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歌姫を見守る獣②

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それから二時間後、美名はマンションのエントランスで増本を待っていた。


焦げ茶に小さな赤い小花の柄の膝丈のAラインのワンピースで大きめのバックルがポイントだ。

秋らしく茶色のショートブーツを合わせて白いカーディガンを羽織っている。



時折スマホを覗きながらまた赤いバッグにしまい、長い髪に触れたりしている様子を、マンションから少し離れた場所に停車しているタクシーの後部席から綾波は見つめていた。



美名が降りて来た時、その愛らしさに心が騒いでタクシーから降りてその側へ駆け寄り抱き締めたくなった。


この二週間というもの、正体を隠して側から美名を見守って居たが、改めて美名に自分は惚れているのだと痛感した。







風にその栗色の長い髪が揺れれば指に絡み付けて口付けたくなり、歌う声を聞けば全身が総毛立つ。

鈴を転がす様に笑い声を立てれば、甘い思いで胸が満たされて、悲しげな表情を見た時には心臓が押し潰される。




(俺は一体、こんな所で何をしてるんだ……)



綾波は苦笑いする。



志村の言う通り、心配なら側に居れば良いのだ。


自分がもっと器用に自分の気持ちに折り合いをつけて美名の側に居れていたら、今夜の事も

「そんなもんは断れ!」


と一言言ってやればそれで済んだのだ。



しかし、美名が意外と頑固な面があり、お人好しなのも知っている。

綾波がそう言っても聞かなかったかも知れない。








するとマンションの前に白い車が停まり、クラクションを鳴らし、増本が出てきた。


美名が危なっかしい足取りでエントランスを降りるが転びそうになり、増本が支えるのを見て綾波は思わず唇を噛む。


美名ははにかんで頭を下げ、増本も笑いを溢している。



「美名……
お前のそういうところが隙だらけなんだよ……」



だから、一人にして置けないんだ、と苦い思いが過る。



二人が車に乗り込んで走り出すのを見届けると、綾波は後部席から静かに言った。



「あの車を追ってくれ」



運転手は頷き、タクシーを発進させた。



――――







10分程走り、辿り着いたのは業界の人間御用達で有名なフレンチの店だった。


然程大きな店ではなく、確かカウンターと席が四つか五つだけのスペースなはずだ。


増本は車から降りると助手席のドアを開けて美名 の手を取りエスコートしながら店の中へ消えていった。



(……見たところ、他の客は居ない……
ひょっとして貸切りにでもしたのかも知れんな)



「すまん、ここで暫く待機だ」



綾波が運転手に告げると、運転手は僅かに頬を緩ませる。



「なんだかドラマみたいですね~
たまにそういう事を頼む客が居るそうですけど僕はこんなの初めてですから、ドキドキしますね~。
……奥さんの浮気調査か何かですか?」



「まあ、そんなところだ」



綾波は適当に答えておいた。









美名は増本の後に続き店内に入るが、異国の雰囲気で統一された内装とインテリアに目を奪われる。


異国といっても何処の国なのか美名にはわからない。

よく見れば、カウンターの前の壁には有名人のサインが沢山飾られている。


芸能人が良く訪れる店らしい。



何とも言えない心地良い雰囲気で美名は緊張をいつしか忘れていた。



薄暗いが、アンティークなランプの柔らかく暖かい照明が安心感を産み出すのかも知れない。



一番奥のテーブルに西野は居て、二人を見付けると気さくな様子で手を上げた。








スタジオで見る印象とは違う西野に、美名は少し戸惑った。


西野は髪をおさげに結わえ、ふわふわした生地の水色のノースリーブのワンピースを纏い大きなハートの形のチャームのネックレスをしていた。


西野の印象は可愛らしくて優しい、まるで白雪姫の様な女の子で、世間的にもそんな感じで認知されている。


だが今日は、服装はフェミニンなのだが、仕草や表情が素の状態に見えた。



ある意味、美名には本性を見せてしまっているからなのだろうか。



知った者同士の遠慮の無さが何処と無く感じられた。



美名は、何だかそれが嬉しく感じて、自然と笑みが溢れていた。







「来てくれてありがとう美名ちゃん!」



「こちらこそ、お招きにあずかりまして……っ」



西野に手を握られ、美名はへどもどする。



「あはは!そんな風に緊張しないでよ!
仕事とは関係ないんだから、気楽にね?」



西野はウィンクしてみせて、美名を座る様に促す。


「増ちゃん、シェフに食前酒から持ってくるように言って?」



西野が甘える口調で言うと、増本はキッチンへ入って行く。



美名はテーブルのナフキンを膝に掛けながら店のスタッフと気さくに話す増本を見た。




「……お店の人達と、仲良しなんですね……
それに、他のお客さんは?」



「うん。増ちゃんのお友達がやってるお店なのよ。
今夜は私達だけよ?
だから人目も気にせずざっくばらんに色んなお話しましょ~?」



品の良い物腰のシェフがボトルを持って来て、黄金色に輝くワインをグラスに注いだ。



美名は軽く頭を下げる。








西野は華奢な指でグラスを持ち、軽く上げて首を傾げた。


「さあ、まずは乾杯しましょ?
……そうねえ、二人の恋と未来に!」


涼やかなグラスがぶつかる音が静かな店内に響く。


美名は飲み慣れないワインを一気に飲み、噎せてしまった。



「大丈夫?」



「う、うん……
美味しい……けど……ゆっくり飲まなくちゃだね」


「ふふ……そうそう!
ゆっくり味わいましょ?」


西野は何処か意味ありげな目付きをしてワインを口に含み、増本に目配せするが、美名は全く気が付かずにいた。






それから思いの外和やかに時間は過ぎた。


西野は自分のデビュー時の失敗談や芸能界の裏表の様々なエピソードを面白おかしく語り、美名を感心させたり笑わせたりした。


勧められるままにワインを飲んでしまい、デザートが運ばれる頃には美名はすっかり酩酊してしまっていた。



美名は、離れてカウンターで静かに珈琲を啜る増本をちらりと見た。



「増本……しゃんは……
いい人……ですね」



西野は一瞬目を見開くが、ニッコリ笑う。



「ええ、増ちゃんは本当に良い人よ……
憎らしい位にね」



「んん?……何?」



美名には、既に心地よい眠気が押し寄せていた。
聞き返すが、西野は魅惑的に笑うだけだった。








「ああ……にくたらしい?……わかる……かも……
すきで……しゅき……すぎて……
にくらし……くなるよね」


トロンとした目で、美名は西野に覚束ない呂律で語りかける。


西野は真顔になり聞き返した。



「――え?……好き……?」



美名は背凭れに身体を預けて目をこすった。




「ふん……
みなちゃ……は増本……さんの事が~
好き……でしょう?」



「――!」



西野の紅茶のカップを持つ指が白くなる。



美名は西野の顔を覗き込み、無邪気に笑った。



「恋のなやみ……
わか……るよ~
わたしも……つよししゃん……
好き……だけど……
なんか……うまくいかないし……えへへへ」



西野は色を失い、席から立ち上がる。



「――あんたに、何がわかるって言うの!
あんたなんかに!」



その声に、増本が気付き振り向くと、西野はその視線を受け止めて苦しげに口を歪めて顔を逸らす。






美名は、アルコールでハイになり西野が凄むのが何故か可笑しくてたまらなくて笑い転げた。



「あははは……
みなちゃん……怒った――!
こわ――い!アハハハ……」



「な……何よこの子っ」



西野は頬を紅潮させ、思わず手を振り上げるが、増本がその手をそっと掴む。



「……もう、かなり酩酊してます……
そろそろ連れて行きましょう」



「……ふふ~ん?
どこへ~行くの~?
にじか~い?フフフ」


美名はケラケラ笑っているが、今にも眠りに堕ちてしまいそうだった。



西野は増本の手を振り払い、美名をひと睨みして増本に耳打ちした。




「今からホテルに連れ込んで……
思いきり好きにやっちゃって?
写真も忘れないでよ?」



増本は黙って頷き、美名の背中に手を回して立たせた。







美名は、増本の手を振り払う。



「やあ――んっ
さわったらだめ――!
わたしは~!つよしさんの……ものなの――っ」



そう言いながら足元がふらつき、増本に抱き止められた。



「しっかり掴まって下さい……危ないですから」



「あはは……
ますもとさ~ん、みなちゃんが……
ヤキモチ妬いて……ますよ~?
ほらあ~!怖いかおしてる~」



美名は増本に寄りかかりながら西野を指差した。


「なっ……」



西野は唇を噛み、また睨むが、その頬はみるみる内に紅く染まっていく。



「ますもとさんも~!
みなちゃ~んが好きなら~
他のこにやさしくしたらだ――め――!
アハハハ」



美名は増本の肩を手で軽く叩いた。








増本は西野を思わず見つめ、二人の間に微妙な空気が一瞬流れた。



「うう……ねむい……かも」



美名の瞼が閉じて、意識が遠退いていく。


ズシリと増本の腕の中の重みが増した時、美名は完全に眠りに堕ちていた。



西野は鼻を鳴らして髪をかきあげる。




「バッカみたい……
ちょっと優しくするとすぐに騙されて……
可哀想に……今から男にヤられて恥ずかしい写真をばらまかれるって言うのに……
幸せな顔して眠ってるわね……ふん」



「――いいの、ですか?」



増本は美名を抱えて、静かに未菜に問いかけた。


「何がよ」



「僕が……
今から……美名さんを……
抱いても……未菜は平気なのか?」



増本は躊躇いがちに、しかし真っ直ぐに未菜を見つめた。







西野の大きな目が更に開かれて、揺れた。


増本はその色を見逃さずに射るように見つめるが、西野は目を瞑り俯き肩を震わせる。



「未菜――」



泣き出すかのように見えた西野は、やがて笑い出した。



「アハハハ……
あんた……バカ?
何をいい気になってんのよ……はあ?」



西野は右足で床を強く蹴った。



「未菜……僕は」



増本が美名を抱えたまま近付くと、西野は一歩下がり嘲りの表情を向けた。



「あんた何様よ……
私にそんな……
どうせ……社長に逆らうつもりもない……ヘタレの癖にっ!」



「未菜っ……」



増本は青ざめて絶句し、俯いて何かを言いかけるがまた口を結ぶ。



「ふんっ……
あんたは私の言う通りにしてればいいのよ……
女を抱きたくて仕方ないって、その顔を見てればわかるわよ!
……せいぜい今夜は楽しめば?
……ほら、車が来てるわよ!早く!」



西野が吐き捨てる様に言い店から早足で出て行くのを、増本が追い掛ける。



「未菜!」



未菜は増本に呼ばれて振り返るが、その目には怒りとも悲しみともつかぬ動揺が見えた。




「未菜……
僕は……
僕が……欲しいのは……女の身体じゃない……」



「増ちゃん……?」



未菜の唇の端が僅かに上がり、その瞳は水分を湛えて盛り上がる。



「僕が、僕が欲しいのは……っ」




――――









タクシーの中からずっと見張っていた綾波の目がぎらついた。



「――出てきたか!」



綾波は、素早く降りると運転手に


「ここに居てくれ」


と言い残し、三人の様子を伺いながら姿勢を低くしてじりじりと近付くが、西野も増本も何か言い合いをしていて気が付いて居ないようだった。



増本がぐったりした様子の美名を抱えているのを見た時、全身の血が沸騰した様に熱くなり、綾波は駆け出していた。








「美名を離せ!」



綾波は獲物を追う獣の様な素早さで西野を羽交い締めにした。



「なっ……
あ、貴方は」



増本は驚愕して唇を震わせた。


西野は押さえ付けられながら、僅かに後ろを向き顔を歪める。



「プリキーの……マネージャー……
なんでここに……?
今……出張って話じゃ……ああっ!」



綾波は西野の腕をねじ上げて増本を冷たい目で見据えた。



「美名を返せ」



「な、何よあんた……っいきなり……
私達はただ一緒に食事をして……美名は酔っぱらっただけよ……んんっ」



綾波は、更に強く腕をねじ上げて西野は苦痛に顔を歪めた。


「み、未菜!」


増本が叫ぶと、綾波は薄ら笑いを浮かべて低く言う。



「俺は美名のマネージャーだ……
美名には明日も仕事が控えている。
そんな酩酊した状態のまま放って置くわけにはいかないんだよ……
増本さん?あんた……
美名を送って下さるつもりなんだろう?
だったら、その必要はない……俺が美名を引き受ける。
……それとも、そんな状態の美名を何処かへ連れ込んで何かしようとか、そんな事を企んではいないだろうな?」







綾波の怒りを含んだ眼光に、増本は唇を噛んでたじろいだ。



「まさか、大手事務所の看板アーティストの西野未菜が、マネージャーと組んでうちの美名によからぬ事を企んでいるわけではないでしょうね?」



「なっ……何を言いがかりを……」



「とにかく、美名を離せ!今すぐにだ!」



その鋭い声に、増本も西野も震え上がった。


綾波は片手では西野の腕をねじ上げ、もう片手は今にも首を絞めようとしている。


増本は蒼白になり、頷いた。



「わ、分かった……だから未菜を離してくれ」



「物分かりが良くて結構な事だ」



綾波は西野を突き飛ばし、増本の腕から強引に美名を奪い取って抱えた。


「未菜――!」


増本は突き飛ばされ道に転げる未菜に駆け寄る。


その隙に、美名を抱えた綾波はヒラリと歩道を降り、車道を素早く横断しタクシーに乗り込んだ。







綾波達を乗せたタクシーは、あっと言う間も無く走り去った。



「未菜……大丈夫か」



増本が大きな身体を屈めて未菜の腕を掴み起こすが、未菜の白い手が鋭く頬を打った。



「くっ……」



口の中が切れて、苦い味が広がる。



未菜は燃える様な瞳で睨み、突き刺す如く言葉を投げた。



「――役立たず!」



「未菜――!僕は」



増本は血が滲む口元を拭おうともせず、西野の腕を掴むが、また振り払われる。



「もういい……
あんたには頼まないわ!
美名……許さない……
この世界で生きてきけなくしてやらなくちゃ、私の気が済まないわ!」



西野は二人が去った方角を見つめ、やがてニヤリと笑った。



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