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嘘か誇張か、それとも虚偽か?
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
先日、会社員の友人がクレームもといご意見に辟易したという話を聞きました。でも、その子は話を聞いて、的確に説明するだけで、なんとなく相手の怒りを収めてしまう天才で。特に自分より年上の男性、所謂『おじさん』に効果を発揮するそうです。彼女曰く「私、幸薄そうだから怒ってると可哀想になるんじゃない?」などと自嘲気味に自己分析しておりました。
相手のご意見の矛先は総じて彼女自身ではなく、その会社の規則やルールに対して、あるいは会社という組織の在り方などを標的としているそうです。果ては世の中のシステムに至るまで、彼女にはどうしようもないことをつらつらと述べてくるのだとか。内容がそのような感じだから「お姉さんは悪くないけどね」と言いつつ、鬱憤や悩みを吐き出したいといったところでしょう。
まだしも内容があるだけマシで、中には全く無関係のことでただの憂さ晴らしや八つ当たりで文句を言われることだってありますよね。「この人も疲れてるんだな」と思えるのは自分に余裕がある時で、「何で私だけこんな目に!?」なんて思うことのほうがおそらく多いでしょう。この人だって、会社で「何で俺だけこんな目に!?」と感じた結果なのかもしれません。ということは、知らず知らず自分も負の連鎖に巻き込まれていることだってあるのかもしれませんよね。
ところで、クレームもといご意見って皆さんも受けたことがありますか? 至極当然な言い分もあれば、なんて理不尽な……と思うこともあります。
私の件の友人は会社の一業務の責任者なのですが、昔、面接で聞かれたと言います。「クレーム対応もあると思うけど、大丈夫ですか?」と。彼女は「大丈夫じゃないし嫌だけど、今までの仕事でも対応はしてきました」と答えたそうです。嘘を吐かず、誇張もせず、ありのままを伝えていて、私は「なるほどな」と思ったものです。
そりゃ好きな人はいないでしょうし、負の感情をぶつけられれば大丈夫なはずもない。でも、仕事をしていれば文句の一つや二つ、おそらく誰も悪くなくても受けることがあるでしょう。当然、誰かのミスであればお客様のご意見はごもっともになる。もちろん、お客様の言い分にも限度はあります。無理な要求はご意見や叱責ではなく、紛れもなくクレームです。
おじさんキラーの友人──彼女には語弊があるからその呼び方やめてと言われますが──曰く、お客様も人間ですから、ご意見には『誇張』があることがほとんどだと言います。半ば無意識的に一部分に『嘘』を混ぜ込んでいたりもするし、意図的に『虚偽』を加えることもある。
言ったもん勝ちになる風潮は無くなってほしいものですが、いかんせんこちらには証拠がない。『嘘』だろうが『誇張』だろうが『虚偽』だろうが、それを暴くことはできないのです。
私が「じゃあその人たちは本当のことは言ってないの?」と聞くと、彼女は「言ってるよ」と言う。「でも、嘘が混じったり、話を盛ったり、捻じ曲げたりしたら、それはもう『本当』のことではないよね。いっそ『本当のこと』からかけ離れてくれれば、どこをどう盛ったかとか、お客さんの先入観とか、具体的な数字や説明で論破できるんだけど。微妙に『本当のこと』が混じってるとそれは違う!って言えないじゃない? 全部嘘──言わば幻の魚の話をされるより、本当の魚に、あってもおかしくない尾鰭や背鰭をこれでもかとくっつけられたほうがよっぽど厄介だよ」なんて、ため息を吐くのです。
確かにまだ隠された本当のことが見抜ける段階なら良いのですが、お客さんの周囲の雰囲気や、自分の先入観、さらにソースの定かでない未確認情報に何度も何度も上書きされて、もはや原型を失ったものを、説得で取り戻させ、さらにその状態が常態化したお客さんに「ここがスタートですよ!」と認識を改めさせるのは、少々どころではなく、かなり骨が折れますよね。それならもういっそ、「それでいいや」と諦めたくさえなってしまう。
これは最近に限ったことでもありませんが、世の中にはこんなふうに『嘘』もしくは『誇張』や『虚偽』が溢れていますよね。
ネットの中だと余計に目立ちますが、人間が人間である以上、おそらく今までもこれからも、なくなりはしないでしょう。
かくいう私の小説もそりゃ『嘘』と『誇張』と『虚偽』だらけです。──だって『フィクション』ですから。
『フィクション』、『作り物』だと最初からわかっていれば、その中の全ては『嘘』だとわかります。だから楽しめる。
でも、よく考えてみると、嘘だらけでもないことは明白ですよね。『フィクション』の中にも登場するスマホやパソコンは、私たちの手元にもあります。
例えば、警察ドラマの捜査システム。ドラマでは「こんなことできちゃうんだ!」というすごいシステムも、「ドラマなんだからどうせ盛ってるんでしょ」と。多少はドラマ用に時間を短縮したり、手間を省いたり、ということはあるかもしれません。でも、そもそもシステム自体が存在しないのであれば、警察ドラマとして成り立たなくなると思いませんか? だって現実世界でできないことができる、それはもはやSFに近いのではないでしょうか。
フィクションの中でも特に映像作品は顕著ですが、求められるのは『リアル』ではなく、『リアリティ』です。
ちょうど現実世界と逆かもしれませんね。
『本当』のことが軸になり、そこに『嘘』や『誇張』などによる装飾が施され、大事なことを覆い隠してしまう現実世界。そして、『本当ではない』ことが軸になり、そこに『本当にありそうな』感情や『本当に存在する』仕組みが彩りを添え、『本当に伝えたいこと』を描くフィクション作品。
『リアル』が過ぎれば、人は現実世界を思い出し、純粋に物語を楽しめなくなる。かと言って、『リアリティ』がなさすぎれば、こんなのあり得ないと興が覚めてしまう。
その加減は難しいところですが、嘘も本当もあるから、数多くのエンターテイメントは成り立っているとも言えます。
でも、息苦しく面倒な世の中で、「『嘘』と『真』が瞬時に見破れたら楽なのに」「いっそ『嘘しか吐けない』か、『本当のことしか言えない』と見ただけでわかれば、苦労しないで済むのに」なんて考えることもあります。
たとえそういう世界であっても、『嘘』と『真』の概念がなくならない限り、きっと正真正銘の『嘘』も、清廉潔白な『真』も存在し得ないのでしょう。
『嘘』は言っていなくても『本当』のことも話していないなんてことはざらにあります。
『お花を摘みに行く』なんていい例かもしれません。これは一種の喩えであって、微妙に本筋から外れる気もしますが、『お花を摘みに行く』はイコール『トイレに行く』という意味ですよね。この喩えが浸透している以上、『お花を摘みに行く』という言葉だけを見れば、『嘘』で『誇張』で『虚偽』です。が、『トイレに行く』行為は『本当』なわけですよね。本当のことは言っていないけれど、真っ赤な嘘もついていません。
たとえ、本当のことしか言えなくても、あるいは嘘しか吐けなくても、こういう言い方ならどちらでも適用されると思いませんか? 結局は『嘘』も『本当』も個々人の認識の違いですから、自分が「こう思う」と考えれば、どんな言葉も発せてしまうのではないかと、私たちはいつどんな世の中であっても、コミニュケーションに言葉が介在する以上、『嘘』と『真』の混沌からは逃れられないのだと複雑な気持ちになります。
そろそろお別れの時間です。
面と向かって話していても嘘を見破ること、また物事の本質を捉えることは難しく、それが顔も見えない声も聞こえない、身振り手振りや間などの非言語コミュニケーションも全く行えないネット空間などでは、より不可能に近く思えます。
ネット世界は現実世界から程遠いように見えますが、フィクションの世界に比べれば、境目などほとんどなく、そして誰もがノンフィクションの、実在する人間たちであることに違いありません。
それを忘れがちになる世界で、私たちは『嘘』も『真』も自由に操れる存在として今を生きています。
『嘘』が必ずしも『悪』でないこと、そして『真』が必ずしも『正義』でないことを、私たちはすでに知っています。おそらく、この世界の誰もが。
でも、それを認めたくなかったり、あるいは無意識的に見て見ぬ振りしたり。そういうところにも私たちの『嘘』と『真』がひっそり隠れているのです。
奇しくもクレームもといご意見と同じく、発する側と受け取る側が同じ温度で一つの言葉に相対することは非常に稀です。だからこそ、リテラシーというものが求められる世の中でもあると思います。
願わくは『優しい嘘』と『濁りのない真』が、誰かの手で、いえ、私たち多くの人の『善意や悪意』によって捻じ曲げられない世界に──。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
先日、会社員の友人がクレームもといご意見に辟易したという話を聞きました。でも、その子は話を聞いて、的確に説明するだけで、なんとなく相手の怒りを収めてしまう天才で。特に自分より年上の男性、所謂『おじさん』に効果を発揮するそうです。彼女曰く「私、幸薄そうだから怒ってると可哀想になるんじゃない?」などと自嘲気味に自己分析しておりました。
相手のご意見の矛先は総じて彼女自身ではなく、その会社の規則やルールに対して、あるいは会社という組織の在り方などを標的としているそうです。果ては世の中のシステムに至るまで、彼女にはどうしようもないことをつらつらと述べてくるのだとか。内容がそのような感じだから「お姉さんは悪くないけどね」と言いつつ、鬱憤や悩みを吐き出したいといったところでしょう。
まだしも内容があるだけマシで、中には全く無関係のことでただの憂さ晴らしや八つ当たりで文句を言われることだってありますよね。「この人も疲れてるんだな」と思えるのは自分に余裕がある時で、「何で私だけこんな目に!?」なんて思うことのほうがおそらく多いでしょう。この人だって、会社で「何で俺だけこんな目に!?」と感じた結果なのかもしれません。ということは、知らず知らず自分も負の連鎖に巻き込まれていることだってあるのかもしれませんよね。
ところで、クレームもといご意見って皆さんも受けたことがありますか? 至極当然な言い分もあれば、なんて理不尽な……と思うこともあります。
私の件の友人は会社の一業務の責任者なのですが、昔、面接で聞かれたと言います。「クレーム対応もあると思うけど、大丈夫ですか?」と。彼女は「大丈夫じゃないし嫌だけど、今までの仕事でも対応はしてきました」と答えたそうです。嘘を吐かず、誇張もせず、ありのままを伝えていて、私は「なるほどな」と思ったものです。
そりゃ好きな人はいないでしょうし、負の感情をぶつけられれば大丈夫なはずもない。でも、仕事をしていれば文句の一つや二つ、おそらく誰も悪くなくても受けることがあるでしょう。当然、誰かのミスであればお客様のご意見はごもっともになる。もちろん、お客様の言い分にも限度はあります。無理な要求はご意見や叱責ではなく、紛れもなくクレームです。
おじさんキラーの友人──彼女には語弊があるからその呼び方やめてと言われますが──曰く、お客様も人間ですから、ご意見には『誇張』があることがほとんどだと言います。半ば無意識的に一部分に『嘘』を混ぜ込んでいたりもするし、意図的に『虚偽』を加えることもある。
言ったもん勝ちになる風潮は無くなってほしいものですが、いかんせんこちらには証拠がない。『嘘』だろうが『誇張』だろうが『虚偽』だろうが、それを暴くことはできないのです。
私が「じゃあその人たちは本当のことは言ってないの?」と聞くと、彼女は「言ってるよ」と言う。「でも、嘘が混じったり、話を盛ったり、捻じ曲げたりしたら、それはもう『本当』のことではないよね。いっそ『本当のこと』からかけ離れてくれれば、どこをどう盛ったかとか、お客さんの先入観とか、具体的な数字や説明で論破できるんだけど。微妙に『本当のこと』が混じってるとそれは違う!って言えないじゃない? 全部嘘──言わば幻の魚の話をされるより、本当の魚に、あってもおかしくない尾鰭や背鰭をこれでもかとくっつけられたほうがよっぽど厄介だよ」なんて、ため息を吐くのです。
確かにまだ隠された本当のことが見抜ける段階なら良いのですが、お客さんの周囲の雰囲気や、自分の先入観、さらにソースの定かでない未確認情報に何度も何度も上書きされて、もはや原型を失ったものを、説得で取り戻させ、さらにその状態が常態化したお客さんに「ここがスタートですよ!」と認識を改めさせるのは、少々どころではなく、かなり骨が折れますよね。それならもういっそ、「それでいいや」と諦めたくさえなってしまう。
これは最近に限ったことでもありませんが、世の中にはこんなふうに『嘘』もしくは『誇張』や『虚偽』が溢れていますよね。
ネットの中だと余計に目立ちますが、人間が人間である以上、おそらく今までもこれからも、なくなりはしないでしょう。
かくいう私の小説もそりゃ『嘘』と『誇張』と『虚偽』だらけです。──だって『フィクション』ですから。
『フィクション』、『作り物』だと最初からわかっていれば、その中の全ては『嘘』だとわかります。だから楽しめる。
でも、よく考えてみると、嘘だらけでもないことは明白ですよね。『フィクション』の中にも登場するスマホやパソコンは、私たちの手元にもあります。
例えば、警察ドラマの捜査システム。ドラマでは「こんなことできちゃうんだ!」というすごいシステムも、「ドラマなんだからどうせ盛ってるんでしょ」と。多少はドラマ用に時間を短縮したり、手間を省いたり、ということはあるかもしれません。でも、そもそもシステム自体が存在しないのであれば、警察ドラマとして成り立たなくなると思いませんか? だって現実世界でできないことができる、それはもはやSFに近いのではないでしょうか。
フィクションの中でも特に映像作品は顕著ですが、求められるのは『リアル』ではなく、『リアリティ』です。
ちょうど現実世界と逆かもしれませんね。
『本当』のことが軸になり、そこに『嘘』や『誇張』などによる装飾が施され、大事なことを覆い隠してしまう現実世界。そして、『本当ではない』ことが軸になり、そこに『本当にありそうな』感情や『本当に存在する』仕組みが彩りを添え、『本当に伝えたいこと』を描くフィクション作品。
『リアル』が過ぎれば、人は現実世界を思い出し、純粋に物語を楽しめなくなる。かと言って、『リアリティ』がなさすぎれば、こんなのあり得ないと興が覚めてしまう。
その加減は難しいところですが、嘘も本当もあるから、数多くのエンターテイメントは成り立っているとも言えます。
でも、息苦しく面倒な世の中で、「『嘘』と『真』が瞬時に見破れたら楽なのに」「いっそ『嘘しか吐けない』か、『本当のことしか言えない』と見ただけでわかれば、苦労しないで済むのに」なんて考えることもあります。
たとえそういう世界であっても、『嘘』と『真』の概念がなくならない限り、きっと正真正銘の『嘘』も、清廉潔白な『真』も存在し得ないのでしょう。
『嘘』は言っていなくても『本当』のことも話していないなんてことはざらにあります。
『お花を摘みに行く』なんていい例かもしれません。これは一種の喩えであって、微妙に本筋から外れる気もしますが、『お花を摘みに行く』はイコール『トイレに行く』という意味ですよね。この喩えが浸透している以上、『お花を摘みに行く』という言葉だけを見れば、『嘘』で『誇張』で『虚偽』です。が、『トイレに行く』行為は『本当』なわけですよね。本当のことは言っていないけれど、真っ赤な嘘もついていません。
たとえ、本当のことしか言えなくても、あるいは嘘しか吐けなくても、こういう言い方ならどちらでも適用されると思いませんか? 結局は『嘘』も『本当』も個々人の認識の違いですから、自分が「こう思う」と考えれば、どんな言葉も発せてしまうのではないかと、私たちはいつどんな世の中であっても、コミニュケーションに言葉が介在する以上、『嘘』と『真』の混沌からは逃れられないのだと複雑な気持ちになります。
そろそろお別れの時間です。
面と向かって話していても嘘を見破ること、また物事の本質を捉えることは難しく、それが顔も見えない声も聞こえない、身振り手振りや間などの非言語コミュニケーションも全く行えないネット空間などでは、より不可能に近く思えます。
ネット世界は現実世界から程遠いように見えますが、フィクションの世界に比べれば、境目などほとんどなく、そして誰もがノンフィクションの、実在する人間たちであることに違いありません。
それを忘れがちになる世界で、私たちは『嘘』も『真』も自由に操れる存在として今を生きています。
『嘘』が必ずしも『悪』でないこと、そして『真』が必ずしも『正義』でないことを、私たちはすでに知っています。おそらく、この世界の誰もが。
でも、それを認めたくなかったり、あるいは無意識的に見て見ぬ振りしたり。そういうところにも私たちの『嘘』と『真』がひっそり隠れているのです。
奇しくもクレームもといご意見と同じく、発する側と受け取る側が同じ温度で一つの言葉に相対することは非常に稀です。だからこそ、リテラシーというものが求められる世の中でもあると思います。
願わくは『優しい嘘』と『濁りのない真』が、誰かの手で、いえ、私たち多くの人の『善意や悪意』によって捻じ曲げられない世界に──。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
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