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花柳 都子

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至近距離の最大幸福

スリリングな進言

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 結局、妹に半分近く取られながらも、数年ぶりの家族揃っての食卓は無事に済み、綿貫わたぬき家と風月七緒かづきななお山城優一やまきゆういちで、しっかり別会計にして店を出た。
 綿貫千春わたぬきちはるは、これからの予定を父に訊ねる山城やまきの姿を捉えつつ、カメラの準備をした。
 なんとなくこの空港を撮っておきたいと思ったからだが、俯いて調整していると、服が引っ張られるような感覚がした。
 後ろをついてきた妹の慈美いつみが、くいくいと裾を引いていた。
 そういえば、と思い出す。
 小さい頃から、兄である千春と妹の慈美いつみは決して仲の良い兄妹ではなかった。
 仲が悪いとか喧嘩ばかりしていたとか、そういうわけでもなく、ただただ交流を持たなかったのだ。
 異性だからというのもあるが、面倒を見た記憶も、勉強を教えた記憶もないし、一緒に遊んだことすらおそらくない。
 お互いにそのくらいの距離感が過ごしやすかったから──と千春は今の今まで思い込んでいたが、妹が兄に接する時はこんなふうにいつも控えめな仕草だったことを思い出した。
 実はもっと遊んだり甘えたりしたかったのだろうか。自分はそれを見て見ぬふりどころか、見もしなかったということなのだろうか。
「お兄ちゃん」
「なに」
 そして、彼女に呼びかけられた時の上手な返答を自分は知らないことに気がついた。
「──あの子たち、幸せかな?」
「……えっ?」
 千春の知る慈美いつみなら、空気の読めないふりをして、幼い兄弟にズバリと聞きそうなものだが、見上げてくる彼女の瞳は何かを迷うように揺れていた。
 それは自分が知るどの彼女よりも、幼く儚く見えて、千春は固まってしまう。
 いつの間にか、父も母も、そして七緒や山城やまきもこちらの様子を窺っていた。
慈美いつみちゃんは、どう思う?」
 気の利いた台詞の一つも出て来ない千春に代わって、七緒が訊ねる。
「……あの家族が、幸せだったら、いいな、って」
「じゃあ、まずは彼らの問題を解決しないとね」
「問題? ──って何ですか?」
「僕にも根本的な問題はわからないけれど、今、あのご家族が直面しているなら想像がつくよ。あまり他人ひと様の家庭に首を突っ込むのはよくないけれどね」
「……私もそう思う。でも、目の前で壊れそうなところを、見て見ぬ振りなんて、できないから──」
 ──あぁそうか。
 千春は納得した。
 慈美いつみの明るくポジティブで優等生な面はどちらかというと無理している姿に近く、こういった正義感や優しさは本来の彼女に備わる能力だったのだと得心がいったのだ。
 昔から上級生やガキ大将にいじめられている友達を助けに行っていた。
 そういうことには──友達がいないから結果的にではあるが──最初から近づかなかった千春とは真逆だった。
 上級生に一目置かれ、ガキ大将さえも虜にしていた慈美いつみの、世渡り上手がなせる技だと思っていた。
 けれど──。
 もしかしたら彼女自身、無理をしていたのかもしれない。
 兄は頼りにならない、でも、友達を見捨てることもできない。
 ならば、自分がやるしかない。
「壊れそうって、どういう──」
「離婚するのよ、たぶんね」
 母親がしんみりとした口調で口を挟む。
 父親も頷いているが、自分の両親にも同じ危機があったかどうかを、千春は知らない。
 そもそもそういう危機が存在しなかったのか、それとも知らないでいただけなのか、それはわからない。
 ただ、あってもなくても、それを意識せずにこれまで過ごせて来た事実に、千春は思ったより幸せな家庭なのかもしれないと密かに感謝した。
「でも、あの子たちはそれを望んでない」
「…………なんで、わかるんだよ。そんなこと」
「だって!」
 察しの悪い兄に慈美いつみが説明する。
 家族4人揃っているのに、そして自分はお子様ランチが好きにも関わらず、弟君はみんなで全く同じものを食べたいと言ったこと。
 ご両親の気を引く為に、兄君はわざと困らせるような態度を取っていたこと。
 母親の様子が父親や子どもの顔色を窺っていたこと。
 そして、父親が言った「わがまま」に無意識に込められた真意と、「好き」と言った弟君の真意を、彼女は懸命に語った。
「……お兄ちゃんも、よくやってた」
「…………は?」
 全く心当たりがない。
 というか、どのことを指しているのかよくわからない。
 自分は両親の気を引こうとしたことなどないし、家族を面と向かって「好き」だと口にしたこともない。
 しかし、なぜか両親と七緒と山城やまきは「あ~」と頷いている。
 まるで示し合わせたように、彼女に同意する大人たちを、千春は恨めしげな目で見つめた。
「小さい頃、ご飯の最中にわがままばっかり言ってる私が悪者にならないように、箸落としたりして、私を怒ろうとするお母さんの気を引いてた。まぁ私はお母さんの視線がお兄ちゃんに向いちゃって不満だったけど」
 全く記憶にもなければ、心当たりもない。
「本当、あんたって変なところでおかしなことする子だったけど、ある時それに気がついて、あらなんだとても優しい子なんだわって。恥ずかしくて今まで言ったことないんだけれど」
「私たちの教育が良かったのかしら、って今でもたまに言ってるぞ」
「お父さんだって、『そういうことにしておこう』って嬉しそうに言ってたじゃない!」
「…………論点がずれてる」
 照れくさくなって、無理やり話を戻そうとすると、七緒が追い討ちをかけた。
「千春くんは優しいよ。そのわりには言葉数が少なくて、態度や仕草からも感情が見えにくいから、相手に誤解されたり利用されたり、損な役回りになりがちなんだよね」
「──本来なら、そういうが間違っているんだと思うけれどね。真面目で優しい人ばかりが損してる。そういうには、なって欲しくないよね」
「嫌な言葉ほど、強く聞こえるものだからね」
「そういうことを言う人は、総じて声が大きいし」
 山城やまきや父と母も加わって、収拾がつかなくなってきた。
 どうやら墓穴を掘ってしまったらしいが、褒められているらしいので、反抗もしづらい。
「私は、あの子たちの為に、家族みんな一緒にいて欲しい」
「…………でも、一緒にいられない事情だって、あるかも──」
「今、一緒にいるのに?」
「え……」
「少なくとも、顔を合わせられる時間と気持ちがあるなら、まだ間に合うと思う」
「…………それで、慈美いつみはどうしようっていうわけ?」
「離婚を阻止したい」
「見ず知らずの家族に、それを言うの?」
 こくりと頷く彼女の瞳に、もう迷いはなかった。
 意志の強い眼差しで見つめられれば、『馬鹿なことを』とは言えない。
 お節介で余計なお世話だろうが、誰も言わないのなら自分が言ってやろうというのも、妹らしかった。
 たとえ自分が悪者になっても、相手を幸せにしたい──。
 とんだ自己犠牲的な考え方だが、この期に及んでまだ自分より他人の幸せを願える妹に、感服してしまう自分も確かに存在していた。
「離婚って決まったわけじゃないのに?」
 最後の悪あがきとして、そう言ってみる。
「……お兄ちゃんはそうだよね」
「千春くんは自分の行動や言動で、より状況が悪化するのを防ぎたい。自分が発端で誰かが傷つくのを見たくない」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ……」
 七緒が水を得た魚とばかりに解説するが、当の本人が一番ピンと来ていない。
 そもそも自分はそういうふうに生きてはいないのに、なぜか周りの人間たちが綿貫千春わたぬきちはるという人物像をどんどん作り上げていく。
「それが、お兄ちゃんのなんだって──たぶん、みんな知ってるよ」
 というのが一体どの範囲なのかわからなかったが、とりあえずこの場にいるが妥当だろう。
 千春は彼らに今更何を言っても無駄だと
「お兄ちゃん、お願いがあるの」
「……なに」
「この作戦が失敗しても成功しても、写真、撮って欲しいんだよね」
「え?」
「最後の思い出になるか、それとも新しいスタートになるか。それは、今後の次第かな」
 そのが誰を指すのかわからないが、おそらく今レストランから出てきた彼ら名も知らぬ──もとい苗字も知らぬ家族のことだろう。
「あ、おねえちゃん!」
りくくん、そらくん。お写真、撮らない?」
「うん! 撮りたい!」
「じゃあ、お外に行こっか」
「うん!」
 きゃっきゃっと外に出る弟のりくと、そして仕方なくといった体でついていくそらの後ろから、瞬間顔を見合わせて、両親がしぶしぶ後を追ってきた。
「並んで並んで~」
 相変わらず弟君以外は笑みのかけらもない家族だった。
 いや、こういう状況に直面しているから、というだけの理由かもしれない。
 千春は彼ら家族を知らないのだから。
 だから、笑顔を求めはしない。
 それが千春のポリシーだ。
「カメラ、こっちです。撮りま──」
「ママ」
「……パパ」
 りくそらがそれぞれ両親を見上げた。
「笑って!」
 そう言った彼らが、一番の笑顔で。
 千春のカメラを向いた。
 驚いた表情の両親が、半ば無理やりだったが笑みをこぼしたところで、千春はシャッターを切った。
 満足げに慈美いつみが兄を見て笑う。
「…………ねえ、りく。ママじゃなくなっても、好きで、いてくれる?」
「ママ、どこ行くの?」
「──遠いところよ」
「やだ! ママじゃなきゃ、いや!」
「ごめんね……ごめんね、りく──」
「ねえねえ、りくくん、そらくん。おばさんたちと遊びに行こっか」
「なんで~?」
「飛行機もうすぐ飛ぶんだって、見てみたくない?」
「見てみたーい!」
 弟君はともかく、兄のそらのほうはなんとなく遠ざけられていることに気がつきつつも、弟と手を繋いで千春の両親についていった。
「…………大変失礼かと存じますが、ご病気か何かでいらっしゃるのでしょうか?」
「えっ……?」
行かれると仰いました」
「あぁ、いえ……違うんです。体は何とも……」
「そうですか、それは良かった。私の妻は、子どもの姿を見ることなく旅立ちました」
「あなたも、お子さんが──?」
 首を横に振る山城やまきは、続けて言った。
「子どもがいなくても私たちはとても幸せでしたが、もしも違う世界線なら存在したかもしれない未来です。あなた方は今この世界で、それを手にされています。それがでないことを、どうか知っておいていただきたくて。だから、どうしろというわけではないのですが」
 どんな言葉も、どんな行動も、他人を幸せにする力があるのと同等に、他人を傷つける刃にもなることを、絶対に忘れてはいけない。
 自分自身の言葉が諸刃の剣であることも、きっと山城やまき
「まずは、あなた方の誤解を解きましょう」
「何を誤解しているというんです」
「その前に『わがまま』とは何ですか? りくくんとそらくんは、わがままを言ってはいけませんか?」
「……そらは母親に、りくは私についてくることになっています。わがままばかり言われては困ります」
「単刀直入に失礼しますが、──それはあなたの都合ですよね?」
 ぎくりと父親が口を噤む。
「彼らには関係のないことです。ご両親と一緒にいたい、と言うことのどこが『わがまま』なんでしょうか」
「そう、はっきりとは言ってないでしょう。ふたりだってもう覚悟を決めて──」
「そう言えなくしたのは、ご両親ではないのですか?」
 あぁ、まただ。
 七緒がはっきり物申すこの時は、未だにドキドキする。
 山城やまきや千春相手ならともかく、彼らは本来の風月七緒かづきななおを知らないのだ。
 風貌とは裏腹に、嫌な奴だと思われかねない。
 それでも、きっと七緒はこう答えるだろう。
 『たとえそうなったとしても、僕には伝えたいことがあるからね』──。
「私にはふたりとも、パパとママと一緒にいたくて必死に見えました。『笑って』と言った声が聞こえませんでしたか? ふたりはパパとママに笑ってて欲しいんです。パパとママが笑っていたら、みんな離れ離れにならないで済むから。りくくんが言った『パパとママだから好き』という言葉、私には『お父さんとお母さん』という肩書きだから好きなのではなくて、『パパがあなたで、ママがあなただから』、好きなんだと、そう聞こえました」
 この中で一番子どもの慈美いつみに、一番大人らしいことを言われて、両親はふたりとも沈黙してしまった。
 やがて、母親が口を開く。
「……離婚、やめよっか」
「元はと言えばお前から言い出したんだろ」
「うん。でも、あなたの意見は聞いてなかった。だって、『わかった』って言うんだもん。理由を聞いたり、反対してくれるかと思ったのに」
「俺は──そのほうが、お前や子どもたちが幸せならって……」
「…………俺は」
 不意に口を挟んだ千春を、その場の全員が振り向いた。その視線を感じながら、もう止める術はなく、千春は続けた。
「俺は、言葉にしなきゃ伝わらないこともあると、つい最近になってようやく知りました。ただ心の中で願うが、じゃないんだってことも」
「今度はちゃんと、言葉で、体で、伝えてあげてくださいね」
 慈美いつみが視線を促した先に、飛行機を見て戻ってきた子どもたちの姿がある。
「パパー、ママー、大好き!」
りくそら……ママも、大好きよ」
 ぎゅうっと駆け寄ってきたふたりを抱き締める母親と、頭を撫でる父親に、兄弟はそうに満面の笑みを浮かべた。
 千春は視線を逸らし、遠くなる飛行機にカメラを向けた。
 いや、と思い直す。
 陸と空と、そして彼らを乗せる飛行機の姿が揃わないと、このは完成しないように思えた。
 ──まだ道半ば、ってことで。
 千春はカメラを下ろした。
 少し残念そうにした慈美いつみだったが、気を取り直したように伸びをして、兄のを尊重するのだった。







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