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花柳 都子

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至近距離の最大幸福

好きの真意

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 飛行機の到着時間はちょうどお昼時で、観光に行く前にまずは腹ごしらえと、空港内のレストランに入った。
 綿貫千春わたぬきちはるは、4人がけの席に父親と並んで座る。
 久しく家族揃って食事などして来なかったので、なんだかむず痒い気分だったが、目の前の妹は母親とメニューを広げてああでもないこうでもないと選び始めた。
 いつもの明るさや元気さはあまり見えないが、全く笑わないというわけでもなく、どこにでもありそうな家族の団欒に見えた。
「お兄ちゃんは何にするの?」
「何でもいいよ」
「じゃあ、私が食べたいからこれにする」
「……うん」
 何でもいいと言った手前、何も言い返せなくなる自分の姿もいつもの光景である。そして、「一口ちょうだい」と母と妹に言われ、自分には何も返って来ないのもまた日常茶飯事である。
 別に食べるものは何でもいいが、理由はそれじゃ嫌だともっとお互い幼い時に喧嘩したことがあるが、妹に簡単に論破された挙句、笑顔の母親に圧をかけられ、それからはふたりには余計な口出しはしないことにしている。
 そういうところは父親によく似ていると思っているが、千春とは違って彼は寡黙ながらもなぜか社交的なので周囲からは慕われやすいのも、十何年来の謎である。
 風月七緒かづきななお山城優一やまきゆういちは家族と並んで、ふたりがけの席に着いた。
 逆隣は同じく4人がけの席で、千春たちが案内された時には誰もいなかったが、入り口からこちらに歩いてくる家族を見て、思わず「あ」と呟いてしまった。
 それは、綿貫わたぬき家の3人を待っている時に、ロビーで出会った母子(?)+父親と思われる男性だった。
「あっ、帽子のおじちゃんだ!」
「こら、りく!」
 手を離して、山城やまきに駆け寄る弟──りくという名前らしい──を注意する彼女からは、横目で男性の顔色を窺っているような仕草が見て取れた。
「千春、注文するわよ?」
「えっ、あぁ、うん」
 母親からの呼びかけに上の空で答えながら、千春は隣の席に着いた家族たちをさり気なく観察してみた。
 幼い弟は山城やまきに連れられて、女性の隣にようやく腰を下ろしたが、店員が用意した子供用の椅子の上で落ち着きなく足をバタバタさせたり、女性に話しかけたりと忙しない。
「ママ、お腹すいた~」
「……何にする? お子様ランチ?」
 エビフライやハンバーグなど子どもが喜びそうなおかずが目白押しのメニューを、母親──で合っているらしい──が指差すのが見える。
「…………いや!」
 ずいぶん間があった。
 バタバタしていた足の動きも、テーブルの上で所在無げに遊んでいた手も、ついでに顔の表情筋さえも瞬間止まったが、最終的にぶんぶんと頭を振る。
「どうして? 好きでしょ?」
「…………きらい…………」
 消え入りそうな小さな声でりくは答える。
 今にも泣き出しそうな、そして怒ったような瞳をしている。
りく、わがままはやめなさい」
「……ちがうもん……」
そらは? どうする?」
 母親が困ったように兄に問いかけた。
 兄の名前はそらというらしく、空港にぴったりの兄弟だななどと、つい頭を過ってしまう。
「……いらない……」
そら
 弟のみならず兄までも困らせるのか、という様子で父親が低い声を出した。
 兄弟は怖がったり怯えたりしているようではないが、母親のほうがどちらかというとびくびくしている雰囲気がある。
「ほら、りくそらも。好きなの選んでいいから」
「……いっしょ……」
「え?」
「みんなといっしょ! いっしょがいい!」
 はっと息を呑んだように、父と母がりくを見る。そらはテーブルを見つめたまま微動だにしなかったが、やがて口を開いた。
「……りくが言うなら、それでいい」
「パパは? どうする?」
「…………りくが好きなものを選びなさい」
「これ!」
 元気よくお子様ランチを指すりくに、母親が困ったように笑った。
「もう、それじゃ一緒にならないでしょ」
「これ好きだもん!」
「パパとママは頼めないの」
「じゃあ~、お兄ちゃんの好きなのにする!」
「もう。そらは? 食べたいのある?」
 無言で指差したメニューを、目配せで母親が父親に確認する。
 こちらも無言で頷いたので、店員を呼んだ母親が「これ4つ」と注文すると、店員は少し戸惑ったように「かしこまりました」と去って行った。
「……お兄ちゃん」
 つい隣の家族に見入ってしまった千春に、妹の慈美いつみが声をかけてきた。
 しばらく面と向かってそう呼ばれたことがなかった──というより実は、千春が意識して来なかっただけなのかもしれない──ので、少し懐かしい感じがした。
「なに?」
 すっと彼女がスマートフォンを千春に向けて、差し出した。
「…………なに?」
 間抜けに聞き返すしかできない千春に、慈美いつみは何でもないふうに言う。
「預かってて」
「は?」
 妹の真意が見えず、千春の口からはそんな反応しか出なかった。
「この旅行中は見ないことにしたから」
「電話とか、SNSとか、……写真とか、いいの?」
 水を飲みながらこくりと頷く慈美いつみからは、もはや名残惜しささえ感じなかった。
 どういう覚悟なのか千春にはわからなかったが、とりあえず言う通りに自分のポケットにしまうことにした。
「……それに」
「ん?」
「写真はお兄ちゃんが撮るでしょ?」
 照れくさそうなその笑顔は、あの頃の、写真に夢中になっていた千春と比例して、千春の写真を一番楽しみにしてくれていたあの頃の彼女のそれと同じだった。
「……別にお前のために撮るわけじゃないけど」
「そんなのいらない。私は、写真がいいんだもん」
「……そう」
 千春が何とも言えない気分で相槌を打つと、隣から大きな声が聞こえた。
「あー!」
 そう叫んだのはもちろん千春の父親──ではなく、隣席の弟君・りくであった。
「おねえちゃんもいっしょだね!」
「ん? なにが?」
「おねえちゃんも、おにいちゃん大好き?」
 邪気のない、無垢な笑顔だった。
 面食らったように目をぱちくりさせた慈美いつみだったが、おそらく子ども向けの笑顔でこう返した。
「うん、大好き」
「ぼくたちといっしょだね!」
 『ぼくたち』が誰を指すのかを考えるよりも先に、千春は妹の返答に度肝を抜かれ、飲んでいた水を思わず吹き出しそうになってしまった。
「…………だいぶ盛ったけど、嘘じゃないから」
 兄に対しては無愛想にそっぽを向きながらだったが、そう呟き、千春は余計に混乱してしまう。
 普段の妹なら千春の目を見て、もっと自信ありげにというか、なんならという文言も必要ないほど直球に伝えてくるのだが──。
「お兄ちゃんのどういうところが好き?」
「んっとねぇ~、やさしいところ!」
「たとえば、どういう時?」
「いっしょにあそんでくれたり、パパがいなくてさみしいときに、いっしょにねてくれたりする! ママがたいへんなときも、かっこいいんだよ! おそらからとんでくるヒーローみたい!」
「そっか~」
 から飛んでくるヒーローを、で待つ──。兄弟揃って粋な名前だなと思う。
 相変わらず弟のりく以外は、しんと静まり返っている家族だが、それは自分たちも変わらないかと千春は、はたと気がついた。
 普段なら口数の多い母親と妹が会話の主導権を握りがちだが、今この瞬間は妹だけが人懐こく喋っている。
 きっと隣の家族からも同じように見えるのだろう。
りくくんは、お兄ちゃんが好きなんだね」
「ちがうよ!」
 思いの外、大きな声で素早く返され、慈美いつみは驚いたように、りくを見つめた。
好きなんだよ!」
「……あはは、そっか……」
「おねえちゃんは? どうしてお兄ちゃんが好きなの?」
「そうだなぁ~、りくくんといっしょかな!」
「え~、お兄ちゃんといっしょにねるの?」
「……うん、そこじゃないかな」
 微妙に会話の噛み合わない子だが、「もう」と言いながら頭を撫でる母親の様子を見ると、これが彼の通常運転らしかった。
 父親はじっと黙っているが、千春の父親も似たようなもので、父親という存在がこういうものなのかもしれないと思う。
 ──いや、山城やまきさんとか七緒さんなら、こういう感じにはならないか。
 と思ってふたりのほうを振り返ると、彼らはくすくすと笑いをこらえていた。
 どうやら慈美いつみりくの会話もさることながら、その内容が面白くてたまらなかったらしい。
 ──まぁ、いろんな人がいるか。
 不思議と不快な気分にはならなかった。
 過ごす時間が長くなればなるほど、彼らの姿はよく見えるし、逆に近すぎて見えないこともある。
 千春はこんな妹の姿を、今までに見たことがない。
 千春から見た慈美いつみは、いつでも典型的なポジティブ女子だった。
 きっと彼女に接する多くの人がそう感じるように。
 兄だろうが家族だろうが、見えていないことはたくさんあって。
 七緒の言う彼女のSOSとやらは、未だに千春にはよくわからない。落ち込んだり悩んだりしている様を見たことがないから──いや、見ようとして来なかったからだ。
 自分よりもしっかりしていて、不運な兄に比べて世渡り上手で社交的で、勉強も日常生活もで。心配するところの一切ない子だと思っていた。
 それでも、いつもの妹が必ずしも妹のではなかったことが、なんとなくわかり始めてきた。
 人にはいろんな顔がある。
 それは、家族も妹も例外ではない。
 もしかしたら、彼らにとっての千春もそうなのかもしれないが、自分はこれまで自分を取り繕ってきたことがない。
 それこそが不運に巻き込まれる所以なのかもしれないし、よく言えば裏表がなく、悪く言えば自分のことしか考えていなかったのかもしれない。
 けれど、七緒や山城やまきと過ごすうちに、少しずつ自分でも知らない自分を認識し始めていた。
 それはもしかすると今の妹も同じなのかもしれない。
「じゃあ、パパとママは好き?」
「うん、大好き!」
「どうして好きなの?」
「ぼくの、パパとママだから!」
 そう言って微笑み合う妹と弟は、まさに家族のヒーローのような存在だと、千春は思う。










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