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ボケとツッコミの二刀流
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
夏のように暑くなったり、冬とまではいかないまでも肌寒く感じる日もあったり、気温差で風邪をひきやすい私としては、なんとも言えない時期ですが、皆さんは体調崩すなどしていませんか?
私は冷房の風も苦手なので、夏でも長袖もしくはスカーフなど上に羽織れるものを持っていくようにしています。というのも、大学時代、夏なのによく風邪をひいていたためなのですが、そのことから徐々に学んだわけですね。これぞ、温故知新というやつで。
私は小学生時代、とある熱血教師に憧れていた先生から、卒業の時にこの言葉をもらいました。『温故知新』──意味に興味があれば各自調べていただくとして、大雑把に言うと、過去の出来事を生かして新しい発見をする、みたいな感じですかね。
まぁあれから数十年の時を経た私なりにかなり意訳すると、どんなに小さいことでも積み重ねていけば、今までできなかったこともできるようになる、でしょうか。
この『温故知新』。言い得て妙といいますか、実は日々生活している上で、実感することがわりと多いんですよね。取り柄も特技もない、特筆すべき事項のない私の、数少ない自画自賛したいところなのですが。
先ほどの冷房の話もそうですが、言葉ではなかなか説明しづらい感覚によるものなので、私自身が納得しているだけかもしれません。
でもきっと、皆さんにもぴったりの言葉ってあると思います。まだ気がついていないだけ、言葉として当てはまらないだけ、自分ってこういう人間なんだ──と、他人から聞けることは滅多にありませんよね。ですから、そういう経験は貴重だと思って、特にポジティブなことは覚えておくようにしています。
そうですねぇ……あとは、よく『聖徳太子』みたいだと言われることがありますね。私は意識しなくても、周りの音を無意識に聞いているらしく、ふっと話を振られても難なく受け答えできたりします。よく言えば周りが見えている、悪く言えば盗み聞きになるでしょうか。ともあれ、接客や周りをコントロールする力は多少備わっているのかもしれません。ただ、いかんせん私は精神的な面で積極性が乏しく、リーダー向きではないので、あくまで実務的な面でだけ役に立つ能力ですが。
他にもあります。これはつい最近、友人に言われたことですが、「聞き取りやすい声だよね」と。
私が自分の声が『美声(?)』だと知ったのは、社会人になって電話に出てからでしたので、気づくのが遅かったなぁと今更ながらに悔やみます。もしも、もっと早くに気がついていたら、ナレーターを目指してみたかったなと未だに考えることがあります。自分で言うのもなんですが、ナレーター向きの声だと思うんですよね。滑舌だって悪くないし、声は女性にしては低めでよく通るし、話し方も穏やか──いえ、これは事実というより願望ですが。このラジオを聴いてくださっている皆さんが、そう思ってくれていればいいなぁという、ただの願望です。
私はお芝居も好きですが、声優さんになりたい、と思ったことは実はないんですよね。なぜなら、歌が上手くないから。余談ですが、女優さんになりたいと思ったことはあります。小さい頃の話ですが。まぁそれ以外にも色々理由はありますけれどね。その色々には声優になるにあたって、私に備わっていないもので、なければならないのが当たり前のものです。言い回しがくどいですが、たとえば『演技力』に、まぁある程度は『容姿』も入るでしょう。つまり、あくまで私自身が「自分には声優の資質はない」と思っているということです。
それはさておき、『温故知新』にしても『聖徳太子』にしても、私がそこそこ長い月日をかけて、やっと自分自身を表現する言葉に出会えたと感じている『受動的コミュニケーション能力』──どちらもこれに通ずるところがあるなと思います。
相手との対話を通して、また他人の考えや行動に対して、私自身の意見もありつつ、うまく相手に合わせられる私という人間の根源は、突き詰めればこのふたつの能力なのかもしれません。
時に、皆さんは誰かと話す時、ボケですか? ツッコミですか?
まぁ、そんなお笑い芸人さんみたいに「どっちっていうこともないよ!」っていう方が多いかとは思いますが、強いて言うならどうでしょう?
かくいう私はですね、「どちらも」です。
それこそその時の場の雰囲気や、一緒にいる人たちに合わせて、ボケでもツッコミでもできてしまいます。特に意識しているわけではなく、「こういうこと言ったら、こう返してくれるだろうな」というフランクな予想のもと、相手に合わせたコミュニケーションがとれるというわけです。
これまた感覚的な話なので、言葉だけでは伝わりにくいかもしれません。
もしも、少しでも興味が湧いたらぜひ皆さんご自身で考えてみてください。
たとえば、家族や友達、恋人と話しているときの私はどっちだろう? 誰に対してもツッコミの人もいれば、私もどっちもやってるかも!という方もいるでしょう。ボケに関しては、『天然』などの表現もありますから、自分自身ではもしかしたら気づきにくいかもしれませんね。ボケをボケだと認識している人は、言わばお笑い芸人さんの『ボケ』の定義と一緒で、一種のキャラみたいなものですからね。わかっててやっている、というわけです。相手からの反応を見たい、面白い会話をしたい、周りの雰囲気を良くしたい、そんな考えのほうが強く、私はというとたまぁに空回りしてしまうこともありますが。
でも、ボケでもツッコミでも、いっそどちらでなくとも構いませんが、「この人にこういうこと言ったら、こうなるだろうなぁ」という予想は皆さん、きっと無意識に日常的にしているはずです。
お局さんに逆らうことはできないと感じるのもそうでしょうし、この先輩は愛あるいじりが通じるタイプ、とかね。低身長も私の場合は「いじっていいやつ」ですよ? むしろ「おいしい展開」と思ってますから。
そろそろお別れの時間です。
『人によって態度を変える』というと、ちょっと人聞きの悪い響きですが、人間というのは多かれ少なかれそういう面があるのも事実です。
実は私だって、他人から見たらそうなんじゃないかと思うことがあります。
いくら、相手に合わせていると言っても、それが一方的であったら、コミュニケーションとして成り立っていませんからね。
あからさまに上司に媚びへつらって、逆に部下には厳しいみたいな人を一般的には言うのでしょう。相手が上司や部下でなくとも、ママ友同士だったり、学校の人間関係であったり、容姿の好みだって含まれるかもしれませんね。これまた人聞きの悪い話ですが、語弊を恐れずに言うと、やっぱり自分好みの相手には可愛く見せたい、大きく見せたいという心理が働くものです。それを一概に否定はできませんよね。
嫌いな人、苦手な人、そして相性の合わない人に、興味を持てない人──。生きていればいくらでも出会ってしまいます。よく「好きの反対は無関心」なんて言いますが、関心を持たれていないのは目に見えてわかったりしてしまいますから、余計に気になりますよね。
実を言うと、私が『聖徳太子』になったのは、これが原因かもしれないと最近思い始めています。人の会話を盗み聞きしていたのは、「誰かに悪口を言われていないか気になるから」ですし、それがポジティブなベクトルに変わると、「会話に置いてけぼりにならないために、ついていけそうな話題を探す」──つまり、コミュニケーションの下地を自ら探していたわけですね。
どんなに遠い心の距離感の人でも、やっぱり最低限のマナーは必要ですよね。円滑なコミュニケーションは、無駄な、余計な軋轢を生まない、一番身近な処世術だと思います。『相手は私の鏡』とはよく言ったもので、こちらが怒れば相手も怒るし、相手が笑えば私も嬉しくなるもの。そんな小さな積み重ねが日々の生活をより良くしてくれると私は信じていますし、私たちが生きるこの場所が、あなたの、そして皆さんの、笑顔溢れる素敵な世界になることを願っています。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
夏のように暑くなったり、冬とまではいかないまでも肌寒く感じる日もあったり、気温差で風邪をひきやすい私としては、なんとも言えない時期ですが、皆さんは体調崩すなどしていませんか?
私は冷房の風も苦手なので、夏でも長袖もしくはスカーフなど上に羽織れるものを持っていくようにしています。というのも、大学時代、夏なのによく風邪をひいていたためなのですが、そのことから徐々に学んだわけですね。これぞ、温故知新というやつで。
私は小学生時代、とある熱血教師に憧れていた先生から、卒業の時にこの言葉をもらいました。『温故知新』──意味に興味があれば各自調べていただくとして、大雑把に言うと、過去の出来事を生かして新しい発見をする、みたいな感じですかね。
まぁあれから数十年の時を経た私なりにかなり意訳すると、どんなに小さいことでも積み重ねていけば、今までできなかったこともできるようになる、でしょうか。
この『温故知新』。言い得て妙といいますか、実は日々生活している上で、実感することがわりと多いんですよね。取り柄も特技もない、特筆すべき事項のない私の、数少ない自画自賛したいところなのですが。
先ほどの冷房の話もそうですが、言葉ではなかなか説明しづらい感覚によるものなので、私自身が納得しているだけかもしれません。
でもきっと、皆さんにもぴったりの言葉ってあると思います。まだ気がついていないだけ、言葉として当てはまらないだけ、自分ってこういう人間なんだ──と、他人から聞けることは滅多にありませんよね。ですから、そういう経験は貴重だと思って、特にポジティブなことは覚えておくようにしています。
そうですねぇ……あとは、よく『聖徳太子』みたいだと言われることがありますね。私は意識しなくても、周りの音を無意識に聞いているらしく、ふっと話を振られても難なく受け答えできたりします。よく言えば周りが見えている、悪く言えば盗み聞きになるでしょうか。ともあれ、接客や周りをコントロールする力は多少備わっているのかもしれません。ただ、いかんせん私は精神的な面で積極性が乏しく、リーダー向きではないので、あくまで実務的な面でだけ役に立つ能力ですが。
他にもあります。これはつい最近、友人に言われたことですが、「聞き取りやすい声だよね」と。
私が自分の声が『美声(?)』だと知ったのは、社会人になって電話に出てからでしたので、気づくのが遅かったなぁと今更ながらに悔やみます。もしも、もっと早くに気がついていたら、ナレーターを目指してみたかったなと未だに考えることがあります。自分で言うのもなんですが、ナレーター向きの声だと思うんですよね。滑舌だって悪くないし、声は女性にしては低めでよく通るし、話し方も穏やか──いえ、これは事実というより願望ですが。このラジオを聴いてくださっている皆さんが、そう思ってくれていればいいなぁという、ただの願望です。
私はお芝居も好きですが、声優さんになりたい、と思ったことは実はないんですよね。なぜなら、歌が上手くないから。余談ですが、女優さんになりたいと思ったことはあります。小さい頃の話ですが。まぁそれ以外にも色々理由はありますけれどね。その色々には声優になるにあたって、私に備わっていないもので、なければならないのが当たり前のものです。言い回しがくどいですが、たとえば『演技力』に、まぁある程度は『容姿』も入るでしょう。つまり、あくまで私自身が「自分には声優の資質はない」と思っているということです。
それはさておき、『温故知新』にしても『聖徳太子』にしても、私がそこそこ長い月日をかけて、やっと自分自身を表現する言葉に出会えたと感じている『受動的コミュニケーション能力』──どちらもこれに通ずるところがあるなと思います。
相手との対話を通して、また他人の考えや行動に対して、私自身の意見もありつつ、うまく相手に合わせられる私という人間の根源は、突き詰めればこのふたつの能力なのかもしれません。
時に、皆さんは誰かと話す時、ボケですか? ツッコミですか?
まぁ、そんなお笑い芸人さんみたいに「どっちっていうこともないよ!」っていう方が多いかとは思いますが、強いて言うならどうでしょう?
かくいう私はですね、「どちらも」です。
それこそその時の場の雰囲気や、一緒にいる人たちに合わせて、ボケでもツッコミでもできてしまいます。特に意識しているわけではなく、「こういうこと言ったら、こう返してくれるだろうな」というフランクな予想のもと、相手に合わせたコミュニケーションがとれるというわけです。
これまた感覚的な話なので、言葉だけでは伝わりにくいかもしれません。
もしも、少しでも興味が湧いたらぜひ皆さんご自身で考えてみてください。
たとえば、家族や友達、恋人と話しているときの私はどっちだろう? 誰に対してもツッコミの人もいれば、私もどっちもやってるかも!という方もいるでしょう。ボケに関しては、『天然』などの表現もありますから、自分自身ではもしかしたら気づきにくいかもしれませんね。ボケをボケだと認識している人は、言わばお笑い芸人さんの『ボケ』の定義と一緒で、一種のキャラみたいなものですからね。わかっててやっている、というわけです。相手からの反応を見たい、面白い会話をしたい、周りの雰囲気を良くしたい、そんな考えのほうが強く、私はというとたまぁに空回りしてしまうこともありますが。
でも、ボケでもツッコミでも、いっそどちらでなくとも構いませんが、「この人にこういうこと言ったら、こうなるだろうなぁ」という予想は皆さん、きっと無意識に日常的にしているはずです。
お局さんに逆らうことはできないと感じるのもそうでしょうし、この先輩は愛あるいじりが通じるタイプ、とかね。低身長も私の場合は「いじっていいやつ」ですよ? むしろ「おいしい展開」と思ってますから。
そろそろお別れの時間です。
『人によって態度を変える』というと、ちょっと人聞きの悪い響きですが、人間というのは多かれ少なかれそういう面があるのも事実です。
実は私だって、他人から見たらそうなんじゃないかと思うことがあります。
いくら、相手に合わせていると言っても、それが一方的であったら、コミュニケーションとして成り立っていませんからね。
あからさまに上司に媚びへつらって、逆に部下には厳しいみたいな人を一般的には言うのでしょう。相手が上司や部下でなくとも、ママ友同士だったり、学校の人間関係であったり、容姿の好みだって含まれるかもしれませんね。これまた人聞きの悪い話ですが、語弊を恐れずに言うと、やっぱり自分好みの相手には可愛く見せたい、大きく見せたいという心理が働くものです。それを一概に否定はできませんよね。
嫌いな人、苦手な人、そして相性の合わない人に、興味を持てない人──。生きていればいくらでも出会ってしまいます。よく「好きの反対は無関心」なんて言いますが、関心を持たれていないのは目に見えてわかったりしてしまいますから、余計に気になりますよね。
実を言うと、私が『聖徳太子』になったのは、これが原因かもしれないと最近思い始めています。人の会話を盗み聞きしていたのは、「誰かに悪口を言われていないか気になるから」ですし、それがポジティブなベクトルに変わると、「会話に置いてけぼりにならないために、ついていけそうな話題を探す」──つまり、コミュニケーションの下地を自ら探していたわけですね。
どんなに遠い心の距離感の人でも、やっぱり最低限のマナーは必要ですよね。円滑なコミュニケーションは、無駄な、余計な軋轢を生まない、一番身近な処世術だと思います。『相手は私の鏡』とはよく言ったもので、こちらが怒れば相手も怒るし、相手が笑えば私も嬉しくなるもの。そんな小さな積み重ねが日々の生活をより良くしてくれると私は信じていますし、私たちが生きるこの場所が、あなたの、そして皆さんの、笑顔溢れる素敵な世界になることを願っています。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
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