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波乱のミュージックスタイル①

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「スターシュガーファッションにグリーンティースペシャル、とろけるスノーホイップにブラックブラックドーナッツを……う――――ん。
十個ずつ下さいな!」



『デリシャス・ドーナッツ』のカウンターでペコこと芝原七海が大量の注文をすると、いかにも不慣れそうな若い男性店員が顔を僅かにひきつらせて笑った。



「は、はいっ……
お待ちください……てっ……店長、助けて下さい」


奥へ引っ込むと、丸い顔の店長を呼んできて二人で目を三角にしながらドーナッツを包み始めた。



ペコは鼻唄を歌いながら上機嫌だが、横で堺が呆れている。




「ペコチーフ……
買いすぎでは?」




「あら、差し入れよ差し入れ!
まさかこのわたくしが全部食べるとでも思ってたの?
んも――堺ちゃんったら!」



「ぐっほっ」



ペコにバシバシ背中を叩かれて堺は噎せた。









「あっ、すいません、五個は別に包んでくれますか?」



ペコが言うと、店長は面倒臭そうな顔をしたが、女王様眼鏡の奥の鋭い目でギロリと睨むと、怯えて頭を下げて別の紙袋にドーナッツを入れている。



「ふんっ」



鼻を鳴らすペコに、堺が時計を見ながら聞く。




「今から病院で……午後からスタジオですね」




「いよいよプリキーのデビューだしね!

志村さんの口利きのお陰でスタジオへ見学に行けるなんてラッキーよねえ!ホホホ!」



「写真撮影がNGなのが残念でしたね……
まあ、流石にそれは仕方がないか」



堺は首から下げたカメラにそっと触れた。








「そうよね~!
堺ちゃんのイチオシのプリンセス美名ちゃんの晴れ姿を撮りたいわよね!」


「ええ……まあ」



堺は苦笑いする。



「お客様……お待たせ致しました……」



店員が疲弊しきった表情で箱入れのドーナッツと袋に入った分を大きな手提げ袋で寄越した。



「どうぞ……良かったらこれを」



丸い顔の店長が、ビクつきながらペコにピンク色の大判手帳を渡す。



ペコは目を輝かせた。



「んまあっ!
これは……デリシャスドーナッツポイント1000貯まらないと交換出来ない
"デリドスペシャル乙女手帳"
じゃないの――!
……ウフフ!ありがとうね店長さんっ」



ペコはドーナッツを堺に持たせ、にんまり笑って店を出た。









通りに出て少し歩くと、二人が目指す病院が見える。



綾波と大室が入院している病院だ。




正面玄関は、相変わらず送迎車でごった返していた。


人や車を避けながら二人はガードマンに挨拶して中へ入っていく。




「まずは、大室さんの所へ行きましょうか」



「えっ」



ビクついて腰が引ける堺を引き摺り、大室の居るB病棟のエレベーターに乗り込む。




「……あの子達、どうなるのかしらね」



「silent wolf……ですか?」



6階で降りて、大室の居る特別室へ向かって歩きながら話す。



「確かに……
やった事は卑劣だけど、あの才能を埋もれさせてしまうのは日本の音楽界の損失だわ」



「……かも知れませんね」



志村の病室の扉をノックして、ペコはゆっくりと開けた。









「大室さ――ん」



ペコが顔を出すと、大室は何かを書き留めていたらしく、ノートをパタンと閉じた。



「ペコか……
なんだ、ベッドに縛り付けられてるザマを笑いに来たのかい?」



大室は珍しく無精髭を生やしていた。



ペコの後ろから堺もおずおずとやって来る。




「なんだ、そちらのお兄さんはペコのツバメ君か?」


ニヤニヤする大室をペコはバシイと殴り、後ろにいる堺には蹴りを入れた。



「な――にを言うんです!わたくしはお子様を可愛がる趣味はないですわよ――
ほ――っほほ」



「ぐほっ」



大室は俯せに崩れ、堺はその場にうずくまり呻いた。


「な……何故!?」




「それはそうと大室さん?silent wolfちゃん達はお元気なの?」



ペコはズバッと直球で斬り込んだ。








堺は蹴られた向こう脛を擦りながら、口をパクパクさせた。



大室は賢い目元を僅かに歪ませた様に見えた。




「本当なら、訴えられてもおかしくないんだ……
まあ、俺が色々と唆したのも原因だけどな」



ペコはじっと大室を見つめた。



「……翔大は今、マンションで謹慎している。
それに聖恵は体調を悪くしてな……
庄森だけは他のバンドの助っ人のサポートを頼まれたりして動いているがな……」



「あら……
メンバーの体調不良って、ガチだったのね」



ペコが口を手で押さえ眉をひそめた。








「まあ……俺も入院中に、これからの方向を考えるとするよ」



大室は小さく笑った。

その穏やかな表情は、今までの
『泣く子も黙る鬼の大室』
の異名はそぐわない。



「変わりましたね……大室さん」


「どうかな……
だとしたら……多分、天使が俺に囁いたせいだろうな」



大室は、パーティの夜、自分を救ったマイカを思い出して目を細めた。



「――てんし?」


ペコと堺は目が点になる。




「大室さ――ん、回診ですよ」



看護士と医師がやって来た。



「じゃあ、私達はこれで……大室さん、お大事に」



ペコと堺は頭を下げて、部屋の扉を閉めた。








病棟の廊下を何度も右に曲がったり左に曲がったりして、二人は綾波が居る病室に辿り着いた。



ペコが溜め息をついた。


「あ――迷うかと思ったわ~!
複雑すぎるでしょ~この病院の経路!
……堺ちゃんがもしここに入院したらお見舞いに来るの面倒だわあ~」



「え……僕……そんな予定ありませんけど」



「コロコロって転んで骨折するかも知れないじゃない!転ぶのが得意技でしょ?ホホホ」



「……」



ペコは扉をノックする。


「はい……
祐ちゃん?」




中から高い声がした。



「お邪魔いたします……」



ペコと堺が扉を開けて頭を下げると、ベッドの側で編み物をする優しげな女性が首を傾げて二人を見る。




「こんにちは……
剛さんの……お友達?かしら?
ありがとうね……来てくださって」



柔らかい笑顔のその女性は、綾波の母なのだろう、とペコは思ったが、母親にしては随分若い、とも思う。







「わたくし、こういう者です……」


ペコがお手本の様に礼儀正しくお辞儀をしながら名刺を渡す。

堺も慌てて鞄の中を探り名刺を出すが、ケースを落としてばらまいてしまう。




「うわああああ」



「も~!何してんのっ」



ペコと堺が屈み名刺を拾っていると、その女性も手伝って拾ってくれた。



「すいません!」



堺が恐縮すると女性は柔らかく笑った。



「いいんですよ……」



「全く、こんな時にも"
コロコロ堺"
の異名を発揮してるわねえ~」



ペコはケタケタ笑った。


女性は拾った名刺の束から一枚抜き取り残りを堺に渡すと小さくお辞儀した。



「私は、剛さんの母の……西本菊野です」








「西本……?」



ペコが僅かに片眉を上げると、菊野は目を臥せて言った。



「私は……
血の繋がりのない母です。
孤児だった剛さんを引き取ったんです」




菊野は眠る綾波をチラリと見て小さく笑った。




その表情に、母としての情とはまた違う何かをペコのアンテナは敏感に反応した。




「そうだったんですか……」



「ノックの音がした時、私てっきり祐ちゃんが来たかと思って……
もし変な顔をしちゃってたらごめんなさいね?」




菊野ははにかんだ様に笑みを溢す。




「祐ちゃん?」



堺が聞くと、菊野は頷いた。




「西本祐樹……
私の息子です」




ペコは目を輝かせた。




「んまあっ!
まさか、あの"クレッシェンド"の西本祐樹さん?」









「……ああ……!
そう言えば、綾波さんは西くんに良く似てますね!
……て、あれ?
血の繋がりがない……ですよね」



堺が首を捻る。



「西くんと、綾波さんが似ているのは……
単なる偶然なんですか?他人の空似、というのはこの世の中よくありますけど……
確か、綾波さんを引き取られた……という事でしたよね?
……違っていたらごめんなさい……
綾波さんが、祐樹さんと良く似ていたから、養子にされた……とか?」


ペコは食い気味に質問する。


「ペ……ペコチーフ……そんな立ち入った事を」



堺が隣で狼狽えた。








菊野は静かに、涼やかな声で答えた。



「――お察しの通りです……
剛さんが、祐樹にそっくりだから……です」




「……」




言葉を失う二人に背を向けると、菊野はベッドの側で立ち尽くして、肩を震わせた。




「私……
私が……祐樹に似た子を欲しいと強く望んで……半ば強引に……剛さんの意思なんか関係なしに引き取ったんです……
私は……短い間だけでも剛さんと暮らせて幸せでした……
けれど……剛さんは……内心苦しんでたんです……
他人の自分が西本の家に居ることを苦痛に思ってたんです……」




一度堰を切った菊野の感情は溢れ出して止まらない。



ペコはその小さな肩をそっと抱いた。



大人の女性なのに、しゃくり上げる様子は小さな女の子に見えた。








「……ごめんなさい……初対面の方達にいきなりこんな話を……」



菊野はハンカチで目尻を拭い、呼吸を整えようとするかの様に深呼吸する。



「剛さんは……
美名さんという方を助けようとしたんですね……」



「ええ……
美名さんは……」



「剛さんの、大切な人よね?
……私も、病院に来る時間がまちまちだし、まだお会いできてないけれど……お電話をこの間頂いたわ……
とっても綺麗な声の人ね……」



菊野は顔を綻ばせると、綾波の方へ向き直り、眠る瞼に語りかける様に言った。




「私は……
剛さんに幸せを貰ったもの……
今度は剛さん自身が幸せのプレゼントを貰わないとね……
だから……早く、目を醒ましてね?剛さん……」



菊野の瞳は、また溢れそうに濡れていた。









「……美名さんが、今夜ミュージックスタイルで歌います。
綾波さんにも見せてあげて下さい……
きっと、分かる筈ですよ……」



堺が言うと、菊野は頷いて綾波を見つめた。



「ええ……
今日は、ここで一緒に放送を見るつもりで居ます……
楽しみね?剛さん」




「はっ!
そうだったわ……
良かったらこれをテレビのお供に!」



ペコが紙袋を渡すと、菊野は小躍りする。




「あら~!
デリシャスドーナッツ!……嬉しいわあ……大好きなの私!
剛さんも甘党なのよね……そう言えば」



「意外と……甘い匂いで目覚めるかも知れませんよ?」



堺が言うと、菊野はクスクス笑った。



「本当ね……」










――――――――――――


その頃、プリキーと志村の面々は、既にテレビ局に入って楽屋に居た。



夜中にこっそり病院へ出掛けた事がバレて、つい先程まで真理は志村に息が絶える寸前まで擽られるというお仕置きをされていた。



笑い疲れ、極限まで腹筋を使った真理がお腹を丸出しにしたまま白眼を剥いて楽屋の隅に倒れているのを、由清がスタッフにヘアメイクをされながらチラチラと心配そうに見つめている。




「大丈夫よ!
これ位で死にはしないわ!
寧ろ緊張が解れて良かったんじゃないかしら?
おーっほっほ」



志村が高笑いした。









「真理くん……」


志村は、オロオロする美名の顔を両手で挟み何秒か鋭い目で見た。


美名の瞳が怯えた時、目尻を下げて笑うと、指でそっと頬に触れてきた。



「そりゃ好きな人の顔を、毎日見たいわよね……
でも、私は心配だったのよ?
そのまま帰って来ないかも知れないって……」



「ごめんなさい……」



「ん――!
ちゃんと無事に戻ってきたからそれは良いわ!
でも、もう黙って夜中に出掛けたらダメよっ?」



「は、はい」



「あら――やっぱり昨夜の寝不足やらがお顔に出てるわよ~?
目の下にクマちゃんが!」


志村は眉をひそめ、両手の指で美名の目の下の窪みを優しくマッサージを始めた。








「く……擽ったい」



「ちょっと我慢してね~?すこしでもお化粧のノリを良くしなくちゃ!」



志村の整った目鼻立ちが間近にあり、思わずドキドキしながらされるがままにされていると、真理が絞り出す様な声を出した。




「じ……むらの……おっざんよ……
びめ……にセクハラ……すんなよ……」



「ホホホホ!
おバカねえ~真理くんったらあ!
これはセクハラじゃなくて乙女ど・う・しのキャピキャピよ!
いわゆる一つのガールズトーク!」



「きゃぴきゃぴ……」



由清の僅かにひきつる表情が鏡に映る。









「おどめ……て……ぐえっ……おえ」



呻く真理に、志村は笑顔のまま櫛を投げつけた。
櫛は真理の尻に見事命中する。



「ぴいっ……」



「悪いお口は閉じなさいね~?
それに、セクハラ注意は真理君の方だからね!
……美名ちゃん、昨夜は襲われそうにならなかった?
何かあったら……ううんっ!何かある前に私に相談するのよ?」



「は、はい……
大丈夫です」



美名は僅かに頬を染める。


志村はオネェの筈だが、たまに男らしく見える事があるのだ。

仕草や言葉はとても優雅で女の子より女の子らしいのに、ふとした瞬間にとても頼もしく見える。









綾波がこうなってしまってから、志村は美名の事を第一に考えてくれているのが分かる。


以前から細やかな気配りをする人だったが、今はそれにも増して美名の事に心を砕いてくれているのだ。



しかし決して押し付けがましいとは感じない。


志村だけでなく、真理や由清、三広や亮介にポキノンの堺も自分を心配してくれている。



桃子も毎日メールをくれる。

友達のマイカも気にしてくれている様だ。



それに、プリキーのオフィシャルホームページを立ち上げたら、早くも反響があり、激励のメールなども届いている。




『歌手は、音楽家は、音楽だけを届けてるんじゃないんだ』



真理に言われた言葉が胸の中で甦ると、改めてその意味が膨らんで熱を持ち、嬉しくもあり引き締まる様な気持ちになる。








志村は美名から指を離して頬を緩めると、由清のメイクを終えたスタッフを指を鳴らして呼んだ。



「クマちゃん、この位ならメイクで消えるわね?
お願いね?
あら……美名ちゃん、何だか良い顔になってきたわよ?」



「え?」




「表情に力が出てきましたね」


スタッフも鏡の中の美名を見て微笑む。



(そうか……
私、思ってる事が全部顔に出るんだ……
気を付けなきゃ……
今日はテレビに映るし)



「ああ……
何だか急に緊張してきました」



「美名っ!
それを言うなよ~!
俺まで緊張するだろ」



真理が身体を起こした。


「初めてのテレビ……
しかも生放送で……
今日って2時間スペシャルだったよね……
他のゲストも大物や超がつく人気者ばかり……か。
つまり……今日はいつもより沢山の視聴者が見てる訳だね」



「よ……由清――!
止めろよ――キャー」



真理は耳を塞ぐ。







志村はスタッフから渡された台本に目を通してブツブツ呟く。



「……トークの時間が約3分……
話題は……真理君の筋肉の事に、由清君の経歴……美名ちゃんのスリーサイズ!?
……何よこれっ!
冗談よね?」



スタッフは、美名のアイメイクを施しながら苦笑する。



「台本にはそう書いてますけど……本番でヤモリさんが全く別の話を振ってきたりしますからね……」



「とっ……トーク!?
やべ――!筋肉の事聞かれたら俺脱がなきゃならんの?」



「いや、脱がなくていいでしょ」




「由清!お前は口が良く回るから任せた!
トークなんて振られたらそれで精神と体力がすり減って演奏する前にばてちまうよ――!」









「まあ、ヤモリさんが上手くお話を引き出してくれるわよ……
緊張してる感じも初々しくて好感を持たれるかも知れないしねっ」



志村は時計をチラリと見る。



「美名ちゃんのメイクが終わったら、リハーサルが始まる前にヤモリさんや他の出演者さんの楽屋に挨拶に行きましょうね……」



美名は、チークを叩かれながら目で返事をする。



「うお――っ!
スゲ――!
本当に俺らテレビに出るんだ――!」



「静かに……
他の楽屋まで聞こえちゃうよ」




万歳するように両腕を突き出す真理を由清がたしなめたが、真理は興奮して肩を掴んで揺らす。



「だってよ――!
スゲーじゃんか!
ミュージックスタイルだぜ――!
……ついこの間までjunkで二桁客を呼ぶのが精一杯だった俺らが!
ふぉ――――っ」



「う……ん……そ……だね」



ガクガク揺らされて由清は目を白黒させた。









「全くも――う!この子供ちゃんはっ!
落ち着きなさい」



「ひ……ひいい」



志村は真理をひっぺがすと、頭を拳でグリグリと押した。



由清はホッと息を付くと、鏡を見ながら曲がったネクタイを直す。



王国のプリンスをイメージした様な白いタキシードに空色のネクタイが様になっている。




美名は口紅を塗ってもらいながら由清を横目で見た。




(カッコいいなあ……
桃子がアンソニーって呼ぶけど、ぴったりだよね……)



楽屋の隅でまだ志村にお仕置きをされて悲鳴をあげている真理を見ても、背も高くて筋肉質でハンサムで素敵だと思う。



(ぶっちゃけ、かなり格好いいよね……
アイドルになった方が売れるだろうなあ……多分……
私が、台無しにしないように頑張らないと!)



心の中で改めて気合いを入れた時、スタッフが手を叩いた。



「取り合えず終わりました~!
本番前にまた直しますね!」



「ありがとうございます……」



「凄く素敵ですよ~!
私の自信作です!
他のどの出演者さんのメイクよりも頑張りました!……て、内緒にしてくださいね」




スタッフが出て行くと、美名は鏡に自分を色んな角度から映してみた。









多分、今日の衣装を見たら桃子などは大喜びするだろう。


今夜番組で披露するデビュー曲
『恋するcherry soda』
のカラフルでポップなイメージに合わせたパステル色のドット柄のミニドレス。


背中に大きなリボンが付いていて可愛い。



高い位置のツインテールにした髪にもドレスと合わせたリボン。



動きが出る様に髪型もドレスのスカート丈も計算されている。



由清は白い王子スタイルに、真理は真っ赤なスーツに黒いシャツ。




見た目は完璧に近い位だと思うが、歌を聴いてガッカリされないように、いつも以上に丁寧に歌わなければ……




(こんな時……
剛さんが居れば……)



『綺麗だぞ……
流石、俺が惚れたお姫様だ』



鏡の中に、涼やかに笑う綾波の幻が見えた気がして、胸の中がギュッと痛んだ。








「さあ――て!そろそろ行きましょうか?」



志村が真理の首を締め上げながら言った時、ドアがノックされた。




「は、はい!」



美名が返事をすると、静かに開いたドアの向こうに、大人気の歌姫の

『西野 未菜』(にしの みな)

が笑顔で立っていた。



「に……西野っ未菜ちゃ……いや、西野さんっ!」



美名は驚きで大声を出してしまう。



志村達もその声に驚いて、楽屋に訪れた人物を見ると目を丸くした。



西野未菜は二年前にデビューしたソロの歌手だが、女の子が恋愛に悩む気持ちなどを切々と歌い上げる歌詞や西野の愛らしいルックスが十代の若者に大人気なのだ。









美名も西野の曲を良く聴いていたし、歌の練習も西野の曲でやっていたのだ。


綾波の事で頭が一杯で出演者が誰か全く記憶していなかった為、大いに狼狽えてしまい言葉が口から出てこないまま固まってしまった。



「うっわ――ホンモノだ!すっげ――!」



動物園でライオンを見た子供の如く騒ぐ真理の袖を由清が引っ張る。




「真理!失礼だよ」




志村がずいっと美名の横に並び包む様な笑顔になり頭を下げた。




「私どもの方からご挨拶にお伺いしなくてはならないのに、西野さん自ら来ていただいて……
ありがとうございます……」



「とんでもないです!
私、YouTubeでprinces
&junkyを見てファンになってしまって……
だから誰よりも早くもご挨拶させていただきたくて……」


西野は大きな目をクリンとさせて魅力的に笑った 。







「えっええっ!見てくれたんですか――!?あっあっあれを?」



憧れの歌姫からそんな言葉が出た事が信じられずに、口をパクパクさせてどもる美名に、西野は静かに笑いかけた。



「今日はご一緒出来て嬉しいです……
よろしくお願いしますね」



華奢な手を差し出され、何秒か固まってしまう。
おずおずと右手を出すとギュウと握られて、痛みにビクリとするが、西野の表情は柔らかく、握り締める強さが不釣り合いに感じた。



その華奢な手からは想像できない力だ。



西野は志村や真理、由清とも握手をすると



「また後でね?美名ちゃん」



と気さくな呼び方をして出て行った。







「うっわ――
なんかスッゲーいい匂いした!
手も羽根みたいに柔らかいしよ~!
てか、本当に人間?てっ天使か!?」



「真理……
もう……本番では大人しくしてよ?」




鼻息を荒くして騒ぐ真理に由清は落ち着かせる様に背中を叩く。





「わあ……嘘みたい……未菜ちゃんと握手……
て言うか、未菜ちゃんも出るってなんで教えてくれなかったんですか――!」



美名は、志村の腕を掴みブンブンと揺すった。



「あら……
出演が決まった時、私話したわよ?」



「未菜ちゃん可愛かった……
顔も手も小さくて……声も鈴が転がるみたい……」



舞い上がる美名は、もう既に話を聞いていなかった。



「は――。やれやれ……」



志村は苦笑した。





――――







「ふん……見てなさい……」



西野はプリキーの楽屋を出て、一人底知れぬ笑みを浮かべて低く小さく呟いた。





「未菜ちゃ――ん!」



後ろから声を掛けられ、コロッと明るい笑顔で振り向くと、ボンバーダイヤモンドのメンバーが居た。



「猫八さ――ん!お久しぶりです~!」



「先月の"アホリズム"の収録以来だね~!
今日は未菜ちゃんの歌、聞くの楽しみにしてるよ!」



「ウフフ……!私もボンバーさんが何をやるのか楽しみ!」



髑髏川は未菜にニコッと笑う。



「それは本番までのお楽しみ――!」



髑髏川の後ろで、ギターの狐面 豚彦(きつねづら ぶたひこ)とベースの
間暮我 瞬(マクレガーしゅん)、ドラムの役の
隊妬夜 暗黒(たいやきや あんこ)
が落ち着き無くキョロキョロしている。







「ちょっと君達!
修学旅行で見学に来た小学生じゃあるまいし落ち着きなさい!」



髑髏川に言われると、暗黒は黒塗りの顔でニカッと笑って頭を掻いた。


「いや――、ほら、この間のパーティで会ったあの子!今日出るんだよね?」


豚彦も大きな目をクルクル動かしてやはり落ち着かない。



「そうそう!何だっけ……ブリトニー……じゃなくてブッチャーじゃなくて……」



瞬が豚彦の頭を叩く。



「プリキーでしょっ!」




暗黒が大きく頷いて大きな声を出した。




「そうそう!プリキーの美名ちゃんね!
会えるの楽しみにしてたんだよ――!」




髑髏川は未菜に笑いかけた。



「ポキノンのパーティで会ったんだけど凄く良い子だったよ。
未菜ちゃん、会ったことある?」



「ええ、今ご挨拶して来たわ」



未菜は後ろの楽屋を手で示して柔らかく笑ったが、その瞳がとても冷たい事に髑髏川達は気づかない。











「わ――!なんと!プリキー様の楽屋の目の前――!」


「これは何かの運命っ?」


「俺らも挨拶して来よ――!」



三人がワイワイ言うのを苦笑して見てから、髑髏川は未菜に向き直る。



「じゃあ、未菜ちゃん、今日はお互い頑張ろうね!」


「はい!頑張りましょ~!」




未菜は溢れる様な笑顔を返した。
四人がプリキーの楽屋に入ると、賑やかな話し声と笑いが聴こえてくる。



未菜は拳を握り締め、唇をギュッと結び長い巻き毛を翻してその場から離れた。



スタッフや、出演者が未菜が通ると目を輝かせて頭を下げたり、声をかけてくる。


未菜は愛想を振り撒きながら軽やかな足取りで歩き周りの人間を魅了していたが、その胸の中に渦巻くどす黒い嫉妬と企みを、その場に居る人間達は知る由も無かった。



誰にも聞こえない様に、小さく呟く。



……一番は私よ……

歌姫は……
二人は要らないのよ……



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