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castle in the air

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「コーラが五つ、ジンジャーエール二つ、エビアン十本に……あ、あとアイスミルクティー下さい」


桃子とマイカ、三広と亮介は今日のイベントに出店している屋台に買い出しに来ていた。



「はいよっ!」


店の主人が元気に返事をして氷やジュースをコップに手際よく注ぎ入れ、出来上がった分から渡していく。



「つめた――っ」



指から伝わる心地よさに一瞬頬を緩めた桃子だが、気を失い救護テントで横になっている美名の事を思うと、またすぐに沈んだ表情になり目を伏せる。


主人が手際よく、出来た飲み物を渡してくる。

桃子は次から次へと入場者が増えていくのを複雑な気持ちで見ていた。



今日のライヴは開演が夕方六時で開場が四時半。

テレビのニュースを見て取り乱し、倒れた美名の事を考え、今日は中止をした方が良いのではという意見も出て、暫しの話し合いの結果、智也がライヴの決行を決断し、予定より十五分程遅れて開場した。



今日は簡単な軽食を出す屋台がいくつか出店されていて、早くも客が列を作っている。



「桃子ちゃん、持つよ」


亮介が桃子からコップを受け取り、器用に四つ持つと、


「先にこれテントへ持ってくよ」

と言って駆けて行った。








「さて、行ってくる~!
お二人さん、転ばない様にね?」




次から次へ来る飲み物をマイカが受け取り、抱えるようにして覚束ない足取りでテントへ向かう。



主人の仕事は早く、あっという間に全ての飲み物を出し終えた。



桃子と三広は手分けして飲み物を持ち、溢れない様に注意深くゆっくりと歩いた。




「今日はお天気で本当にラッキーだったね?」



少し遅れて後ろを歩く桃子に、三広は明るく話し掛ける。



「うん……」



桃子は俯いたままだ。



「俺らさあ、デビューして一発目にいきなり野外ライヴしたんだけど、大雨だったんだよね~」



「うん……」



「祐樹のアニバーサリーライヴとか、ファンクラブ限定の野外ライヴとかさ、なんか知らないけど必ず雨だったんだよ……
俺らさ、雨バンドなんだよね……アハハ」



「……」



「他のバンドと一緒のフェスなら大丈夫かな?なんて思ってたら、俺らの番になると突然ガシャ降りしたりさ!
今まで八割がた雨だったね!
けど今日晴れたのは……ボンバーとプリキーのお陰かな――!
良かった良かった!うん!」



「お姉ちゃんね……」


桃子が、三広の話に被さる様に呟いた。



「……うん」



三広は、歩く速度を緩め、桃子の隣を歩く。








「お姉ちゃんは……
アイスミルクティーが大好きなの……」



「ああ……
美味しいよね~
俺も好きだな~」



桃子の言葉に三広は笑顔で頷いた。



「……レアチーズケーキが好きで……
ブルーベリーのジャムとの組み合わせが一番なの……」



「う――っ
なんか、俺も食べたくなってきた!」



「あとね……
実は梅干しも大好きなんだよ、お姉ちゃん。
……子供の時、お母さんが漬けてあったのを止まらなくなって全部いっぺんに食べちゃった事があって……

あの後、ずっと水ばっか飲んでた……」



「ええ――っ!そうなの」


桃子は、クスリと笑い声を溢すと上を向いたが、その瞳が涙で盛り上がっている。



「あと……
梱包材で……ビニールのプチプチってわかる?
あれ、お姉ちゃん……昔から大好きで……
雑巾を絞るみたいに……して……潰すのが……大好きで……っ」



桃子の瞳から、嵩を増した水がこぼれ落ちる。



「好きな男……の人のタイプとかも……
昔から変わらない……のよ?
そう……綾波……みたいなっ……」



桃子は、しゃくり上げた。



「お姉ちゃんの……好きな物……
何でも知ってる……
けど……こんな時……
何をしたら笑ってくれるのか……
全然……わかんないよっ……」



「桃子ちゃん……」



三広も、貰い泣きしそうになった時、マイカと亮介が走ってやって来た。



「あ――っ
桃子!どうしたの?」



「三広――っお前何を泣かせてんだ――っ」



マイカは桃子から、亮介は三広からジュースを受け取り、抱えて早歩きでテントへ向かうと、二人へ怒鳴る様に言い捨てた。



「根本さん、桃子を抱っこして慰めてあげてよね!」
「三広っ!
女の子を泣かせたら、責任取って百倍笑わせるのが男子だぜ――! 」







三広は唖然として走り去る二人を見ていたが、肩を震わせる桃子を見て、咳払いをして深呼吸をしてから腕を大きく広げて見せた。



「……も、もももも桃子!俺の胸に……とっとととと……
突進して来てごらんっ!」


桃子は、目を見開くと、泣き笑いの顔になり、頭から三広の腹にぶつかっていった。



「ぐぅほっ……」



「……三広君、ありがとう……」



腹への衝撃に目を回す三広だったが、桃子の小さな呟きに微笑み、その頭をポン、と優しく撫でた。



「大丈夫だよ……
綾ちゃんて、殺しても死なないくらいに強いから!
ほら、今までだって危ない事があっても……
復活したじゃん?
……それに、美名ちゃんは……心が強い人だから……
きっと大丈夫だよ」



桃子は、顔を上げて三広を睨む。



「……きっと、て……
なんか適当~な感じ」



「いや、きっとじゃなくて絶対大丈夫だよ!
……多分」



「多分――!?」



桃子に詰め寄られ、三広はたじたじになった。








桃子は、狼狽える三広を見て可笑しくなりプッと吹き出すと、三広の肩に手を添えて短いキスを唇にした。


三広が鼻血を放出する前に、桃子は素早くタオルを宛がう。



「む、むむむ」


「たっだいま――!」



鼻血をドクドク出しながら呻く三広の手を引っ張り、桃子は元気にテントへ入って行く。



丁度目覚めたらしい美名が、アイスミルクティーをストローで無心に啜っていた。



「お姉ちゃん……」


桃子が顔を綻ばせる。


テント内には、クレッシェンドとボンバーのメンバーが勢揃いし、マイカと健人も居て、皆飲み物を啜って休憩していた。


亮介がいち早く三広の様子に気付きからかう。



「み――つひろ――
また鼻血ぶーちゃんかあ?
……さては興奮する様な何か……してきたな!?
こんのエロ猿が――!」



「む、むぐぐぐっ」



タオルを鼻から離さないままで三広は何か抗議して喚いた。







「三広、頼むから本番で流血は止めてくれよな……
爽やかなクレッシェンドのイメージが台無しになるし!」



祐樹が顔をしかめて小言を言うが、三広は何故か真っ赤になり咳き込むと、更に流血したらしく、タオルが赤く染まる。



「うわ――っ!
な、何を興奮する要素が今あるんだっ」



「本番、ていうワードに反応したんじゃないですか?」



さらり、と言って冷静にタオルを交換するマイカに皆唖然とするが、暗黒は腕を組んで大きく頷いた。


「うんうん!
流石マイカちゃん!
腹が据わってるね~
さすが俺の嫁候補っ!」


「アホー!」
「何を寝言を言ってる!」
「全く~っ見境ないわね!
「止めなさい!」


即、健人と豚彦、瞬と髑髏川にぶん殴られた。







「ふぎゃ――っ
皆酷いっ酷いわ!
俺が黒塗りメイクだからって差別してない?」



「そういう問題じゃないんだよ!」



「そうだそうだ!
人間性が問題なんだよ!」

「暗黒君はケダモノだからね~マジで!
女の子達、半径五メートル以上離れた方がいいわよ?」



「お、お前らっ……
メンバーの事……
落としすぎっ……」



髑髏川達に散々けなされ、暗黒は青くなる。



「落としてない!
事実を言ってるだけだよ」


「ひでぇ――
猫ちゃんよ――っ
オイラを見捨てるのか――っ
お願いっ!俺を、俺を捨てないで――っ!
あんなに愛し合っていたじゃない!俺たち!」



髑髏川に暗黒がコアラの格好で飛び付いて、髑髏川の頬にキスを何度もする。



「ギャアアアアアア――っ!
何の話だよ――っ
誤解を招く言動と行動は慎んでくれ――っ」


髑髏川は白目を剥いて絶叫した。



そんな騒ぎの中、美名がプッと小さく笑い声を上げて、皆が注目する。



「うふふ……
もうっ……皆、本当に可笑し……」



お腹を抱えて笑う美名を見て、皆の間に安堵が広がっていく。








「美名ええええ――っ!」


突然、真理が咆哮の如く叫び、皆がギョッとする。



「美名っ……
お前はやっぱり笑ってなきゃな――っ
……でも、泣きたくなったらこの俺のひろーい胸に」



「止めれ真理――!」



美名に抱き着こうとする真理に、由清の鉄拳が飛んで、真理はぶっ飛んだ。




「あ……
堺さんとペコさん……
智也さん……は?」



美名がキョロキョロすると、祐樹が答えた。



「……OMIへ向かったよ。
堺さんも、ペコさんも……
自分達が出来る事をするって……
智也も、そう言ってた」






OMI、と聞いて、美名の胸の鼓動が速くなる。


「え……?」



「『綾波を必ず連れて帰る』て、皆言ってた……」



祐樹が優しさを滲ませた目で美名を見て言う。



その表情が、綾波とダブリ、美名は思わず涙ぐんでしまう。



「えっ?」



泣いてしまった美名に、祐樹が驚いて目を丸くするが、野村や亮介に小突かれた。



「……お前が、泣かせたんだよ」


「えええ!?」


「駄目じゃんか――!
美名ちゃんを苛めちゃ――!」


「違うって……」


珍しく祐樹が狼狽えるのを皆が面白がり、暫くからかわれていたが、美名はその姿を見ていると、やはり綾波が重なってしまうのだ。


皆に弄られる祐樹を見て可笑しくなり笑ってみたり、綾波を思い出して涙したりしていた。









「けど、智也社長が居なくて大丈夫なんかっ?」




真理が眉をひそめると、ゴールドはまじろうに扮した健人が胸をバーンと叩いて、


「その辺は、この応援団長であり、警備隊長の俺が!」



どや顔で宣言する。



「あ――?
健人が――?
……んだか頼りね――な……」



「頼りにしてくれよ――!伊達にチンピラやって無かったからな?」



「何の自慢にもならないわよ――そんなのっ」


「ぎえ――っ」



マイカに思いきり足を踏まれ、健人は声を上げながら片足でピョンピョン跳ねた。



「……まあ、警備隊の中には、プロの人達も居るし……
心配はないだろうけど……
志村さんが居てくれたらねえ……
少しは心強いのになあ」



桃子は恨めしく呟いた。


由清がちらり、と桃子に視線を送り、また目を逸らすと時計を睨む。



「……志村さん、ヤボ用で遅れる……とか言ってたけど、何の用事か誰か知ってる?」


皆、首を傾げる。



「ったく――
俺らのプロデューサーなのに、あり得ねぇよな――!
可愛い可愛いプリキーの晴れ舞台だってのに!」


憮然とする真理に、由清がニンマリと笑う。


「……何だかんだ言って志村さんが居ないと物足りないんだろ?」



「ば、バカ――!
違わあ――!」







美名が二人のやり取りを笑って見ていると、スマホが振動した。


志村からのメールだった。



『……ツイッターで今知ったけど、美名ちゃん、大丈夫?

こんな時に遅刻でごめんなさいね……

でも必ず私は行くわよそこに!

綾波君の事が心配だろうけど、彼は大丈夫よ。

美名ちゃんの元へ無事に帰ってくるわ!


今日は、最高のライヴにしましょうね?



では、また後で』




(志村さん……)



美名は、スマホを胸に抱き締めた。


気がつけば、皆も時折スマホを気にしてチェックしている。


立て籠りの状況を探っているのだ。


テレビでは一部の局が中継しているらしい。


美名は、テントの中にあるテレビのスイッチを入れ、中継されているチャンネルに合わせた。



「お姉ちゃん……」


桃子が首を振るが、美名は笑って見せた。



「……大丈夫よ……
私、倒れたりしないから……
何なのか分からないけど……剛さんは、今闘ってる。
多分……私の為に。
だから、私も出来る限り、応援したいの……
例え画面越しでも……」



「お姉ちゃん……」


桃子や一同が一瞬しんみりとするが、突然健人が吠え始めた。



「フレ――――
フレ――――
兄貴!」



仁王立ちして、胸を張りピンと伸ばした手先で弧を描く。



美名や皆が呆気に取られる中で、健人は応援コールを画面に向かって続けた。







やがて、暗黒と豚彦も一緒になりコールを始める。


「フレ―!フレ―!
ア・二・キ!」



瞬も戸惑いながら見よう見まねで腕を振り回し叫んだ。



「フレッ!フレッ!
綾波!
フレッ!フレッ!
綾波――!」



「アニキぃ――っ!
アニキが不在の間はこの健人が――っ
美名さんをお守りします――!」



「健人――っ!
お前だけじゃなくて俺もだ――!
俺も美名を守るし――!」


真理が健人に張り合うように声を荒らげると、桃子とマイカも元気に拳をつき出す。



「ハイハイハイ――!
女子も負けてないからね――!
フレ――!フレ――!
あ、や、な、み――!」



「お、俺も綾ちゃんを応援するぞ――!」


三広がスティッキで床をパシパシ叩いて音頭を取ると、亮介は何故かお腹を出して踊り出した。



「わ――!
綾ちゃん――!
無事に帰って来たら、綾ちゃんが好きなこの腹踊り、朝まで踊るからさ――!
早く戻ってこ――い!
るんたった!るんたった!
たらったららりら――!」

亮介は何とも言えない奇妙な動きで身体をくねらせて踊りまくっている。

「ぐ――……」


野村は、難しい顔をしてテレビを見ていたが、突然眠りに落ちた。



「……この騒ぎの中で良く寝れますね……」



由清が唖然とする。



「おいおい、お前ら、あんまり騒ぐと怒られ……
まあ、今日はお祭り騒ぎイベントだから、騒いでなんぼか!
アハハ!ね?」



祐樹にウィンクされて、美名は戸惑いながら笑った。



(やっぱり、似ているから……剛さんを思ってしまう……)








「全く、綾波もしょうがないヤツだよな……
こんな可愛い恋人を心配させるなんて」



祐樹が、ふと真顔になり真剣な眼差しを美名に向けるので、美名はドキドキしてしまう。



「よっく言うよな――!
お前だって、ほなみちゃんや俺らに散々気を揉ませた事があるでしょ――?」



三広は鼻血が止まったらしく、晴れ晴れした顔で祐樹の背中を指で突っついた。



「あれ、そうだったっけ?」


祐樹は舌を出した。



「き――っ!
お前、リーダーの俺がっ!今までどれだけ苦労してきたと――!」



三広が祐樹を追いかけ回し、テントの中で運動会が始まってしまう。



健人を始め、他の男子がまだ応援コールをする中で、桃子とマイカは飽きてしまい、テレビ画面を見つめて肩を竦めた。



「本っ当、男のひとって、バカみたい」



マイカは、血管が切れるのではないかと思う位に、額をピクピクさせながら叫ぶ健人を見てボソリ、と呟いた。



「そうだよね~」



桃子も頷き、祐樹とじゃれ合う三広を見る。









「ふふ……」


美名が思わず笑うと、桃子がビシッとテレビを指差し厳しい声で言った。


「いや本当、笑い事じゃなくて!
……この騒ぎだってさ、多分綾波自ら首を突っ込んだんでしょ?
……西野未菜が色々と不審なのは知ってるけど、何も危ない目にわざわざ遇いにいかなくてもさ~プロに調べて貰って、後は放って置けばいいの!
どーせ、奴の事だから
『俺が美名を守るんだ』
とか言っちゃって、突っ走ってるんでしょう?

……でも、男が無茶をしてる間、女はどうしたらいいのよ!

心配ばかり掛けて、楽しいのかしらね?

いい迷惑よっ!」



桃子の熱弁が次第にヒートアップし、美名が
"まあまあ"
と頭を撫でて宥めていた時、MOIのビルの玄関に、警備員の男性が出てきて一礼する映像が映し出された。



集まって居た報道陣が、色めき立ち一斉に警備員に詰め寄りフラッシュを焚きながら質問を浴びせた。



「中の様子はどんな感じなんでしょうか?」


「西野さんは、大丈夫ですか?」



一斉に口を開く記者達に向かい、警備員は両手を広げ制する様な仕草をした。







「……お騒がせいたしまして申し訳ありません……
二分だけ、状況を説明する時間を与えられましたので……
ざっと話します」



「与えられた――と言うのは、誰に、ですか?」


女性の声が飛ぶ。


テレビを見ていた美名が、聞き覚えのあるその声に身を乗り出す。


女性の姿が一瞬映し出されるが、特徴的な眼鏡でそれがペコだとすぐに分かった。



大騒ぎしていた男達も、いつの間にかテレビの周りに集まってきていた。



警備員は、一度俯いたが、躊躇いがちに答えた。



「それは――
西野に、です……」







一層激しくフラッシュが焚かれる中で警備員は眩しそうに目を細めた。



「……西野は、手に怪我を、しています……
自分で、手を傷付けました……」



記者達は皆真剣に、メモを取っている。


堺が休まずにシャッターを切り続けている横で、智也も成り行きを見守っていた。


警備員はこめかみを押さえ、俯いて言った。



「……西野は……
OMIを……辞める、と言っています」





「え――っ!」



テントでテレビを見ていた一同は仰天した。



「未菜ちゃん……?」


美名も、信じられない、という風に呆然とする。


(あんなに人気があって……
あんなに気が強い未菜ちゃんが……
そんな事を……)








警備員は疲れている様子だったが、淡々と話す。


「西野の言葉をそのまま伝えろ、との事です……

西野は、引退を望んでいます。

それが叶わないなら……」


警備員は、何かを思い出した様に顔を歪め、息を吐き出してから言葉を続けた。



「叶わないなら、今、ここで……命を断つ、と……」


一斉に目映いフラッシュを浴びた警備員は、手を翳して目を細めると、ビルの中を気にして振り返る。



「時間です……
警察は近付けるな、と言われてますので……
引き続き、私が説得をします」


頭を下げて行こうとする警備員に、ペコが言葉を投げ掛けた。



「他に――
西野さんと一緒にいる男性二人は、無事なんですか?」



警備員は、立ち止まり、ゆっくりと頷き、ビルの中へと入って行った。




ペコがテレビを見ている美名に知らせるかの様にガッツポーズをしているのが映し出されるが、そこでCMに切り替わった。



美名は、大きく胸を撫で下ろすと、涙を一筋溢す。



「良かった……
怪我をしてるのは……
剛さんじゃなかった……」








「お姉ちゃん……」


「お姉さ――ん!」


桃子とマイカは、美名を包むように抱き締めて頭を撫でた。



「ふあ――……
良かった」



三広も、安堵して力が抜けたのか、椅子にへたり込む。



「ヒヤヒヤさせるよな~全く……」



亮介は頭を掻いて苦笑する。



「……西野未菜は怪我をしてるんだろ?
もし出血でもしてるとしたら……」



祐樹が眉間に皺を寄せて難しい顔をすると、髑髏川と瞬も頷く。



「早く手当てした方がいいね」



豚彦は時計を見て不安げに呟いた。



「いつまでこの状態が続くんだろう……」



暗黒は、真っ黒に塗られた顔をテレビに向けて拳を強く握る。



「駄目だよ……
未菜ちゃん……
何があったのかよく分からないけど……
バカな事したら、駄目だよ……」



「フレー!フレー!
ア・二・キ――!
……ぐぎゃ」



「いい加減にしなさい――!」




まだ暑苦しくコールをする健人の頭をマイカが拳でぶん殴った。







「長い時間緊迫した精神状態は……
キツイよね」


由清が腕を組み、案じる様に静かに呟いた。



「綾波はしぶといけどよ~西野未菜、自棄を起こしてキレないといいけどな!
……まあ、キレたから、こうなってんのか……」



真理が苦々しく呻く。




「さて……
綾波も気掛かりだけど……
今、我々の現実……
開演が近付いてきたよ?」


祐樹の一声で、三広が悲鳴を上げる。



「ひい――っ」



「なんでひい――っなんだよ!
今日は桃子ちゃんも見てるんだぞ!
シャキッとしろよお猿!」


亮介に尻を叩かれ、三広は我に返る。



「そ……そうだ……
俺がリーダー……
しっかりしなくちゃ……
気を確かに持たなくちゃ……」



三広は、泣きそうになりながら呪文の如くぶつぶつと繰り返す。








「……大丈夫?彼氏」



頭を抱えて悲鳴を上げている三広を見て、由清は桃子に小さい声で話し掛けた。



「大丈夫だよ。
三広君は……普段はこんな感じだけど、ステージに上がると人が変わるから。
ステージの上では絶対に弱音を吐かないから……」


桃子が包み込む微笑を三広に向けているのを見て、由清は諦めた様に苦く笑う。



「そっか……
なら……
奴は桃子ちゃんに相応しい男だね」



「……うん……
多分」



桃子と由清は、何秒か見つめあったが、どちらからともなく吹き出す。



「なんだなんだ?
なんか楽しい事でもあったんか?」



「さあ?
お前には関係ない話だよ」



割り込んで来た真理に、由清は冷たく言い放つ。


「由清い――!
お前っ!感じわりぃな――!
そんな子は、もう遊んであげない!」



「……別にいいよ……それで」



「ギャ――!可愛くない可愛くない――!」



真理が由清の肩を掴んで激しく揺する。







その時、健人がすっとん狂に叫んだ。



「ぐ、ぐわああ―――――っ!そうだっ」



「な、なによ――!
もうっ」



マイカは耳を塞ぎ健人を睨む。



「か、開演までっ!
あと三十分――!
て、てーへんだ!そろそろシークレットゲストの到着と……
それからそれから……
とにかくマ、マイカ!
行くぞ――!
お出迎えをしなくては――!」


健人は、ゴールドはまじろうの頭の部分をしっかりと被り、胸の赤い蝶ネクタイを整えて、

「よっしゃあ!」


と叫ぶと、マイカの手を引っ張ってテントを出て行った。



美名と真理、由清は一様に首を傾げる。



「シークレット……ゲスト?」



祐樹を始め、クレッシェンドメンバーはいつの間にか切り換えて身仕度とウォーミングアップのストレッチや、発声練習を始めていたが、祐樹が健人の慌て振りを見て呆れている。



「全く……
大丈夫か?応援団長……警備隊長でもあるのか……
智也が居なくてグチャグチャにならないといいけどな」








今日のタイムテーブルは、トップバッターがクレッシェンド、二番手がボンバーダイアモンド、トリがプリキーの予定だと美名達は聞いていた。



髑髏川は手を叩いた。



「あ……そうか、プリキーの皆には伝えてなかったっけ。
今日はね、スペシャルゲストが司会進行をしてくれるんだよ」



暗黒がニマニマ笑う。



「そうそう!
他にもサプライズな演出がのっけからあるらしいし~!
あ~楽しみだな~!」



「お、おいっ!
なんでそんな楽しい事、俺らに黙ってるんだよ――!
意地悪うう――!」



真理が暗黒の肩をまた掴んで揺さぶる。



「まあ……
色々とバタバタしてたし、言うのを忘れたんだよね……ふああ」



起き出したらしい野村が、鏡を前に寝癖を直しながら言った。



「俺らはてっきり智也さん辺りがプリキーの皆に話してると思ってたんだけど……」



亮介は、長い手足を見せつけるかの様に大きな仕草で腕を廻したり、屈伸したりしている。









「いや……何にも、ねえ?」


由清が美名に同意を求めるが、美名はテレビを注視していて気付かない。


「……」


由清は溜め息を吐いて、テレビを見ながら呟いた。



「全く……
よりによって今日この騒ぎか……
つくづく、前途多難なバンドだよな……」



「おい由清っ」



真理が由清の口をその大きな掌で塞いで、額と額をくっ付けて見つめた。


由清は目を見開き、呻く。


「ぐぐ……むむ?」



「いいか!
俺らは、前途多難なんかじゃ無ぇ!
逆に、荒波を乗り越えて――の、深い谷を渡り――の、火の輪をくぐり――の、やってきたスゲー強運のバンドなんだぜ!
……綾波も、きっと無事に戻るし、ライヴも成功する!
……それしかねぇぜ!
て事で、後ろ向きな発言、今から一切禁止な!」



いかつい顔の真理が凄むと、やはり迫力がある。


久々に形勢逆転してしまい、由清はショックを感じながら、ブンブンと頷いた。










真理は、由清の肩をガッチリと抱いて、美名に親指を立てて見せる。



「――そういう事だ!
ワハハ!」



「うん……
ありがとう、真理君……
私……も、何もかも、上手く行くって、信じる……」



「うっ……うんうん!
そうだそうだ!
信じる力が奇跡を生む――!」



美名の笑顔に、真理が照れて由清の尻をバシバシ叩く。



「ぎぇっ……ま、まこっ……
分かったがら……やめれ」


「アハハハ!
本当、今日は面白いライヴになりそうだね!」


「そうだね――!
皆面白いキャラ勢揃いだからな――!
キャッホー!」



祐樹と髑髏川は、手を繋いで身体を伸ばして笑った。



「猫さん、珍しくテンション高い!」


「俺らも負けずに行こーぜ!」


「うお――!」



豚彦と暗黒と瞬ががっちり肩を組み、声を上げる。


にわかにテントの中が盛り上がって来つつあったその時、誰かが外から声を掛けてきた。



「もしも――し……
お早うございます」



皆、聞き覚えのあるその声にギョッとして一斉に叫んだ。



「えっ……」
「まさか!」
「ヤモリさん――――!」









「ヤモリさんっ……
ようこそいらっしゃいました!」



髑髏川が頭を下げながら挨拶すると、テントの入り口にひょっこりと、サングラスの顔を出したヤモリがニッコリと笑いながら入ってきた。



「うわ、うわ――!
ヤモリさんだヤモリさんだっ!
本物――!」



桃子は興奮して跳び跳ねる。



「ヤモリさん、お久しぶりです」


祐樹が、優雅な仕草で右手を出すと、ヤモリも右手を出してガッチリと握手して祐樹の肩を叩いた。


「いつぞやの……
君が人妻との熱愛宣言をかましてくれた、ミュージックスタイル以来だねえ~!
……て、今はもう人妻じゃなくて、君の奥さんか……
彼女は元気なの?」



「はい、その節はありがとうございました……
彼女は、元気にしてますよ……お陰さまで」



フランクに話しかけるヤモリに、祐樹は全く気後れせずに答えた。



(うわあ……
流石、西くんだわ……)



と、感心して見ていた美名の元に、ヤモリが手を上げてやって来た。









「ヤモリさんっ!
今日はありがとうございます!
そして先日のミュージックスタイルではありがとうございました――!」



美名と真理、由清は揃ってそう叫ぶと、深々とお辞儀した。



「アッハッハ……
凄いね~!息ぴったりだ!
今日は、たまたまスケジュールが空いててね……俺も君達のライヴを見たかったし、ご指名してくれて願ったり叶ったりだったよ!」



「ハッ……ハイ!
が……頑張ります!」



美名が背筋を伸ばして、気張ると、ヤモリは頬と唇を緩め、テレビをチラリと見て言った。



「いや、頑張らなくても大丈夫だよ。
……既に、君は、ここでこうして立っているだけで、相当頑張ってるでしょう?」



ヤモリの言わんとする事を理解した美名は、その気遣いに胸を打たれ、思わず涙ぐんでしまう。



「大丈夫だよ……
君には、沢山の味方が居るんだからね?
……会場を見たかい?
沢山の人達が、君達の演奏を、君の歌声を待ってる……」



ヤモリは、美名の震える肩を優しく叩いた。







「ヤモリさ……っ」


美名は、しゃくり上げてしまい、上手く喋れない。
ヤモリは、小さな子供をあやす様に、美名をそっと両腕で包み込み、暫くそうしていた。


テントの中の面々も、皆、しんみりと二人を見ていたが、ヤモリは美名から離れると、ポケットから綺麗に折り畳まれた水色のハンカチを美名に差し出す。



「さて、俺はもうすぐ出番だから、行ってくるよ。
クレッシェンドも、ボンバーちゃんも、宜しく!
……美名さん、ステージでは、素敵な笑顔を見せてね?」



「ハイッ!」

「ハ、ハイイッ!」



クレッシェンドとボンバーの面々は皆、ヤモリに深々と礼をした。



すると、バタバタという足音と共に、健人の絶叫が聞こえて来て、テントの入り口に顔をヌッと出した。



「ヤモリさん――!
スッ……スタンバイお願いいたします――!」



「はいはい……
では皆さん、後でね」



ヤモリは悠々とした仕草で出ていった。








「お姉ちゃん……」


桃子も涙ぐみながら、美名の頭を撫でた。



真理も目を赤くして、しきりに頷きながらぶつぶつ言う。



「か――っ!
大人の男だね――!
あの、女の子にタッチしても厭らしさを感じさせない……然り気無さ!
……ああいう技を俺もいつか会得を――」



「いや、真理には一生無理だろ」


「無理だね」



由清と桃子は直ぐ様突っ込みを入れた。



「ぎゃあ――!お前たちっ……
何もそんな……
バッサリ直ぐに切り捨てなくても!」



真理達が大騒ぎする中、美名はヤモリが差し出してくれたハンカチで目尻を拭った。



「美名ちゃん、テレビで会場の様子を見れるよ?」



三広が、ニュースの中継の画面を切り替えると、美名は目を丸くした。



紅い西陽が射す日比谷野音を、無数の人の頭が埋め尽くしている。


何処のスペースにもぎっちりと人々で埋め尽くされていた。







「嘘……こんな……」



小さな画面の中のその景色が、本当の事と思えずに、美名は呆然とする。



「美名、この目で見ようぜ!」




真理と由清は、美名の両手を掴むとテントの外へ飛び出した。



三人は手を繋いだまま駆け足で、会場が見渡せるポイントまで行く。

客席の末尾の更に後ろの、小高い丘になっている場所に三人は立った。



あれだけ沢山いたピンクの応援団や、はまじろう達よりも、客の数の方がはるかに勝っている。


皆、ステージの方向に顔を向けて、隣の人と何やら楽しそうに話をしたり、クレッシェンドやボンバーの曲を口ずさんだりしているが、プリキーの
"恋するcherry soda"
を、三人のまん前に居た――女子高生だろうか?
女の子二人が熱唱しているではないか。



美名は思わず、手を叩いて拍手してしまった。



女の子の一人が拍手に気付いて振り返り、

「あっ!」


と声をあげた。








「プ」


茶色の髪を二つにピンクのシュシュで結んだ女の子が叫び掛けるのを、ポニーテールの子が両手で口を塞いで阻止した。


女の子達が、口を塞ぎながら美名達の方へとやって来ると、周りを気にしながら握手を求めてきて、美名達は快く応じた。



「あ、あの……
プリキーの曲が、美名ちゃんの声が大好きです……」



シュシュの子は、はにかみながら小さく言う。



「私は、この子に影響されて聴き始めたんですけど、もう今じゃ大ハマりです!」



ポニーテールの子は、シュシュの子と顔を見合わせて眩しい笑顔を美名達に向けた。



美名は嬉しくて堪らない。


「ありがとう……!
今日、楽しんで行ってね?
私達は一番最後だけど、精一杯歌うよ!」



「は、はい……
後……
恋人さん……
無事に戻って来るように……
祈ってます……」


シュシュの女の子は、消え入る様に言った。



「私達、美名さんのブログいつも読んでます。
恋人さんへのメッセージ、なんか泣けちゃいました!
……私達もいつか、大切な人が出来たら、絶対に離しません!」



ポニーテールが、隣で感極まり涙ぐむシュシュの子の頭を撫でながら言う。







美名も、鼻の奥がツンとしてまた泣きそうになる。

今日は色んな意味で涙腺を刺激されてばかりだ。



「これからも頑張ってください!」


「ありがとう……!」




美名達は、再び握手を交わして、二人が自分達のスペースに戻るのを手を振り見届けた。



気が付けば、紅の色をした空は既に濃紺になり、会場の照明が煌々とついている。



見事な満月と、一番星が空に姿を現していた。



「うお――夜の野外ってなんか良いな~」


真理が天を仰いで背伸びをした。



「うん……
最高のロケーションだね」


由清も夜空と客席を交互に見てご満悦な笑みを浮かべている。



「――へぷしっ」



寒気に襲われ、美名はくしゃみをした。


昼間、太陽が出ていた時間は暑いくらいだったが、流石に冷たい風が出て来た様だ。



「あ~、冷えちまうし……俺ら出番まだだから、中で見てようぜ」



真理が、自分のジャケットを美名に羽織らせて、皆で戻ろうとしたその時。



照明が突然落とされ、歓喜のどよめきが起こると同時にステージ中央にスポットライトが当たる。



スポットの中でマイクを手に、悠然と手を振るのは、ヤモリその人だった。







思わぬビッグゲストの登場に色めき立ち、歓声が飛ぶ中で、ヤモリは頬と口元を楽しそうに歪めて客席の様子を暫く眺めていたが、軽い調子でマイクを通して



「おお……
なんか、凄いね!
皆、俺が誰だか分かってるの?」



と言うと、あちこちから


「ヤモリさ――ん」


「ヤモリさん!」


という声が飛びかう。



「はい、いかにも私がヤモリです!」



ヤモリが、両手を上に、横に、下に動かすと、客達はそれに合わせてリズミカルに拍手をする。


ピッタリと決まり、爆笑が起こった。



「いや――
気持ちいいね!
テレビ番組でやるよりもっと爽快だね~!
……野外のイベントの司会をやらせて貰うのは久々なんだけど……
皆さん、楽しんでいきましょう!」



いつもながらの軽快なトークに客席はすっかりヤモリのペースだ。








すると、場内にある有名なアクション映画のテーマ曲が流れ、ヤモリは空を見上げた。



「やや、何だあれは!
鳥かっ?
飛行機かっ?
サンダーバードかっ?
未確認非行物体か――!?」



会場の全てのスポットライトが空を照らし、その先にあるのは――



客達が指差してどよめく。


「うわっ!マジで!」


「ヘリだ――!」


「誰か降りてくるの?」



白いヘリは、空中で留まったままで、梯子をぶら下げた。



梯子を降りて来た人物を見て美名達も口をあんぐりと開けて驚愕する。




「し――志村さん !」



志村は、梯子に片手で掴まり掌を額に翳して客席を笑顔で見ていたが、いきなり手を離す。




「きゃあ――っ」



美名が掌で顔を覆い、客も悲鳴を上げるが、それはやがて大歓声と拍手の嵐に変わった。



「美名……
大丈夫だ、顔をあげてみな」


怖くて下を向いたままの美名の肩を、真理と由清が叩いた。



恐る恐る指の間から見てみると、パラシュートをぶら下げたままでステージで大室哲哉と肩を組み、客席に手を振る志村の姿があった。








「え、えええ――!?」


美名は呆気に取られるが、真理と由清も苦笑していた。



「サプライズってこれかよ……
大室のオッサン、確かアメリカに居た筈だよな?」


「これをやる為にわざわざ……?」



ヤモリがぞんざいな仕草で二人にマイクを渡すと、笑いが起きた。



「はい!時間があるもんでねえ、お二人さん言いたい事は沢山あるかも知れないけど割愛ね!
……では志村賢一さん、大室哲哉さんに歌っていただきます!


1983年の大ヒットナンバー……

“君とボクの恋のフィーバー777"

……若い人達は、知らないかな~!
アハハ!」



ヤモリの紹介と共に、いかにも昭和を感じさせるカラオケが場内に響く。








昭和のスーパーアイドルだった志村と大室は、当時の振り付けをそのまま再現して会場を大いに盛り上げる。



「おい……オッサン達、五十越えだろ確か……
大丈夫かよ……」


真理が目を丸くしている。



ステージの二人は、歌いながら激しくダンスをするが、全く声にブレが無い。



観客達は沸きに沸いて、口笛や声援が飛んだ。




『 君とボク


目と目が合って


始まるのさ


本気の恋までカウントダウン


3・2・1!


熱いKISSはフィーバーさ


君とフィーバー


恋のフィーバー』




二人はマイクを客席に向け煽り、いつの間にかヤモリも一緒になってステージで踊っていた。



『君とフィーバー!』



「いえ――い!」



『恋のフィーバー!』



「いえ――い!」



クライマックスで、客席との絶妙な掛け合いをしつつ、志村がステージの下手から上手を駆け抜けバク転してみせた所で曲が終了した。




「最高――!」


「志村さん――!」


「哲哉――!」




絶賛と歓喜の渦の中、志村と大室、ヤモリは肩を組み手を振った。



美名も大感激して拍手をしたが、またクシャミをしてしまう。



「おお……
マジで風邪ひいちまう!
行こうぜ」



真理が美名の背中を押し、三人はテントへ向かった。







―――――――――――
同じ頃、OMI本社の玄関前に待機していた堺とペコ、智也は時計と睨めっこしながら、一向に変わらない状況に焦れていた。



「綾波君……
大丈夫かしら?
ずっと中に閉じ込められて……
具合が悪くならなきゃ良いわね……
あと、増本さんも……」



ペコは言葉を区切り、苦々しく呟いた。



「全く……西野未菜……
こんな大事をしでかす前に、私達が思いきってスッパ抜いてやった方が良かったのかしらね……
そしたら、こんなに沢山の人を巻き込まずに済んだかも……」



「ペコさん……」



堺が首を振る。



智也は、カーテンを閉め切ったビルの窓から目を離さずに



「ポキノンさんが気に病む事はありません……
きっと、いつか何か起こったんでしょう。
たまたま、色んな偶然が重なってしまってこうなっただけですよ」



と言った。



「智也さん……
うううっ」



ペコは、気遣いの言葉に感激し目を潤ませるが、隣の堺の尻を思いきりつねる。



「いっ……!?
痛いっ! ?な、なんでですかチーフ!」



「何故かしらねええ――っ!
イケメンオーラに当てられておかしくなってしまったのかしら~!
それとも――待機疲れなのかもね――!
おーほほほ!」


ペコは、堺を羽交い締めにして脇腹をくすぐり始めた。



「うぎゃあ――っ」



堺が悶絶している中で、智也は腕を組み目を鋭く光らせ思案していた。



(……まずいな……
長い時間膠着時間が続くと、誰しも精神的肉体的な疲労が出てきて、突拍子もない行動に出る恐れがある……
西野の状態が心配だ……)









応接室では、西野がソファに座り脚を組み、血に染まった指でスマホを持ち、誰かと話をしていた。



あの後、西野はガラスの破片を自分の首筋に当て、増本と綾波に

『私の言う通りにしないと、ここで死んでやるから!』


と脅した。


増本は半泣きになり、
『頼むから止めてくれ未菜!』と喚いた。


綾波は、内心どうでも良い位に思っていた。


デビューの経緯については同情しないでもないが、それにより自分がどれだけ大きな物を得たのか西野はわかっているのだろうか。


実力があっても運に恵まれず、この世界から去るしかなかった者達を、綾波は数多く見てきた。



結局西野は、社長の寵愛を一身に受けて、好き放題にやってきたのだ。



数々の気に入らない新人を潰し、美名に嫌がらせをし、そこまでした人間が何を言った処で、情状酌量の余地はないし、好きにすればいい、と思う。



だが、もし西野に何かあれば、お人好しの美名はまた心を痛めるのだろう。


美名は、あれだけの事をされても尚、ミュージシャンとしての憧れを西野に抱いているのだ。








西野が目を大きく見開き、ガラスをぴたりと首筋に当て、窪みが出来るのを見た増本が、激しく身体を震わせて哀願した。



『わか……わかった!
言う通りにするから……だから、止めてくれ!』


『おい……』



綾波は増本を睨むが、増本は綾波にも涙目で頼んだのだ。



『お願いします……
ここは、未菜の言う通りに……っ』



(全く……
野郎に涙ながらにお願いされてもな……)



綾波は諦めて頷いた。



……警察が、動かない筈がない。
今に助けが来るだろう。
それに、智也がこの騒ぎを聞き付ければ、何かしらの対策を考える筈だ。

下手に抵抗をするより、大人しく様子を今は見よう――








西野に指示されて、増本は綾波の手を後ろ手に縛った。


増本は彼女に近付く事が許されず、遠く離れた部屋の窓際に立たされた。



ソファに座る西野の前の床に、綾波は座らされ、電話する彼女の様子を見ていたが、どうやら西野の方が分が悪いらしく、顔を歪めて歯軋りをしている。



「――わかったわよ……
もう、いい……!
あんたがその気なら私だって……!」




西野は、高く、ヒステリックに怒鳴り付ける。



白いスマホカバーが紅く染まり、西野の手からはまだ血が流れ続けているが、興奮しているのか、痛みを感じていないようだ。



「……社長か?相手は」



綾波の問いに、西野はギロリ、と睨み付ける。



「もう、私の社長じゃないわ……
今日だって、大きなプロジェクトがどうのこうの、て言って出掛けたけど……
どうせ、もっと若い女を見付けたんでしょうよ……
私より、若くて素直な、思い通りになる女を……商品をね」



世間に向けられている柔らかい妖精のイメージとは程遠い、低い声で吐き捨てる様に言った。








「未菜っ……」


「――あんたは黙ってて」



増本が思い詰めた声を出すが、未菜が拒絶する。


未菜は紅くなった指でスマホの画面を滑らかになぞり、突然何かを読み始めた。



「――私の大切な……
いいえ、貴方を言い表す言葉などこの世にありはしない。
今分かるただひとつの事は、私が貴方を、何があっても愛している、という事……」



未菜は、真っ直ぐに見ている綾波の目を見ながら薄く笑うと、首を傾げながら画面を眺め、また続ける。



「――今度、私は、プリキーは、再びスタートを切る大きなライヴをします。

今まで応援してくれたファンの皆様、友達や家族、デビューしてから仲良くしてくれたミュージシャンの仲間に先輩達。

皆に、見て欲しい。


……そして、貴方に、誰よりも見て欲しい。


貴方が見に来てくれるのを、待っています。


もし、貴方が来なかったら……

私はもう貴方を待つのを止めます。


私の方から、貴方を捕まえに行くから……


その時は、私を受け止めて、力一杯抱き締めて下さい」




未菜は、身を屈め、綾波と額が触れ合いそうな程に顔を近付けて言った。



「……これ、美名がアンタに宛てて書いたメッセよね?
……ふん、純愛ぶっちゃって……
ヘドが出そうだわ」



「――美名は、そういう女だよ……
幾つ恋をしても、傷付いても、いつまでも純粋なままなのさ」



綾波は、西野の目を真っ直ぐに捉えて悠然と言った。






西野の目が大きく開かれ、綾波の胸ぐらを掴む。


「……ふん……
その純粋な美名も……   あんたにもし、何かあったら純粋なままで居られるかしら?」



西野は妖しく微笑むと、硝子の破片を再び右手に握り、綾波の顔に近付けた。



「み……未菜!」



増本が叫ぶが、西野は綾波を見つめたまま目を逸らさない。



綾波も、西野から目を離さずに息を詰めたが、胸ぐらを掴むその小さな手が僅かに震えているのに気付き、西野が精神の限界に近付いている事を察した。




「あんたも……他の奴等も……
美名、美名って……」



硝子が、綾波の頬の辺りを躊躇う様に近付いたり離れたりしている。



「未菜――!
止めるんだ!
もう、止めてくれ!」


増本の叫びが響き、応接の外に待機している警備員や警官達に緊張が走る。








未菜は、ちらりと増本を見て、増本がその丸い目に涙を溜めているのを認めると、唇を震わせた。


「なんで……あんたが泣くのよ……」



「未菜……っ!
俺に……何か出来る事があるなら……何でもする……だから」



「何でもする、ですって?」


未菜は、綾波の胸ぐらを掴んだまま、一瞬俯いて、小さく何かを呟いた。



「な……何?
もう一度……」



聞き取れず、増本が叫ぶが、未菜は綾波に向き直り、低い声で呟いた。



「今……
あんた……聞いたわよね私の……」



「……お前が奴に言えないなら、俺が代わりに伝えてやろうか?
惚れた男に想いを告げるのが恥ずかしいとは……天下の西野未菜も、意外と気が小さいな」



綾波は、唇を歪めて笑った。



「なっ……」



未菜は、怒りをその目にたぎらせると、硝子の切っ先を綾波の頬に宛がった。



瞬間、血が未菜の頬に散り、部屋の青い絨毯に赤い点が刻まれる。



「う、うわあ―――――未菜――っ」



増本が絶叫した時、ドアが開け放たれ、警官隊が突入してきた。








「――きた!」



外で待機していた報道陣始め、堺やペコ、智也は、人の叫び声や、警官隊が一斉に踏み出したその足音に振り返る。

背中をピンと伸ばし、カメラに向かい中継のアナウンスをする者や、シャッターを切る者や、何処かに電話する者、慌ただしく走り回る者などで騒然となった。




「……堺ちゃん、綾波君を!」


「はい!」



「綾波……!」



三人は、大騒ぎのどさくさに紛れる様に、ビルの玄関の階段を一斉に駆け上がった。







「ちょっと!君達――!」


警備員か、警官か分からないが誰かが呼び止めるが、止められるよりも先に三人はビルの中へ入り、混沌とする人混みを掻き分け、応接を目指して走った。



すると、警官二人が担架に誰かを乗せて厳しい表情でやって来た。
担架に乗っているのは西野だった。


口に布を噛まされた西野の顔色は白く血の気がない。
布は紅く染まっていた。



ペコが掌で口を覆い、頭を振る。



「まさか……
舌を?」




「未菜――!未菜!」



増本が付き添って、青い顔をして呼び掛けている。



「増本さん!」



ペコが増本に駆け寄ると、増本が顔を歪めた。



「申し訳ありません……
本当に……
申し訳ありません……」



苦しげに、そう呟くと西野について小走りに行ってしまう。



智也は、立ち止まってしまったペコに


「綾波を探します!」


と言って足早に走っていった。



「は、はいっ!」



堺も追い掛けようとするが、派手にスッ転ぶ。



「堺ちゃん!
何してんのこの緊迫した場面で――!」



ペコに起こされ、堺は何とか立ち上がり、二人は肩を組みながら智也に続く。








救急車のサイレンが聴こえる中、智也は応接室にたどり着いた。



ドアは開け放されている。



西野と増本が出ていった後の異様な静けさに三人は不安を覚えたが、智也は唇を結び、決心した様に中へと足を踏み入れた。



ソファは倒れ、テーブルの上のカップとソーサーは粉々に割れ、零れた紅茶が下に伝っていた。



先程記者の前に出てきた年配の警備員がひとりで倒れた綾波を抱き起こそうと奮闘している。



「綾波――!」

「綾波君!」

「綾波さんっ」



三人が一斉に駆け寄ると、警備員は驚いて目を見開くが、直ぐに安堵の溜め息を吐いた。



「丁度良かった……
手を貸してくれますか?」







「綾波君!大丈夫っ?」


「綾波さん!」


「綾波!」



皆で声を掛けながら、綾波の手を握ったり、出血している頬を布で押さえたりしたが、綾波が目を覚ます気配がない。


智也が呼吸を確認するが、難しい表情をした。



「救急車をもう一台呼んで下さい!」



鋭い声に、警備員が慌てて社内の壁に掛けてある電話を取る。



ペコが涙目になり、綾波の腹を殴った。



「綾波君!しっかりして!美名ちゃんが待ってるのよ――!」



「ペコチーフ……乱暴は……」


堺が暴れるペコを押さえようとするが、反対に顎を殴られ、倒れて悶絶する。



電話を終えた警備員が、頭を掻いた。



「いやあ……
西野君の事で大騒ぎで、この彼の方がお留守になってしまって申し訳ない……」



「本当よっ!
あの娘はね――自業自得なの――!
綾波君を優先して助けなさいよね――っ」



ペコは、警備員の腹に頭突きを決めた。



「チーフッ!何をしてるんですか!
しっかり、しっかりして下さ……」



堺は、顎を押さえながら倒れた警備員の身体を揺する。







警備員が、腹を押さえながら蚊の泣くような声で話し始めた。



「……さっきまで、彼は元気に話をしていたんですよ……
けれど……眠る様に気を失ってしまって」



「そ、そうだったんですか……」



堺が、外の様子を気にしながら綾波の顔を覗き込むと、救急車の音が遠ざかっていく。



「西野未菜……大丈夫ですかね」



「さあ?
私としてはあんな小娘どうなっても知ったこっちゃないけど……
増本さんが悲しむのは気の毒だわね」



ペコは鼻息荒く言う。



「まあ……
この騒ぎがきっかけで、OMIの社長の遣り口や、西野のした事も世間に知れるわけだ。
……あの増本ってマネージャーも、ただでは済みませんね……
西野に手を貸していたわけですし」



智也の言葉に、ペコは目を臥せた。



「そう……やっぱり、増本さんも関わっていたのね」








「西野君が……
このビルに初めてやって来た日の事を、良く覚えています」


警備員の目が遠くを見る。


「え……?」



堺が、綾波の手を擦りながら警備員を見た。



「グレーのブレザーの制服姿の西野君は、増本さんと一緒にあの日、やって来ました。
西野君の目はキラキラ輝いてましたね。
私にも元気に挨拶をしてくれました……
ですが、何時間かして、このビルから帰る時の彼女の表情は……
別人の様に虚ろでしたよ」


「……」



智也と、堺とペコは神妙な面持ちで話を聞いていた。



「西野君に初めて会った時の、あの笑顔を、それから見ることはありませんでした……
彼女は、顔を会わせるたびに挨拶をしてくれましたが……
日に日に、何て言うんですかね……目付きがキツくなっていくんですよ

私の娘と同じ年頃の子なんですけど……
何だか切ないです……
この世界によって、彼女が狂ったならば、ここから身を引いた方が、いいのかも知れませんね……」



警備員は深く溜め息を吐いた。








「……う……」



低い呻き声が聞こえ、皆綾波に注目した。



瞼が微かに動いて、唇がもどかしそうに震えている。



「綾波!
……綾波!分かるか!」


「綾波君!」


「綾波さんっ」




智也達は綾波の肩を掴み呼び掛ける。



綾波の目がゆっくりと開かれ、視線をさ迷わせ、智也達の姿を認め、微かに笑った。



「どうした皆……
怖い顔をして」



「キャア――――!
綾波君が、生き返った――!」



ペコは絶叫して、堺の首を締めながら揺さぶった。



「チッ……チーフ……
何故……ゲホッ」



堺は目を廻す。



智也と警備員は、綾波の脈拍を測ったり、眼球の動きを見て顔を見合わせた。



「……意識はハッキリしてるが……」



「脱水している可能性があるね……
救急車が来たら乗って行って治療を受けた方が」



「……いらん」



綾波は誰に向けるでもなく呟くと、顔をしかめながら身体を反転させ、腕を床に付いて身体を起こす。



「あ、綾波君!そんな直ぐに動いたら――」



止めるペコに、笑顔を向けると、綾波はふらつきながら起き上がり、智也を見た。



「救急車は、キャンセルしてくれ」








智也は眉を寄せた。



「何を無茶を……
長時間縛られて身動き出来ないままで居て、身体が普通の状態じゃないんだぞ?
脱水もしているだろう。
点滴を受けた方がいい……その顔の傷も治療を」



綾波は、智也の制止も聞かずに部屋の窓際に置いてある大きな花瓶に活けてあった花を抜き取ると、花瓶を抱えて頭から水を被った。



「なっ……何をしてるんだ!」


「綾波さんっ?」


「ええっ!?」



呆気に取られる一同をよそに、綾波は頭を何度か振り、濡れた髪を手でかき上げるとニヤリと笑った。



「――水分補給なら、これで足りるさ」



智也は、綾波を見て、諦めた様に肩を竦め、スマホを出し救急車をキャンセルする旨を連絡する。


「……そうか……
行くんだな、今から」



智也の問いに、綾波は頷いた。



「ああ……
姫様が、俺のキスを待っているんでね」




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