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正確な性格
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
突然ですが、皆さんは「私ってこういうところあるよなぁ」と感じることはありますか? それが自分や周囲にとってプラスでもマイナスでも構いません。癖とか性格とか、なんでもいいです。
ちなみに、私は『自分の目で見たことしか信じない』『せっかち』『独特な倫理観』などなどでしょうか。とはいえ、これらはすべて大人になって気がついたことです。
学生時代からこうだったのか、それとも経験や時を経たことでこうなったのか、今となってはわかりません。他人に「そういうところあるよね!」と言われることは珍しく、多くは私自身が「私ってこうかも」と感じていることに過ぎません。
大学生の時のことで、今でも忘れられない嬉しい思い出がひとつあります。
夏休み、ゼミ合宿に参加するために、関東近郊とはいえ少し遠出した際のこと。東京駅に早朝集合、電車に揺られ、最寄駅へ。バスに乗って移動する前に、みんなでコンビニに行こうという雰囲気になりました。
けれど、ゼミの先生はその場に残るようだったので、私もその場を離れなかったんです。特にコンビニに行きたい用事もありませんでしたし。そうしたら先生が「行かなくていいの?」と聞いてくれて。「先生が一人になるから」と答えた私はやっぱりまだ子どもだったのでしょう。ですが、先生は「そういうところ、大事にしなさいね」と優しく言ってくれました。
先生の口ぶりから察するに、私は日頃からそういう面があったのではないかと思います。意識してはいないけれど、なんとなくそれがいいと思ってしていたこと。
大人になれば学生時代と違って、同じシチュエーションになることが多いとは言えませんが、先生が褒めてくれた「そういうところ」を失わないように、十年以上経った今でもこの時のことを時折思い返しています。
先ほども例として出しましたが、やっぱり仕事をしていてよく感じるのは、『自分の目で見たことしか信じない』だったり、『せっかち』なところだったりですね。
他人やシステムが大丈夫と言ったものでも、自分の目でなんとなく確認したくなる。なんだか『やらなければならないことがある』と落ち着かない。
具体例を挙げればキリはありませんが、以前もお話ししたようにリュックが苦手なのも前者に該当するでしょう。
背負っていることで、自分の視界から鞄の取り出し口が見えなくなるじゃないですか。いくらファスナーなどで閉まってるとはいっても、他人にそっと開けられたら気がつかないんじゃないかと思ってしまう。「そんなことないでしょ」と思う方もいるでしょう。でも、実際にそうなったことがないだけで「絶対にない」とは言い切れないよねと私は考えてしまうのです。
とはいえ、他人の故意以上に怖いのは、自分の過失です。きちんとファスナーが閉められていないことで、中のものが落ちて自分の歩いた軌跡を残してしまわないか、落ちた物から鞄の中を整理していないのがバレてしまわないか……そんな栓のないことを考えるのが面倒なので、最終的に「リュックは使わない」という結論に達するわけですね。
たまにデザインが可愛い鞄があっても、それがリュックだとわかると、後ろ髪を引かれながら背を向けることもあります。
『幽霊』に対して「いるかもしれないけれど、私の目には見えない」という考えなのも、死後の世界を『無』だと思っているのも、きっとその性格のせいでしょう。
私は普段よくゲームをしますが、敵からうまく隠れながら自分のミッションをこなすというタイプのゲームで、私は『自分のミッションを早くやりたい』が為に、敵から隠れること、逃げることを蔑ろにしがちです。見つかるかもなぁと思いながら、気が急いてしまう。仕事でもそうですが、なんとなく落ち着かない気分になるので、たとえ終わらせられなくても手をつけてしまいたいと感じる。
ある日、親しい友人に「話し方が国語辞典みたい」と言われたこともあります。
知っている言葉は使いたくなるし、「これ語呂がいいよね」「響きやリズムが面白いよね」という言い回しを見つけると、日常生活に相応しくなくても、いえ相応しくないからこそ言いたくなる。
「こういうの久方ぶりですね」なんて先輩に言ったら、どうやら「久方ぶり」がツボに入ったらしく、2人で大爆笑した記憶があります。
話は変わりますが、こういう他人に言葉で説明しても伝わりにくいことって、本人たちにとっては忘れられない楽しい思い出ということも往々にしてありますよね。
高校生の頃、友達といった他の学校の文化祭にて、ある男子生徒が独特のキャラで接客をしておりました。同じ学校の女子生徒たちは大笑いしていましたが、私と友達は「面白い人がいるなぁ」くらいの笑いに留まり、その場を後にしてから、「同じ学校で生活していないとわからないことなのかもね」なんて話をしました。
その人の日々過ごしている環境、友達同士でのルールや価値観、その場の雰囲気などなど、そういったものがたくさん集まって、ひとつの笑いが起きると思えば、たとえそれがほんの小さなことでも、ひとつひとつが奇跡のような出来事だと思いませんか?
誰かと楽しいこと、素敵なことを共有できるって素晴らしいことだと思います。それが一方的ではない、互いに同じくらいの熱を持って同じ時間を共にできる。きっと私たちは普段意識することなく、そういう人たちと一緒に過ごしているのでしょう。
それは家族であり、友人であり、恋人であり、時には名前も顔も知らない赤の他人でさえあるかもしれません。
他人には伝わりにくい。けれど、誰かに話したくなるほどいい思い出というのは、胸にしまっておくにはなんだかもったいない気がする。
だって、その時の楽しい記憶を、誰かと笑い合う経験を、きっと誰しもが必要としているからです。行きすぎれば独りよがりになってしまうけれど、そう願うのはやっぱり私たちが人間だからでしょう。
そろそろお別れの時間です。
そういえば、先日、私を「話し方が国語辞典みたい」と言った友人ととある商業施設に買い物に行ったんです。
お気に入りの洋服屋さんで可愛いワンピースに遭遇したのですが、サイズ的にちょっと心配な気もして迷っていたんですね。ぽっちゃり体型でも気にせず着られるところがその洋服屋さんの好きなところなのですが、胸と腰の間くらいの装飾品がぶちっといってしまわないかがネックで。とても気に入ったワンピースだからこそ踏ん切りがつかなくなってしまったんですね。
私、普段はあまり試着しないのですが、友人に促されたのもあって、その時は着てみようと思い、そこへちょうどよく店員さんが現れたんです。
新人さんなのか、話し方や接客に初々しさがあって、つい微笑ましくなったものです。
試着室は二つあって、私は周りに他のお客さんがいなかったのと、件のワンピースが試着室のすぐ脇にあったので、左側の試着室の鏡で合わせていたんですよね。
そうしたら、店員さんが「そちらはさっき人間が使ったので、こちらどうぞ」と右側の試着室を案内してくれたんです。
──聞き間違いかと思いました、ええ、最初は。
「あ、しまった!」みたいな感じもないし、相変わらずニコニコしていて、これはキャラなのか、それともただいっぱいいっぱいが故の失敗だったのか、今となってはわかりません。
でも、決して馬鹿にしているとか、人の失敗を嗤うとかそういうことではなく、日常の些細な出来事としてたくさん笑わせてもらいました。
その後、友達や知人に「こういうことがあってね」と話したら、私ほどではないけれど一緒に笑ってくれたりして、楽しいことからはやっぱり楽しいことが生まれるんだと幸せな気持ちになりましたね。
人間とは不思議なもので、ネガティブなことばかり考えているとネガティブな方向に引きずられるし、ポジティブなことを考えるとなんだかなんでもうまくいくような気さえしてきます。
楽しいことを考えていると、昔の楽しい思い出が蘇ってきたりして、笑いを堪えるのに必死になることもあります。
「どうしてこんなに面白いんだろう」なんて思うけれど、笑いが止まらない時もある。もはやどうして笑っているのかわからないなんてことは、学生時代に比べればうんと減ったように思いますが、それでもやっぱり『楽しいって素敵なこと』だと思います。
私とこの時間を共有してくれた皆さまと、いつかまたどこかで「こういうこと話したよね」なんて笑い合えたらいいですね。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
突然ですが、皆さんは「私ってこういうところあるよなぁ」と感じることはありますか? それが自分や周囲にとってプラスでもマイナスでも構いません。癖とか性格とか、なんでもいいです。
ちなみに、私は『自分の目で見たことしか信じない』『せっかち』『独特な倫理観』などなどでしょうか。とはいえ、これらはすべて大人になって気がついたことです。
学生時代からこうだったのか、それとも経験や時を経たことでこうなったのか、今となってはわかりません。他人に「そういうところあるよね!」と言われることは珍しく、多くは私自身が「私ってこうかも」と感じていることに過ぎません。
大学生の時のことで、今でも忘れられない嬉しい思い出がひとつあります。
夏休み、ゼミ合宿に参加するために、関東近郊とはいえ少し遠出した際のこと。東京駅に早朝集合、電車に揺られ、最寄駅へ。バスに乗って移動する前に、みんなでコンビニに行こうという雰囲気になりました。
けれど、ゼミの先生はその場に残るようだったので、私もその場を離れなかったんです。特にコンビニに行きたい用事もありませんでしたし。そうしたら先生が「行かなくていいの?」と聞いてくれて。「先生が一人になるから」と答えた私はやっぱりまだ子どもだったのでしょう。ですが、先生は「そういうところ、大事にしなさいね」と優しく言ってくれました。
先生の口ぶりから察するに、私は日頃からそういう面があったのではないかと思います。意識してはいないけれど、なんとなくそれがいいと思ってしていたこと。
大人になれば学生時代と違って、同じシチュエーションになることが多いとは言えませんが、先生が褒めてくれた「そういうところ」を失わないように、十年以上経った今でもこの時のことを時折思い返しています。
先ほども例として出しましたが、やっぱり仕事をしていてよく感じるのは、『自分の目で見たことしか信じない』だったり、『せっかち』なところだったりですね。
他人やシステムが大丈夫と言ったものでも、自分の目でなんとなく確認したくなる。なんだか『やらなければならないことがある』と落ち着かない。
具体例を挙げればキリはありませんが、以前もお話ししたようにリュックが苦手なのも前者に該当するでしょう。
背負っていることで、自分の視界から鞄の取り出し口が見えなくなるじゃないですか。いくらファスナーなどで閉まってるとはいっても、他人にそっと開けられたら気がつかないんじゃないかと思ってしまう。「そんなことないでしょ」と思う方もいるでしょう。でも、実際にそうなったことがないだけで「絶対にない」とは言い切れないよねと私は考えてしまうのです。
とはいえ、他人の故意以上に怖いのは、自分の過失です。きちんとファスナーが閉められていないことで、中のものが落ちて自分の歩いた軌跡を残してしまわないか、落ちた物から鞄の中を整理していないのがバレてしまわないか……そんな栓のないことを考えるのが面倒なので、最終的に「リュックは使わない」という結論に達するわけですね。
たまにデザインが可愛い鞄があっても、それがリュックだとわかると、後ろ髪を引かれながら背を向けることもあります。
『幽霊』に対して「いるかもしれないけれど、私の目には見えない」という考えなのも、死後の世界を『無』だと思っているのも、きっとその性格のせいでしょう。
私は普段よくゲームをしますが、敵からうまく隠れながら自分のミッションをこなすというタイプのゲームで、私は『自分のミッションを早くやりたい』が為に、敵から隠れること、逃げることを蔑ろにしがちです。見つかるかもなぁと思いながら、気が急いてしまう。仕事でもそうですが、なんとなく落ち着かない気分になるので、たとえ終わらせられなくても手をつけてしまいたいと感じる。
ある日、親しい友人に「話し方が国語辞典みたい」と言われたこともあります。
知っている言葉は使いたくなるし、「これ語呂がいいよね」「響きやリズムが面白いよね」という言い回しを見つけると、日常生活に相応しくなくても、いえ相応しくないからこそ言いたくなる。
「こういうの久方ぶりですね」なんて先輩に言ったら、どうやら「久方ぶり」がツボに入ったらしく、2人で大爆笑した記憶があります。
話は変わりますが、こういう他人に言葉で説明しても伝わりにくいことって、本人たちにとっては忘れられない楽しい思い出ということも往々にしてありますよね。
高校生の頃、友達といった他の学校の文化祭にて、ある男子生徒が独特のキャラで接客をしておりました。同じ学校の女子生徒たちは大笑いしていましたが、私と友達は「面白い人がいるなぁ」くらいの笑いに留まり、その場を後にしてから、「同じ学校で生活していないとわからないことなのかもね」なんて話をしました。
その人の日々過ごしている環境、友達同士でのルールや価値観、その場の雰囲気などなど、そういったものがたくさん集まって、ひとつの笑いが起きると思えば、たとえそれがほんの小さなことでも、ひとつひとつが奇跡のような出来事だと思いませんか?
誰かと楽しいこと、素敵なことを共有できるって素晴らしいことだと思います。それが一方的ではない、互いに同じくらいの熱を持って同じ時間を共にできる。きっと私たちは普段意識することなく、そういう人たちと一緒に過ごしているのでしょう。
それは家族であり、友人であり、恋人であり、時には名前も顔も知らない赤の他人でさえあるかもしれません。
他人には伝わりにくい。けれど、誰かに話したくなるほどいい思い出というのは、胸にしまっておくにはなんだかもったいない気がする。
だって、その時の楽しい記憶を、誰かと笑い合う経験を、きっと誰しもが必要としているからです。行きすぎれば独りよがりになってしまうけれど、そう願うのはやっぱり私たちが人間だからでしょう。
そろそろお別れの時間です。
そういえば、先日、私を「話し方が国語辞典みたい」と言った友人ととある商業施設に買い物に行ったんです。
お気に入りの洋服屋さんで可愛いワンピースに遭遇したのですが、サイズ的にちょっと心配な気もして迷っていたんですね。ぽっちゃり体型でも気にせず着られるところがその洋服屋さんの好きなところなのですが、胸と腰の間くらいの装飾品がぶちっといってしまわないかがネックで。とても気に入ったワンピースだからこそ踏ん切りがつかなくなってしまったんですね。
私、普段はあまり試着しないのですが、友人に促されたのもあって、その時は着てみようと思い、そこへちょうどよく店員さんが現れたんです。
新人さんなのか、話し方や接客に初々しさがあって、つい微笑ましくなったものです。
試着室は二つあって、私は周りに他のお客さんがいなかったのと、件のワンピースが試着室のすぐ脇にあったので、左側の試着室の鏡で合わせていたんですよね。
そうしたら、店員さんが「そちらはさっき人間が使ったので、こちらどうぞ」と右側の試着室を案内してくれたんです。
──聞き間違いかと思いました、ええ、最初は。
「あ、しまった!」みたいな感じもないし、相変わらずニコニコしていて、これはキャラなのか、それともただいっぱいいっぱいが故の失敗だったのか、今となってはわかりません。
でも、決して馬鹿にしているとか、人の失敗を嗤うとかそういうことではなく、日常の些細な出来事としてたくさん笑わせてもらいました。
その後、友達や知人に「こういうことがあってね」と話したら、私ほどではないけれど一緒に笑ってくれたりして、楽しいことからはやっぱり楽しいことが生まれるんだと幸せな気持ちになりましたね。
人間とは不思議なもので、ネガティブなことばかり考えているとネガティブな方向に引きずられるし、ポジティブなことを考えるとなんだかなんでもうまくいくような気さえしてきます。
楽しいことを考えていると、昔の楽しい思い出が蘇ってきたりして、笑いを堪えるのに必死になることもあります。
「どうしてこんなに面白いんだろう」なんて思うけれど、笑いが止まらない時もある。もはやどうして笑っているのかわからないなんてことは、学生時代に比べればうんと減ったように思いますが、それでもやっぱり『楽しいって素敵なこと』だと思います。
私とこの時間を共有してくれた皆さまと、いつかまたどこかで「こういうこと話したよね」なんて笑い合えたらいいですね。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
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