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番外編~私とチョコ、どっちが甘い?~綾波と美名のバレンタイン~②

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スタジオに向かう車中、二人は無言だった。


美名は、あまりの気まずさに耐えきれず、何か話し掛けようと思うが、何の話をしたら良いのか全く思い浮かばない。


何の話題を振れば良いか、なんて考えてみた事もなかった。


綾波と出会ってから今まで、自分は一体、どんな会話をしていたんだろう――?



意識すればする程、何を言ったら良いのかと悩んでしまい、結局は沈黙のままで終わってしまった。



今日のテレビ収録は、生演奏は無い。

ゲストのミュージックビデオを流し、番組の司会の人気女性タレントの

"アニー"と、人気俳優の
"内藤巧(ないとう たくみ)
とのトークで盛り上がる、という内容だ。





スタジオへ入り、珍しさにキョロキョロしていると、小道具をリヤカーに積んでやって来るスタッフにぶつかりそうになるが、寸前で綾波が美名の肩を抱いて廊下の隅に避けた。



「す、すみません」



「周りを見ろよ?」



綾波が小さく溜め息を付いて美名を見るが、目と目が合った時、小さく電流が二人の間に走る。



美名が瞳を潤ませて、何かを言おうとしたその時、綾波は衝動的に顎を掴み唇を奪った。



「……っ」



先程までの気まずさを埋めるかの様に、二人はここがスタジオ内である事を忘れて唇を貪り合った。

幸い、今は人通りが無い。
それを良いことに、綾波は大胆に美名を抱き締めた。


綾波の長い指が、美名の首筋を撫で上げるが、その熱さとこそばゆさに美名は恍惚とする。



(剛さんの……身体が熱い……
さっき……どうして私は……拒んでしまったんだろう……)


耳元にかかる綾波の吐息は、切なく身体と心を疼かせ、美名は小さく声を漏らした。



「あっ……ん」



不意に、靴音が響き、綾波は素早く美名を離した。




美名は身体を火照らせたまま、綾波を軽く睨むが、綾波はもう既にマネージャーの顔になっていた。



二人の目の前に、番組のパーソナリティーの内藤と、アニーがやって来て、笑顔で挨拶をしてきた。



「princes &junkyの美名さんですね?
今日は、よろしくお願いします!」


内藤は、長い巻き毛の前髪の間から魅力的な瞳を覗かせ、感じの良い笑顔だ。

今、ドラマや映画に引っ張りだこの旬な俳優で、若い女性から人気だが、やはり騒がれる事だけはある、と美名は本人を見て納得した。


そして内藤の隣にいるアニーは、フランス人とのハーフで、モデル出身の人気タレントだ。


目は黒く、髪はプラチナブロンドでスレンダーな美人だが、気さくなキャラと独特な言葉遣いで、そのギャップが人気だ。

人形の様に整ったルックスのアニーに、美名は気後れしてしまう。


(隣に並びたくない……)



「は、はい、よろしくお願いします」



にわかに緊張して頭を下げる美名に、内藤はクスクス笑った。



「そんなにオドオドしてたら、ズルい狼さんに騙されて食べられちゃうよ?……可愛いウサギちゃん?」



「へっ――!?」



内藤の色気たっぷりな流し目をばっちり受け止めてしまった美名は、真っ赤になってしまった。



綾波の瞳が鋭くそんな美名を睨み、内藤と美名の間に割り込むように立つ。



「マネージャーの綾波です……
プリキーはまだデビューしたばかりで、色々と不馴れでご迷惑をお掛けすると思いますが、今日はどうかよろしくお願いします」


綾波と内藤は、暫しお互いの目を離さずにいたが、沈黙を破ったのは内藤だった。



「ふうん、貴方がマネージャー、いい男だねえ。
勿体無いね?
ねえ、アニー」



内藤の言葉に、アニーは笑顔で頷き、綾波の腕に自分の腕をいきなり絡み付けた。



美名はショックで凍り付く。





アニーが、魅惑的な笑顔で綾波を覗き込み、腕を絡ませたままで歩き出す。


「この世界に居ると、色んな方に会うけど……
貴方みたいなかっこいいマネージャーさんて初めて~!!」


綾波は、アニーの冗談とも本気ともつかない言葉に優雅な笑みで返し、手を然り気無く引き抜こうとするが、アニーは離さない。


綾波は何かを言い掛けたが、アニーに



「アニーのマネージャーに会ってくれない?
綾波さんに会ったら喜ぶと思うの」


と言われる。



「俺にですか?
そりゃまた何故」



アニーは首を傾げ、大きな目を悪戯に輝かせた。


「有名だもの。
クレッシェンドの元マネージャーで、現在は飛ぶ鳥を落とす勢いのプリキーの……
あの志村賢一さんも一目置く、綾波剛さん?」



綾波は、ニヤリと笑う。


アニーに強引に引っ張られ、行ってしまう綾波の後ろ姿を見つめ、美名は硬直していたが、不意に内藤に肩を抱かれてギョッとする。





何が可笑しいのか、内藤はクスクス笑う。


美名は思わず、内藤の顔を目を丸くして見てしまったが、直ぐに綾波とアニーの姿を探した。


だが、二人の姿はすでに無く、美名の身体は急速に冷えていく。



身体は冷たいのに、胸の動悸は速くなっていき、訳の分からない悔しさと悲しさで一杯になる。



(剛さん……
何処へ行ってしまったの?
他の女の子と……二人きりになんてならないで……!
どうして、あの子の手を振り払ってくれなかったの――?)



肩を抱かれた手に、ギュッと力が入ったかと思うと、内藤は美名を連れて歩き出していた。



「……あ、あのっ……何処へ……」


「収録まて時間あるからさ、局のレストランでお茶しようよ……」



内藤はウィンクする。


「えっ……!?
あ、あの……困りますっ」

「……俺、見ちゃったんだよね、さっき、君がマネージャーとキスしてるの」


「――!」



「ふふ、誤魔化す事が出来ないんだね……
可愛いなあ……」


美名は、背筋に冷たい物が落ちるのを感じながら、魅惑的な笑みを浮かべる内藤を見た。



「いいでしょ?
お茶くらい?ふふ……」



美名は、従うしかなかった。


※※





きらぴかテレビの社食はバイキングスタイルになっていて、豊富なメニューを好きなぶんだけ取れる。


和食からイタリアンまで幅広いが、ケーキバイキングもあり、美名は思わず目を輝かせた。



「きゃあ――!
レアチーズ、美味しそうっ」


内藤がにこやかに、こちらを見ているのに気づき、美名は慌てて顔を引き締め、不機嫌に見える様に唇を結んだ。



(いけない……
浮かれてる場合じゃないし……
この人がどんなつもりで居るのかも分からないんだから……)



内藤は、美名の表情がツボったのか、プッと吹き出して、鼻を摘まんで来る。



「――!」


美名が手を振り払う前に、内藤は指を離すとトレーを持ち、美名へ差し出した。



「はい、好きなのを選んでごらん?
ここのはどれも美味しいからね」





美名は口を結んだままで眉を寄せ、しかめ面をしながらデザートコーナーに目を向ける。


金箔の乗ったガトーショコラに、苺ショート、ブルーベリーの実が盛られたタルトに、繊細な飴細工で飾られたシュークリームに、美名の大好物のレアチーズケーキに……

沢山の種類のプチケーキがまるで宝石が陳列されているかの様に並んでいるのを見ると、つい口元が緩む。



隣で、内藤が肩を震わせて笑いを噛み殺しているのに気付くと、美名はまたキッと唇を噛んだ。



内藤は我慢できない、とでも言うように腹を抱えて笑い出して、社食の中で注目が集まる。


局のキャスターや、社員達と思われる人々が、内藤に見とれている。


豪快に笑っているが、下品さは決して感じない。その不思議な魅力に、美名もつい目を奪われた。





内藤は笑ったまま、トングでケーキを掴み勝手に美名のトレーに置いていく。


内藤が、次から次へ乗り切らない程乗せようとするので、美名は慌てた。


「あ、あの……
そんなに沢山、無理ですっ」



「食べられなかったら俺が食うから大丈夫」



内藤はウィンクすると、トレーを持って鼻唄まじりで窓際のテーブルまで行き、手招きをした。



美名は紅茶を手に、渋々内藤の向かい合わせに座る。



内藤はケーキ皿にレアチーズを乗せ、笑顔で美名に差し出した。



「あ……ありがとうございます……」



「さあ~!
いただこうか!」


内藤は顔の前で掌を合わせて神妙な様子で頭を下げた。


「い、いただきます」


美名もつられて同じ仕草をする。





美名はレアチーズに真っ先にフォークを入れて、口に含むとその蕩ける食感と甘酸っぱさに頬を綻ばせた。



内藤はチョコケーキを豪快に一口で食べながら面白そうに美名を見ている。



美名は居心地の悪さを感じて、ナフキンで口元を押さえた。



「あ、あの……
何か、私の顔についてますか?」



内藤は首を振り、目を細めて笑った。


「いや……
美名ちゃん、好きな物を前にすると凄く幸せそうな表情をするなあ、と思ってさ」



美名は、先程内藤が真っ先にレアチーズを取ってくれた事を思い出して、目を見開いた。



(好物だって事を見抜いてそれで……?)






「美名ちゃんてさ」


内藤は、美名の皿にブルーベリータルトを乗せた。


「あ、ありがとうございます」


小さく頭を下げると内藤と視線がぶつかった。


その瞳になにもかも見透かされて居る様な気がして美名はたじろいだが、内藤は真っ直ぐに見つめてくる。



「素直というか、隠し事が出来ない子だよね。
……マネージャーさんの事が大好きだって……バレバレだよ」



「――!」



美名はケーキを詰まらせ、紅茶で慌てて流し込んだ。



「大丈夫?」


内藤が咳き込む美名の背中を叩くが、丁度そこに真理と由清がやって来た。



「あ――っ!
なっ……内藤巧――じゃね――か!」


「真理!声が大きい!」


「いや、今日収録で会うけどさ~!
やっぱ、こういう場所で偶然見掛けるとドキドキすんな~!
て、何、美名を連れ出してんだよ――!」



真理が目を剥いて向こうで喚いている。






「真理君……由清君……あ、あの、私……これで」



美名は、救いの神が来た、と内心ほっとしながら席を立ち上がるが、内藤に手を握られてギョッとする。



内藤は上目遣いで美名を見つめながら、手に少し力を込めた。



「――ねえ、今夜デートしようか」



「えっ……あ、あの」



美名は首を振るが、内藤は意に介さない様子で満面の笑みを浮かべた。



「彼との事……
秘密にしないとマズイでしょう?」



「なっ……」



「……一晩でいいんだ……口止め料としては、お安いでしょ?」



「――!」



美名は真っ赤になり、拳を振り上げ様とするが、内藤が素早くかわし立ち上がる。


バランスを崩してよろける美名を抱き締める様にして支えると、耳元に囁いた。



「きょうび、スキャンダルには世間は厳しいからね……?
特に、君みたいな清純ちゃんは、イメージに外れた事をしない方が……
お利口さんじゃないかな?」


「――!」


「本番が終わったら……
僕の所においで?」



「あっ……!」


内藤は軽く美名の耳を噛むと、手を離し、ウィンクして食堂を出ていった。




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