなど、もちろん千春にはない。いや、どちらかと言うと、『千春はそういう事態を招きがちだが、実際に千春に非があることは全くない』としたほうがより正しいかもしれない。
 ふるふると、強く首を振る。
 それは『心当たりがない』という意味なのか、それとも『あるけれど信じたくない』という意味なのかはわからなかった。
 けれど、さっきまで暑さもあってか紅潮していたように見えた妹の顔は、今や蒼白に近かった。
 千春は数メートル先に曲がり角があるのを確認し、「だから伸びるって」と慈美いつみの手を放させようと握る。
 ちょうど曲がり角に到達した時、彼女の指は千春の服から完全に離れた。
「走るぞ」
 頭に降ってきた小声にびっくりしながらも、慈美いつみは兄の手をしっかり握り返して走り出した。
 行く当てなどない。
 ただひたすら後ろの目に見えぬ気配を、いるかどうかもわからないを、振り払うかのように懸命に──。

 兄妹が緊迫した状況を迎える、少し前。
 一足先にスタート地点を出発した風月七緒かづきななお山城優一やまきゆういちのペアは、最初の問題を早々に解き終えて、次の場所へと向かっていた。
 七緒は千春にこの企画をスタンプラリーと表現したが、実際にはクロスワードパズルのような側面もあって、数箇所のポイントを回って出たそれぞれの答えを繋ぎ合わせると運営側が意図する完璧な回答へとなるらしかった。
 つまり答えのわからないポイントがあっても、最終的には前後から推測する形で正解が導き出せるということだ。
 ポイントを回る順番は特に定められておらず、七緒は土地勘のある山城やまきに道案内を任せることにした。
「次は、千春くんたちが最初に向かうと言っていたポイントが近いですね。他のポイントを回るにも、効率がいいです」
 そう言った彼についていくと、とある公園のすぐ近くで兄妹の姿を発見した。
 そしてなんと、その後ろをついていく怪しい人影も目にしてしまった。
「…………風月かづきさん」
 囁くような声音で、同じく人影の存在に気がついた山城やまきが声をかけてくる。
 こくりと頷き、七緒は人影に悟られないように身を隠した。山城やまきもすぐに察して、七緒に続く。
 上下ともに黒のスポーツウェアを身につけていて、ご丁寧にキャップまで被っている。体格や脚の筋肉などからかろうじて男性だろうということがわかる程度で、年齢も定かでない。
 身長的には千春くらいだろうか。少なくとも隣の山城やまきよりは高くないと思うが、細身なのでそう見えるだけかもしれない。
「……何してるんでしょう」
「明らかに千春くんたちを尾けていますね」
「ええ」
 真剣な瞳で山城やまきが頷く。
 七緒は人影の行動をつぶさに観察する。
 身を隠してはいるものの、その歩調に迷いはなく、何か目的があってふたりを尾行しているのは明白だった。
 しかし、ふたりが立ち止まったり周りを確認したりすると、おどおどとした態度を見せることもある。
 仕草に一貫性のない様子だが、ほとんどの時間をポケットに手を入れている為、気は抜けない。
 あの中にはナイフやその他の危険物を潜ませている可能性がある。
 スポーツウェアを着ていることから、急に走り出して、後ろから襲い、返り血も気にせず走り去っていく計画かもしれない。
「どうしますか」
 山城やまきは今にも飛び出して確保しそうな勢いである。彼は体格もいいが腕っぷしもそれなりに自信がありそうなので、いざとなったら力を借りようと考えつつ、まずは様子を見ようと提案する。
 いくら休日とはいえ、山城やまきにあまり手荒なことはさせたくない。しかしながら、放っておけば千春と慈美いつみの身が危ない。
「……慈美いつみさん、警察にされたと言っていましたよね。風月かづきさんもその経緯いきさつについては──」
「わかりません」
「……ですよね」
「確かに、慈美いつみちゃんが東京で何らかのトラブルに巻き込まれていたとしたら、その延長ということはあり得ますね」
「ということはつまり、東京からここまでついてきたと」
「それが現実的かは些か疑問ですけどね。その場合、まずは慈美いつみちゃんが警察に駆け込んだことが発端と考えられますが、帰宅した際にお父さんの提案で急にY県に行くことが決まりました。それをご家族以外の人間が、事前に知る術はなかったはずです。僕らを除けば、ですが。……飛行機以外にここに来る手段はありますか?」
「新幹線の通っていない海側と違って、この辺りまでは新幹線が来ます」
「でも、ここも慈美いつみちゃんが行ってみたいと言ったからで、同じく事前に僕たち以外の誰かが知る方法はなかった。ですから、警察、自宅、そして羽田空港、飛行機に乗ってこちらの空港まで、ずうっと張り付いていて、さらにここまで僕たちは山城やまきさんの運転で来たわけですから、空港からの交通手段も必要です。どこへ向かうかもわからないのに、本数も少ない電車移動に賭けるのは無謀ですから、当然車が必要になる。ただしそれらを、全て滞りなく手配することは難しいでしょう」
「…………つまり風月かづきさんは、慈美いつみさんが巻き込まれたトラブルがらみではない人物、と考えていらっしゃるわけですね」
「……今のところは、ですが。心配なのは──」
 言葉を切った七緒の次の台詞を、山城やまきは黙って待っていた。
「千春くんは優しいが故に、人のネガティブな感情を引き寄せてしまいがちです。ですから知らず、ストレス発散に利用されてしまう。『誰でもいい』の『誰でも』に当たってしまうんです。対して、慈美いつみちゃんは人の行動力を助長する──ポジティブな感情に作用する──ので、ある意味では慈美いつみちゃん自身が標的になってもおかしくありません」
「東京でのトラブルとは別に、今日この場所で新たなトラブルに巻き込まれようとしている、とでも?」
「可能性だけなら、何でもありですよ」
 しばし、その『何でも』を想像するかのように、思案げに沈黙した山城やまきだったが、ふと前を見てぽつりと呟いた。
「…………しかし、後ろから見るとずいぶん間抜けですね」
 本物の探偵たち(?)がどうなのかは寡聞にして知らないが、ゲームなどでも尾行の対象から隠れるのに必死で、実は自分の背後のことには無頓着といったシーンが見られる。
「『集中し過ぎて周りが見えない』の典型ですね」
「まぁでも多かれ少なかれそういった面は誰にでもありますがね。いずみもよく、集中し過ぎて私の声が聞こえていない時があります」
「………………それは、山城やまきさんが無視されているだけでは──」
「はっ」
 山城やまきは、その場面を思い出しているらしく、そしてその心当たりもあるらしく、目から鱗と言わんばかりに目を見開いている。
「でも、今回は幸か不幸か、の前ですから」
 創作につきものの『ご都合主義』と言えばそれまでだが、周りには見えていないのか、それとも見えているけれどの行動に茶々を入れない不文律でも抱えているのか、大概の登場人物──いわゆるモブキャラ──たちは素通りする。
 だが、自分と山城やまきがいて、そんなことは絶対にさせない。
 はっ、と同じ台詞で現実に戻って来た山城やまきは、喉の奥から絞り出すように返事をする。
「え、ええ、そうですとも。彼らを危険な目に遭わせるわけにはいきません。特に慈美いつみさんには、せっかく来てもらったY県で嫌な思い出を作って欲しくありませんから」
 山城やまきがそこまで言った時、ここからでは千春たちの動きが見えなくなった。
 しかし、その十数メートル後ろを陰に隠れながら進むスポーツウェア姿の男は見えていて、彼が踏み出した足を慌てて引っ込めたところだった。
 千春と慈美いつみのどちからに気がつかれそうになったからだと、瞬時に七緒と山城やまきは反応する。
 そして、その直後。
 スポーツウェアの男が走り出した。
 七緒と山城やまきは顔を見合わせ、男の後ろ姿を追って同じように走り出すのだった。









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