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新天の志
小旅行の先
しおりを挟む 山城優一は、今日も9時に迎えに来た。ここにこの時間に到着するということは、少なくとも30分前くらいには県庁に出勤して、朝礼やら何やらを終えて向かっているのだろう。
しかしながら、彼はいつも快活で爽やかな挨拶を欠かさない。一見、悩みがなさそうに見える風貌だが、ふとした瞬間の決断や行動言動からは、思慮深い一面も感じられる。知れば知るほど、見習うべきところが多い大人の男性だと思う。
彼によると、今日の目的地は市内から車で1時間ほどの自然公園だという。思えば、初日から公園とはやたらと縁があるが、言い換えればそれだけ自然が身近にあるということなのかもしれない。
件の自然公園では、現在花まつりが開催されている。公園の名にちなんだ──もとい、この場合は見頃の花の名にちなんだ公園と言うべきか。ここは観光地としてもそこそこ有名だが、この花まつり以外の期間は、無料で開放されているというので、地元密着の場所でもある。
花まつりは初夏から夏の中頃まで続き、その間多くの観光客が訪れるという。また、この公園のすぐそばを走るカラフルな車両の電車も同じく有名で、観光バスを降りてひと時電車の旅を楽しむ行程も旅行会社ではよく組まれるらしい。
「最近はミステリーツアーと銘打って、行き先や食事がシークレットになっている日帰り旅行も多いらしいですね。多少リスクはありますが、その分ドキドキワクワクしますし、ならではの楽しみ方もあるんでしょう」
山城は運転しながらそう言うが、綿貫千春にとっては、『ミステリー』と言われると『謎解き』という印象で、特に妹などは好んで行くのだが、都内で開催される『謎を解きながら目的地を目指す』という意味合いが大きい。
とはいえ、『どこに行って何をするのか』という『謎』を解くのも言葉で表現したら同じか?と思い至って、一体何が『ミステリー』なのかだんだんわからなくなってきた。
「Y県の不思議を集めたミステリーツアーなんかも面白いかもしれませんね」
まるで千春の心を見透かしたかのように、おちゃらけた様子で山城が言った。
千春の隣に座る風月七緒が合いの手を入れる。
「あるんですか? そういうもってこいの『ミステリー』が」
「ありますよ、たくさん。たとえば──」
にやにやと笑いながら、山城は助手席に置いてあった何かの書類を後部座席の2人に手渡した。
「片手ですみません。そこに書いてある文章を最初から読んでもらえますか?」
わけもわからず、しかし、七緒は言われるがままに読み上げた。
「(1)──」
「では、千春くん。次の文章を」
山城に意味深な笑顔で促され、千春も恐る恐る読み上げる。
「①──」
あっはっは。
狭い車内を埋め尽くすかのような声で、山城はしばらく笑い転げていた。
「いやぁ本当なんですねぇ」
「読み方、おかしかったですか?」
「いえいえ、滅相もない。むしろおかしいのは、我々Y県民のほうでしょう。私たちは、その記号を(1)、①と読みます。なぜかはわかりません。──ほら、ミステリーでしょう?」
謎は謎だが、そういうことでもない気がする。
まあ彼のことだからほとんど冗談なのだろう。
七緒は「確かに」と書類を返しながら頷いている。
「こんな謎は旅で解き明かせるものではないかもしれませんが、『行き先は当日までマル秘!』なんて言われると『そこは秘マルじゃないのかよ!』と突っ込みたくなります」
仏のような笑みを浮かべたままの七緒と、引き攣った笑みの千春をバックミラーで捉えたのか、「それはともかく」と山城は気を取り直す。
「ミステリーツアーの形にも昨今は色々あるなという話でして。行き先も食事処もわからない、頭を使って謎を解きつつ、Y県の『あるある』に触れていく──そんなミステリー盛りだくさんツアーも面白そうだなと思うんですよ。県内の観光が軌道に乗って来たらやってみたいことの一つです。現実的には難しいかもしれませんが、人それぞれの答えによって次の目的地が変わるなんていうのも面白いのではないかと」
「それいいですね。僕も昔から、そういうの好きですよ。本にもありますよね、何かのお題に対してAを選ぶ人は何ページへ、Bを選ぶ人は何ページへなんて」
「ええええ、そうですそうです。まさにそういう、人それぞれの観光マップみたいなものができあがれば、それこそ最終的に『千の選択』が叶うのではないかと思うんですよ」
「その時はぜひお声がけください。僕が社を説得しますから!」
などと、なぜか七緒まで乗り気になっていて、置いてけぼりになった千春は窓の外をふと振り返った。
そこには、先ほど山城から聞いたカラフルな車両の電車が、可愛らしく走っていた。
千春がカメラを構えようとすると、山城が静かに車を停める。
「ここ、いい写真スポットなんですよ。自分が当の電車に乗っていると撮れないですからね。地元の人間なら車での観光もまた良いものだと、実感する瞬間でもあります」
「周りの風景も美しいですね」
「ええ。まぁ、泉の言葉を借りるなら『何もない』とも言いますがね。電車にも花の名前がついているだけあって、この素朴な風景と絶妙な田舎っぽさが売りなんです」
山城は少し誇らしげに、ふふんと腕を組んでいる。
千春が写真を撮り終え、山城が車を出発させるともう間もなく自然公園の駐車場が見えて来た。
平日だというのに数台の観光バスが停まっていて、千春は驚く。まだ午前中だ。一体どんなに早く出たらこの時間に着くのだろうかと率直に疑問である。
「県内の旅行会社の日帰りツアーでしょうね」
「どうして県内ってわかるんですか?」
「観光バスが県内の会社のものですし、県内であれば遠くても大体2時間半くらいです。今は10時半ですから、逆算して8時前くらいに出ればいい。日帰りバスツアーの出発時間としても劇的に早すぎるほどでもないでしょう」
そういうものなのだろうか?と旅慣れない千春は首を傾げるが、七緒がふんふんと相槌を打っているところを見ると、どうやらそうらしい。
平日の日中にツアーに参加できる客層を考えても、定年退職後の時間を持て余し──いや、有意義に使いたいご夫婦や、昨日カフェで会ったようなマダムたちくらいしか思いつかない。そう考えれば、夜遅いよりは朝早いほうが強いかもしれないななどと妙に納得する。
3人は車を降りて、青空に映えるカラフルな装飾の入り口を潜って、公園の中に足を踏み入れた。
そこは、一面の花畑──。
圧巻の一言とはさすがに言い難いが、桜のような派手さはなくとも、花の濃密な香りと咲き誇る力強さ、そしてやはりそこはかとない儚さが合わさって、まるで異世界に迷い込んだ気分になる。
時期ということもあってか、平日の日中でもそこそこ賑わっていた。
それこそマダムたちの姿や、手を繋ぐ老夫婦の姿が多く、千春と七緒より年上の山城でさえも若く見えるほどだった。
「あら、優くんじゃないの!?」
「あら、優くん!?」
どうやら山城のことらしい。『あーら奥さん』と言わんばかりの手振りで、彼女たちはあっという間に優くんを取り囲んだ。
大概誰に対しても物怖じせず積極的にコミュニケーションを図ろうとする山城が、タジタジとなっている。
目で千春と七緒に合図を送ってくるが、2人は思わずくすくす笑ってしまう。
どうやら世間が狭いのはどこもかしこも同じらしい。
山城の実家の近所の人なのか、『久しぶりね!』『元気!?』『おっきくなって!』などと口々に叫び、山城からの返事などもはや必要ないとでも言うように、話があっちへ飛びこっちへ飛びを繰り返す。
やがて痺れを切らしたのか、連れと思われる男性──マダムの誰かの夫だろうか──が、彼女たちを促し、渋々ご一行様は山城を解放した。
と、思った次の瞬間には千春がターゲットとしてロックオンされていた。
「ちょっといいカメラじゃない! 撮って撮って!」
「せっかくだから、お花をバックに!」
千春は言われるがまま写真を撮り、彼女たちにせがまれて見せると──。
「あたしたちがでかすぎて花なんてちっとも写ってないわよ!」
と、Y県訛りで豪快に、そして一斉に笑い出したのだった。
それからもなぜか彼女たちの観光に付き合わされた3人は、集合時間になって手を振り揚々と帰っていく背中を、まるで怒涛の嵐のようだったと見送ることになった。
一緒にいた旦那さんは、マダムの数に比べると少人数で、女子会に混ざった気まずさもあるのだろうか、少し離れて歩いていた。
女性と違い、男性同士の交流はないと見えて、終始微妙な距離感での観光だったが、女性たちと付かず離れずなところを見ると、なんだかんだ好きで一緒にいるのかもしれないな、と千春は考える。
彼女たちの笑い声がなくなると、途端に広い花畑が静かに思えて、なんだか少し恋しくなってしまう。その不思議な感覚を隠すように、千春は同じようで形の違う花たちを撮影していった。
意外にも同じ種類の花を一度にたくさん愛でる機会というのは少ないので、千春にとってもいい経験だった。色とりどりの花束や一輪挿しとはまた違う、趣深い写真がいくつも蓄積されていく。
そんな時、比較的若い──38歳だという山城と同じくらいか──女性が、レンズ越しの視界に入り込んできた。
実はマダムたちご一行と行動を共にしている時も、彼女の姿は何度か目撃している。
そして、マダムたちが去っていった出口付近で、彼女はある男性と合流した。
2人は同年代と見えて、落ち着いた雰囲気で、特にそういう素振りはないのにも関わらず、おそらく夫婦だろうとわかる。
というのも千春は、先に答えを知っていた。彼女の左手薬指に指輪があることを、千春は見ていたのだ。花にそっと触れた彼女の指が、ちょうど写真を撮る時にたまたま写り込んでしまった。
手を繋ぐわけでも腕を組むわけでもなく、過度に寄り添うわけでもない。それでも千春には、2人は幸せそうに見えた。
公園内の散策の最中には、仲睦まじく花を眺める夫婦がいたり、手を繋いで笑い合う老夫婦とすれ違ったり、時には喧嘩でもしたのかむすっとしている夫婦もいたが、その誰もが今の千春には羨ましく映った。
「千春くん。どう? いい写真撮れた?」
「……はい」
七緒のそんな問いにも、千春は逡巡してから答えた。そういうところにめざとい七緒は「どうしたの?」と訊ねてくる。
「……いや、七緒さんの言う通りだなって思って」
「ん?」
「夫婦や家族の形って、いろいろあるのかも」
「──そうだね。手を繋いで笑い合って、見るからに仲が良さそうなご夫婦だけが『幸せ』、っていうのは、なんだかちょっと違うよね」
そう言って七緒は、さっき千春の写真に図らずも何度か登場してしまった女性と、隣を歩く男性の後ろ姿を見つめながら、感慨深げに初夏の風を受け止めていた。
千春がその横顔になんと返せばいいのか迷っていたところに、山城から声がかかる。
「この近くに、美味しいお蕎麦屋さんがあるので、よかったら一緒にいかがですか?」
気づけばもうお昼時になっていた。
千春と七緒は、ひと足先に出口付近で待っていた山城の元へ合流すると、公園を後にした。
千春は少し名残惜しくて、出口を潜る前にもう一度公園内を振り返る。
花が特別好きなわけでも、強い思い入れがあるわけでもないのだが、Y駅に到着した時と同じ、不思議な懐かしさに囚われたような気がしたのだ。
「千春くん?」
「──今、行きます」
家に帰ったら久方ぶりに家族と旅行に行くのもいいかもしれない──などと、今まで考えもしなかった先のことを、千春は自然と思い描いてみるのだった。
しかしながら、彼はいつも快活で爽やかな挨拶を欠かさない。一見、悩みがなさそうに見える風貌だが、ふとした瞬間の決断や行動言動からは、思慮深い一面も感じられる。知れば知るほど、見習うべきところが多い大人の男性だと思う。
彼によると、今日の目的地は市内から車で1時間ほどの自然公園だという。思えば、初日から公園とはやたらと縁があるが、言い換えればそれだけ自然が身近にあるということなのかもしれない。
件の自然公園では、現在花まつりが開催されている。公園の名にちなんだ──もとい、この場合は見頃の花の名にちなんだ公園と言うべきか。ここは観光地としてもそこそこ有名だが、この花まつり以外の期間は、無料で開放されているというので、地元密着の場所でもある。
花まつりは初夏から夏の中頃まで続き、その間多くの観光客が訪れるという。また、この公園のすぐそばを走るカラフルな車両の電車も同じく有名で、観光バスを降りてひと時電車の旅を楽しむ行程も旅行会社ではよく組まれるらしい。
「最近はミステリーツアーと銘打って、行き先や食事がシークレットになっている日帰り旅行も多いらしいですね。多少リスクはありますが、その分ドキドキワクワクしますし、ならではの楽しみ方もあるんでしょう」
山城は運転しながらそう言うが、綿貫千春にとっては、『ミステリー』と言われると『謎解き』という印象で、特に妹などは好んで行くのだが、都内で開催される『謎を解きながら目的地を目指す』という意味合いが大きい。
とはいえ、『どこに行って何をするのか』という『謎』を解くのも言葉で表現したら同じか?と思い至って、一体何が『ミステリー』なのかだんだんわからなくなってきた。
「Y県の不思議を集めたミステリーツアーなんかも面白いかもしれませんね」
まるで千春の心を見透かしたかのように、おちゃらけた様子で山城が言った。
千春の隣に座る風月七緒が合いの手を入れる。
「あるんですか? そういうもってこいの『ミステリー』が」
「ありますよ、たくさん。たとえば──」
にやにやと笑いながら、山城は助手席に置いてあった何かの書類を後部座席の2人に手渡した。
「片手ですみません。そこに書いてある文章を最初から読んでもらえますか?」
わけもわからず、しかし、七緒は言われるがままに読み上げた。
「(1)──」
「では、千春くん。次の文章を」
山城に意味深な笑顔で促され、千春も恐る恐る読み上げる。
「①──」
あっはっは。
狭い車内を埋め尽くすかのような声で、山城はしばらく笑い転げていた。
「いやぁ本当なんですねぇ」
「読み方、おかしかったですか?」
「いえいえ、滅相もない。むしろおかしいのは、我々Y県民のほうでしょう。私たちは、その記号を(1)、①と読みます。なぜかはわかりません。──ほら、ミステリーでしょう?」
謎は謎だが、そういうことでもない気がする。
まあ彼のことだからほとんど冗談なのだろう。
七緒は「確かに」と書類を返しながら頷いている。
「こんな謎は旅で解き明かせるものではないかもしれませんが、『行き先は当日までマル秘!』なんて言われると『そこは秘マルじゃないのかよ!』と突っ込みたくなります」
仏のような笑みを浮かべたままの七緒と、引き攣った笑みの千春をバックミラーで捉えたのか、「それはともかく」と山城は気を取り直す。
「ミステリーツアーの形にも昨今は色々あるなという話でして。行き先も食事処もわからない、頭を使って謎を解きつつ、Y県の『あるある』に触れていく──そんなミステリー盛りだくさんツアーも面白そうだなと思うんですよ。県内の観光が軌道に乗って来たらやってみたいことの一つです。現実的には難しいかもしれませんが、人それぞれの答えによって次の目的地が変わるなんていうのも面白いのではないかと」
「それいいですね。僕も昔から、そういうの好きですよ。本にもありますよね、何かのお題に対してAを選ぶ人は何ページへ、Bを選ぶ人は何ページへなんて」
「ええええ、そうですそうです。まさにそういう、人それぞれの観光マップみたいなものができあがれば、それこそ最終的に『千の選択』が叶うのではないかと思うんですよ」
「その時はぜひお声がけください。僕が社を説得しますから!」
などと、なぜか七緒まで乗り気になっていて、置いてけぼりになった千春は窓の外をふと振り返った。
そこには、先ほど山城から聞いたカラフルな車両の電車が、可愛らしく走っていた。
千春がカメラを構えようとすると、山城が静かに車を停める。
「ここ、いい写真スポットなんですよ。自分が当の電車に乗っていると撮れないですからね。地元の人間なら車での観光もまた良いものだと、実感する瞬間でもあります」
「周りの風景も美しいですね」
「ええ。まぁ、泉の言葉を借りるなら『何もない』とも言いますがね。電車にも花の名前がついているだけあって、この素朴な風景と絶妙な田舎っぽさが売りなんです」
山城は少し誇らしげに、ふふんと腕を組んでいる。
千春が写真を撮り終え、山城が車を出発させるともう間もなく自然公園の駐車場が見えて来た。
平日だというのに数台の観光バスが停まっていて、千春は驚く。まだ午前中だ。一体どんなに早く出たらこの時間に着くのだろうかと率直に疑問である。
「県内の旅行会社の日帰りツアーでしょうね」
「どうして県内ってわかるんですか?」
「観光バスが県内の会社のものですし、県内であれば遠くても大体2時間半くらいです。今は10時半ですから、逆算して8時前くらいに出ればいい。日帰りバスツアーの出発時間としても劇的に早すぎるほどでもないでしょう」
そういうものなのだろうか?と旅慣れない千春は首を傾げるが、七緒がふんふんと相槌を打っているところを見ると、どうやらそうらしい。
平日の日中にツアーに参加できる客層を考えても、定年退職後の時間を持て余し──いや、有意義に使いたいご夫婦や、昨日カフェで会ったようなマダムたちくらいしか思いつかない。そう考えれば、夜遅いよりは朝早いほうが強いかもしれないななどと妙に納得する。
3人は車を降りて、青空に映えるカラフルな装飾の入り口を潜って、公園の中に足を踏み入れた。
そこは、一面の花畑──。
圧巻の一言とはさすがに言い難いが、桜のような派手さはなくとも、花の濃密な香りと咲き誇る力強さ、そしてやはりそこはかとない儚さが合わさって、まるで異世界に迷い込んだ気分になる。
時期ということもあってか、平日の日中でもそこそこ賑わっていた。
それこそマダムたちの姿や、手を繋ぐ老夫婦の姿が多く、千春と七緒より年上の山城でさえも若く見えるほどだった。
「あら、優くんじゃないの!?」
「あら、優くん!?」
どうやら山城のことらしい。『あーら奥さん』と言わんばかりの手振りで、彼女たちはあっという間に優くんを取り囲んだ。
大概誰に対しても物怖じせず積極的にコミュニケーションを図ろうとする山城が、タジタジとなっている。
目で千春と七緒に合図を送ってくるが、2人は思わずくすくす笑ってしまう。
どうやら世間が狭いのはどこもかしこも同じらしい。
山城の実家の近所の人なのか、『久しぶりね!』『元気!?』『おっきくなって!』などと口々に叫び、山城からの返事などもはや必要ないとでも言うように、話があっちへ飛びこっちへ飛びを繰り返す。
やがて痺れを切らしたのか、連れと思われる男性──マダムの誰かの夫だろうか──が、彼女たちを促し、渋々ご一行様は山城を解放した。
と、思った次の瞬間には千春がターゲットとしてロックオンされていた。
「ちょっといいカメラじゃない! 撮って撮って!」
「せっかくだから、お花をバックに!」
千春は言われるがまま写真を撮り、彼女たちにせがまれて見せると──。
「あたしたちがでかすぎて花なんてちっとも写ってないわよ!」
と、Y県訛りで豪快に、そして一斉に笑い出したのだった。
それからもなぜか彼女たちの観光に付き合わされた3人は、集合時間になって手を振り揚々と帰っていく背中を、まるで怒涛の嵐のようだったと見送ることになった。
一緒にいた旦那さんは、マダムの数に比べると少人数で、女子会に混ざった気まずさもあるのだろうか、少し離れて歩いていた。
女性と違い、男性同士の交流はないと見えて、終始微妙な距離感での観光だったが、女性たちと付かず離れずなところを見ると、なんだかんだ好きで一緒にいるのかもしれないな、と千春は考える。
彼女たちの笑い声がなくなると、途端に広い花畑が静かに思えて、なんだか少し恋しくなってしまう。その不思議な感覚を隠すように、千春は同じようで形の違う花たちを撮影していった。
意外にも同じ種類の花を一度にたくさん愛でる機会というのは少ないので、千春にとってもいい経験だった。色とりどりの花束や一輪挿しとはまた違う、趣深い写真がいくつも蓄積されていく。
そんな時、比較的若い──38歳だという山城と同じくらいか──女性が、レンズ越しの視界に入り込んできた。
実はマダムたちご一行と行動を共にしている時も、彼女の姿は何度か目撃している。
そして、マダムたちが去っていった出口付近で、彼女はある男性と合流した。
2人は同年代と見えて、落ち着いた雰囲気で、特にそういう素振りはないのにも関わらず、おそらく夫婦だろうとわかる。
というのも千春は、先に答えを知っていた。彼女の左手薬指に指輪があることを、千春は見ていたのだ。花にそっと触れた彼女の指が、ちょうど写真を撮る時にたまたま写り込んでしまった。
手を繋ぐわけでも腕を組むわけでもなく、過度に寄り添うわけでもない。それでも千春には、2人は幸せそうに見えた。
公園内の散策の最中には、仲睦まじく花を眺める夫婦がいたり、手を繋いで笑い合う老夫婦とすれ違ったり、時には喧嘩でもしたのかむすっとしている夫婦もいたが、その誰もが今の千春には羨ましく映った。
「千春くん。どう? いい写真撮れた?」
「……はい」
七緒のそんな問いにも、千春は逡巡してから答えた。そういうところにめざとい七緒は「どうしたの?」と訊ねてくる。
「……いや、七緒さんの言う通りだなって思って」
「ん?」
「夫婦や家族の形って、いろいろあるのかも」
「──そうだね。手を繋いで笑い合って、見るからに仲が良さそうなご夫婦だけが『幸せ』、っていうのは、なんだかちょっと違うよね」
そう言って七緒は、さっき千春の写真に図らずも何度か登場してしまった女性と、隣を歩く男性の後ろ姿を見つめながら、感慨深げに初夏の風を受け止めていた。
千春がその横顔になんと返せばいいのか迷っていたところに、山城から声がかかる。
「この近くに、美味しいお蕎麦屋さんがあるので、よかったら一緒にいかがですか?」
気づけばもうお昼時になっていた。
千春と七緒は、ひと足先に出口付近で待っていた山城の元へ合流すると、公園を後にした。
千春は少し名残惜しくて、出口を潜る前にもう一度公園内を振り返る。
花が特別好きなわけでも、強い思い入れがあるわけでもないのだが、Y駅に到着した時と同じ、不思議な懐かしさに囚われたような気がしたのだ。
「千春くん?」
「──今、行きます」
家に帰ったら久方ぶりに家族と旅行に行くのもいいかもしれない──などと、今まで考えもしなかった先のことを、千春は自然と思い描いてみるのだった。
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