深見小夜子のいかがお過ごしですか?2

花柳 都子

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《SNS》の使い方

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 さて、今日は〇月〇日。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
 先日、家を出て電車に乗って、さあ目的地へという時、なんとスマートフォンを自宅に忘れたことに気がつきました。
 皆さんも経験があるでしょう。電車で電子書籍を読もう、隙間時間にアプリゲームをしよう、大事なことだからメモしておかなきゃ!とスマホを取り出そうとして、「あ。」となったことが。
 今、SNSを見たいのに!SNSで連絡を取りたい、話題に乗り遅れたくない、早く、今すぐ、こう言いたい!!なんて思う方も少なくないはず。
 ある日、友人が暗い顔で言っていました。一人で行ったライブで、たまたま出会った女の子とSNSでも話すようになった。けれど、思いの外、攻撃的な投稿をする人だった。そんな時、好きなアーティストがやむを得ない事情で音楽番組に出演できなくなったと発表され、それに対して2人でSNSを通して会話をしていたんだそうです。
 友人が『寂しい、見たかった』という思いで紡いだ言葉たちは、相手の女の子によるアーティストへの攻撃的な態度で、自分も乗っかって批判している。結果的に、他人にはそう見えてしまうログになったそうです。
 その一連の騒動はアーティスト本人の目にも届き、彼に謝罪をさせる事態になってしまったと。
 友人は後悔していました。「こんなことになるなんて思わなかった」。悪気もないし、相手の言葉がなければ、彼女の投稿は何気ない日常の残念な気持ちを表現しただけのものだったはずです。
 また、別の友人も言っていました。好きなものを通して繋がるSNSは楽しい。でも、たまに苦しくなるんだそうです。『地雷を踏む』とはよく言ったもので、自分の価値観に合わないことを目にすれば拒否反応が出るのも当然。それは他人にとっては大したことがなくても、自分にとっては好きなものから離れるきっかけにさえなってしまうこと。いつかそれが来る時が怖い。今が楽しければ楽しいほど、その反動もきっと大きい。そう呟いて、哀しそうに笑っていました。
 さて、SNSとは皆さんの一番身近なツールといっても過言ではないでしょう。私も以前はSNSを利用していました。私が始めた頃はと思っていました。でも、気軽に発信できる場があって、日々自分の友人たちの日常は更新されていって、私の性格上、どれも見逃したくないという思いが強くて、それは徐々にに変わっていきました。『楽しい』が『義務』になった途端、仕事のタスクと同じように、『こなさなければならないデイリーミッション』のように重くのしかかって来ました。
 SNSは確かに楽しいです。仲間もいる。返事がある。一人だけど孤独じゃない。そんな思いより、私のように疲れる、面倒、怖い、そういう感情が強くなっていくと、もうそれは明らかにキャパシティオーバーです。それが辛くて、そんな自分が嫌で、精神状態にも支障をきたし始めて、もうSNSから遠ざかり何年も経ちます。
 私の場合、元から向いていなかったのでしょう。
 冒頭にもお話ししたように、どれだけ自分が気をつけていても、悪意や無意識の批判に巻き込まれるリスクは常にあります。好きで好きでたまらなかったものが、たった一瞬でも見るだけで辛くなる。そんなことだって、今はなくてもこれからあるかもしれない。きっと大事なのは『付き合い方』と『向き合い方』です。
 けれど、当たり前にある日常の一コマすぎて、たくさんの言葉が溢れすぎて、そんな大事なことでさえもどこかに埋もれてしまう。流されていってしまう。今が楽しければいいや、とついつい何も考えないでしまう。
 私はSNSを通して何かトラブルが表面化するたび、苦しい気持ちになります。こんなにあるなら、きっと知られていない、誰も気づいてすらいないトラブルだってたくさんあるでしょう。
 普段の生活で面と向かって話すとそうでもないけど、SNSでは驚くほど攻撃的な発言をする人だっています。そういう人は自分が『攻撃的だ』という意識もないでしょう。その『攻撃』が相手に届いたとわかっても『届くと思わなかった』と嘘か真か平然と言い放つのです。どれだけ小さな言葉でも、相手に届いてしまうことがあるというのは、最初にもお話しましたが、良くも悪くも本人に届いてしまう世界だと私たちは認識しなければなりません。認識していてあえてやっているのだとしたら、それはSNSの使い方そして言葉の使い方を間違っている。
 嘘か真かなんてさっき言いましたが、SNSでは誰が本当のことを言って、誰が嘘を言っているのか、いえ、どちらも嘘はついていないのかもしれません。でも、どちらかが本当のことを言っていて、どちらかが嘘でも本当でもないことを言っていたとして、私たちに見分けがつくでしょうか。
 見分けがついて後者を糾弾したとして、その人に正しく言葉が伝わるでしょうか。攻撃的な人には、跳ね返ってくる言葉は全て攻撃的に映るでしょう。自分に都合のいいことだけを見ているのかもしれません。それは『地雷』を踏まない為の自衛措置とも似ていますが、『自分に都合の悪いことが存在している』それ自体を見て見ぬふりしようとするところが決定的に違います。
 もちろん攻撃的な人もそういう人ばかりではないでしょう。現実の対面のコミュニケーションでもままありますが、直接的な表現を使わなくても、悪意を含ませたり、不快感を滲ませたりすることは言葉を選びさえすればどうとでもできます。
 だから『嫌味』という表現があるのでしょう。
 会社でもありがちな、誰かを持ち上げることで誰かを貶めるなんて、極めて間接的で、おそろしく迂遠な先入観を与えることも人間にはできるのです。
 SNSに限らずですが、本人にそういう意図──他人にそう思わせたいという意図があってもなくても、厄介なことに違いありません。そして、そういうのは言わば習性、癖、いえ、もっと言えば生き甲斐のようなものかもしれません。だから、それを否定されると烈火の如く怒り出すのです。
 でも、人間一人で抱え込んでいてはパンクしてしまうこともあるのは事実です。そんな時、書き込める場所、言える場所があったら何もかもぶちまけてしまいたくなる瞬間があると思うのです。
 そんな時は当然、見る人にどう思われるかなんて考えていない。ありのまま書けばどうしても乱暴な口調になる。意図的であってもなくても、見る側に不快感を与えることは確実です。心配して欲しい、共感して欲しい──。そういう気持ちは人間ですから誰にだってある。SNSは特に、みんなが気のおけない友人のような錯覚もあると思います。でも、心配も共感もしてもらえなかったら、悲しくなったり悔しくなったり、時には怒りに身を任せてしまったりすることもあるのではないでしょうか。
 元々攻撃的な人とはまた違いますが、自分本意であればあるほど、そういう人たちには居場所がなくなっていく気がするのです。居場所がなくなっていくと、もうどんなことでもいいから注目を集めたくなっていく。それが悪いことだと奥底でわかっていても止められない。確かに共感を得やすく、同情を誘いやすいツールです。でも同時に、反感や不快感を植え付けやすいツールでもあります。
 そして、使い方によってはどんなも、たった一人の偏見あるいは複数の悪意によって簡単に、全体を誘導してしまうこともある。
 の人もいるし、もできる。──もちろん本来の意味ではなく、悪い意味で──や自分あるいは他者のを招くことも容易です。
 SNSはではありません。自分の意見を主張したい気持ちはよくわかります。でも、それに固執できてしまうのもSNSの特徴かもしれません。それはおそらく、孤独でないのに、一人だからです。自分のアカウントは自分しか操作できない。『自分を守る』ことが180度違う意味を持って、できてしまうのです。
 の中にあっても自分という存在を失いたくない人もいれば、自分の意見だけが正しいと頑張ることもできる。それもSNSとの付き合い方の一つだと言われればそうかもしれませんが、それは本当に楽しいですか? いつの間にか義務になっていませんか? と問いかけたくなりますね。
 これもSNSに限らずですが、今私たちが生きるこの世界は、真面目な人や優しい人が損をするような世の中です。でも、私たちにはSNSだけでその人がどんな人か見極めることは難しい。心を痛め、苦しい思いをして、その人が命がけで刻んだ言葉も、たとえそれがSOSだったとしても、私たちがリアルタイムで気がつくことはおそらくないでしょう。
 助けて、と書けたらどんなにいいでしょう。
 でも、返ってくる言葉を気にし始めたら、その瞬間から周りがみんな敵に見える。怖くて怖くてたまらなくなる。スマホを投げ出したい衝動にすら駆られるかもしれない。
 それはたぶん幻覚と同じようなものです。
 本当に見えているものすら、見えなくなってしまう。
 SNSに溢れるはやがてになって、どれもこれも真っ当に見えて、間違いに見えてきます。
 SNSには、こんなにもだってたくさんあるのに、心の底から言葉を発する人だって大勢いるはずなのに。
 きっとそれらとまともに向き合えなくなった時が、SNSとの向き合い方を今一度振り返るべき時なのだと思います。
 SNSがだと楽しむ人は極めて稀でしょう。なぜなら、スリルというのは危険を楽しむということですが、SNSをあらゆる意味で『危険』だと認識する人はほとんどいないからです。それだけ私たちは、日常的に、何気なく付き合っているのでしょう。
 私はSNSがなくなればいいとは思いません。本来はコミュニケーションを楽しむツールであって、難しく考える必要のない『会話』のようなものだと思うからです。そうあって欲しいだけ、とも言いますが。
 でも、その『会話』にはいつでも危険が潜んでいて、いつ自分が当事者になるか、肝に銘じておかなければならないのです。私には関係のない出来事と言えないのは、最初にお話したエピソードで明白かと思います。本人に届くなら願ったり叶ったりなんて思ったあなたは、一度立ち止まってSNSとの向き合い方を考えましょう。
 さて、そろそろお別れの時間です。
 長くなりましたが、最後に。
 いつかSNSがSNSになることを夢見て。
 また来週お会いしましょう。眠れない夜のお供に、深見小夜子でした。










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