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恋の速さはallegro non troppo~美名と西本祐樹がもし恋に堕ちたら~もしも番外編⑤(完)

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「やあっ……はなし……って」



息も絶え絶えの苦しそうな美名の様子に、つい祐樹は笑みを溢してしまう。

美名は真っ赤になりながらそんな祐樹を睨むが、悔しいことに彼の笑顔にときめいてしまって、益々頬が熱くなる。

祐樹は美名の背をそっと擦った。



「本当に体力ないね――さっきも思ったけど」

「……よけ……な……世話……です……っ」

「い――や、少し鍛えたほうがいいかもね。ステージの上とかベッドで持久力が必要になるし」

「……っ……ステージはともかく……っ……あ……後のは何なんですか……っ」

「あ、ごめん、忘れて?」




舌を出して笑う祐樹に美名は怒鳴って、また走り出した。




「も……もうっ……やっぱり西本さんなんて――!きらい――!」

「美名ちゃんっ」






勢いよく走り出したは良かったが、パンプスが脱げて転んでしまい、美名は涙目で擦りむけた膝を手で押さえ道端にしゃがみこむ。

祐樹は走り寄ると、美名と同じようにしゃがみ、眉を歪めた。



「言わんこっちゃない……逃げたりするからそうなるの!」

「い……いたい……」



一体自分は何をしているのだろうか。

散々祐樹に振り回されて腹を立てるも惚れた弱みで彼を怒ることも出来ず、挙げ句の果てには恥ずかしい手紙まで見られて……

本当はこんな予定ではなかったのだ。直接さらっと祐樹にチョコを渡して「お疲れさまでした」と挨拶して終わる筈だったのに。





お気に入りの銀の蝶のワンポイント刺繍が入ったストッキングが破れているのが目に入り、悲しくてぶわっと涙が溢れた。

肩を震わせて泣く美名の頭を撫でながら、祐樹は子供をあやす様に言う。




「ああ……折角の可愛い膝が可哀想に……痛いの痛いの、とんでけ――」

「……ひっ……西本さんが……悪い……んです」

「え――俺が?」

「だって……わ……私をからかうからっ……」

「はい、できた!」

「?」




美名は、擦りむいた膝に若草色の薄手のストールが巻き付けてあるのに気付いた。

いつの間に巻かれたのだろうか?

祐樹が満足そうに頷くと、美名はストールに触れて恐縮しながら頭を下げる。




「あ……あの……これ、洗って返します」

「いいよ、あげる」

「えっ……」

「それ、美名ちゃんにあげるつもりで用意してたから」

「へっ?」

「いや……昨今は男からもするんでしょ?――バレンタイン」

「……っ」



美名の頬がまた赤くなっていき、祐樹はそれを面白そうに見ていたが、向こうに停まっているタクシーを気にする様に振り返ると、美名を抱き上げた。





「きゃあああ」


すっとんきょうな声を出して腕から逃れようとする美名を、祐樹は呆れて見る。



「ねえ……夜でさ、街中でさ、そんな風に叫ばれたら、俺逮捕されちゃうよ」

「に……西本さんなんて……逮捕されるくらいでいいんです」

「ええっ?」



祐樹は辺りを見回すが、幸い人通りは無く、安堵の表情になる。

だが、美名に涙を溜めた目で睨まれ、苦笑いした。



「そんな足で歩けないでしょ?それに、疲れたでしょ?……だから車までお運びしますよ、お姫様」



その言葉に胸の奥がきゅん、と締められるが、まだ素直になれない美名は恨み言を呟いてしまう。



「ほらあ……そういう言葉がポンポンと……やっぱり西本さんは逮捕ですよ……女たらしの容疑で――」





「ははは、ひどいなあ」



爽やかに笑う祐樹にドキリとして、美名は下を向くが、膝を優しくくるむストールが目に入り、思い出したように言う。



「あ…………ありがとうございました……」

「お礼を言うより……俺にもちょうだい?」

「!?」

「さっきの」

「あ……あああああ」



手紙を見られた事を思い出した美名は、また茹で蛸の様に赤く染まっていく。

祐樹はぷっと吹き出すと、美名の手に握られていた小さな紙袋を片手で取り上げた。

くしゃくしゃになってしまったビニールの中でブラウニーも少し潰れている。

美名はもう抵抗するのを諦めて、祐樹をじっと見詰めた。

祐樹は首をかしげ、可愛らしく言った。



「ねえ、開けて食べさせて?」

「――っえええええ」

「だって、抱っこしたままじゃ無理だし」

「う、うう……」



祐樹の輝く瞳が美名に催促をする。

美名は震える指で袋を縛っていた金色のモールを取り、ブラウニーを取り出して彼の口元へ持っていく。







祐樹は頬一杯にブラウニーを頬張り、ゆっくりと咀嚼すると、舌で唇を軽く舐める。

まるで血統書付きの高級な猫のように優雅に見え、見とれてしまう美名に、祐樹は涼やかな声で言った。




「すっげー美味しい」

「はっ……はいっ……良かった……です」



ドギマギして、彼の目を見れずに下を向き、思わずシャツを強く掴む。

いつの間にかタクシーの前まで来ていた事に気付き、美名はまた祐樹を見上げる。

祐樹の優しい微笑みが、また美名の胸を高鳴らせた。




「ねえ、乗る前にはっきりさせたいんだけど」

「え……っな……何を」

「俺とのキス、嫌だった?」

「――!」



彼の唇が目に入り、先程の身体の昂りを思い出してしまい絶句する美名に、更に訊ねる。



「嫌じゃないなら――……良かった?」




口をパクパクさせて真っ赤になる美名を見て、祐樹は目を細めて笑うと、頬へ素早くキスをした。




「ひ――っ?」



驚いて腕から転げ落ちそうになる美名をしっかりと捕まえて、祐樹は後部席のドアを開ける。



「何も言わないなら、都合よく解釈するけどいい?」

「へっ?」

「――俺がキスした時もすっげー色っぽく悶えてたし……良かったんでしょ?本当は」

「……っ!」

「西本さんと居たくない~とか言っておいて、俺へのラブレター書いてるしさあ」

「ラッ……」



――ラブレターじゃなくて、激励のお手紙です!と叫びたかったが、祐樹は満面の笑みと共に言った。



「つまりさ……美名ちゃんは俺に惚れてるわけだよ」



返答しなくても鮮やかに染まる頬が美名の気持ちをあらわしていた。



「ほら、顔がそうだって肯定してるし」

「……っ!……!!」



恥ずかしでどうして良いのかわからない美名は、ブンブン首を振って、祐樹が苦笑する。



「だって、さっき食べたチョコに愛の味がしたよ?」

「えええっ?」



目を丸くして文句を言いたげに尖らせる美名の唇に、祐樹の唇が重なった。





瞬きする程の間の短いキスは、甘いチョコの味がした。

呆気に取られて脱力する美名を先に乗せると、祐樹も乗り込んでドアを閉める。



「……最初言った場所まで行って下さい」



祐樹が言うと、再びタクシーは闇の中を走り出す。

美名の肩を抱き寄せ、髪にキスすると、祐樹はチョコよりも甘い恋を囁いた。

――君を好きだ、と。

美名の頬は更に美しく薔薇色に染まって瞳は涙で盛り上がりその花の様な唇は、今度こそ素直に彼への恋心を認めた。

あんなに恥ずかしくて、祐樹に振り回されてしまう自分が悔しかったのに――彼のキスでそんな意固地な思いは跡形もなく溶けてしまった。

彼は何の魔法を使ったのだろう――?



美名は、頭を彼の胸にそっともたせかけて瞼を閉じる。

規則的に響く彼の鼓動が美名の鼓動とシンクロして、ひとつに合わさっていく。



――何処へ行くの?と訊ねようとした時、祐樹の指が頬を撫でて、一気に微睡みの誘惑へと引きずり込まれる。





「疲れたでしょ……?着くまでの間……眠りなよ」

「着く……て……何処に?」

「ふふ……夢のお城……かな?」





耳元の柔らかい囁きは子守唄のようだった。小さく欠伸をする美名に、悪戯に笑って祐樹は言う。




「大丈夫だよ……いきなり捕って食べたりはしないから」



そんなの、信用できると思うの?――という言葉が胸の中に浮かぶが、既に美名は瞼を閉じて寝息を立てていた。

祐樹は小さく笑って、彼女の髪を撫でながら、浮かんだメロデイーを口ずさむ。

それは、彼が美名へ初めて捧げるラブソングだった。




――――素直じゃない  器用じゃない君

だけど 誰よりも いじらしい君

この恋は まだ出来立てで 頼りないんだろう

だから 大事に 丁寧に 時間をかけて 温度を保って 作っていこう

熱すぎてもいけない 冷めすぎてもいけない

微妙な加減は、そう チョコのテンパリングみたいにね

ゆっくりと でも 確実に 近付いて行こう

恋の速さはallegro non troppo 

速すぎず、遅すぎずに――――











☆――――恋の速さはallegro non troppo  the end―――☆








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