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花柳 都子

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新天の志

信頼に尊敬

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 山城優一やまきゆういちは、目の前の彼と真剣な表情で向き合い、静かに口を開いた。
「……確かに、私はいずみに望まぬ仕事を押し付けているのかもしれません。彼女の優秀さとコミュニケーション能力にあぐらをかいていたことも事実です。ですが、ひとつ言い訳をさせてもらえるなら──いずみは、あなたが仰るように地元に対する愛が強く、だからこそどんな仕事にも真摯に向き合ってくれる、私の大事な部下のひとりです。彼女には色んな経験を積んで欲しい。そしてきっと私には成し得ない、『観光という枠組みに囚われない観光』を、柔軟な考え方で見つけて欲しいんです。あなたと過ごした大学時代がそうであるように」
 まだ疑わしそうに山城やまきの表情を見ていた彼だが、その言葉にハッと反応する。
「地元の良さというのは、中にいる間はなかなか見えない、実感しないものです。当たり前に毎日見ている景色を、平凡だ退屈だと感じるのは当然です。でも、一度外に出て暮らして生活してみると、『こうだったな』『ああだったな』とふとした時に思い出すんです。それこそ、平凡な退屈な毎日の中でね。自分の今いる場所とどちらを選ぶかは人それぞれ違うでしょうけれど、私はね、この場所がそういう人たちにとっても、いつでも『帰れる場所』であって欲しいし、全く縁のない人でも『気軽に来られる場所』になって欲しいんです。彼女は地元の中のことも、そして外に出た時の感情も、どちらも持っています。もちろんそういう境遇なのは彼女だけではありませんが、彼女にはそれを活かせる──そういう日常の感覚的なところからヒントを見出せる、そんな力があると思っています」
 彼は山城やまきの言葉にだんだん力をなくしていくように、だらりと両腕を下げた。
 山城やまきの話は続く。
「彼女の、あなたに語った愛が本物なら、私はもっと彼女と話をするべきだったかもしれません。彼女のやりたいこと、やってみたいことを、根気強く聞くべきだったのでしょう。そうしたら、『観光という枠組みに囚われない観光』まで、いえ、そのスタートラインまでの道のりをこんなに遠回りせずに済んだのかもしれません。あくまで結果論ですが」
 苦笑しつつ、山城やまきは長い話をまとめるようにあの、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「彼女に、今話した理想が最終的に成し遂げられるかどうかは、私にはまだわかりません。ですが、彼女にはそれに挑戦する気概と目的の為に地道に努力を続けられる才能があります。私は──ほとんど一方的にですが──彼女のそういうところを信頼しているんですよ。彼女が実際に取り組みたいかどうかは、また別の話ですがね」
 眉を下げて、ほんの少し寂しそうに笑う山城やまきの様子に、いずみの同級生だという彼はタジタジと後退りした。
 しんと静まり返ったその場にいる誰もが、いずみと彼の動向を窺っている。平然としているのは山城やまきと七緒だけだった。
 それまで黙って聞いていたいずみが、彼の元にやってくる。
真崎まさきくん」
 彼への呼びかけは、苗字なのかそれとも下の名前なのかわからなかったが、イントネーションの雰囲気からおそらく苗字と思われた。
 『あーちゃん』『真崎まさきくん』と呼び合っているのだとしたら、距離感がずいぶん違うななどと場違いなことを思う。
「あーちゃん……その……僕……」
「私は、やりたくない仕事をやらされてるわけじゃないよ──というか、こういう色んな仕事も私の『県職員としての仕事』の一つだと思ってる。課長は確かに人使いが荒いけど」
 うっ、と人知れずダメージを食らう山城やまきの顔は、千春には思いの外晴れやかに見えた。
 本心の見えづらかったいずみから率直な意見が聞けて、嬉しいのかもしれない。
「でも、課長が言うようにこういう仕事も、今は無駄じゃないと思ってる」
 そう言いながらいずみは、真崎まさき山城やまきに背を向けるようにして、声のトーンを低くした。
「……本当は、ちょっと前まで『観光誘致策なんて無駄』って思ってた。これまで私が配属される前にもずっと『観光課』は存在していて、それでも今まだこんな状況で。それならいくらやったって、良い方向に変わるわけなんてないって。大学の時は懐かしくて美化されてた思い出や景色も、やっぱり帰ってきてみると地味で面白味がなく感じたりもして。だから、『観光課の意義』みたいなものが見えなくて、やたらと馬鹿にするふりをして、日々を無為に過ごしてきたのかもしれない」
 彼女はジャケットのポケットから、小さなメモ帳を取り出した。振り向いて、真崎まさきに照れくさそうな表情で渡す。
 千春からは何が書いてあるのか見えなかったが、内容を読んだらしい真崎まさきが驚いたような顔でいずみを見る。
「課長に頼まれる仕事って『観光課』以外のこともいっぱいあって、別にやることが難しいわけじゃないんだけど、初めてのことも多いから。また頼まれても効率よくできるようにとか、たとえば今日だったら、もっと若い人たちが来やすいようにするにはどうすればいいかとか、時間がある時にメモしてるの。役に立つかどうかはわからないけど、毎日持ち歩いてる」
 ふう、といずみが息を吐く。
 意を決したような表情で、真崎まさきを真正面から見据えた。
「私はたぶん、結果しか見てなかった。『観光課』の仕事も、自分の目指したい未来も。こんなことしたって無駄。そう自分に言い聞かせて、今の自分から逃げてた気がする。──でも、最近の課長を見てるとなんか、違うかもって。本当に大事なのは、結果や評価じゃなくて、過程なんだって思うようになってきたんだよね。いつか実を結ぶかどうかもわからない、そんな小さな小さな種でも、蒔かなかったら何も始まらないけど、蒔いたら、そのうちのたった一つでも、いつかどこかで花を咲かせるかもしれない」
 泣きそうな瞳で、いずみが静かに続ける。
「──真崎まさきくんが、今日ここに来てくれたみたいに」
 真崎まさきいずみと同じ表情になって、彼女を見つめ返した。
「私、真崎まさきくんに地元のことを話した時、進路のことで迷ってた。あのまま東京で就職することも考えなかったわけじゃない。でも、あんなに素直に『地元が好き』って言えたのは真崎まさきくんだけだったし、真崎まさきくんが『いつか行ってみたい』って言ってくれたのが嬉しくて。あぁ、こういう人がもっといっぱい増えてくれたら、私はもっともっと地元を好きになれるかもしれないって」
「…………それで、県の職員に?」
「うん。安易だと思うでしょ。考えが甘いとか、そんな願いだけなら誰でも持てるとか、そう言われることを覚悟してた。でも、いざ採用面接まできたら、もうそれしか言うことがなくて。というか、それしか考えてなくて。……けれどね、その時の採用担当の人が、私が語った夢みたいな話を否定せずに聞いてくれたの。採用された後に、『そういう心が一番大切なんだよ。忘れないで』って言ってくれた。今思えば、しばらくそれを忘れちゃってた、みたいなんだけど……。それでも、また思い出させてくれた。今度は言葉じゃなくて、行動で。私は──その人のそういうところを尊敬してる」
 ちらりといずみが視線を送った先には、ぽかんとした山城やまきが立っていた。
 ふっと自然な笑みをこぼして、いずみは言う。
真崎まさきくんも、帰ったらきっと、今まで見えなかったことが見えると思うよ」
 今まで見た彼女の笑顔の中で、とびきり輝いていた。
 思わずカメラを構える千春を七緒が制止する。
 千春が目で訊ねると、柔らかい表情で首を左右に振った。
 ──確かに、『記録』じゃなくて『記憶』に焼き付けたい笑顔かも。
 千春は柄にもないことを考えて、カメラを下ろした。それに撮ったことを知られたら、あの無愛想な顔に戻って「今すぐ消してください」とか言われそうである。
 ならば、今この瞬間、自分の目で見ておこうと思った。

 真崎まさき山城やまきに突っかかったことを詫び、いずみに感謝を伝えながら、会場のホテルを後にした。
 これから観光したいという彼にいずみが、近くの観光地を案内していたのを耳にして、山城やまきは感慨深げに頷いていた。
 七緒が腕章を外しながら、その様子を遠巻きに眺めてぽつりと呟く。
「彼も、仕事がうまくいくといいんだけど」
「商社マンって言ってましたね。でも、取引先を見つけるためとはいえ、経費で出すなんて、太っ腹ですね」
「……それ、たぶん嘘だと思うよ」
「えっ!?」
 何でもないように言うが、千春としてはなぜそういう結論になるのかわからない。
「……どこからどこまでが、嘘なんですか?」
 千春の問いかけに七緒は苦笑しながら答える。
「そこまではわからないけど、商社マンで仕事が行き詰ってるっていうのは特に否定する材料がないかな。でも、取引先の発掘のために参加した、っていうのはたぶん嘘。だから、そのための経費が会社から出てるっていうのも嘘じゃないかな」
「なんで……」
「そんなことがわかるか、って?」
 こくんと千春が頷くと、七緒は徐にスマートフォンを取り出した。
「これ」
「この就職説明会のホームページ、ですか?」
「うん。より正確に言うと、特設ホームページだね」
「…………それが何か?」
「彼──真崎まさきくんは、この説明会のことを『県のホームページで知った』と言っていた」
 確かにインタビューの時にそう聞いた気がする。
「でも、それを聞いた山城やまきさんは意外そうにしてたよね」
「はい」
「実際に検索ワードに『Y県』『就職』『説明会』みたいな文言を入れると、この特設ホームページが一番上に出てくるんだよ。わざわざ県のホームページに行くことなんてない。それに、この県は例外だけれど、大体の就職説明会の参加者は『新卒者』に限られていると思うんだよね。彼の目的で、はなから『就職説明会を探そう!』とはならないはず。だから、彼は最初から『Y県』『観光課』とかで検索したんじゃないのかな」
「それは、なんのために……?」
「──いずみさんに会いに来るため」
「えっ……」
「まぁ想像だけどね。仮に大学時代の彼が彼女の話を聞いて、Y県を訪れてみたいと思ったのは本当で、それならやっぱりいずみさんに会いたいと考えるのは自然なことでしょ? 会う方法を考えて、県のホームページを検索したけど、これと言って『観光課』の仕事を見つけられなかった。でも、偶然この就職説明会のことを知って、いずみさんに直接会うのは難しくても、もしかしたらいずみさんに繋がるかもしれないと思って──」
 だから、受付にいる彼女を見て、手まで握りそうな勢いで興奮していたのか。こんなところにいるとは、つゆほども思っていなかっただろうから。
 これまでのちょっとしたことに合点がいって、千春はひとり大きく頷くのだった。
 そこへ山城やまきが「いい写真は撮れましたか?」と、あの人懐こい笑顔とイントネーションで訊ねてきた。
「ええ、おかげさまで」
 七緒が如才なく答える。
 千春は思わずカメラを強く握った。

 実は七緒には見せていない写真が、見せる前に削除した写真が、一枚だけある。
 それは真崎まさきが初めて3人の前に姿を現した時の、多くの企業担当者や関係者をバックに写したもので、嘘偽りが一切ないとは言い切れない、千春にとって少し疾しい存在のそれだった。
 七緒がSNSに載せる写真に選ぶとは到底思えないが、SNSのユーザーを騙す行為でもあると千春が自覚を持って写したことは事実である。
 確かに『写真』にはそういう側面があって、実際それを利用しているからこそ効果的に効率よく事が運ぶこともたくさんある。
 けれど、そこにほんの1ミリでも『悪意』が混ざれば、取り返しのつかない事態になる可能性だって大いにあるのだ。
 それを千春は身をもって思い知らされたばかりだ。
 ──俺は、あいつらと同じにはなりたくない。
 そう感じるものの、実際には自分が気づかない、ほんの、ちょっとした作為が、『悪意』を生んでしまうこともあるだろう。
 ──『悪意』のない『真っ白』な写真にこそ、意味があって欲しい。そしてそれこそ、多くの人に正しく美しく届いて欲しい。
 ──そのために自分に何ができるか。
 それを当面の目標にしよう。
 この『仕事』の楽しさのため、この『仕事』の存在価値のため、七緒だけに頼らず、山城やまきを羨ましく眺めるだけじゃなく、自分の頭で考えてみようと、千春は決意を固めたのだった。









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