SNSの使い方

花柳 都子

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新天の志

新幹線の車内

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 綿貫千春わたぬきちはるは思わずあくびをした。
 東京駅、始発の新幹線に乗って今からY県へと向かう。乗車時間は約2時間半ほど。
 今回は一週間以上の滞在を目的としているので、荷物もそれなりに多かったが、キャリーケースは七緒に事前に聞いた宿泊施設に宅配で送っておいた。
 現地に着いたら、すぐに県の観光課の担当者と打ち合わせがある。移動もしやすいようにと、七緒からアドバイスを受けたのだ。
「おはよう、千春くん。早いね」
「おはようございます。朝焼けの東京駅を撮るいい機会だと思って」
「はは、そうだね。近くにいればいるほど、機会を逃しちゃうからね」
「はい。──いつでも行けるって思って、もう何年も経ちました」
 感慨深げに千春はカメラを撫でる。
「──満足した?」
「……どうですかね」
「SNS映えするかもよ」
 笑いながら先を行こうとする七緒の背中に、千春は立ち止まったまま訊ねた。
「……その、『映え』って大事ですか?」
「ん?」
 振り返った七緒の表情は穏やかで、なんとなく千春の次の質問をわかっているような雰囲気さえある。千春は続けた。
「俺はSNSに載せるための写真を撮るわけじゃな──いや、そうなんですけど──でも、そうじゃなくて、なんていうか……できるなら、その場所のありのままを撮りたいし、『映え』だけを重視して大事なことを見落としたくないし……その、うまく言えないんですけど……」
 七緒は一つ頷いて、ゆっくりと口を開く。
「うん、わかるよ。僕は写真を撮るのが下手っていうのは前にも言ったと思うけど、写真一枚で何かを伝えるって言うほど簡単なことじゃないよね。綺麗な景色はもちろん素晴らしいけれど、そんなのは旅雑誌を見れば山ほど載ってる。僕はね、SNSでしかできないことに挑戦したいんだ。天気や時間や、それこそ見る人の心持ちで、たとえ同じ場所でも全然印象が違うことだってある。でも、それさえも愛おしいと思う人がいて、そこに生きる場所が、居場所がある人だっている。僕はそういう、人と土地の在り方が、一つの旅の在り方に繋がればいいと思ってるんだ。だから、千春くんは好きなように撮ってくれればいいよ。たぶん最終的には載せないものもあると思うけれど、『美しさ』や『映え』だけで選ぶつもりはないから、安心して」
「……わかりました」
「うん。じゃあ行こう」

 平日朝一の新幹線ということもあり、周りはビジネスマンが多かった。東京出張はともかく、下りの出張先としてどれくらいの往来があるのか千春にはよくわからなかったが、案外席が埋まるものだと呑気に考えていた。
「ごめんね、自由席で」
「……いや、別に」
 七緒が申し訳なさそうに口にしたが、正直、新幹線や飛行機に乗る頻度も少ないので、千春にとってはそれほど気にかかる点でもない。
 思ったより乗客が多いという程度で、リクライニングを倒せるくらいの余裕はあり、千春は危うく何度か寝かけてしまった。
 七緒が気を遣ってか窓際の席にしてくれたものの、遠ざかって行く景色は段々と緑が多くなり、退屈──もとい変わり映えのない風景になっていく。
 ビジネスマンの中にはいびきをかいていたり、弁当を広げていたりする人もいて、そういえばと千春は思い出す。
 隣で資料を読み込んでいる七緒に、千春は可愛らしい小さな包みを鞄から取り出した。
「七緒さん」
「ん?」
 中身は、母の握ったおにぎりである。
 電車の中で食べなさい、と2人分持たされたのだ。
「お、美味しそう。いただいていいの?」
「はい。母が喜びます、たぶん」
「じゃあ、あとでSNSでお礼言っておくよ」
 なぜ七緒が母親のSNSアカウントを知っている?──というよりももっと前に、母親がSNSアカウントを持っていることのほうが千春には驚きの事実だった。
 妹はともかく、父も母もわりと現代に馴染んでいるようで、千春としてはなんだか複雑な気分だった。
「ん、これは……」
「あぁ、Y県の郷土料理ですね。ご飯のお供にって、ネットで買ってました──って、これから行くのに空気読めないですよね……」
「ううん。これでもし『食べたことある?』って質問されても『あります』って答えられるじゃない。何事もポジティブにいかなきゃ」
「あはは、確かに」
 2人が黙々とおにぎりを食す間に、窓外はどんどんと田舎町に近づいていく。水の張った田んぼや、土色の畑に、朝飯前の一仕事と言わんばかりにおじいちゃんおばあちゃんが、ぽつりぽつりと姿を現す。
 写真を撮りたいところだったが、流石に電車内ではマナーが悪いし、そもそも通り過ぎるのが速すぎておそらくシャッターチャンスが追いつかない。
 千春がのんびりと風景を眺めていると、ふとキンモクセイの香りを感じた。
 停車した駅の近くで咲いているのかと思い、閉まりかけた自動ドアの上の電光板を見るも、広告のような案内が流れているだけだった。
 そもそもここしばらくは停車もしていなければ、キンモクセイの花が咲く季節でもないことに思い至って、千春は首を傾げる。
 隣の七緒は特に気に留めた様子もなく、資料を読み耽っているようだった。
 時折かけている眼鏡を外して眉間を揉んだり、首を回したりしてリフレッシュしているようだったが、眼鏡の縁で隠れているだけで濃いクマが見て取れる。
 千春の立場で「大丈夫ですか?」や「無理しないでください」も違うような気がして、なんとなく声をかけそびれてしまう。
 またしばらく窓外を眺めていると、再びキンモクセイの香りがした。ふっと通路のほうを振り返ると、初夏らしい白いシャツにチノパンといった服装の男性が車両から前方のデッキに出ていくところだった。
 香りの方向からすると、おそらく彼からのものだろう。ふわりとしたキンモクセイの香りは心地良かったが、さっきも同じ香りがしたことを考えれば、彼は同じ道を往復したことになる。
 最初はトイレかと思ったが、トイレなら前方のデッキにあると車内アナウンスで流れていた。
 キンモクセイの香りがしたのは2回、彼が2回目に後方から来たことを考えれば、当然1回目は前方から後方に向かって歩いたことになる。
 つまり、トイレ側から来たのであって、席を立ってトイレに行ったわけではないとわかる。
 千春は再び首を傾げた。
 キンモクセイの香りの正体は、彼の香水か柔軟剤だろう。だが、今度はそれよりも男性の行動のほうが気になって仕方がない。
 とはいえ、通路側には七緒がいるし、席を立つ理由もこれといってない。乗車時間は残り1時間半ほどある。
 千春は忘れようと努めた。
 しかし、その甲斐虚しく、またしてもキンモクセイの香りはあちらからやって来た。やはり白シャツにチノパンの男性。
 取り立てて特徴があるというわけではないが、スーツ姿の男性が多い中では千春と同じくらい目立っているように感じられた。
 歳の頃は大学生──には見えない。どちらかと言えば、27歳と聞いている七緒に近そうに見える。
 まぁ今時、私服で仕事も珍しくないか、と納得したものの、その後も彼は同じ通路を戻って前方のデッキへと自動ドアを抜けて行った。
 これで2往復したことになる。
 千春は七緒に遠慮しつつ、席を立った。
 すると、前方のデッキには先ほどの白シャツチノパンの男性がいて、ドアから外をじっと眺めていた。
 キンモクセイの香りが、さっきよりも露骨に強く感じられた。切迫しているわけではないが、素通りするのもおかしいので、トイレに寄って席に戻ろうとすると、彼の姿はもうそこにはなかった。
 しかし、あのキンモクセイの香りは、それとわかる程度に残っていて、千春は咳払いをしながら自席に辿り着いた。
「キンモクセイの君はいた?」
 資料を眺めたままで、ふと七緒が声をかけて来た。
「えっ?」
 半ば電車の走行音に掻き消されそうだったその台詞を聞き返すと、七緒はこちらを見て言った。
「キンモクセイの君はいたのかな?」
「……トイレに行った時はいましたけど、戻る時にはもう」
 千春が首を横に振ると、「そう」と頷いて、七緒は資料を閉じた。
 そろそろY県Y駅に到着するらしい。

 2人が電車を降りると、白シャツチノパンの七緒曰く『キンモクセイの君』が、別の車両から降りるのが見えた。
「あの人、なんであんなところから──?」
 千春と七緒が乗っていた車両から数両離れていて、さらに言うとそこは指定席車両と思われた。
 千春の呟いた言葉に、七緒は何でもないように口を開いた。
「香水だよ」
「あの、キンモクセイの?」
「通路を通る度に結構強く感じたからね。じっと同じ場所に座ってたら、気になる人もいるんじゃないかな」
「でも、自由席もわりと空いてたし、嫌なら移動すれば──」
「まぁそういう人も中にはいるだろうけど、指定席の料金払ってるわけだし、他人の事情で何で自分が?と思う人のほうがきっと多いと思うよ。いくら車みたいに狭くないとはいえ、密閉された空間に目立つくらい香水をつけたのは彼だから。じっとしてたら香りが残って怒られるし、かと言って香水によっては長時間消えないこともある。だから、香水の香りを満遍なくほのかに香らせるために、あてもなく車内を歩いて、流石に何度もは怪しまれるから、ドアが開閉して空気の逃げ道があるデッキでは少し時間を潰して、その場に留まることにした。きっと彼なりの反省と気配りなんじゃないかな」
「それって──」
「まぁそれは僕のただの推測だけどね」
 いたずらっぽく笑う七緒は、ひと足先に階段に足をかけた。
 推測というよりも推理なのでは? と千春は思ったが、その推理を裏付ける証拠もなければ、自白もないので、そういうことにしておこうと一人勝手に納得した。
 千春は七緒の背中を追いかけ、改札を出る。
 その時、またふわりとキンモクセイの香りを感じた──ような気がした。
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