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止められない思い
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
先日、友人ととある舞台を観劇に行きました。
ストーリーそのものや構成もさることながら、演出にも舞台上のセットにも、そして何より役者さんのお芝居にも熱が入っていて、とても素敵な時間でした。
映画やドラマ、アニメなどとはまた一味違い、舞台は板の上だけで完結する、さながら全てを含めてひとつの舞台芸術という分野なのだと毎回実感します。
私自身、創作者の端くれとして大切だと思うのは、それぞれ『魅せ方』が違うのだということです。
限られた時間と期間で、関わるすべての人がそれぞれの仕事を全うする。完成した作品には、必ず彼らの奮闘劇が裏にあることを忘れてはなりませんね。
友人は観劇が終わってからも、SNSを通して知り合った同士たちと盛り上がっていたようですが、私はひとり余韻に浸りながら電車に揺られ帰宅しました。
好きなものを誰かと共有したいというより、ひとり噛み締めたいタイプ──と言えば聞こえは良いですが、SNSというのは実に様々な人の様々な意見が散らばっていて、特に私の場合は知りたくないこと目にしたくないことが恐らく、他の人より数倍多いです。
それも、「私自身がどう思うか」という以上に「これを見た他の人がどう思ってこの投稿に対してどう返すか」ということのほうが気になってしまうのです。
例えば、推しが終演後に異性とツーショット写真を撮るとしますね。それを投稿したとして、「素敵!」と思う人もいれば「そんなの投稿しないで」と思う人もいて、「仕事の一環」と割り切れる人もいれば、「プライベートでの仲の良さまで想像してしまう」みたいな人もいるのではないでしょうか。
私は、『思うことは止められない』と考えているので、心の中では何を思うのも自由で、誰に強制されるものでもないといつも感じています。
けれど、それを言葉に出すとなると話は違います。
私はたとえ推しがイメージにそぐわない髪型やファッションでも、その方の人生なのだから、人に迷惑をかけない限り何をしても良いと思っています。
結婚をする、家族になる、というのなら話は変わりますが、私の理想であるために彼らの人生を強要する資格はありません。
私たちが「顔との印象に合わない」「声だけ聞いていたい」と思うのは自由ですが、それと同じように彼らにも自由があることを忘れてはいけません。
人に迷惑をかけること、そして自分の仕事を失うことにつながる行動や言動に対しては、思うところはあれど止めることはできないし、受け入れられなければ離れるしかありません。
かと言って、推しや友人知人に対する気持ちの形や表現の仕方は人それぞれです。わかりやすく推しに限定すると、ライブやイベントにできる限り参加してグッズも手に入れたいファンもいれば、ライブやイベントには行くけどグッズは買わないファンもいる。中には、経済的環境的な事情でライブやイベントさえも諦めざるを得ない人もいるでしょう。SNSとテレビで姿が見られれば満足という方もいる。
それら全てに上も下もありません。
同じ推しでも推し方は人それぞれです。
愛の形や大きさに貴賤はありません。
誰に強制されるものでもなく、誰かに許しを乞うものでもない。
ゲームも似たようなもので、ソロプレイが好きでひとりで黙々こなしたい人もいれば、オンラインで多くの人と関わりながらプレイしたいという人もいる。
けれど、同じ『ゲーム好き』には変わりないと思いませんか?
私は昨今の推し活事情には、恐らく詳しくないでしょう。SNSから遠ざかって早数年。地雷はともかく炎上にリアルタイムで遭遇したことは幸いなことになかったと思います。
それでも明日は我が身と震えている人はきっと私だけではないでしょうし、過去の推しや好きだったコンテンツがいつの間にか激変してしまっているなんてことは実は日常茶飯事なのかもしれません。
そうなってしまった時に、推すか離れるかは人それぞれ違って、どれにも間違いはないと思います。
全てを無理に受け止めようとすれば、あなたの心が壊れてしまうかもしれません。
SNSというのは酸いも甘いも紙一重で、いえ、紙以上に薄い透明のオブラートくらいの境目しかないと思っています。
SNSで攻撃的になってしまう人こそ、全てを受け止めようとしているのではないかと、そしてその衝動を止めるにはまず自分自身が気がつくことだと、彼ら自身気がついていない人が多いのではないでしょうか。
残念ながらいくら言っても、彼らには彼らの『正義』と『正しさ』があって、その頑ななまでの信念をなんとか救おうとしても、まずその『純粋な思い』を否定し訂正するところから始めなければなりません。
それはきっと、彼らにとって最も触れてほしくないところであろうにも関わらず、です。
私はそんな世界を見ることに疲れてしまいました。
けれど、やっぱり誰も傷つかない世界が訪れることを信じてやみません。
未熟なもので、私には願うことしかできません。
法律やルールで縛ることは簡単です。度がすぎるものに対しては、そうしていくべきだとも思います。
けれど、目に見える重犯罪とは違ってSNSというのは目に見えないものでもあって、中には『悪意』などない人もいるでしょう。
だからといって何をしても良いわけではありませんが、その『悪意』さえ持たない人たちには、何が悪く、何が良くないことなのかも、気づけないで今後も生活していく可能性だってあります。私はそのことの方が悲しくて仕方ありません。
いつか、いえ、きっと今この瞬間こそ彼らが傷ついているからなのかもしれませんよね。彼らが行動を起こす前に、まずはその原因を究明し救ってあげられたら良いのですが。
奇しくも探偵小説曰く『事件を未然に防ぐこと』こそが、この状況を打開できる唯一の方法なのかもしれません。
愛の形は人それぞれであるように、傷つく理由も傷つき方も人それぞれで、『自分は今傷ついている』と表現する方法もそれぞれ違うでしょう。
彼らにはSNSしか逃げ場がないのかもしれません。
それを果たして強制するだけで変えられるのでしょうか。教え諭すだけで何かが好転するなら、きっとこうなってはいないでしょう。
それでも誰しもに自由があるように、SNSをやる自由、SNSを見る自由、SNSをやめる自由と、言論の自由、それら全てを奪ってしまうことでどんな世界になるかはもはや想像もつきません。
たとえ『誰も傷つかない世界』をつくることが無理難題だとしても、SNSをやるのもやめるのも『強制』という形にならないことこそが、私は一縷の望みだと思います。
全ての自由は認められている。
けれど、その中でも全てが自由で開放的でないことを、私たちはまず理解しなければならないのかもしれませんね。
本当はこういう世界が出来上がってしまう前に、なんとか策を講じることができれば良かったのでしょうが、そんな暇もなくSNSはあっという間に広まってしまいました。その要因のひとつは、きっと楽しくて好きなことに夢中になれる時間が増えたから。
それをいつしか、私たち自らの手で失ってしまわないよう、祈らずにはいられません。
そろそろお別れの時間です。
皆さんにとって、推しとは、SNSとは、どんな存在ですか?
『私を救ってくれる正義の味方』、『なんでも言える心の友』、『前を向くための道標』とまではいかなくとも、きっとポジティブな感情で埋め尽くされることと思います。
そういう幸せな時間に、素敵な未来に、ひとりでも多くの人が進んでいけるように、そしてその輪がSNSの普及と同じように広まって、この世界を明るく照らしてくれるようになったら、私もまたSNSと真っ直ぐ向き合える日が来るかもしれません。
では、また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
先日、友人ととある舞台を観劇に行きました。
ストーリーそのものや構成もさることながら、演出にも舞台上のセットにも、そして何より役者さんのお芝居にも熱が入っていて、とても素敵な時間でした。
映画やドラマ、アニメなどとはまた一味違い、舞台は板の上だけで完結する、さながら全てを含めてひとつの舞台芸術という分野なのだと毎回実感します。
私自身、創作者の端くれとして大切だと思うのは、それぞれ『魅せ方』が違うのだということです。
限られた時間と期間で、関わるすべての人がそれぞれの仕事を全うする。完成した作品には、必ず彼らの奮闘劇が裏にあることを忘れてはなりませんね。
友人は観劇が終わってからも、SNSを通して知り合った同士たちと盛り上がっていたようですが、私はひとり余韻に浸りながら電車に揺られ帰宅しました。
好きなものを誰かと共有したいというより、ひとり噛み締めたいタイプ──と言えば聞こえは良いですが、SNSというのは実に様々な人の様々な意見が散らばっていて、特に私の場合は知りたくないこと目にしたくないことが恐らく、他の人より数倍多いです。
それも、「私自身がどう思うか」という以上に「これを見た他の人がどう思ってこの投稿に対してどう返すか」ということのほうが気になってしまうのです。
例えば、推しが終演後に異性とツーショット写真を撮るとしますね。それを投稿したとして、「素敵!」と思う人もいれば「そんなの投稿しないで」と思う人もいて、「仕事の一環」と割り切れる人もいれば、「プライベートでの仲の良さまで想像してしまう」みたいな人もいるのではないでしょうか。
私は、『思うことは止められない』と考えているので、心の中では何を思うのも自由で、誰に強制されるものでもないといつも感じています。
けれど、それを言葉に出すとなると話は違います。
私はたとえ推しがイメージにそぐわない髪型やファッションでも、その方の人生なのだから、人に迷惑をかけない限り何をしても良いと思っています。
結婚をする、家族になる、というのなら話は変わりますが、私の理想であるために彼らの人生を強要する資格はありません。
私たちが「顔との印象に合わない」「声だけ聞いていたい」と思うのは自由ですが、それと同じように彼らにも自由があることを忘れてはいけません。
人に迷惑をかけること、そして自分の仕事を失うことにつながる行動や言動に対しては、思うところはあれど止めることはできないし、受け入れられなければ離れるしかありません。
かと言って、推しや友人知人に対する気持ちの形や表現の仕方は人それぞれです。わかりやすく推しに限定すると、ライブやイベントにできる限り参加してグッズも手に入れたいファンもいれば、ライブやイベントには行くけどグッズは買わないファンもいる。中には、経済的環境的な事情でライブやイベントさえも諦めざるを得ない人もいるでしょう。SNSとテレビで姿が見られれば満足という方もいる。
それら全てに上も下もありません。
同じ推しでも推し方は人それぞれです。
愛の形や大きさに貴賤はありません。
誰に強制されるものでもなく、誰かに許しを乞うものでもない。
ゲームも似たようなもので、ソロプレイが好きでひとりで黙々こなしたい人もいれば、オンラインで多くの人と関わりながらプレイしたいという人もいる。
けれど、同じ『ゲーム好き』には変わりないと思いませんか?
私は昨今の推し活事情には、恐らく詳しくないでしょう。SNSから遠ざかって早数年。地雷はともかく炎上にリアルタイムで遭遇したことは幸いなことになかったと思います。
それでも明日は我が身と震えている人はきっと私だけではないでしょうし、過去の推しや好きだったコンテンツがいつの間にか激変してしまっているなんてことは実は日常茶飯事なのかもしれません。
そうなってしまった時に、推すか離れるかは人それぞれ違って、どれにも間違いはないと思います。
全てを無理に受け止めようとすれば、あなたの心が壊れてしまうかもしれません。
SNSというのは酸いも甘いも紙一重で、いえ、紙以上に薄い透明のオブラートくらいの境目しかないと思っています。
SNSで攻撃的になってしまう人こそ、全てを受け止めようとしているのではないかと、そしてその衝動を止めるにはまず自分自身が気がつくことだと、彼ら自身気がついていない人が多いのではないでしょうか。
残念ながらいくら言っても、彼らには彼らの『正義』と『正しさ』があって、その頑ななまでの信念をなんとか救おうとしても、まずその『純粋な思い』を否定し訂正するところから始めなければなりません。
それはきっと、彼らにとって最も触れてほしくないところであろうにも関わらず、です。
私はそんな世界を見ることに疲れてしまいました。
けれど、やっぱり誰も傷つかない世界が訪れることを信じてやみません。
未熟なもので、私には願うことしかできません。
法律やルールで縛ることは簡単です。度がすぎるものに対しては、そうしていくべきだとも思います。
けれど、目に見える重犯罪とは違ってSNSというのは目に見えないものでもあって、中には『悪意』などない人もいるでしょう。
だからといって何をしても良いわけではありませんが、その『悪意』さえ持たない人たちには、何が悪く、何が良くないことなのかも、気づけないで今後も生活していく可能性だってあります。私はそのことの方が悲しくて仕方ありません。
いつか、いえ、きっと今この瞬間こそ彼らが傷ついているからなのかもしれませんよね。彼らが行動を起こす前に、まずはその原因を究明し救ってあげられたら良いのですが。
奇しくも探偵小説曰く『事件を未然に防ぐこと』こそが、この状況を打開できる唯一の方法なのかもしれません。
愛の形は人それぞれであるように、傷つく理由も傷つき方も人それぞれで、『自分は今傷ついている』と表現する方法もそれぞれ違うでしょう。
彼らにはSNSしか逃げ場がないのかもしれません。
それを果たして強制するだけで変えられるのでしょうか。教え諭すだけで何かが好転するなら、きっとこうなってはいないでしょう。
それでも誰しもに自由があるように、SNSをやる自由、SNSを見る自由、SNSをやめる自由と、言論の自由、それら全てを奪ってしまうことでどんな世界になるかはもはや想像もつきません。
たとえ『誰も傷つかない世界』をつくることが無理難題だとしても、SNSをやるのもやめるのも『強制』という形にならないことこそが、私は一縷の望みだと思います。
全ての自由は認められている。
けれど、その中でも全てが自由で開放的でないことを、私たちはまず理解しなければならないのかもしれませんね。
本当はこういう世界が出来上がってしまう前に、なんとか策を講じることができれば良かったのでしょうが、そんな暇もなくSNSはあっという間に広まってしまいました。その要因のひとつは、きっと楽しくて好きなことに夢中になれる時間が増えたから。
それをいつしか、私たち自らの手で失ってしまわないよう、祈らずにはいられません。
そろそろお別れの時間です。
皆さんにとって、推しとは、SNSとは、どんな存在ですか?
『私を救ってくれる正義の味方』、『なんでも言える心の友』、『前を向くための道標』とまではいかなくとも、きっとポジティブな感情で埋め尽くされることと思います。
そういう幸せな時間に、素敵な未来に、ひとりでも多くの人が進んでいけるように、そしてその輪がSNSの普及と同じように広まって、この世界を明るく照らしてくれるようになったら、私もまたSNSと真っ直ぐ向き合える日が来るかもしれません。
では、また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
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