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平行線の未来
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さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
最近はだいぶ少なくなって来たのですが、人混みを歩いていて、前から向かって来た人とお見合いになり、あっちに避け、こっちに避け、あぁもう!となることが今でもたまにあります。
私の根が田舎者だからなのか、単純に先が見通せていないだけなのかわかりませんが、お見合いになった相手に笑われたことも、「何だよ!」と文句を言われたこともあります。
お互いに避けようとした結果そうなっているだけなのに、「私だけを悪者にするの?」と若かりし頃の私は泣きそうになりました。
ぶつからないようにしようという相手と私の優しさの表れであり、ある意味気が合う仲間であり、そして恥ずかしさを共有するほんの一瞬の同士──志すほうの同志ではなく、◯◯同士のほうの同士──であれ。と、大人になった今の私はそう感じているのですが、それではいけないのでしょうかね。
急いでいる時に障害物のように邪魔しやがって!という気持ちはわかります。でも、身長の低い私が避けることなく真正面からぶつかったら、大体ほとんどの方の鳩尾または顎のあたりに頭突きすることになりますが良いのでしょうか。あ。そういえば不思議と、女性とお見合いしたことは記憶にありませんね。どうしてでしょうね。私が歩く道筋が悪いのでしょうか。それとも、避けようとするタイミングの問題でしょうか。
自分が立ち止まれば相手が避けてくれるとか、そもそも人のいない道を歩くとか、サッカーやバスケのドリブルのように、あるいは漫画などでよく見る敵や攻撃を避ける軌道のように、人混みの抜け方自体を見直したほうがいいのかもしれません。
いっそ、あっちにふらふら、こっちにふらふら、不規則な動きをしたほうがもしかしたら、特定の誰かとぶつかりそうになることはないのかもしれませんね。
でも、不規則な動きをしたらしたで、自分にとっては『不規則な動き』という、ある意味では『決まった動き』を、人混みの中の人々が予測できるとは思えません。普通真っ直ぐ行くよね?というところで不意に右や左に曲がられたら、逆にぶつかる人も増えることでしょう。
このように、私は人混み自体が苦手で、人が多いところは大体いつでも緊張します。おそらく無意識的に。人は──なんて全般的に捉えて良いかわかりませんが──緊張すると本来の実力を発揮できなくなりますよね。ですから、本当ならできることもできなくなってしまっているのかもしれません。
例えば、人混みの発生する場所を、ゲームの盤面に置き換えたら、少しは楽しくなるでしょうか。
私たちが駒だとして、神の手よろしく、何かの力で流れが滞っているお見合い現場を正してくれるようなアプリゲームであったり、もしくは流れが滞ったところはその周囲の駒をゲットできるみたいなオセロ感覚のテーブルゲームであったり。そう考えると、確かに笑ってしまいたくなるかもしれません。
それこそ相手に「何笑ってんだ!?」と言われかねないので、妄想もほどほどにしましょうか。
さて、人混みの話ではないですが、例えばスーパーなんかでお惣菜コーナー前で立ち止まって悩む人の後ろを通ったら、その人が私が通り過ぎるタイミングで同じように動き出し、同じ方向に向かうように、平行に歩いてしまうことがあります。
私はこの『平行に歩く』というのがあまり好きではなく、あえて歩調を緩めたりして、なんとか回避しようとしています。友達でもない人と隣同士で歩くという感覚が何とも言えない気まずさを生むんですよね。それを感じているのは私だけなのかもしれませんが、ともあれ私のパーソナルスペースが侵されそうになるから嫌なのか、それとも平行に歩いたら道を塞ぐ形になり邪魔者扱いされるのが嫌なのか、はたまた同じタイミングで同じ方向に歩く人がいて欲しくない負けず嫌いな性格のせいなのか──。
まぁ最後のは冗談としても、平行に歩く人が現れると「なんで?今?このタイミング?」みたいな気持ちになるのは私だけでしょうか。
『平行線』という言葉はよくらちの開かない話し合いなどで使われますが、漫画やゲームで例えると、「このキャラクターとこのキャラクターは考え方が『平行線』だよね」「でも、実は同じ方向を向いていて、同じ結末に向かって歩いているんだよね」なんて、今で言うエモい解釈の核とも言える言葉にもなります。
『平行線』というのは、良くも悪くも『交わらない』ということ。でも不思議と、向かう方向も向かう速度もなんとなく同じに感じる、そんな響きを持っています。
想いや考え方、その方法に進む道筋は全て違う。けれど目指す方向は同じで、ゴールも同じ。
あまりいい意味で使われない言葉のような気もしますが、何事もそうで、私はネガティブな意味ばかりで捉えないようにしています。
『平行に歩く』ことが嫌なのに?と思いますよね。
その本質は私自身よくわかりませんが、良くも悪くも自分のペースを乱されるから嫌なのかもしれません。私は周りの目が気になるたちなので、『平行に歩く人がいる』というだけで心を乱されます。
このまま私が足を早めて先に行くのがいいのか、それとも立ち止まって相手に先に行ってもらったほうがいいのか、このまま平行に歩いても相手がどこで立ち止まってくれるかわかりません。
都会のエスカレーターを思い浮かべてもらうと、多少は伝わりやすいでしょうか。本当は右側や左側だけに偏らず、エスカレーター上を歩くことなく、一人でも多くの人が乗れるようにするのが理想と言われています。でも、やっぱり人目を気にして、どちらかに偏ってしまう。そして急いでいる人に道を譲ってしまう。根が田舎者の私は知らずに、道を塞いでしまって気まずい思いをしたこともあります。寄れるスペースはなく、このまま気まずい思いを続けるより、歩いて上りきってしまったほうがいいのでは、なんて悩むより先に行動に移してしまうほど、なぜかプレッシャーを感じる瞬間です。
車でもそうで、二車線を平行に、しかも同じ速度で走ると、流れが悪くなるんですよね。いえね、もちろん安全運転第一ですよ。スピード違反もいけない。でも、後続の車からなぜか圧を感じる。平行に歩く、平行に走る云々より、あの緊張感がたぶん私は苦しくなるから嫌なのでしょうね。
そろそろお別れの時間です。
現実世界は漫画やゲームのように、エモい世界とはなかなかいきませんよね。同じ方向に同じ速度で歩んでいる──だから何だと。特に駅構内なんかは改札口が限られている上、人混みなのですから、自ずと同じ方向に同じ速度で向かうことになる。別にどうということもない日常の風景です。
でも、そうですね……より良い世界へ、という意味であれば、これほど嬉しく、これほど未来が明るいことはありませんね。
その『より良い世界』は、おそらくみんな考え方が違って、思う『より良い』が違って、そして目指す為の道筋もみんな違うでしょう。
『誰にとってもより良い世界』というのは殊更難しく、あるいは向かうべきゴールでさえ、それぞれ違うのかもしれません。
けれど、そのみんなが思う『より良い世界』が集まれば、今よりほんの少しずつでも『より良い世界』に近づける。そしていつか、そのゴールは収束して、すべての人が幸せな世界が築き上げられたら素敵ですよね。
長い長い道のりで、そんな日が来ることはもしかしたらこの先ずっとないのかもしれません。それでも、願うことは自由です。その願いが集まれば、オセロのように黒を白にひっくり返すことも、アプリゲームのように塊をゲットして『より良い世界』ポイントへと加算することも不可能ではありません。私たちは一歩ずつ、『未来』という広義的に言えば『同じ道』を辿っています。人それぞれ違っても、その『未来』が、できることなら誰にとっても明るいものでありますように──。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
最近はだいぶ少なくなって来たのですが、人混みを歩いていて、前から向かって来た人とお見合いになり、あっちに避け、こっちに避け、あぁもう!となることが今でもたまにあります。
私の根が田舎者だからなのか、単純に先が見通せていないだけなのかわかりませんが、お見合いになった相手に笑われたことも、「何だよ!」と文句を言われたこともあります。
お互いに避けようとした結果そうなっているだけなのに、「私だけを悪者にするの?」と若かりし頃の私は泣きそうになりました。
ぶつからないようにしようという相手と私の優しさの表れであり、ある意味気が合う仲間であり、そして恥ずかしさを共有するほんの一瞬の同士──志すほうの同志ではなく、◯◯同士のほうの同士──であれ。と、大人になった今の私はそう感じているのですが、それではいけないのでしょうかね。
急いでいる時に障害物のように邪魔しやがって!という気持ちはわかります。でも、身長の低い私が避けることなく真正面からぶつかったら、大体ほとんどの方の鳩尾または顎のあたりに頭突きすることになりますが良いのでしょうか。あ。そういえば不思議と、女性とお見合いしたことは記憶にありませんね。どうしてでしょうね。私が歩く道筋が悪いのでしょうか。それとも、避けようとするタイミングの問題でしょうか。
自分が立ち止まれば相手が避けてくれるとか、そもそも人のいない道を歩くとか、サッカーやバスケのドリブルのように、あるいは漫画などでよく見る敵や攻撃を避ける軌道のように、人混みの抜け方自体を見直したほうがいいのかもしれません。
いっそ、あっちにふらふら、こっちにふらふら、不規則な動きをしたほうがもしかしたら、特定の誰かとぶつかりそうになることはないのかもしれませんね。
でも、不規則な動きをしたらしたで、自分にとっては『不規則な動き』という、ある意味では『決まった動き』を、人混みの中の人々が予測できるとは思えません。普通真っ直ぐ行くよね?というところで不意に右や左に曲がられたら、逆にぶつかる人も増えることでしょう。
このように、私は人混み自体が苦手で、人が多いところは大体いつでも緊張します。おそらく無意識的に。人は──なんて全般的に捉えて良いかわかりませんが──緊張すると本来の実力を発揮できなくなりますよね。ですから、本当ならできることもできなくなってしまっているのかもしれません。
例えば、人混みの発生する場所を、ゲームの盤面に置き換えたら、少しは楽しくなるでしょうか。
私たちが駒だとして、神の手よろしく、何かの力で流れが滞っているお見合い現場を正してくれるようなアプリゲームであったり、もしくは流れが滞ったところはその周囲の駒をゲットできるみたいなオセロ感覚のテーブルゲームであったり。そう考えると、確かに笑ってしまいたくなるかもしれません。
それこそ相手に「何笑ってんだ!?」と言われかねないので、妄想もほどほどにしましょうか。
さて、人混みの話ではないですが、例えばスーパーなんかでお惣菜コーナー前で立ち止まって悩む人の後ろを通ったら、その人が私が通り過ぎるタイミングで同じように動き出し、同じ方向に向かうように、平行に歩いてしまうことがあります。
私はこの『平行に歩く』というのがあまり好きではなく、あえて歩調を緩めたりして、なんとか回避しようとしています。友達でもない人と隣同士で歩くという感覚が何とも言えない気まずさを生むんですよね。それを感じているのは私だけなのかもしれませんが、ともあれ私のパーソナルスペースが侵されそうになるから嫌なのか、それとも平行に歩いたら道を塞ぐ形になり邪魔者扱いされるのが嫌なのか、はたまた同じタイミングで同じ方向に歩く人がいて欲しくない負けず嫌いな性格のせいなのか──。
まぁ最後のは冗談としても、平行に歩く人が現れると「なんで?今?このタイミング?」みたいな気持ちになるのは私だけでしょうか。
『平行線』という言葉はよくらちの開かない話し合いなどで使われますが、漫画やゲームで例えると、「このキャラクターとこのキャラクターは考え方が『平行線』だよね」「でも、実は同じ方向を向いていて、同じ結末に向かって歩いているんだよね」なんて、今で言うエモい解釈の核とも言える言葉にもなります。
『平行線』というのは、良くも悪くも『交わらない』ということ。でも不思議と、向かう方向も向かう速度もなんとなく同じに感じる、そんな響きを持っています。
想いや考え方、その方法に進む道筋は全て違う。けれど目指す方向は同じで、ゴールも同じ。
あまりいい意味で使われない言葉のような気もしますが、何事もそうで、私はネガティブな意味ばかりで捉えないようにしています。
『平行に歩く』ことが嫌なのに?と思いますよね。
その本質は私自身よくわかりませんが、良くも悪くも自分のペースを乱されるから嫌なのかもしれません。私は周りの目が気になるたちなので、『平行に歩く人がいる』というだけで心を乱されます。
このまま私が足を早めて先に行くのがいいのか、それとも立ち止まって相手に先に行ってもらったほうがいいのか、このまま平行に歩いても相手がどこで立ち止まってくれるかわかりません。
都会のエスカレーターを思い浮かべてもらうと、多少は伝わりやすいでしょうか。本当は右側や左側だけに偏らず、エスカレーター上を歩くことなく、一人でも多くの人が乗れるようにするのが理想と言われています。でも、やっぱり人目を気にして、どちらかに偏ってしまう。そして急いでいる人に道を譲ってしまう。根が田舎者の私は知らずに、道を塞いでしまって気まずい思いをしたこともあります。寄れるスペースはなく、このまま気まずい思いを続けるより、歩いて上りきってしまったほうがいいのでは、なんて悩むより先に行動に移してしまうほど、なぜかプレッシャーを感じる瞬間です。
車でもそうで、二車線を平行に、しかも同じ速度で走ると、流れが悪くなるんですよね。いえね、もちろん安全運転第一ですよ。スピード違反もいけない。でも、後続の車からなぜか圧を感じる。平行に歩く、平行に走る云々より、あの緊張感がたぶん私は苦しくなるから嫌なのでしょうね。
そろそろお別れの時間です。
現実世界は漫画やゲームのように、エモい世界とはなかなかいきませんよね。同じ方向に同じ速度で歩んでいる──だから何だと。特に駅構内なんかは改札口が限られている上、人混みなのですから、自ずと同じ方向に同じ速度で向かうことになる。別にどうということもない日常の風景です。
でも、そうですね……より良い世界へ、という意味であれば、これほど嬉しく、これほど未来が明るいことはありませんね。
その『より良い世界』は、おそらくみんな考え方が違って、思う『より良い』が違って、そして目指す為の道筋もみんな違うでしょう。
『誰にとってもより良い世界』というのは殊更難しく、あるいは向かうべきゴールでさえ、それぞれ違うのかもしれません。
けれど、そのみんなが思う『より良い世界』が集まれば、今よりほんの少しずつでも『より良い世界』に近づける。そしていつか、そのゴールは収束して、すべての人が幸せな世界が築き上げられたら素敵ですよね。
長い長い道のりで、そんな日が来ることはもしかしたらこの先ずっとないのかもしれません。それでも、願うことは自由です。その願いが集まれば、オセロのように黒を白にひっくり返すことも、アプリゲームのように塊をゲットして『より良い世界』ポイントへと加算することも不可能ではありません。私たちは一歩ずつ、『未来』という広義的に言えば『同じ道』を辿っています。人それぞれ違っても、その『未来』が、できることなら誰にとっても明るいものでありますように──。
また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。
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