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花柳 都子

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新天の志

想像の真実

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 綿貫千春わたぬきちはる風月七緒かづきななおが昼休憩から戻ると、山城優一やまきゆういちがうずうずと会議室の前で待っていた。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「え?」
「美味しかったですか?」
「え、ええ……」
 七緒が、笑顔で迫りくる山城やまきを抑えるように後退り、愛想笑いを浮かべる。
 千春から見ても山城やまきは悪い人ではないし、張り切っているのも伝わってくるが、やや空回り感の否めない印象だ。
「それはよかった!」
 快活に且つフロアに響き渡るほど豪快に笑って、山城やまきは唐突に出口へ向かって歩き出す。
「えっ、あ、山城やまきさん? どこへ?」
「どこって、早速行くんですよ!」
「……いや、あの、打ち合わせは?」
「百聞は一見にしかずでしょう! ほら早く行きますよ!」
 半ば2人の手を引きそうな勢いで、彼はどんどんと先をゆく。
 千春にしてみれば、七緒が太刀打ちできないのが信じられないのだが、山城やまきは良くも悪くもマイペースらしく、同じフロアの職員たちも特に気に留める様子もなく、「行ってらっしゃ~い」などと呑気に挨拶をしている。
 2人は取るものもとりあえず、山城やまきの背中を追うことになった。
「ああ、そうだ。これから歩きますけど、準備は大丈夫ですか?」
 千春は歩きやすい靴だが、七緒やそれこそ山城やまきは当然、革靴である。
「ええ、どんと来いです」
 さすが順応が早い。
 七緒は総じて穏やかで優しい性格だが、それ故にか相手に合わせていかようにも対応を切り替えられるようで、千春がぼんやりしているといつの間にか置いてけぼりになってしまうことがある。
 とはいえ、七緒はそういう社会人初心者の千春のことをも気にかけてくれるので、彼のスペックを勝手に『順応型コミュニケーション能力』と命名することにした。
「僕も、大丈夫です」
「逞しいですねぇ! それなら安心だ!」
 またしても豪快に笑って、おそらく一般のお客さんもいるであろうロビーにけたたましくその低音域の声を響かせた。
 歩くとは言ってもさすがに目的地まで徒歩というわけにもいかないらしく、山城やまきは再び2人を車に案内した。
 課長自らの仕事でもないような気がするが、それだけこのプロジェクトに賭けているのかもしれない。
 運転は思いの外、静かで丁寧で快適だった。
 この辺りは一方通行も多いらしく、時折くねくねと左折や右折を繰り返すが、やがて大通りに面した風格のある建物が見えた。
 山城やまきによると、ここは旧県庁舎で現在は郷土館として運営されているそうだ。国の重要文化財でもあって、無料で公開されている。映画のロケなども行われていて、名前は知らなくても見覚えのある光景に心躍る人もいるだろう。
 中は厳かな雰囲気と、郷土館ならではの不思議な懐かしさに溢れていて、初めて入ったのになぜか見知らぬ場所という感覚がなかった。
 Y県の歴史や思い出がたくさん詰まった、たとえるなら『熟年夫婦の旅行』で訪れたいような場所だった。
 19歳の千春でさえ、県庁として存在していた頃の姿に想いを馳せてしまう。当時の職員たちは当たり前にこの廊下を行き来して、自分だけでは迷いそうな庁舎内を颯爽と移動していたのだと思うと、それだけで妙に懐かしい気持ちになる。
 歳を重ねれば重ねるほど、その想像する姿は自分の人生の一コマと重なって、きっとこの歴史ある庁舎の重みをずしりと感じるのだろう。
 窓から見える初夏の青空に、千春はふと足を止める。
 ──ここでたくさんの人が生きて、日々生活した過去があって、そして生活に必要なくなった現在でも、出会った人の心や人生を豊かにする存在として、多くの人とこの地を見守っている。
 外に出ると、初夏の風が凪いだ。
 ふと、キンモクセイの香りがした。
「あ」
 千春の視線の先、まさにそこに新緑のキンモクセイが佇んでいる。季節柄、咲いているはずもないのだが、なんだか無性にシャッターを切りたくなった。
 絶えず案内のプレゼンをしている山城やまきも、その間は足を止めてくれた。
 七緒も千春の背中を見守りながら、「やっぱり観光スポットならではの楽しみ方も大事ですよね」と山城やまきに語りかけている。
 山城やまきはと言えば、感慨深そうに頷きながら、こう答えた。
「でも、彼にしか見えないものがあるように、この場所に来たお客様の誰もが同じものを見るわけじゃありません。たとえ同じ場所でも、誰がどこにどういう想いを抱くのか、私は人それぞれだと思います。育った環境も、今生きている場所も、そして同じ時間を共有する人も、みんな違います。ですから、誰もにとって『楽しい』ではなく、誰もにとって『懐かしい』場所であればいいなと思うんです」
「──懐かしい?」
「ええ。あるでしょう? 子供の頃の思い出とか、大切な人との会話とか。そういう人生のワンシーンがふと過ぎる場所。有名な観光スポットでも、そうでなくても。実際に訪れたことがあっても、なくても。『こんなこともあったな』って、当時の人の存在と共に、自分のこれまでの道のりにも想いを馳せられる場所。それが、私の目指す『観光地』なんですよ」
「──素敵ですね」
「はっはっは、そうでしょうそうでしょう!」
 千春の耳にはその最後の声だけが聞こえて、思わずびくりと肩を震わせてしまった。よく通る声だけに、見送ってくれた受付のお姉さんまでもがくすくすと笑みをこぼしている。

 2人は三度、山城やまきの運転する車に乗り、5分ほど走ったところにある大きな公園へと降り立った。
 城跡を復元した都市公園で、美術館や博物館、歴史館などの文化的な施設が隣接しており、ここだけでも十分充実した一日を送ることができそうである。
「春になると桜が素晴らしいんですよ。花筏といいましてね──」
 また山城やまきの本領発揮といったところで、生き生きとした表情で2人を先導する。
「県内の小学生の社会科見学でもよく利用される場所ですから、大人になった彼らにぜひ一度足を運んでみて欲しい場所でもあるんですよ」
 しばらく休憩がてらベンチに座る七緒と山城やまきを残して、千春はひとり公園内を散策することにした。
 だいぶ陽が傾いて夕方近くなると、犬の散歩をする人もちらほら現れ始め、まさに日常に溶け込む風景になる。
 千春や七緒にとっては観光スポットでも、この辺りに住む多くの人々にとっては少し大きめの『近所の公園』なのだろう。
 ぶわりと大きな風が吹いた時、またキンモクセイの香りがした。
 周りを見回すと、やはりそこには新緑のキンモクセイ──。
 千春は何かに導かれるように、思わずシャッターを切る。
 花の咲いていないキンモクセイは、美しくもなければ、『映え』もしない。
 けれど、よく考えれば大抵のものはみんなそうだ。『咲かせるもの』がなければ、生涯美しくもなく『映え』もしない。
 桜だってみんな綺麗綺麗と言うけれど、散った花びらは平気で踏みつけるし、桜の生涯の大半は緑か茶色といった色合いであることを、なんとなく見て見ぬふりしている。
 花に代表される感性としては、『限りがあるから美しい』のであって、『終わりがあると知っている』から『儚さを惜しんで愛でる』のだ。
 ──でも。
 と、千春は思う。
 この新緑のキンモクセイや桜を見ると、どちらかと言えば『また巡ってくる始まりへの強い生命力』を感じる。
 散っても枯れても、新しい季節はやって来る。
 ──思ってるより『生きる』って大変なのに。
 千春は自嘲気味にシャッターを切る。
 その時、レンズの中にふと白い影が過ぎった。
 カメラを下ろすと、そこには今朝の電車で見たあの白シャツチノパンの男性が立っていた。
 キンモクセイに歩み寄り、ため息をついている。
 きょろきょろと周りを見回したかと思えば、なんと千春のほうにずんずんと向かって来る。
 背後に知り合いでもいるのだろうかと振り返ったが、こんな広大な場所で、狙いすましたかのように自分の背後に人がいるわけもなし。
 彼は千春に声をかけた。
「あの、つかぬことを伺いますが」
「はあ……」
「キンモクセイの写真──キンモクセイが咲いている時の写真を持っていませんか?」
 えっ、と千春は固まった。
 遠くに七緒と山城やまきの姿が見える。
「持ってたら見せて欲しいんです……!」
 切羽詰まったような、今にも泣き出しそうな声音で、彼は訴える。
 何も答えられないまま、がしっと両手で逃げ場をなくすように捉えられ、千春は目を泳がせる。
 ──どうしたら、いい……?
「千春くん!」
 ジャケットの裾を翻しながら、七緒と山城やまきが駆け寄って来る。
「あの、彼が何か──?」
「……えっ、あぁごめんなさい。写真、持ってなければいいんです」
 七緒の登場にハッと手を離すと、落胆したような顔で彼は去って行こうとする。
「あの!」
 七緒の後ろから、山城やまきが声をかける。
 『キンモクセイの君』がゆらりと振り返ると、思ったよりも近い距離で山城やまきは名刺を差し出した。
「よかったら、後でこれ見てください」
 そう言って裏返した彼の名刺に何が書いてあるのか、千春には見えなかったが、「はぁ」という気のない返事と微妙に引き攣った笑みを浮かべて、落ち込んだままの彼はその場を後にした。
「大丈夫? 千春くん」
「はい」
「何があったの?」
「……キンモクセイの咲いている写真があったら見せて欲しいって」
「そう。よっぽど思い出の花なのかもね」
「え?」
 ──なんでそんなことわかるんですか?
 千春の無言の問いかけに、七緒は口を開いた。
「香水だよ」
「キンモクセイの?」
「男性が香水をつける理由ってなんだと思う?」
「……え、オシャレじゃないんですか?」
「まあ、身だしなみとかモテるためとかね」
 知ったような口ぶりで、自然に山城やまきが話に入って来る。
 彼自身から香水の香りはしないが、職務中だからかもしれない。案外、そういうことに気を遣うタイプ──いや、いくら都会的とはいえあまり想像できない。
「でも、彼は電車に乗る前にかなり強めに香水をつけていたんだよ? 日頃、オシャレや身だしなみのためにつけていたら、加減がわからないはずはないよね」
「…………今日からデビューした、とか」
「東京に行くならわかるけど、行き先はY県だよ──あぁ、いえ、揶揄する意図はないんですが」
「わかってますよ」
 地元──かどうかは知らないが──愛が強そうな山城やまきのことだから、激怒もあり得るかと思ったが、相変わらずにこやかに彼は答えた。
「仕事や旅行に来たという雰囲気ではないし、考えられるのは里帰りじゃないかと思うんだ」
「里帰り?」
「うん。電車を降りた時も、荷物は少なかった。そもそも指定席とはいっても、大きな荷物を残して席を長い時間空けることはなんとなく嫌でしょ? でも、彼は僕たちのいる車両をほとんど手ぶらで歩いていた」
「……確かに」
「となると、荷物がいらないところに行くわけだ」
「……俺たちみたいに事前に送ったのかも」
「まぁそれもあるかもしれないけどね」
「私が思うに、彼は里帰りですよ。それも──傷心の」
 七緒の言葉の余韻がちょうど終わったくらいのタイミングで、山城やまきが思案げに言った。
「……しょうしん?」
 うまく変換できず、千春は首を傾げる。
「きっと、仕事や私生活で何かあったんでしょう」
 ──なんでそんなことがわかるんですか?
 再び千春の無言の問いかけに、何でもないことのように山城やまきは笑う。
「ここにはよく来るんですよ、そういう人が。決まって暗い顔をして、俯いて歩いている。ほら──」
 夕焼けに染まりつつある公園は、まばらに人の姿があって、その誰もが笑ったり、走ったり、楽しそうな様子に感じられた。
「もちろん全員ではありませんけどね、前を向いている人の中では、一際目立つんですよ。ああいう雰囲気の人が」
 哀しそうに目を伏せ、山城やまきは呟く。
「彼の身に何があったかは想像するしかありませんが、そんな時に帰れる場所が何もないこんな田舎町しかなかったんでしょう。特にここは駅にそこそこ近くて、普段は特別な場所でも何でもありません。ふと通りかかった時に、まだ何も難しいことを考えなくてよかったあの頃に戻りたい。あの頃、社会科見学で行ったことのあるこの場所で独り無心になりたい。そんなふうに思うのかもしれません──なんて、私の穿ち過ぎでしょうかね」
「キンモクセイがここで生活していた頃の思い出なのか、それとも東京かどこか遠く離れた地での思い出なのかはわからないけれど、彼はそれを取り戻したい、もしくは失いたくないと思ったんじゃないかな」
「──だから、」
「キンモクセイの香りと、そして、キンモクセイの花が、どうしても恋しくなった──」
 っていうのは、僕の想像だけど。
 なんて七緒は頭を掻く。推理どころか、推測ですらなくなったが、なんだかそんなような気がしてきてしまうのが不思議だった。
「……花はないけど」
 千春は『キンモクセイの君』が去って行ったほうを見つめている2人に、撮ったばかりの写真を見せた。
「いい、緑だね。なんか強そうだ」
 さっきまでの語り口が嘘かのような至極単純な感想に、思わず千春は笑ってしまう。
「凜としてて僕は好きだな」
 七緒も嬉しそうに同意してくれた。

 その日の、記念すべきSNS投稿第一号は──。

『Y県Y市のほぼ中心に位置する大きな公園。キンモクセイの季節はまだ先ですが、今は花がなくてもずっとここに存在していて、きっと道ゆく人々の素敵な未来を見守ってくれていることでしょう。旅先でこういう発見があると嬉しいですよね。皆さんも訪れた際は、ぜひ、何でもいいので見つけてみてください。もしかしたら、何よりもあなたの心に残るかもしれません』

 SNSプロジェクト始動の挨拶と共に、新緑のキンモクセイがページを飾る。
 今日巡った観光地の情報と共に、そのものずばりの写真は載せずに、七緒はこう発信したのだった。
 七緒曰く「こうすれば、逆に行ってみたくなるでしょ?」、山城やまき曰く「実際来た時に宝探しのような、新しい楽しみ方も生まれる余地がありますね!」だそうだ。
 千春は2人の会話を聞きながら、ふとカメラに視線を落とす。

 『キンモクセイの君』にとってここが唯一の帰る場所なのだとしたら、そんなところがあるだけ千春には幸せそうに思えた。
 けれど、人にはそれぞれ過去があって、人生がある──。
 その全てに手を差し伸べることはできないけれど。
 せめてこの場所が、彼にとって『真実の愛』を感じられるところでありますように。

 ──願わくは、この写真が、この想いがあなたに届きますように。

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