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20歳・冬/“僕の不在証明“
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“僕“は『選択』を迫られた。
命を落とした直後、真っ白な世界に送られて、2つの大きな扉の前で、問われたのだ。
『もしも生まれ変われるとしたら、もう一度自分がいいですか。それとも別人がいいですか』
質問の意味がわからなかった。それに目の前のこの人は、一体何者なのか。どうしてそんなことを聞かれなきゃならないのか。“僕“の答えは決まっている。だから、そんなどうでもいいことのほうが気になってしまった。
『“僕“は、生まれ変わりたくない』
『・・・・・・』
『自分でも別人でも関係ない。僕はもう、命なんていらない』
『──承知しました』
あれからどのくらいの時間が経っただろう。あの時そんなふうに答えた“僕“は、御霊司として目の前のあの人と同じ質問を繰り返している。
他人の人生を羨ましいとか、やっぱりもう一度生きてみたいとか、そんなことは一切思わない。
御霊司になると、人間の生を根本から失うと同時に、あれほど煩わしかった感情さえも、失ってしまうのかもしれなかった。
“僕“がここに来てずいぶん経過したある日、僕がやって来た。
御霊司に名前がないのは、人間界に既に存在しないからだが、死んだ人間も同じくこの世界では名前という概念を失う。しかし、個人を識別できないと不便なことも多く、それはこの世もあの世も変わりがない。
死んだ人間には識別番号が与えられ、僕はNO.809だった。“僕“が御霊司になってから今まで、808人の認定試験を実施したことになる。809の元人間は「僕は」「僕が」などと自己主張が激しく、死んだ後も『僕が僕であること』しか考えていなかった。そんな“僕“とは正反対の人間へのある種尊敬の念として、809の語呂合わせで『BO9=僕』と“僕“は命名した。
案の定、僕は“走馬灯“の中でも『僕が僕であること』の証明に躍起だった。“僕“はそんな僕の人生をなぞりながら、ぼんやりと思うのだった。
「“僕“もこんなふうに生きられたら、少しは幸せだったんだろうか──」
僕が5歳を迎える前、“走馬灯“の中では再生されなかった場面だが、母親と僕の育ての親である妹とのふたり暮らしが始まったのはこの頃で、この時既に父親はいなかった。それもそのはず、僕の“走馬灯“の中に父親は存在しないからだ。人生で一度も、父親としての面識はない。僕が人生の中で一度も父親に言及しないのは、いなくて当たり前だったからである。
さて、いよいよ最初の試験──5歳の春である。
僕はここでひとりの女の子の人生を変えてしまう。僕の行為は興味本位の悪戯だったかもしれない。けれど、結果的に僕が存在していたことで女児が命を落とした、ということが選択肢を変えた後の不在証明で明らかになった。
それだけではない、実はこの時、僕はもうひとりの人生をも大きく変えていたのだ。
当時、中学生だった“僕“はバスケットボール部に所属していた。部員は学校全体の中でも多いほうだったけれど、それゆえ確執も大きかったと思う。
“僕“は身長もそこそこ、特に秀でた技があるわけでもなく、当然の如く数多いる補欠のそのまた補欠スタートだった。さらに、気弱で消極的な性格も災いしてか、入部から時を待たずしていじめの標的になった。
その時に2年生で次期キャプテン候補だった男子生徒は、横暴で傲慢で不人気だったけれど、だからこそ奴に逆らえる者は誰ひとりいなかった。きっと一緒になって“僕“をいじめなければ、その後の火の粉は自分に飛んでくる。そんな思いで部活そっちのけで、ご機嫌取りのために“僕“を甚振っていたのだ。恨んでいないと言えば嘘になるけれど、そうまでしても報われなかった彼らが部を辞めていく様には、さすがに同情を禁じ得なかった。
いっそ“僕“なんていないほうがよかったんだろうか、そんなふうにさえ思えて、けれど肝心の“僕“は部を辞めることも許されなくて。この世にあってないような“僕“の存在に、自分自身が押し潰されそうになっていた。
いつだったか、確か小学生の頃だった。奴とは学区が被っていたから、同じ小学校に通っていた。学年が違っていても、奴の悪事は毎日のように耳にした。当時の“僕“は背も低く、授業以外で一日誰とも話さないことも珍しくなかった。そんな中で唯一、体育の時間にバスケを褒めてくれた先生がいて、その人は奴の担任で新任の先生だったと記憶している。
違う学年の先生だったけれど、体育の授業が苦手な“僕“の先生と、音楽の授業が苦手なその男の先生が時間割をチェンジして担当してくれていたのだ。
ある日の体育の授業中。その日のカリキュラムもバスケだった。“僕“はこの学校でただひとり“僕“という存在を認めてくれる先生に、“僕“の勇姿を見せたくて頑張って授業に励んだ。
それなのに──。
“僕“がシュートを決めて、先生のほうを振り返った瞬間。絶望が“僕“を襲った。
先生は見ていなかったのだ。こっちに背を向けて、「すごいね」と言ってくれるどころか、拍手をくれるどころか、“僕“のことを無視したのだ。背後でゴールをくぐったボールが虚しく床に落ちる音がした。先生のホイッスルがなくて、しんと静まり返った体育館に、その音はやけに大きく響いた。
“僕“は呆然と突っ立っていたと思う。滅多にしない笑顔は強張ったままどうしていいかわからなくて、他の子に見られていたら恥ずかしいと慌てて俯いた。床に反射する蛍光灯の光を見つめながら、体操服の裾をぎゅっと握った。悔しいとか哀しいとか、そんな単純な感情ではなかった。他の子たちには平等にしていたことが、どうして“僕“だけはしてもらえないのか。
理由はわかっている。ただ単にタイミングが悪かっただけなのだ。先生の担任するクラスのあいつが、音楽の授業中に暴れ出し、女の先生だけでは止められないから動員された。担任の先生がいかないわけにはいかないからだ。そう、ただ、それだけ。
でも、そのタイミングの悪ささえも“僕“にしか与えられないわけだから、結局、“僕“は神様に見放されてしまっているんだと悲観するしかないわけで。
先生はみんなに向かって、体育の授業は自習にすること、見守る先生がいないのでボールや道具は使わないことを口早に説明した。
「ええっと、ボールを最後に触ったのは・・・」
“僕“です、と名乗り出る前に、先生は女の子の名前を呼んだ。
──違うよ、それは“僕“の前にボールを持っていた子だよ。
先生は“僕“にパスが渡る瞬間すら見ていなかったのだ。
「ボールの片付け、お願いできるかな?」
若くてイケメンだった先生のお願いとあっては、女の子が断るはずもなく。嬉々として返事をする女の子にお礼を言って、先生は音楽室へと駆けていった。そしてまた“僕“の存在は、見て見ぬふりをされてしまった。
その日の午後。“僕“は職員室前の花瓶を窓に投げつけた。その時の心情は未だに“僕“自身、正確には覚えていない。問題を起こせば注目してもらえると思ったのかもしれないし、先生が“僕“のシュートを見ていなかったことに対する当てつけだったのかもしれない。それとも、その時にはもう“僕“の中に感情は残っていなくて、ただやってみたかっただけなのかもしれない。
“僕“は怒られはしなかったけれど、母親が学校に呼び出されたことは知っている。教室でふたり並んで担任の先生の話を聞く。母親は一生懸命謝っていて、“僕“は我に返って余計に惨めになった。“僕“なんていなければ、この人ももう少しだけ幸せだったのかもしれない──。
閉校時間の午後5時ぎりぎり、“僕“たちは学校を出た。家に近づくにつれて歩みが遅くなり、ずっと黙っていた母親が徐に“僕“の手を握ってきた。立ち止まった母親は、ごめんねごめんね、そう呟きながら泣いていた。“僕“の手は花瓶の破片で傷ついて、包帯を巻いていた。だから、母親が涙するたび包帯が濡れたし、母親が“僕“の手を撫でるたび包帯の隙間から痛々しい傷が見え隠れした。
「お母さんごめんね」──。そろそろ泣き止んで欲しいと思って“僕“がそう言うと、母親はふるふると首を横に振った。困ったような笑顔を見せて「帰ろうか」、そう一言。“僕“はあの時の、包帯越しの母親の手の温もりを、忘れたことは一度もない。
話を戻して、僕が5歳の春。“僕“は中学2年生、14歳の春だった。
部活動が終わると、“僕“は片付けをひとりでやらされた。他の部員たちは顧問の先生の手前、あからさまに押し付けたりはしなかったけれど、指導などと言って自分たちも道具を持ちつつ、実際の労働は“僕“ひとりで最初から最後まで完了させられた。
放課後の試練はまだ終わらない。閉校時間の学校にいると先生か用務員さんに咎められるので、現場は大抵あの森のある大きな公園だった。
自主性のないところを揶揄された“僕“は、彼らのストレス発散のボールとなって、殴る蹴るなどの暴力を一身に受けた。ある時などはそのまま落とし穴に落とされ、気の済むまで馬鹿にした後、“僕“が這い出るのを待たずに立ち去って行った。
悔しいとか哀しいとか、そんな感情は一切ない。強いて言うなら「苦しい」だろうか。彼らの暴力行為が、ではない。お風呂に痣や傷だらけの体で入る瞬間であったり、母親に「今日はどうだった?」と学校での様子を報告する時間であったり、“僕“は毎日、“僕“という存在を偽ってそれらをやり過ごすのだ。身体中が痛いのも、嘘をつく罪悪感も、体験しているのは“僕“ではない。まるで“走馬灯“を見ているかのように、本当の“僕“が見知らぬ“僕“を見下ろしている感覚だった。
さてその日も、落とし穴に落ちてどろどろになって帰って来た“僕“だったが、律儀に穴を元の状態に戻したことである仕返しを閃いた。
いつものようにボールとなってパスを回される中で、奴の時だけ避けてやるのだ。“僕“というボール、つまり無機物に反抗されるとは夢にも思っていない奴らの動きはバスケ部所属と信じられないほど緩慢で鈍重だったからだ。
さて、日曜日の部活動である練習試合が終わり、“僕“たちは、もはや日課と化した公園での人間パス練習を行っていた。あの日、ちゃんと戻したはずの穴がむき出しになっていることに疑問は抱いた気がするけれど、別にどうでもよかった。あいつをこの穴に落とすことしか頭になかったから。
案の定、その穴に落とす時の奴は反動を活かすためか振りが大きくなり、下品な笑みを浮かべたので、すぐにわかった。“僕“はタイミングを合わせて、すっと横に身を引いた。奴はバランスを崩し、そのまま穴へまっしぐら。
嫌な音が響いた。ただ中学生の男子が穴に落ちただけの音では決してない。もっと重く、もっと鈍く、無傷では済まないような音だった。
“僕“は穴の上から見下ろした。他の部員たちは慌てて引き上げようとしたけれど、そこでようやく気がついた。穴の中には奴だけではない、小さな女の子がひとり、既にいたのだ。奴はそのおかげでどこも怪我をしていないようだったけれど、その女の子はぴくりとも動かずに横たわっていて、奴と仲間たちは慌てて去って行った。“僕“もその後を追いながら、何度か後方を振り向いた。
この日、公園には普段の同じ時間よりも人が多かったし、誰かに伝えるべきではないか。そうすれば、奴らが作った落とし穴が発覚して、少なくともこの公園でのいじめ行為はなくなるのではないか。女の子の安否よりも、“僕“はこの時そんなことばかり考えていた。
結局、“僕“は何もしなかった。急いで自宅に帰って、すぐに自室にこもった。自室の窓からは家の裏の空き地が見えて、そこには“僕“というよりも母が父親にねだって作らせたバスケットゴールが見える。幼い頃から積極性に欠ける“僕“が唯一、自分からやりたいと言い出したことがよほど嬉しかったに違いない。
公園の雰囲気はどことなく落ち着きがなく、それは街全体にも確実に波及していて、時折、外を民生委員のおじさんおばさんが小走りで通り過ぎる。それは夜になるにつれて、お父さん世代が増えていったことで、あの女の子の行方はきっとまだ明らかになっていないのだろうと思われた。
一度は頭を掠めた女の子の居場所を教える作戦も、家に帰って母親の顔を見たらもうすっかりその気は失せてしまった。あの女の子が生きているかどうかまでは確認していないけれど、奴の大きな体を受け止めたのだ。少なくとも無事であるはずがない。その場合、“僕“が奴の攻撃を避けなければ穴に落ちることもなく済んだはずで。もしも、あの女の子が生きていなかったら、間接的に死なせたのは“僕“ということになり、それを母親が知ったら可哀想だと思ったからだ。
また学校に呼び出されて、またあの困ったような笑顔で、“僕“の手を握りながら際限なく謝るかもしれない。別に“僕“はそんなことして欲しくないのに。“僕“が言わなければ誰のせいでこうなったかまでは、わからないはずだ──。
その日を境に、いじめはなくなった。皮肉なことに、少女の死と引き換えに、“僕“は心身ともに奴らから解放されたのだ。それもそのはず。“僕“はその時から、自分の部屋を出られなくなった。次の日から学校に行けず、そのまま人生の大半をその部屋で過ごすことになる。窓の外を眺めるのも嫌になって、父に頼んで板で窓を塞いだ。音も光もない世界で、“僕“はただただ時が過ぎるのを待っていた。
“僕“はベッドの上で布団を被りながら何度も考えた。たったの5歳かそこらで死んだあの女の子は、果たして幸せな人生だっただろうかと。いくら隠しても“僕“が女の子を殺したことは事実で、そんな息子を持った母は果たして幸せな人生だろうかと。そして、そんな生き方しかできない“僕“は果たして、これから先幸せな人生だろうかと──。
いじめから解放されても、“僕“はこうしてこの先一生、“僕“自身の存在に悩まされることとなった。
やがて“僕“は、引きこもり状態のまま中学を卒業した。当然、受験はしていないし、高校には通えない。通う気もなかった。どうせ“僕“はそう長くは生きないだろうから。この時点で明確な自殺願望があったわけではないけれど、なんとなくそう感じていた。母は“僕“がねだったわけでもないのに、PCやらスマホやら漫画や小説やら、何でも買い与えてくれた。少しでも“僕“が現実と向き合うまでの癒しの時間を増やそうとしてくれたに違いない。
けれど、“僕“はそんな期待を裏切り、現実逃避ばかりし続けた。アプリゲームに課金して、SNS上で知り合った同志たちと延々と会話を続け、束の間の虚構の幸せを堪能していた。
けれど、そんな日々も当然長くは続かなかった。確か“僕“が23歳を迎える年だったと思う。急に父親と母親の喧嘩が増え、時には、部屋に閉じこもっている“僕“の耳にもその声が届くほど激しい口論をすることもあった。
内容は「夜帰って来るのが遅くなった」だの「毎月定期的に支払われているまとまった金額はどこにいっている」だの、どれをとっても母の闇の深そうな、触れないほうが知らないほうが幸せとさえ思えそうなものだった。
だってこれ以上、母には不幸になって欲しくなかったから。
その中にはもちろん“僕“のことも含まれているわけで。“僕“がこうなったのはどちらのせいだの、これ以上不幸にする気かだの、どんどん火種はこちらに移ってきて、“僕“はスマホとPCの電源を落とした。もはや現実逃避すら許されなくなったらしい。
“僕“は先延ばしにしてきた自分の死を、とうとう決行することにした。23歳・秋。どうしてこんなに大人になるまで生きてしまったのだろう。もっと早くに自分の存在に見切りをつけていれば、少し、もう少しだけ父も母も幸せだったかもしれない。
“僕“自身も結局、「生きててよかった」と思える瞬間なんて一度もなく、ただ与えられた生を消費しただけに過ぎない。
“僕“はこうして、この世界へとやってきた。
名前を失い、記憶もなくしてくれるのかと期待したが、たとえもう一度“走馬灯“を辿ることを拒否して御霊司になっても、人間と同じく完全に忘れはしないようだった。時が経つにつれて薄れてはいくのだろうけど、“僕“のところにやってきたこの僕のせいで、“僕“は人生を狂わされていたのだと知ることになろうとは夢にも思わなかった。
“僕“が引きこもりになるきっかけを作ったのも、父と母が喧嘩するきっかけを作ったのも、元はと言えば僕だったのだ。唯一、“僕“の存在を認めてくれたあの先生の幸せを間接的に奪ったのもそうだ。僕が選択肢を変えたことによるシミュレーションの後も、“僕“はいじめから逃れられないし、先生は“僕“のことなど忘れて自分の幸せを手に入れる。
── “僕“って一体、何だったんだろう。
とはいえ、わかっている。より元を糺せばいじめられていたのは結局、“僕“自身が持つ性格のせいだし、先生の苦労を増やしたのも“僕“自身だし、父と母は長らく“僕“の存在に苦しんできたことだろう。
そして、僕が20歳を迎えた今、新たな不幸を生み出してしまった。僕のせいでも、“僕“のせいでもある。
最後の選択肢、僕はなぜか変更をしなかった。
僕が20歳の時に遭遇した殺人事件、それは“僕“の母親が起こした、“僕“の復讐である。
被害者は中学時代に“僕“をいじめていた、あの男。バスケ部のキャプテンで、女の子を死なせてしまったあの男だ。
ある日、奴は自動車保険のセールスで“僕“の家を訪れた。当然奴はそこが“僕“の家と知っていたし、だからこそターゲットにしたのだ。
奴は卑怯なことに、十数年前の女児行方不明事件の真相をもって、“僕“の母に契約を迫った。セールスの成績が芳しくなく、近々大規模なリストラが行われるという噂もあって、焦っていたのだろう。弱みを握っていた昔の知り合いを片っ端から取り込んでいく作戦で、奴は“僕“の家にも目をつけたのだ。
自殺という形で“僕“を失ったのが5年前。母はその元凶となった男に図らずも出会ってしまって、理性を失った。衝動的に台所から持ってきたナイフで奴を刺してしまったのだ。夜、父親が帰って来るまでずっと奴の亡骸の前に、恍惚とした表情で突っ立っていたという。
動機の観点から、父は母を強く咎めることができず、また母との関係が“僕“の死後に悪化していたこともあって、罪滅ぼしのため自ら死体処理を手伝った。身体も大きくバラバラにするのは至難の業なので、ゆきずりの犯行に見せかけて裏の空き地に放置することにした。
けれど、裏の空き地に入るにはぐるっと回って真裏の入り口まで運ぶしかない。いくら深夜とはいえ、住宅街なのでどこの誰が見ているとも限らない。なんとか、直接裏の空き地に奴の遺体を移動させることができれば良いのだが。
そういえば、と父は思い出す。昔、本当に“僕“が幼い頃、珍しいくらいどっさり雪が降り積もったことがあった。その際に、空き地の壁側に寄せた雪を滑り台にして、段ボールをそりがわりに遊ばせたのだ。家族3人、あの頃が一番幸せだったかもしれない。そんな思い出を振り返りながら、父はカーポートに長らく置いてあった板を持ってきた。“僕“が引きこもり生活を送っていた部屋の窓を塞いだ板の名残である。
家の中にその板を2枚持ち込んで、1枚は空き地に面した“僕“の部屋の窓に立てかけた。そしてもう1枚は窓の外側、空き地側の塀に立てかける。
そして、大きめのビニールシートを敷いて、父と母の2人がかりで遺体を板とビニールシートの上に乗せた。そのままビニールシートで包むように男の体を窓と塀のところまで転がしていき、反対側のビニールシートの端を掴んで、空き地側へと落ちるようにした。
なんとか作業を終え、ビニールシートと板を片付け、父はその後所有地に遺体を放置された被害者として振る舞った。母はといえば、完全に心が壊れてしまって“僕“の部屋に閉じこもったまま出てこなくなった。
父はそんな母の代わりに、奴の葬儀に顔を出したり、警察の相手をしたり、献身的に動いていた。
しかし、それもまた僕の登場により、父の精神状態もぶち壊されることとなる。
実は、僕は“僕“の父と僕の母の間に生まれた子どもである。“僕“の父は昔、“僕“が産まれたことで母との関係が一気に覚め、それを紛らわすように不倫をしていたのだ。その時に出会ったのが、僕の母であった。身体だけの関係だったはずなのに、そちらにも子どもができて父は焦った。しかし、僕の母は母で僕との親子の関係を築いていなかったので、すぐに知られることはないだろうと20年が過ぎた。
しかし、近所に住んでいるのだから、こうなることも予想はついた。いつかこんな日が来ることを、忘れていたわけではない。ただ、まさか自分が関わる殺人事件に首を突っ込んでくるとは思わなかったのだ。
幸い、僕は事件の解決には至らなかった。だが、いつ父と自分の関係に気づくかわからない。戦々恐々としながら、いく先々に現れる僕を警戒しつつ、平静を装った。だが、この緊張感と母への罪悪感が今後も続くことに我慢ならなくなって、僕の母が僕の存在を怖がっていたことも知っていて、それならばいっそ──。
父は僕を葬ることを決意する。
僕はいつもふらふらと近所を歩いていたので、その行動パターンや周囲の状況を事細かに記録することができた。そのおかげで、僕が現場であるT字路を通りかかる時間、周りには誰もいないことがわかっていた。父は思い切りアクセルを踏み、僕の命を奪った。
そして、僕はここへやって来たのだ。
どうして、僕が最終的には自分の死が待つ選択肢をよりによって変えなかったのか。
“僕“は訊ねた。
「だって、僕が死ぬってことはどう考えても生前の選択ミスだから、このままにすれば不合格になるはずだよね。もしも不合格だとしたらもう一度同じ人生を繰り返せるってことでしょ? シミュレーションも合わせれば、僕は僕として永遠に僕であれる。だから変更はしない」
合格なら生まれ変わり後の人生が変わり、不合格なら同じ人生を繰り返す。“僕“は明確にはそう答えなかったはずだが、その通りだ。認定試験とは言うが、合格したらより幸せになれるというだけで、不合格でも自分に生まれ変わることはできる。ただし、生まれ変わりを希望した場合、合格しない限りは永遠に同じ人生を生きることになる。僕はそれを本能的に理解したらしかった。僕の表情はもう既に高揚していて、この“走馬灯“の旅が早く終わって欲しいとさえ思っている。
“僕“は愕然とした。
僕は僕でありさえすればいいのだ。誰が不幸になろうとも関係ない。そして“僕“や、“僕“の母は何度も不幸な人生を辿ることになるのだ。
僕はいつだってそこにいて、自分の存在を証明し続けるのだ。
じゃあ、“僕“は──?
“僕“はもうあの世界にはいない。この世にもあの世にも存在しない、御霊司になったのだ。
御霊司になったことで、“僕“の存在がもうどこにもないことは証明されている。生まれ変わることも、存在が抹消されることもない。“僕“は永遠に“僕“ではない。
“僕“は一体、どこで選択肢を間違えたのだろう。
もう生まれ変わりたくないと宣言した時?
自ら命を絶った時?
それともあの女の子を助けようとしなかった時?
──いや、違う。
それよりずっとずっと前。
“僕“は“僕“自身だけじゃない、
誰のことも幸せにしなかった。
関わった人全て、“僕“は不幸にした。
だから、“僕“ の存在は──。
──生まれた時から間違っていたのだ。
『“僕“の不在証明』
命を落とした直後、真っ白な世界に送られて、2つの大きな扉の前で、問われたのだ。
『もしも生まれ変われるとしたら、もう一度自分がいいですか。それとも別人がいいですか』
質問の意味がわからなかった。それに目の前のこの人は、一体何者なのか。どうしてそんなことを聞かれなきゃならないのか。“僕“の答えは決まっている。だから、そんなどうでもいいことのほうが気になってしまった。
『“僕“は、生まれ変わりたくない』
『・・・・・・』
『自分でも別人でも関係ない。僕はもう、命なんていらない』
『──承知しました』
あれからどのくらいの時間が経っただろう。あの時そんなふうに答えた“僕“は、御霊司として目の前のあの人と同じ質問を繰り返している。
他人の人生を羨ましいとか、やっぱりもう一度生きてみたいとか、そんなことは一切思わない。
御霊司になると、人間の生を根本から失うと同時に、あれほど煩わしかった感情さえも、失ってしまうのかもしれなかった。
“僕“がここに来てずいぶん経過したある日、僕がやって来た。
御霊司に名前がないのは、人間界に既に存在しないからだが、死んだ人間も同じくこの世界では名前という概念を失う。しかし、個人を識別できないと不便なことも多く、それはこの世もあの世も変わりがない。
死んだ人間には識別番号が与えられ、僕はNO.809だった。“僕“が御霊司になってから今まで、808人の認定試験を実施したことになる。809の元人間は「僕は」「僕が」などと自己主張が激しく、死んだ後も『僕が僕であること』しか考えていなかった。そんな“僕“とは正反対の人間へのある種尊敬の念として、809の語呂合わせで『BO9=僕』と“僕“は命名した。
案の定、僕は“走馬灯“の中でも『僕が僕であること』の証明に躍起だった。“僕“はそんな僕の人生をなぞりながら、ぼんやりと思うのだった。
「“僕“もこんなふうに生きられたら、少しは幸せだったんだろうか──」
僕が5歳を迎える前、“走馬灯“の中では再生されなかった場面だが、母親と僕の育ての親である妹とのふたり暮らしが始まったのはこの頃で、この時既に父親はいなかった。それもそのはず、僕の“走馬灯“の中に父親は存在しないからだ。人生で一度も、父親としての面識はない。僕が人生の中で一度も父親に言及しないのは、いなくて当たり前だったからである。
さて、いよいよ最初の試験──5歳の春である。
僕はここでひとりの女の子の人生を変えてしまう。僕の行為は興味本位の悪戯だったかもしれない。けれど、結果的に僕が存在していたことで女児が命を落とした、ということが選択肢を変えた後の不在証明で明らかになった。
それだけではない、実はこの時、僕はもうひとりの人生をも大きく変えていたのだ。
当時、中学生だった“僕“はバスケットボール部に所属していた。部員は学校全体の中でも多いほうだったけれど、それゆえ確執も大きかったと思う。
“僕“は身長もそこそこ、特に秀でた技があるわけでもなく、当然の如く数多いる補欠のそのまた補欠スタートだった。さらに、気弱で消極的な性格も災いしてか、入部から時を待たずしていじめの標的になった。
その時に2年生で次期キャプテン候補だった男子生徒は、横暴で傲慢で不人気だったけれど、だからこそ奴に逆らえる者は誰ひとりいなかった。きっと一緒になって“僕“をいじめなければ、その後の火の粉は自分に飛んでくる。そんな思いで部活そっちのけで、ご機嫌取りのために“僕“を甚振っていたのだ。恨んでいないと言えば嘘になるけれど、そうまでしても報われなかった彼らが部を辞めていく様には、さすがに同情を禁じ得なかった。
いっそ“僕“なんていないほうがよかったんだろうか、そんなふうにさえ思えて、けれど肝心の“僕“は部を辞めることも許されなくて。この世にあってないような“僕“の存在に、自分自身が押し潰されそうになっていた。
いつだったか、確か小学生の頃だった。奴とは学区が被っていたから、同じ小学校に通っていた。学年が違っていても、奴の悪事は毎日のように耳にした。当時の“僕“は背も低く、授業以外で一日誰とも話さないことも珍しくなかった。そんな中で唯一、体育の時間にバスケを褒めてくれた先生がいて、その人は奴の担任で新任の先生だったと記憶している。
違う学年の先生だったけれど、体育の授業が苦手な“僕“の先生と、音楽の授業が苦手なその男の先生が時間割をチェンジして担当してくれていたのだ。
ある日の体育の授業中。その日のカリキュラムもバスケだった。“僕“はこの学校でただひとり“僕“という存在を認めてくれる先生に、“僕“の勇姿を見せたくて頑張って授業に励んだ。
それなのに──。
“僕“がシュートを決めて、先生のほうを振り返った瞬間。絶望が“僕“を襲った。
先生は見ていなかったのだ。こっちに背を向けて、「すごいね」と言ってくれるどころか、拍手をくれるどころか、“僕“のことを無視したのだ。背後でゴールをくぐったボールが虚しく床に落ちる音がした。先生のホイッスルがなくて、しんと静まり返った体育館に、その音はやけに大きく響いた。
“僕“は呆然と突っ立っていたと思う。滅多にしない笑顔は強張ったままどうしていいかわからなくて、他の子に見られていたら恥ずかしいと慌てて俯いた。床に反射する蛍光灯の光を見つめながら、体操服の裾をぎゅっと握った。悔しいとか哀しいとか、そんな単純な感情ではなかった。他の子たちには平等にしていたことが、どうして“僕“だけはしてもらえないのか。
理由はわかっている。ただ単にタイミングが悪かっただけなのだ。先生の担任するクラスのあいつが、音楽の授業中に暴れ出し、女の先生だけでは止められないから動員された。担任の先生がいかないわけにはいかないからだ。そう、ただ、それだけ。
でも、そのタイミングの悪ささえも“僕“にしか与えられないわけだから、結局、“僕“は神様に見放されてしまっているんだと悲観するしかないわけで。
先生はみんなに向かって、体育の授業は自習にすること、見守る先生がいないのでボールや道具は使わないことを口早に説明した。
「ええっと、ボールを最後に触ったのは・・・」
“僕“です、と名乗り出る前に、先生は女の子の名前を呼んだ。
──違うよ、それは“僕“の前にボールを持っていた子だよ。
先生は“僕“にパスが渡る瞬間すら見ていなかったのだ。
「ボールの片付け、お願いできるかな?」
若くてイケメンだった先生のお願いとあっては、女の子が断るはずもなく。嬉々として返事をする女の子にお礼を言って、先生は音楽室へと駆けていった。そしてまた“僕“の存在は、見て見ぬふりをされてしまった。
その日の午後。“僕“は職員室前の花瓶を窓に投げつけた。その時の心情は未だに“僕“自身、正確には覚えていない。問題を起こせば注目してもらえると思ったのかもしれないし、先生が“僕“のシュートを見ていなかったことに対する当てつけだったのかもしれない。それとも、その時にはもう“僕“の中に感情は残っていなくて、ただやってみたかっただけなのかもしれない。
“僕“は怒られはしなかったけれど、母親が学校に呼び出されたことは知っている。教室でふたり並んで担任の先生の話を聞く。母親は一生懸命謝っていて、“僕“は我に返って余計に惨めになった。“僕“なんていなければ、この人ももう少しだけ幸せだったのかもしれない──。
閉校時間の午後5時ぎりぎり、“僕“たちは学校を出た。家に近づくにつれて歩みが遅くなり、ずっと黙っていた母親が徐に“僕“の手を握ってきた。立ち止まった母親は、ごめんねごめんね、そう呟きながら泣いていた。“僕“の手は花瓶の破片で傷ついて、包帯を巻いていた。だから、母親が涙するたび包帯が濡れたし、母親が“僕“の手を撫でるたび包帯の隙間から痛々しい傷が見え隠れした。
「お母さんごめんね」──。そろそろ泣き止んで欲しいと思って“僕“がそう言うと、母親はふるふると首を横に振った。困ったような笑顔を見せて「帰ろうか」、そう一言。“僕“はあの時の、包帯越しの母親の手の温もりを、忘れたことは一度もない。
話を戻して、僕が5歳の春。“僕“は中学2年生、14歳の春だった。
部活動が終わると、“僕“は片付けをひとりでやらされた。他の部員たちは顧問の先生の手前、あからさまに押し付けたりはしなかったけれど、指導などと言って自分たちも道具を持ちつつ、実際の労働は“僕“ひとりで最初から最後まで完了させられた。
放課後の試練はまだ終わらない。閉校時間の学校にいると先生か用務員さんに咎められるので、現場は大抵あの森のある大きな公園だった。
自主性のないところを揶揄された“僕“は、彼らのストレス発散のボールとなって、殴る蹴るなどの暴力を一身に受けた。ある時などはそのまま落とし穴に落とされ、気の済むまで馬鹿にした後、“僕“が這い出るのを待たずに立ち去って行った。
悔しいとか哀しいとか、そんな感情は一切ない。強いて言うなら「苦しい」だろうか。彼らの暴力行為が、ではない。お風呂に痣や傷だらけの体で入る瞬間であったり、母親に「今日はどうだった?」と学校での様子を報告する時間であったり、“僕“は毎日、“僕“という存在を偽ってそれらをやり過ごすのだ。身体中が痛いのも、嘘をつく罪悪感も、体験しているのは“僕“ではない。まるで“走馬灯“を見ているかのように、本当の“僕“が見知らぬ“僕“を見下ろしている感覚だった。
さてその日も、落とし穴に落ちてどろどろになって帰って来た“僕“だったが、律儀に穴を元の状態に戻したことである仕返しを閃いた。
いつものようにボールとなってパスを回される中で、奴の時だけ避けてやるのだ。“僕“というボール、つまり無機物に反抗されるとは夢にも思っていない奴らの動きはバスケ部所属と信じられないほど緩慢で鈍重だったからだ。
さて、日曜日の部活動である練習試合が終わり、“僕“たちは、もはや日課と化した公園での人間パス練習を行っていた。あの日、ちゃんと戻したはずの穴がむき出しになっていることに疑問は抱いた気がするけれど、別にどうでもよかった。あいつをこの穴に落とすことしか頭になかったから。
案の定、その穴に落とす時の奴は反動を活かすためか振りが大きくなり、下品な笑みを浮かべたので、すぐにわかった。“僕“はタイミングを合わせて、すっと横に身を引いた。奴はバランスを崩し、そのまま穴へまっしぐら。
嫌な音が響いた。ただ中学生の男子が穴に落ちただけの音では決してない。もっと重く、もっと鈍く、無傷では済まないような音だった。
“僕“は穴の上から見下ろした。他の部員たちは慌てて引き上げようとしたけれど、そこでようやく気がついた。穴の中には奴だけではない、小さな女の子がひとり、既にいたのだ。奴はそのおかげでどこも怪我をしていないようだったけれど、その女の子はぴくりとも動かずに横たわっていて、奴と仲間たちは慌てて去って行った。“僕“もその後を追いながら、何度か後方を振り向いた。
この日、公園には普段の同じ時間よりも人が多かったし、誰かに伝えるべきではないか。そうすれば、奴らが作った落とし穴が発覚して、少なくともこの公園でのいじめ行為はなくなるのではないか。女の子の安否よりも、“僕“はこの時そんなことばかり考えていた。
結局、“僕“は何もしなかった。急いで自宅に帰って、すぐに自室にこもった。自室の窓からは家の裏の空き地が見えて、そこには“僕“というよりも母が父親にねだって作らせたバスケットゴールが見える。幼い頃から積極性に欠ける“僕“が唯一、自分からやりたいと言い出したことがよほど嬉しかったに違いない。
公園の雰囲気はどことなく落ち着きがなく、それは街全体にも確実に波及していて、時折、外を民生委員のおじさんおばさんが小走りで通り過ぎる。それは夜になるにつれて、お父さん世代が増えていったことで、あの女の子の行方はきっとまだ明らかになっていないのだろうと思われた。
一度は頭を掠めた女の子の居場所を教える作戦も、家に帰って母親の顔を見たらもうすっかりその気は失せてしまった。あの女の子が生きているかどうかまでは確認していないけれど、奴の大きな体を受け止めたのだ。少なくとも無事であるはずがない。その場合、“僕“が奴の攻撃を避けなければ穴に落ちることもなく済んだはずで。もしも、あの女の子が生きていなかったら、間接的に死なせたのは“僕“ということになり、それを母親が知ったら可哀想だと思ったからだ。
また学校に呼び出されて、またあの困ったような笑顔で、“僕“の手を握りながら際限なく謝るかもしれない。別に“僕“はそんなことして欲しくないのに。“僕“が言わなければ誰のせいでこうなったかまでは、わからないはずだ──。
その日を境に、いじめはなくなった。皮肉なことに、少女の死と引き換えに、“僕“は心身ともに奴らから解放されたのだ。それもそのはず。“僕“はその時から、自分の部屋を出られなくなった。次の日から学校に行けず、そのまま人生の大半をその部屋で過ごすことになる。窓の外を眺めるのも嫌になって、父に頼んで板で窓を塞いだ。音も光もない世界で、“僕“はただただ時が過ぎるのを待っていた。
“僕“はベッドの上で布団を被りながら何度も考えた。たったの5歳かそこらで死んだあの女の子は、果たして幸せな人生だっただろうかと。いくら隠しても“僕“が女の子を殺したことは事実で、そんな息子を持った母は果たして幸せな人生だろうかと。そして、そんな生き方しかできない“僕“は果たして、これから先幸せな人生だろうかと──。
いじめから解放されても、“僕“はこうしてこの先一生、“僕“自身の存在に悩まされることとなった。
やがて“僕“は、引きこもり状態のまま中学を卒業した。当然、受験はしていないし、高校には通えない。通う気もなかった。どうせ“僕“はそう長くは生きないだろうから。この時点で明確な自殺願望があったわけではないけれど、なんとなくそう感じていた。母は“僕“がねだったわけでもないのに、PCやらスマホやら漫画や小説やら、何でも買い与えてくれた。少しでも“僕“が現実と向き合うまでの癒しの時間を増やそうとしてくれたに違いない。
けれど、“僕“はそんな期待を裏切り、現実逃避ばかりし続けた。アプリゲームに課金して、SNS上で知り合った同志たちと延々と会話を続け、束の間の虚構の幸せを堪能していた。
けれど、そんな日々も当然長くは続かなかった。確か“僕“が23歳を迎える年だったと思う。急に父親と母親の喧嘩が増え、時には、部屋に閉じこもっている“僕“の耳にもその声が届くほど激しい口論をすることもあった。
内容は「夜帰って来るのが遅くなった」だの「毎月定期的に支払われているまとまった金額はどこにいっている」だの、どれをとっても母の闇の深そうな、触れないほうが知らないほうが幸せとさえ思えそうなものだった。
だってこれ以上、母には不幸になって欲しくなかったから。
その中にはもちろん“僕“のことも含まれているわけで。“僕“がこうなったのはどちらのせいだの、これ以上不幸にする気かだの、どんどん火種はこちらに移ってきて、“僕“はスマホとPCの電源を落とした。もはや現実逃避すら許されなくなったらしい。
“僕“は先延ばしにしてきた自分の死を、とうとう決行することにした。23歳・秋。どうしてこんなに大人になるまで生きてしまったのだろう。もっと早くに自分の存在に見切りをつけていれば、少し、もう少しだけ父も母も幸せだったかもしれない。
“僕“自身も結局、「生きててよかった」と思える瞬間なんて一度もなく、ただ与えられた生を消費しただけに過ぎない。
“僕“はこうして、この世界へとやってきた。
名前を失い、記憶もなくしてくれるのかと期待したが、たとえもう一度“走馬灯“を辿ることを拒否して御霊司になっても、人間と同じく完全に忘れはしないようだった。時が経つにつれて薄れてはいくのだろうけど、“僕“のところにやってきたこの僕のせいで、“僕“は人生を狂わされていたのだと知ることになろうとは夢にも思わなかった。
“僕“が引きこもりになるきっかけを作ったのも、父と母が喧嘩するきっかけを作ったのも、元はと言えば僕だったのだ。唯一、“僕“の存在を認めてくれたあの先生の幸せを間接的に奪ったのもそうだ。僕が選択肢を変えたことによるシミュレーションの後も、“僕“はいじめから逃れられないし、先生は“僕“のことなど忘れて自分の幸せを手に入れる。
── “僕“って一体、何だったんだろう。
とはいえ、わかっている。より元を糺せばいじめられていたのは結局、“僕“自身が持つ性格のせいだし、先生の苦労を増やしたのも“僕“自身だし、父と母は長らく“僕“の存在に苦しんできたことだろう。
そして、僕が20歳を迎えた今、新たな不幸を生み出してしまった。僕のせいでも、“僕“のせいでもある。
最後の選択肢、僕はなぜか変更をしなかった。
僕が20歳の時に遭遇した殺人事件、それは“僕“の母親が起こした、“僕“の復讐である。
被害者は中学時代に“僕“をいじめていた、あの男。バスケ部のキャプテンで、女の子を死なせてしまったあの男だ。
ある日、奴は自動車保険のセールスで“僕“の家を訪れた。当然奴はそこが“僕“の家と知っていたし、だからこそターゲットにしたのだ。
奴は卑怯なことに、十数年前の女児行方不明事件の真相をもって、“僕“の母に契約を迫った。セールスの成績が芳しくなく、近々大規模なリストラが行われるという噂もあって、焦っていたのだろう。弱みを握っていた昔の知り合いを片っ端から取り込んでいく作戦で、奴は“僕“の家にも目をつけたのだ。
自殺という形で“僕“を失ったのが5年前。母はその元凶となった男に図らずも出会ってしまって、理性を失った。衝動的に台所から持ってきたナイフで奴を刺してしまったのだ。夜、父親が帰って来るまでずっと奴の亡骸の前に、恍惚とした表情で突っ立っていたという。
動機の観点から、父は母を強く咎めることができず、また母との関係が“僕“の死後に悪化していたこともあって、罪滅ぼしのため自ら死体処理を手伝った。身体も大きくバラバラにするのは至難の業なので、ゆきずりの犯行に見せかけて裏の空き地に放置することにした。
けれど、裏の空き地に入るにはぐるっと回って真裏の入り口まで運ぶしかない。いくら深夜とはいえ、住宅街なのでどこの誰が見ているとも限らない。なんとか、直接裏の空き地に奴の遺体を移動させることができれば良いのだが。
そういえば、と父は思い出す。昔、本当に“僕“が幼い頃、珍しいくらいどっさり雪が降り積もったことがあった。その際に、空き地の壁側に寄せた雪を滑り台にして、段ボールをそりがわりに遊ばせたのだ。家族3人、あの頃が一番幸せだったかもしれない。そんな思い出を振り返りながら、父はカーポートに長らく置いてあった板を持ってきた。“僕“が引きこもり生活を送っていた部屋の窓を塞いだ板の名残である。
家の中にその板を2枚持ち込んで、1枚は空き地に面した“僕“の部屋の窓に立てかけた。そしてもう1枚は窓の外側、空き地側の塀に立てかける。
そして、大きめのビニールシートを敷いて、父と母の2人がかりで遺体を板とビニールシートの上に乗せた。そのままビニールシートで包むように男の体を窓と塀のところまで転がしていき、反対側のビニールシートの端を掴んで、空き地側へと落ちるようにした。
なんとか作業を終え、ビニールシートと板を片付け、父はその後所有地に遺体を放置された被害者として振る舞った。母はといえば、完全に心が壊れてしまって“僕“の部屋に閉じこもったまま出てこなくなった。
父はそんな母の代わりに、奴の葬儀に顔を出したり、警察の相手をしたり、献身的に動いていた。
しかし、それもまた僕の登場により、父の精神状態もぶち壊されることとなる。
実は、僕は“僕“の父と僕の母の間に生まれた子どもである。“僕“の父は昔、“僕“が産まれたことで母との関係が一気に覚め、それを紛らわすように不倫をしていたのだ。その時に出会ったのが、僕の母であった。身体だけの関係だったはずなのに、そちらにも子どもができて父は焦った。しかし、僕の母は母で僕との親子の関係を築いていなかったので、すぐに知られることはないだろうと20年が過ぎた。
しかし、近所に住んでいるのだから、こうなることも予想はついた。いつかこんな日が来ることを、忘れていたわけではない。ただ、まさか自分が関わる殺人事件に首を突っ込んでくるとは思わなかったのだ。
幸い、僕は事件の解決には至らなかった。だが、いつ父と自分の関係に気づくかわからない。戦々恐々としながら、いく先々に現れる僕を警戒しつつ、平静を装った。だが、この緊張感と母への罪悪感が今後も続くことに我慢ならなくなって、僕の母が僕の存在を怖がっていたことも知っていて、それならばいっそ──。
父は僕を葬ることを決意する。
僕はいつもふらふらと近所を歩いていたので、その行動パターンや周囲の状況を事細かに記録することができた。そのおかげで、僕が現場であるT字路を通りかかる時間、周りには誰もいないことがわかっていた。父は思い切りアクセルを踏み、僕の命を奪った。
そして、僕はここへやって来たのだ。
どうして、僕が最終的には自分の死が待つ選択肢をよりによって変えなかったのか。
“僕“は訊ねた。
「だって、僕が死ぬってことはどう考えても生前の選択ミスだから、このままにすれば不合格になるはずだよね。もしも不合格だとしたらもう一度同じ人生を繰り返せるってことでしょ? シミュレーションも合わせれば、僕は僕として永遠に僕であれる。だから変更はしない」
合格なら生まれ変わり後の人生が変わり、不合格なら同じ人生を繰り返す。“僕“は明確にはそう答えなかったはずだが、その通りだ。認定試験とは言うが、合格したらより幸せになれるというだけで、不合格でも自分に生まれ変わることはできる。ただし、生まれ変わりを希望した場合、合格しない限りは永遠に同じ人生を生きることになる。僕はそれを本能的に理解したらしかった。僕の表情はもう既に高揚していて、この“走馬灯“の旅が早く終わって欲しいとさえ思っている。
“僕“は愕然とした。
僕は僕でありさえすればいいのだ。誰が不幸になろうとも関係ない。そして“僕“や、“僕“の母は何度も不幸な人生を辿ることになるのだ。
僕はいつだってそこにいて、自分の存在を証明し続けるのだ。
じゃあ、“僕“は──?
“僕“はもうあの世界にはいない。この世にもあの世にも存在しない、御霊司になったのだ。
御霊司になったことで、“僕“の存在がもうどこにもないことは証明されている。生まれ変わることも、存在が抹消されることもない。“僕“は永遠に“僕“ではない。
“僕“は一体、どこで選択肢を間違えたのだろう。
もう生まれ変わりたくないと宣言した時?
自ら命を絶った時?
それともあの女の子を助けようとしなかった時?
──いや、違う。
それよりずっとずっと前。
“僕“は“僕“自身だけじゃない、
誰のことも幸せにしなかった。
関わった人全て、“僕“は不幸にした。
だから、“僕“ の存在は──。
──生まれた時から間違っていたのだ。
『“僕“の不在証明』
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