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心配の真髄
最弱の最強〜ホワットダニット〜
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綿貫千春は呆然としていた。
風月七緒からの連絡、そして山城優一との電話の後、2人は千春が写真をプリントしていた事務室へと戻って来た。
そこには、渦中の女子大生と思われる女性2人組と年配のご夫婦が一組、どちらも七緒が連れてきた。
山城はというと、メッセージのやり取りや電話で話した白い封筒を手にしている。
確かに爆発物ではないようで、おそらくその中身を見て、山城はこれ以上の爆発物探しは必要ないと判断したのだろう。
七緒も山城も何らかの結論に達しているらしく、迷いのない瞳をしていた。
とはいえ、その種類は些か違って、七緒はほとんどいつもと変わらない慈愛の表情をしているのに対し、山城はというと珍しく怒気を含んだ顔だった。
千春だけが蚊帳の外で、あっちを見たりこっちを見たり。
手持ち無沙汰──というより居心地の悪そうな女子大生のもう一人に至っては、スマートフォンを操作している。
「さて──」
風月七緒がそう切り出した。
これから、謎解きが始まる。
その数十分前に遡る。
山城は汗を拭いながら、お触り厳禁のセットに気を遣いつつ、爆発物を探していた。
もちろんないに越したことはないし、どんな形状なのか想像もつかないのだが、自分の目でそれを確かめないことには気が済まなかった。
汗ばむ肌に吸い付いて不快になった腕時計を外した時、ポケットのスマートフォンが鳴った。
「はい、山城」
このタイミングで電話して来るのは、七緒か千春か、部下の泉だろう。
「お疲れ様です、泉です」
「何か見つけたか?」
予想通りの声に、山城は単刀直入に聞く。そもそも課長である山城が不在にしている間、何かあったら連絡するようにと頼んであったのだが、例の台詞探しの件で、彼女からの連絡はことほど左様に珍しいことではない。
「映画に関してはまだ途中ですが、私の知る限り爆弾を使ったシーンはどの映画にも出てきません。ですから、『爆破』などという台詞も出てこないと思います。念の為、確認はしますけど。演出上、似たような装置は使っているかもしれませんから。ただ、それ以外に興味深いものを見つけました」
「何?」
「課長から『平日なのに予約のお客さんが多い』と聞いていたので、もしかしたら何かのイベントの日なのかもしれないと思って調べてみたんです。そうしたら──」
とある推理作家の『幻の遺作』という掲示板を見つけた。その小説とこの映画村には関連性があって、どうやらコアなファンたちがSNSで呼びかけあい、今日ここにやって来たらしい。
「……あ、もしかしてその中に爆破や爆弾が出てく──」
「出て来ません」
「あ、そう」
「というか、内容まではわかりませんでした。探偵助手が映画村で謎の死を遂げるというだけ。もはや何が謎なのかすら私にはわかりませんけど、よっぽど人気の作家なのか、結構掲示板は盛り上がってました」
「最近の投稿に何か目ぼしいものはないの?」
「掲示板というより、たぶん掲示板で繋がった仲間たちによるSNSでのやり取りで、『幻の遺作』の映画化の噂が持ち上がってますね」
「……待て待て。『幻の遺作』は小説として、物語として、存在してないんだろ?」
「少なくとも、『本』にはなってません」
「小説家なんだろ? じゃあ、商売道具の『本』になってなかったら、ないと同じじゃないか」
「でも、その内容が出回ってるということは、知っている人がいるということですよね」
なんだか禅問答みたいになってきたな、と山城はこっそりため息を吐く。
泉は気に留めるふうもなく続けた。
「ここからが本題なんですけど、SNSで話題にしているほとんどの人が推理作家のファンと思われますが、映画マニアたちの中にもなぜかその『幻の遺作』について触れている人がいるんです」
「なんで? そんなに有名な作品なの?」
本も出ていないのに? と山城は首を傾げるが、泉もそれに対してははっきりとした返事はしなかった。
「わかりません。でも、一応その映画村に関わることだし、伝えておいたほうがいいかと思って。あ、あと」
「え、まだ何かあるの?」
「課長に教えてもらった、その爆破予告アカウントの投稿を確認してたんですけど」
「うん」
特に期待もせずに、山城は返事をした。
「風月さんの仰る通り、私も女子大生だと思います。先入観は禁物って課長は言うでしょうけど、爆発物を仕掛けるようには思えないのも風月さんと同じ意見です」
泉には協力をお願いする上で、ある程度の情報は渡している。彼女には彼女にしかできない役割を与えることで、現地に近づかせない算段だった。
「で、ひとつ気がついたことが。彼女、昨日も映画村に行ってると思います。仕掛けたのは爆弾みたいに大きなものじゃなくて、白い封筒じゃないかと──」
「白い封筒? なんで?」
「写ってるんです、彼女が投稿した写真に。何枚かあるんですけど、まずは映画村の入り口、それからセットの写真がいくつか。で、そのうちの一枚に、うっすら白い封筒か何かが写ってるんです。机の上です、後で課長にも送ります。さすがに現地のどこにあるかまではわからないですけど。たぶん、アピールの為だと思いますよ」
「アピール?」
「誰かに気づいて欲しいんだと思います」
「……何でそう思うの?」
「だって、そうじゃきゃ『爆破』だなんて物騒な台詞で人目を集めようなんて思いませんよ。彼女の投稿、いつも『いいね』はそれほど多くありません。でも、『いいね』をもらうだけがSNSの存在意義じゃないし、彼女自身それで満足している描写がいくつもあります。そんな中で、当該投稿はかなり拡散されています。意図的なのか結果的にそうなってしまっただけかはわかりません。ただ、もしそうなることが彼女自身の狙いだったとしたら、注目を集めなければならない理由は、その投稿の中にあるはず。この映画村の景色で、異質なのはその白い何かだけです」
「……何で昨日仕掛けたってわかる?」
「時代劇用のセットですよ? ずっと置いてあったらスタッフさんやお客さんの誰かが必ず気づきます。でも、昨日なら──」
「え?」
「昨日なら、課長からの爆破予告の連絡があったから、お客さんはともかくスタッフさんはそれどころじゃなかったんじゃないかと。女子大生は見学をラストぎりぎりの時間にすれば、誰にも見咎められずに今日を迎えられたかもしれません。それは、さすがに結果論であって絶対じゃないけど、女子大生にとっては見つかることも覚悟の上だったと思います」
山城は彼女の意見に従って、その白い封筒を探すことにした。ここまでの道中で、スタッフも一緒にセットを見回っているが、爆発物に限らず見慣れないものは報告するようにお願いしていた。あるとすれば、ここから先だろう。
果たして、ほとんど最後の区画にその白い封筒はあった。
机の上、確かに目立つところに置いてある。
山城は、千春と七緒に連絡した後、封筒を開いてみた。
──爆発物ではなかった。
それは──。
女子大生から意中の人に贈られた、『励ましのメッセージ』という名のラブレターだった。
一方、風月七緒は周囲の人の会話や仕草に注意しながら、映画ファンを装って見学を続けていた。
実はここに来る前、『幻の遺作』についてもある程度の状況は把握していた。昨日の作戦会議の時点では知る由もなかったが、やることは変わらない。
むしろ犯人は探しやすくなったとさえ思う。
彼女のアカウントには『小説』の投稿はなかった。あったとしても、原作となった漫画を読んだというような簡素な内容で、感想に関しても同じアカウントでは語られていない。
あくまで『映画』として作品を楽しむことが、彼女なりのモットーらしかった。
だから、今日ここに来る多くの人たちが『小説』をメインに語る中、『映画』に焦点を当てる人物を探し出せばいい。
「ちょっと、そんなにきょろきょろしてどうしたの。あんた、昨日も来てたじゃん」
そんな時、若い女性の声が後ろから聞こえて来て、七緒はハッと振り返った。
「え、あ、ごめん」
「謝ることじゃないけどさ。そんなに先輩に会いたいの? いるかわかんないんでしょ?」
「うん、まあ」
「『爆破だー!』とか言って、先輩に届けアピールしてさ。もうちょっといいやり方があったでしょ。下手したら警察に捕まるよ、あんた」
「うっ……」
「まあそれは大げさかもしんないけど。物騒な世の中なんだからね? 気をつけてよ?」
「うん。……消したほうがいいかな?」
「今更何言ってんの。消すにしても、ここ出てからにすれば? 先輩が来てないか探してるんでしょ?」
「うん」
「来てくれたの確かめてからでもいいんじゃない?」
「……そうする」
七緒は全てを察した。
昨日もここに来ていたこと、『爆破だ』とSNSで発言したらしいこと、そして意中の先輩──。
「見つけた」と七緒は口の中で呟く。
彼女は終始、不安げな瞳を泳がせ、それでいて何かを期待するように頬を紅潮させていた。
それはここに来ているほとんどの人がそうで、彼女と同じか少し歳上くらいの女性もたくさんいるが、みんなそれぞれ差異はあれど似たような表情を浮かべている。
七緒はそれとは別に、気になっていることがあった。
例の『幻の遺作』についてである。
いくら人気の推理作家でも、小説の舞台となった場所に7年も経っているにも関わらず、こんなに人が集まるだろうか。
自然な成り行きでは難しい、それならば誰かの意図が働いているに違いない。
七緒自身、『幻の遺作』についてはそれほど詳しくない。つい今しがた噂を目にしたばかりなので、知ったふうな口は聞けないが──。
ここに来た多くのファンたちは、きっと失踪した本人が生きていることを願っているだろう。
7年経っても『聖地巡礼』をしに来るくらいだ。
続編を期待しないわけではないが、せめて作者が生きていることを確認したい。そういう想いがあるに決まっている。
できれば、彼らにとってもこの映画村での思い出が幸福なものであって欲しい──。
七緒はある年配の夫婦に目を向けた。
彼らはしきりにスマートフォンを見ている。
写真を撮っているわけでもなく、地図か何かを確認している雰囲気でもない。彼らは推理作家ファンの集まりと思われるグループAの参加者である。内容が詳らかでない小説の、探偵助手最期の舞台となった場所を探しているわけでもないだろう。
「お父さん、もう少しですね」
「──あぁ」
彼らのほうから小さく低い声が風に乗って聞こえた。
山城から白い封筒の報告があったのは、まさにその時だった。
七緒は慌てた。爆破予告の犯人は見つけた。
しかし、肝心の爆発物がないかどうかは言及されていない。昨日ここに来たことはアカウントの投稿を見ればわかるにしても、友達同士での会話に出てこなかったところを見ると、友人もその白い封筒の存在は知らないに違いない。
山城に早打ちでメッセージを送るが、彼からの返信はそれから途絶えた。
千春からの連絡によって爆発物ではなかったことが知らされた。
七緒は意を決して、女子大生2人組と年配の夫婦に声をかけた。
この爆破予告騒ぎの真相、そして『幻の遺作』の秘密を明らかにしなければ、全ての謎は解けない。
むしろ何が謎なのかさえ、今の時点では定かでないのだから──。
「さて──」
謎解き前の常套句から始まった七緒の台詞は、そこで途切れた。
そして彼は、年配の夫婦に微笑みかける。
「スマートフォンが気になりますか?」
「えっ?」
女性のほうが中途半端な笑みで固まった。
男性は訝しげに七緒を見つめる。
「もうすぐなんですよね、何かが」
「…………ええ」
「構いませんよ、確認していただいても」
「──ありがとう」
そして年配の夫婦はスマートフォンに釘付けになった。
「あぁ、これだったんですね。新進気鋭の映画監督による新作発表──『探偵助手の帰還』ですか。良いタイトルですね」
「君は、どこまで知っているんだい?」
「そんなには知りませんよ。でも、これで本当に『幻の遺作』になりましたね」
「──はは、やっぱり全部知っているんじゃないか」
「ちょ、ちょっと……七緒さん?」
「あぁごめんごめん。この話はまた後でするよ。まずは、爆破予告のほうを解決しよう。時間がないんだ」
「えっ!?」
時間がない=爆弾の爆発を連想したのか、千春が素っ頓狂な声を上げる。
「紛らわしい言い方だったよ。早くしないと、あなたの先輩が見学を終えてしまうかもしれない」
「…………えっ?」
「あなたには、想いを寄せる先輩がいますよね。彼に気がついて欲しくて、振り向いて欲しくて、爆破予告まがいの投稿をした。違いますか?」
スマートフォンを弄っていた彼女の友人もいつの間にか顔を上げていた。
「………………違わない、です」
「どうして『爆破』にしたんですか?」
「…………」
「彼に気がついて欲しかったなら、他の台詞でも良かったと思いますが」
「…………」
「答えたくないのはわかります。でも、ここにいる人たちは、あなたの爆破予告に胸を痛めた人たちです。たとえそれが冗談や、全く違う意図があったとしても、大多数の人にそう受け取れてしまうことは否めません。せめて、ここでだけは本当のことを言ってもらえませんか」
それでも黙秘を続ける彼女に、白い封筒を持った山城が怖い顔で歩み寄る。背も高く、体格もいい彼にはそれだけで静かな圧があった。
「これ、君のなんだね?」
「あ、これは、その──」
「申し訳ないけれど、中を読ませてもらった」
「えっ……」
「読まれたくなかったかな。けれど、それなら君はこの手紙を直接渡すべきだったと思うよ。確かに、想いを伝える方法はいくらでもあって、いくつあってもいい。でもね、知られたくない、知らなくていい人にまで伝えることはないと、個人的には思うんだよ。これは君から彼に宛てたものだよね。SNSで過激な言葉まで使って、君は彼に何を伝えたかったんだろう?」
「…………爆発しちゃえばいい、って」
彼女は泣いていた。
「先輩は前に私にそう言ったんです。『つまらない退屈だ嫌いだ、こんな世の中なんて爆発しちゃえばいい』って。そうやって頭の中で考えて、本当に自分の生きる世界を爆発させちゃうと、不思議と今悩んでることがどうでも良くなるんだって。私が学校やバイトのことで悩んでた時期にそう励ましてくれたことがあったんです。彼は今、就職活動がうまくいってないみたいで、見てるこっちが辛くて苦しくて。だから──」
以前の彼と同じ台詞で励まそうと思った。
彼女は涙を流しながら、そう語った。
映画の台詞じゃなく、彼自身の台詞──。
それを引用したのには彼女なりの理由と、希望があったから。
「彼は地元就職を考えていて、今もこのY県にいます。もし、私を励ましてくれた時の台詞を覚えていてくれたら、そうでなくても私を心配してくれたら、今日ここに来てくれるかもしれない。そう思って……ごめんなさい、私、自分のことしか考えてなくて、ごめんなさいごめんなさい……」
崩れ落ちそうになる彼女を隣の友人が支える。
背中を撫でながら、それでも周りの大人たちを責める様子はなかった。
「それがわかっているなら、もう大丈夫だね? これは君が直接渡せばいい」
ふっと力が抜けたように、山城がいつもの人懐こい笑顔に困り眉をつけて言った。
「怖い思いさせてごめんね。でも、君の何気ない発言が何も知らない人に怖い思いをさせてしまったかもしれない。そのことは忘れないでいて欲しい──大丈夫。今ここで気がついたんだから。僕と同じように」
小さく掠れた声で、彼女は「え?」と顔を上げる。
「僕はね、自分の気が済まないからってここのスタッフも上司や部下も巻き込んで、時間がないっていうのを言い訳に、虱潰しに爆弾を探した。無謀だってこともわかってた。スタッフを信頼していないようにも聞こえたかもしれない。僕の無茶な提案のせいで、彼らは大事なことを見落としたのかもしれない。もっと違うやり方があったんじゃないかって後悔してる。それでも──」
山城は言葉を切った。
そして、彼女を見て穏やかに続ける。
「──守りたかったんだよ、みんなを。この映画村を、この街を、このY県を訪れてくれる人たちを、ここで働いてくれている人たちを、守りたかった。君も同じだよね。彼の心を守りたかった。ただ、やり方を間違っただけで。君の想いはきっと、伝わってると思うよ」
ほら、と事務所の扉に山城が目を向ける。
ちょうど大学生くらいの男性が一人、スタッフと共に入ってくるところだった。
「君のアカウントを見せて反応した人に、ついて来てもらったんだよ」
山城はそう言って、彼の元へ促す。
友人の女性がそっと背中を押した。
「…………良かった、会えて」
言葉数は少なかったが、彼のその一言だけで彼女の想いが救われた気がした。
「あぁ、山城さんに一本取られました」
「えっと、まだ俺は話についていけてないんですけど。あの人が爆破予告の犯人だって七緒さんがどうして見抜けたかってことも、先輩がここにいる理由も、全然わからないです」
七緒は彼女を予告犯と断定した経緯を説明し、先輩の男性についてはこう推測した。
「その白い封筒を見つけた時点で、山城さんがスタッフさんに頼んで男性を探してくれたんじゃないかな。もし本当に来ているなら、彼女のアカウントを見せれば、一目瞭然。男性全員っていってもそれほど人数がいるわけじゃない、決して無謀じゃないからね」
どうやら山城は、彼自身の選択を後悔しているらしかった。千春にはそうは思えないし、彼の優しさと熱い一面を知っているから、彼らしい行動だとさえ思う。
とはいえ──。
「──つまり、白い封筒は爆弾でもないし、小説とも関係ないってことですか?」
「うん」
七緒と山城が同時に、千春の質問に頷く。
「千春くんは小説に関係することだと思ってた?」
「はい──失踪した推理作家からのファンへのメッセージか何かだと」
「ふふ、それも間違いじゃないけどね。残念ながら、やり方が違ったね。この場合は、残念ながらというより、素敵なことながら──のほうが正しいですかね、ね?」
そう言って、七緒はここまで置いてけぼりだった年配の夫婦に声をかけた。
「あなたはなんでもお見通しなのね」
「そうでもありません。でも、今日の映画村が大盛況なのは、あなた方のお力かと思っています」
「…………正しいやり方だったとは考えていません。ですが、こんなに集まってくれるとは思いませんでした。それだけ、あの子が愛されていた証拠です。私たちはできればそれを伝えたいと思っているのですが──」
彼ら夫婦の説明によって、小説『幻の遺作』の全景が明らかになった。
夫は有名な小説家らしく、ある時、進路に悩んでいた息子にプロットを与えて、推理小説を書かせてみた。思いの外、才能があって、彼の作品は世に出て売れた。父親との関係は明かしていなかったが、全ての作品は父親の作ったベースによるもので、彼自身がゼロから生み出したものではない。
彼はやがて推理作家である自分に嫌気がさしていった。容姿が整っていたことも彼にとっては災いして、小説の中身より外見で人気が出ているのではないかと錯覚し始めた。
そして、ついに『幻の遺作』と呼ばれる作品を途中で──ほとんど序盤で──投げ出し、彼は表舞台から姿を消した。
推理作家であった時期の彼の苦悩に気づけなかった父は、せめて彼を忘れないでいて欲しいと、そういう思いで『幻の遺作』を自分なりに作り変え、掲示板に投稿した。
彼はこれほど愛されていたのだと実感すると共に、彼に見せたい景色として父の目にはその一つ一つのコメントが刻まれていた。それでも彼自身の苦悩がその愛によるものだった為、直接的に伝えることは躊躇われた。
その間、別の道に進んだ彼を応援する為、そして推理作家としての彼を完全に葬る為、『幻の遺作』の舞台である映画村に、彼をモデルとしていた探偵助手が亡くなる日を選んで──それが偶然かあるいは神様の悪戯か失踪から7年後の区切りの年だった──、ファンと共にお別れ会をするつもりでSNSを通して参加者を募ったという。
参加者たちにお別れの会と伝えたわけではないが、おそらく多くの人は察して、今日この場を去っていくだろう。
心に留めておいて欲しいと願ったあの頃はもう懐かしく、今はもう過去の存在として、みんなには前を向いて生きて欲しい。そう考えて。
そして願わくば──。
「映画監督となった息子さんを応援して欲しい、でしょうか」
「──ははは、すごいなあなたは」
七緒の言葉に彼は笑う。
その横顔には涙が滲んでいるように千春には見えた。
「あの子は、完成させていたんですよ。『幻の遺作』を」
「ええ。この映画村がメインのロケ地になるようですね」
今度は母親のほうがぽつりぽつりと語り出す。
「主人は『幻の遺作』の序盤として、息子が書いた設定をアレンジして掲示板に投稿しました」
実際に新作映画として発表されたのは、現代の映画村で探偵助手が殺され、その瞬間、彼が歴史のどこかにタイムリープするというもの。彼につながる歴史の中で、自分がいつか殺される未来をどうにか回避できないかと、あらゆる手段を尽くす。最終的に死ぬ運命は変えられないと悟るが、せめて『謎』は解き明かして欲しい。彼=被害者が探偵助手でなければならない理由は、彼の魂を救うのが現代で既に出会った『探偵』の存在だからである。
「勝手な想像で恐縮ですが、僕は息子さんにおふたりの気持ちは伝わっていたと思いますよ。この映画村を舞台にしたこと、新作発表の日時、そして『幻の遺作』もとい『探偵助手の帰還』──。お父様の創作なのか、それとも元々息子さんがお考えになったプロットなのかはわかりません。でも、自分の『幻の遺作』が掲示板やSNSで話題になっているともし知っていたとしたら、あえてその点は変えなかったのかもしれませんよね」
しみじみとつぶやく七緒に、夫婦ふたりは寄り添って静かに涙を流した。
これでようやく何が『謎』なのかもよくわからなかった『謎解き』が終わった。
気づけばまだ昼過ぎ──。なんだか濃厚な時間を送った為か、千春は半ば放心状態だった。
頭を下げる夫婦を見送り、3人は見学を楽しんだ人たちが戻ってくるのを待つことにした。
風月七緒からの連絡、そして山城優一との電話の後、2人は千春が写真をプリントしていた事務室へと戻って来た。
そこには、渦中の女子大生と思われる女性2人組と年配のご夫婦が一組、どちらも七緒が連れてきた。
山城はというと、メッセージのやり取りや電話で話した白い封筒を手にしている。
確かに爆発物ではないようで、おそらくその中身を見て、山城はこれ以上の爆発物探しは必要ないと判断したのだろう。
七緒も山城も何らかの結論に達しているらしく、迷いのない瞳をしていた。
とはいえ、その種類は些か違って、七緒はほとんどいつもと変わらない慈愛の表情をしているのに対し、山城はというと珍しく怒気を含んだ顔だった。
千春だけが蚊帳の外で、あっちを見たりこっちを見たり。
手持ち無沙汰──というより居心地の悪そうな女子大生のもう一人に至っては、スマートフォンを操作している。
「さて──」
風月七緒がそう切り出した。
これから、謎解きが始まる。
その数十分前に遡る。
山城は汗を拭いながら、お触り厳禁のセットに気を遣いつつ、爆発物を探していた。
もちろんないに越したことはないし、どんな形状なのか想像もつかないのだが、自分の目でそれを確かめないことには気が済まなかった。
汗ばむ肌に吸い付いて不快になった腕時計を外した時、ポケットのスマートフォンが鳴った。
「はい、山城」
このタイミングで電話して来るのは、七緒か千春か、部下の泉だろう。
「お疲れ様です、泉です」
「何か見つけたか?」
予想通りの声に、山城は単刀直入に聞く。そもそも課長である山城が不在にしている間、何かあったら連絡するようにと頼んであったのだが、例の台詞探しの件で、彼女からの連絡はことほど左様に珍しいことではない。
「映画に関してはまだ途中ですが、私の知る限り爆弾を使ったシーンはどの映画にも出てきません。ですから、『爆破』などという台詞も出てこないと思います。念の為、確認はしますけど。演出上、似たような装置は使っているかもしれませんから。ただ、それ以外に興味深いものを見つけました」
「何?」
「課長から『平日なのに予約のお客さんが多い』と聞いていたので、もしかしたら何かのイベントの日なのかもしれないと思って調べてみたんです。そうしたら──」
とある推理作家の『幻の遺作』という掲示板を見つけた。その小説とこの映画村には関連性があって、どうやらコアなファンたちがSNSで呼びかけあい、今日ここにやって来たらしい。
「……あ、もしかしてその中に爆破や爆弾が出てく──」
「出て来ません」
「あ、そう」
「というか、内容まではわかりませんでした。探偵助手が映画村で謎の死を遂げるというだけ。もはや何が謎なのかすら私にはわかりませんけど、よっぽど人気の作家なのか、結構掲示板は盛り上がってました」
「最近の投稿に何か目ぼしいものはないの?」
「掲示板というより、たぶん掲示板で繋がった仲間たちによるSNSでのやり取りで、『幻の遺作』の映画化の噂が持ち上がってますね」
「……待て待て。『幻の遺作』は小説として、物語として、存在してないんだろ?」
「少なくとも、『本』にはなってません」
「小説家なんだろ? じゃあ、商売道具の『本』になってなかったら、ないと同じじゃないか」
「でも、その内容が出回ってるということは、知っている人がいるということですよね」
なんだか禅問答みたいになってきたな、と山城はこっそりため息を吐く。
泉は気に留めるふうもなく続けた。
「ここからが本題なんですけど、SNSで話題にしているほとんどの人が推理作家のファンと思われますが、映画マニアたちの中にもなぜかその『幻の遺作』について触れている人がいるんです」
「なんで? そんなに有名な作品なの?」
本も出ていないのに? と山城は首を傾げるが、泉もそれに対してははっきりとした返事はしなかった。
「わかりません。でも、一応その映画村に関わることだし、伝えておいたほうがいいかと思って。あ、あと」
「え、まだ何かあるの?」
「課長に教えてもらった、その爆破予告アカウントの投稿を確認してたんですけど」
「うん」
特に期待もせずに、山城は返事をした。
「風月さんの仰る通り、私も女子大生だと思います。先入観は禁物って課長は言うでしょうけど、爆発物を仕掛けるようには思えないのも風月さんと同じ意見です」
泉には協力をお願いする上で、ある程度の情報は渡している。彼女には彼女にしかできない役割を与えることで、現地に近づかせない算段だった。
「で、ひとつ気がついたことが。彼女、昨日も映画村に行ってると思います。仕掛けたのは爆弾みたいに大きなものじゃなくて、白い封筒じゃないかと──」
「白い封筒? なんで?」
「写ってるんです、彼女が投稿した写真に。何枚かあるんですけど、まずは映画村の入り口、それからセットの写真がいくつか。で、そのうちの一枚に、うっすら白い封筒か何かが写ってるんです。机の上です、後で課長にも送ります。さすがに現地のどこにあるかまではわからないですけど。たぶん、アピールの為だと思いますよ」
「アピール?」
「誰かに気づいて欲しいんだと思います」
「……何でそう思うの?」
「だって、そうじゃきゃ『爆破』だなんて物騒な台詞で人目を集めようなんて思いませんよ。彼女の投稿、いつも『いいね』はそれほど多くありません。でも、『いいね』をもらうだけがSNSの存在意義じゃないし、彼女自身それで満足している描写がいくつもあります。そんな中で、当該投稿はかなり拡散されています。意図的なのか結果的にそうなってしまっただけかはわかりません。ただ、もしそうなることが彼女自身の狙いだったとしたら、注目を集めなければならない理由は、その投稿の中にあるはず。この映画村の景色で、異質なのはその白い何かだけです」
「……何で昨日仕掛けたってわかる?」
「時代劇用のセットですよ? ずっと置いてあったらスタッフさんやお客さんの誰かが必ず気づきます。でも、昨日なら──」
「え?」
「昨日なら、課長からの爆破予告の連絡があったから、お客さんはともかくスタッフさんはそれどころじゃなかったんじゃないかと。女子大生は見学をラストぎりぎりの時間にすれば、誰にも見咎められずに今日を迎えられたかもしれません。それは、さすがに結果論であって絶対じゃないけど、女子大生にとっては見つかることも覚悟の上だったと思います」
山城は彼女の意見に従って、その白い封筒を探すことにした。ここまでの道中で、スタッフも一緒にセットを見回っているが、爆発物に限らず見慣れないものは報告するようにお願いしていた。あるとすれば、ここから先だろう。
果たして、ほとんど最後の区画にその白い封筒はあった。
机の上、確かに目立つところに置いてある。
山城は、千春と七緒に連絡した後、封筒を開いてみた。
──爆発物ではなかった。
それは──。
女子大生から意中の人に贈られた、『励ましのメッセージ』という名のラブレターだった。
一方、風月七緒は周囲の人の会話や仕草に注意しながら、映画ファンを装って見学を続けていた。
実はここに来る前、『幻の遺作』についてもある程度の状況は把握していた。昨日の作戦会議の時点では知る由もなかったが、やることは変わらない。
むしろ犯人は探しやすくなったとさえ思う。
彼女のアカウントには『小説』の投稿はなかった。あったとしても、原作となった漫画を読んだというような簡素な内容で、感想に関しても同じアカウントでは語られていない。
あくまで『映画』として作品を楽しむことが、彼女なりのモットーらしかった。
だから、今日ここに来る多くの人たちが『小説』をメインに語る中、『映画』に焦点を当てる人物を探し出せばいい。
「ちょっと、そんなにきょろきょろしてどうしたの。あんた、昨日も来てたじゃん」
そんな時、若い女性の声が後ろから聞こえて来て、七緒はハッと振り返った。
「え、あ、ごめん」
「謝ることじゃないけどさ。そんなに先輩に会いたいの? いるかわかんないんでしょ?」
「うん、まあ」
「『爆破だー!』とか言って、先輩に届けアピールしてさ。もうちょっといいやり方があったでしょ。下手したら警察に捕まるよ、あんた」
「うっ……」
「まあそれは大げさかもしんないけど。物騒な世の中なんだからね? 気をつけてよ?」
「うん。……消したほうがいいかな?」
「今更何言ってんの。消すにしても、ここ出てからにすれば? 先輩が来てないか探してるんでしょ?」
「うん」
「来てくれたの確かめてからでもいいんじゃない?」
「……そうする」
七緒は全てを察した。
昨日もここに来ていたこと、『爆破だ』とSNSで発言したらしいこと、そして意中の先輩──。
「見つけた」と七緒は口の中で呟く。
彼女は終始、不安げな瞳を泳がせ、それでいて何かを期待するように頬を紅潮させていた。
それはここに来ているほとんどの人がそうで、彼女と同じか少し歳上くらいの女性もたくさんいるが、みんなそれぞれ差異はあれど似たような表情を浮かべている。
七緒はそれとは別に、気になっていることがあった。
例の『幻の遺作』についてである。
いくら人気の推理作家でも、小説の舞台となった場所に7年も経っているにも関わらず、こんなに人が集まるだろうか。
自然な成り行きでは難しい、それならば誰かの意図が働いているに違いない。
七緒自身、『幻の遺作』についてはそれほど詳しくない。つい今しがた噂を目にしたばかりなので、知ったふうな口は聞けないが──。
ここに来た多くのファンたちは、きっと失踪した本人が生きていることを願っているだろう。
7年経っても『聖地巡礼』をしに来るくらいだ。
続編を期待しないわけではないが、せめて作者が生きていることを確認したい。そういう想いがあるに決まっている。
できれば、彼らにとってもこの映画村での思い出が幸福なものであって欲しい──。
七緒はある年配の夫婦に目を向けた。
彼らはしきりにスマートフォンを見ている。
写真を撮っているわけでもなく、地図か何かを確認している雰囲気でもない。彼らは推理作家ファンの集まりと思われるグループAの参加者である。内容が詳らかでない小説の、探偵助手最期の舞台となった場所を探しているわけでもないだろう。
「お父さん、もう少しですね」
「──あぁ」
彼らのほうから小さく低い声が風に乗って聞こえた。
山城から白い封筒の報告があったのは、まさにその時だった。
七緒は慌てた。爆破予告の犯人は見つけた。
しかし、肝心の爆発物がないかどうかは言及されていない。昨日ここに来たことはアカウントの投稿を見ればわかるにしても、友達同士での会話に出てこなかったところを見ると、友人もその白い封筒の存在は知らないに違いない。
山城に早打ちでメッセージを送るが、彼からの返信はそれから途絶えた。
千春からの連絡によって爆発物ではなかったことが知らされた。
七緒は意を決して、女子大生2人組と年配の夫婦に声をかけた。
この爆破予告騒ぎの真相、そして『幻の遺作』の秘密を明らかにしなければ、全ての謎は解けない。
むしろ何が謎なのかさえ、今の時点では定かでないのだから──。
「さて──」
謎解き前の常套句から始まった七緒の台詞は、そこで途切れた。
そして彼は、年配の夫婦に微笑みかける。
「スマートフォンが気になりますか?」
「えっ?」
女性のほうが中途半端な笑みで固まった。
男性は訝しげに七緒を見つめる。
「もうすぐなんですよね、何かが」
「…………ええ」
「構いませんよ、確認していただいても」
「──ありがとう」
そして年配の夫婦はスマートフォンに釘付けになった。
「あぁ、これだったんですね。新進気鋭の映画監督による新作発表──『探偵助手の帰還』ですか。良いタイトルですね」
「君は、どこまで知っているんだい?」
「そんなには知りませんよ。でも、これで本当に『幻の遺作』になりましたね」
「──はは、やっぱり全部知っているんじゃないか」
「ちょ、ちょっと……七緒さん?」
「あぁごめんごめん。この話はまた後でするよ。まずは、爆破予告のほうを解決しよう。時間がないんだ」
「えっ!?」
時間がない=爆弾の爆発を連想したのか、千春が素っ頓狂な声を上げる。
「紛らわしい言い方だったよ。早くしないと、あなたの先輩が見学を終えてしまうかもしれない」
「…………えっ?」
「あなたには、想いを寄せる先輩がいますよね。彼に気がついて欲しくて、振り向いて欲しくて、爆破予告まがいの投稿をした。違いますか?」
スマートフォンを弄っていた彼女の友人もいつの間にか顔を上げていた。
「………………違わない、です」
「どうして『爆破』にしたんですか?」
「…………」
「彼に気がついて欲しかったなら、他の台詞でも良かったと思いますが」
「…………」
「答えたくないのはわかります。でも、ここにいる人たちは、あなたの爆破予告に胸を痛めた人たちです。たとえそれが冗談や、全く違う意図があったとしても、大多数の人にそう受け取れてしまうことは否めません。せめて、ここでだけは本当のことを言ってもらえませんか」
それでも黙秘を続ける彼女に、白い封筒を持った山城が怖い顔で歩み寄る。背も高く、体格もいい彼にはそれだけで静かな圧があった。
「これ、君のなんだね?」
「あ、これは、その──」
「申し訳ないけれど、中を読ませてもらった」
「えっ……」
「読まれたくなかったかな。けれど、それなら君はこの手紙を直接渡すべきだったと思うよ。確かに、想いを伝える方法はいくらでもあって、いくつあってもいい。でもね、知られたくない、知らなくていい人にまで伝えることはないと、個人的には思うんだよ。これは君から彼に宛てたものだよね。SNSで過激な言葉まで使って、君は彼に何を伝えたかったんだろう?」
「…………爆発しちゃえばいい、って」
彼女は泣いていた。
「先輩は前に私にそう言ったんです。『つまらない退屈だ嫌いだ、こんな世の中なんて爆発しちゃえばいい』って。そうやって頭の中で考えて、本当に自分の生きる世界を爆発させちゃうと、不思議と今悩んでることがどうでも良くなるんだって。私が学校やバイトのことで悩んでた時期にそう励ましてくれたことがあったんです。彼は今、就職活動がうまくいってないみたいで、見てるこっちが辛くて苦しくて。だから──」
以前の彼と同じ台詞で励まそうと思った。
彼女は涙を流しながら、そう語った。
映画の台詞じゃなく、彼自身の台詞──。
それを引用したのには彼女なりの理由と、希望があったから。
「彼は地元就職を考えていて、今もこのY県にいます。もし、私を励ましてくれた時の台詞を覚えていてくれたら、そうでなくても私を心配してくれたら、今日ここに来てくれるかもしれない。そう思って……ごめんなさい、私、自分のことしか考えてなくて、ごめんなさいごめんなさい……」
崩れ落ちそうになる彼女を隣の友人が支える。
背中を撫でながら、それでも周りの大人たちを責める様子はなかった。
「それがわかっているなら、もう大丈夫だね? これは君が直接渡せばいい」
ふっと力が抜けたように、山城がいつもの人懐こい笑顔に困り眉をつけて言った。
「怖い思いさせてごめんね。でも、君の何気ない発言が何も知らない人に怖い思いをさせてしまったかもしれない。そのことは忘れないでいて欲しい──大丈夫。今ここで気がついたんだから。僕と同じように」
小さく掠れた声で、彼女は「え?」と顔を上げる。
「僕はね、自分の気が済まないからってここのスタッフも上司や部下も巻き込んで、時間がないっていうのを言い訳に、虱潰しに爆弾を探した。無謀だってこともわかってた。スタッフを信頼していないようにも聞こえたかもしれない。僕の無茶な提案のせいで、彼らは大事なことを見落としたのかもしれない。もっと違うやり方があったんじゃないかって後悔してる。それでも──」
山城は言葉を切った。
そして、彼女を見て穏やかに続ける。
「──守りたかったんだよ、みんなを。この映画村を、この街を、このY県を訪れてくれる人たちを、ここで働いてくれている人たちを、守りたかった。君も同じだよね。彼の心を守りたかった。ただ、やり方を間違っただけで。君の想いはきっと、伝わってると思うよ」
ほら、と事務所の扉に山城が目を向ける。
ちょうど大学生くらいの男性が一人、スタッフと共に入ってくるところだった。
「君のアカウントを見せて反応した人に、ついて来てもらったんだよ」
山城はそう言って、彼の元へ促す。
友人の女性がそっと背中を押した。
「…………良かった、会えて」
言葉数は少なかったが、彼のその一言だけで彼女の想いが救われた気がした。
「あぁ、山城さんに一本取られました」
「えっと、まだ俺は話についていけてないんですけど。あの人が爆破予告の犯人だって七緒さんがどうして見抜けたかってことも、先輩がここにいる理由も、全然わからないです」
七緒は彼女を予告犯と断定した経緯を説明し、先輩の男性についてはこう推測した。
「その白い封筒を見つけた時点で、山城さんがスタッフさんに頼んで男性を探してくれたんじゃないかな。もし本当に来ているなら、彼女のアカウントを見せれば、一目瞭然。男性全員っていってもそれほど人数がいるわけじゃない、決して無謀じゃないからね」
どうやら山城は、彼自身の選択を後悔しているらしかった。千春にはそうは思えないし、彼の優しさと熱い一面を知っているから、彼らしい行動だとさえ思う。
とはいえ──。
「──つまり、白い封筒は爆弾でもないし、小説とも関係ないってことですか?」
「うん」
七緒と山城が同時に、千春の質問に頷く。
「千春くんは小説に関係することだと思ってた?」
「はい──失踪した推理作家からのファンへのメッセージか何かだと」
「ふふ、それも間違いじゃないけどね。残念ながら、やり方が違ったね。この場合は、残念ながらというより、素敵なことながら──のほうが正しいですかね、ね?」
そう言って、七緒はここまで置いてけぼりだった年配の夫婦に声をかけた。
「あなたはなんでもお見通しなのね」
「そうでもありません。でも、今日の映画村が大盛況なのは、あなた方のお力かと思っています」
「…………正しいやり方だったとは考えていません。ですが、こんなに集まってくれるとは思いませんでした。それだけ、あの子が愛されていた証拠です。私たちはできればそれを伝えたいと思っているのですが──」
彼ら夫婦の説明によって、小説『幻の遺作』の全景が明らかになった。
夫は有名な小説家らしく、ある時、進路に悩んでいた息子にプロットを与えて、推理小説を書かせてみた。思いの外、才能があって、彼の作品は世に出て売れた。父親との関係は明かしていなかったが、全ての作品は父親の作ったベースによるもので、彼自身がゼロから生み出したものではない。
彼はやがて推理作家である自分に嫌気がさしていった。容姿が整っていたことも彼にとっては災いして、小説の中身より外見で人気が出ているのではないかと錯覚し始めた。
そして、ついに『幻の遺作』と呼ばれる作品を途中で──ほとんど序盤で──投げ出し、彼は表舞台から姿を消した。
推理作家であった時期の彼の苦悩に気づけなかった父は、せめて彼を忘れないでいて欲しいと、そういう思いで『幻の遺作』を自分なりに作り変え、掲示板に投稿した。
彼はこれほど愛されていたのだと実感すると共に、彼に見せたい景色として父の目にはその一つ一つのコメントが刻まれていた。それでも彼自身の苦悩がその愛によるものだった為、直接的に伝えることは躊躇われた。
その間、別の道に進んだ彼を応援する為、そして推理作家としての彼を完全に葬る為、『幻の遺作』の舞台である映画村に、彼をモデルとしていた探偵助手が亡くなる日を選んで──それが偶然かあるいは神様の悪戯か失踪から7年後の区切りの年だった──、ファンと共にお別れ会をするつもりでSNSを通して参加者を募ったという。
参加者たちにお別れの会と伝えたわけではないが、おそらく多くの人は察して、今日この場を去っていくだろう。
心に留めておいて欲しいと願ったあの頃はもう懐かしく、今はもう過去の存在として、みんなには前を向いて生きて欲しい。そう考えて。
そして願わくば──。
「映画監督となった息子さんを応援して欲しい、でしょうか」
「──ははは、すごいなあなたは」
七緒の言葉に彼は笑う。
その横顔には涙が滲んでいるように千春には見えた。
「あの子は、完成させていたんですよ。『幻の遺作』を」
「ええ。この映画村がメインのロケ地になるようですね」
今度は母親のほうがぽつりぽつりと語り出す。
「主人は『幻の遺作』の序盤として、息子が書いた設定をアレンジして掲示板に投稿しました」
実際に新作映画として発表されたのは、現代の映画村で探偵助手が殺され、その瞬間、彼が歴史のどこかにタイムリープするというもの。彼につながる歴史の中で、自分がいつか殺される未来をどうにか回避できないかと、あらゆる手段を尽くす。最終的に死ぬ運命は変えられないと悟るが、せめて『謎』は解き明かして欲しい。彼=被害者が探偵助手でなければならない理由は、彼の魂を救うのが現代で既に出会った『探偵』の存在だからである。
「勝手な想像で恐縮ですが、僕は息子さんにおふたりの気持ちは伝わっていたと思いますよ。この映画村を舞台にしたこと、新作発表の日時、そして『幻の遺作』もとい『探偵助手の帰還』──。お父様の創作なのか、それとも元々息子さんがお考えになったプロットなのかはわかりません。でも、自分の『幻の遺作』が掲示板やSNSで話題になっているともし知っていたとしたら、あえてその点は変えなかったのかもしれませんよね」
しみじみとつぶやく七緒に、夫婦ふたりは寄り添って静かに涙を流した。
これでようやく何が『謎』なのかもよくわからなかった『謎解き』が終わった。
気づけばまだ昼過ぎ──。なんだか濃厚な時間を送った為か、千春は半ば放心状態だった。
頭を下げる夫婦を見送り、3人は見学を楽しんだ人たちが戻ってくるのを待つことにした。
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