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獣の求愛②
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「さあ皆さん~!今日はアップルパイをデザートに作りましたよ~!」
合宿場のキッチンでは桃子がルンルンとパイを切り分けて居る。
「あ、お茶淹れるね……皆さん、何を飲む?
紅茶かコーヒーか……」
「俺コーヒー」
「紅茶で……」
「コーヒーお願いね」
「俺は紅茶だ」
「はーい!紅茶!」
「紅茶三つにコーヒー二つ……
しょう君はどっち?……あっ」
美名は無意識にそう聞いてしまい、口を押さえた。
皆が微妙な顔をする中で、綾波は露骨に嫌そうに眉をしかめる。
「おい……奴が居るわけないだろう」
翔大は、昨日病院に行き念のため二日ほど入院する事になった。
ここから車で五分程の距離にある大きな病院だ。
「……う、うん。ついいつもの感じで呼んじゃった……アハハ」
「……」
綾波は気分が悪そうに、そっぽを向いてしまう。
「こら、綾波君!いい加減大人気ないわよ!」
「そ、そうだよ綾ちゃん!」
志村と三広がたしなめるが、綾波は知らん顔でテレビニュースを見始めた。
美名はいたたまれなくなり、お茶を淹れに桃子が居るキッチンに行く。
桃子はアップルパイを前にナイフを持ち真剣に悩んでいた。
「あ、お姉ちゃん。八等分にするのにどうやって切ったらいいと思う?上手くやらないと崩れちゃう……」
「八……?あっ」
美名は頭の中で人数を数えたが、翔大も入っている事に気付く。
「明日、東京に帰る前に病院に志村さんが行くんだって。
だからこれ、翔大さんに届けてもらうの」
桃子が器用にパイを同じ大きさに切り分けていくのを見て、美名は胸がつまってしまう。
桃子はお皿に盛り付けて、翔大の分のパイをラッブに綺麗に包み、可愛い袋に入れてリボンをかけた。
「お姉ちゃんが責任を感じる事はないよ。翔大さんが強引に迫ったのが悪いんだから……」
「……」
返事のしようがないまま、美名はコーヒーと紅茶を注いだ。
翔大は、今回の事の責任を取って、バンドから抜ける、と自ら志村に言ったのだ。
志村は引き留めようと説得したらしいが、本人の決意が固いらしい。
そして、
“真理と由清は関係ないから、二人の事を宜しくお願いします、美名と一緒に予定通り売り出してやって下さい”
と病院のベッドの上で土下座したらしい……
(ミュージシャンとしてこれから活躍する筈だったしょう君が、私のせいで……)
皆に
「美名ちゃんは悪くない」と言って貰えても、心の中の重りが美名を苦しめる。
志村は明るく振る舞ってはいるが、あれだけ翔大を気に入っていた訳だから、相当ガッカリしているに違いない。
(私が、ちゃんとしていれば……こんな事には……)
不意に、美名の口の中に甘いパイが突っ込まれた。
「ふぐっ」
桃子が目の前で美名を睨んでいる。
「ほら!噛む!」
「んむんむっ」
「美味しいでしょ?」
「ん……んまい!」
「ふふっ!当然!」
桃子はニッコリすると、頭をポンポン叩いた。
「今は考えても仕方ないよ。それに、しょう君実力あるもん。這い上がって凄いミュージシャンになるに決まってる!ね?」
「う……うん」
「ほら!また泣かないの!皆が心配するよ?
さ、運ぼうか~!」
トレーを持って行こうとすると、厨房の入り口に真理がいて咳払いしていた。
「あれ?真理、居たの」
「居たわ!さっきから!
……運ぶの手伝いに来たんだよ」
「あら――真理のくせに気が利く――!
明日は雨だ!」
「失礼な奴だなお前は!」
ブツブツ言いながら真理がトレーを持っていってくれた。
桃子がその後ろ姿をマジマジ見てボソりと言う。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「真理にしたら?」
「――へ!?」
思わぬ言葉に美名はナイフを足元に落とし、青くなる。
「あぶな!何してんの――」
桃子は床に刺さったナイフを引き抜いた。
「な、何で真理君?」
「え――だって、翔大さんが一番の有力候補だったけど……今回の事でいくら何でもお姉ちゃんだって気まずいでしょ?」
「も、桃子……だから……ね?私には綾波さんが……」
桃子の眼鏡がキラリと光る。
「あいつはヤダ」
「や、ヤダってあんた」
「姉ちゃんはあいつを好きなのかも知れないけどね、私はやっぱり気に食わないの。
翔大さんを階段から引き摺り下ろした時のあいつの目……
今思い出してもゾッとするわよ」
「ま、待ってよ……あれは私の為に」
「勿論それは分かってる。でもさ……アイツ、ちょっと怖くない?普通じゃないよ」
「そんな……そんな事ないよ」
「だからさ、真理にしたら?」
「だから何故そうなるの?」
美名は脱力する。
「だって真理、お姉ちゃんの事が好きでしょ?」
さらりと言われ、何の事か理解するのに数秒間かかった。
「ええ―――!?」
「姉ちゃん反応遅い」
美名は心臓をばくばくさせながら真理の今までの態度や言葉を反芻した。
(いつも真理君は口が悪くて、そんな素振りは全く……)
「あ!!」
真理に抱き締められた事を思い出し、頬がかあっと熱くなる。
「なんか思い当たるんだ。やっぱりね」
桃子は冷静に頷く。
「ち、違うよ!違う!」
「あいつ、最初は性格悪いかなって思ってたけどさ、口が悪くて照れ屋なだけで実は普通の男子じゃない。
顔もまあまあだし、筋肉あるし、綾波なんかより全然良くない?」
「ち、ちょっと――!何を勝手な事を」
その時、真理がキッチンにひょっこり顔を出した。
「おいお前ら、茶が冷めるぞ!」
「ひいっ――ま、真理くんっ」
驚いて絶叫してしまい、真理は目を丸くした。
「な、何だよ?」
「あ――真理!ちょっとこっち来て!」
「何だ?」
桃子が手招きすると、真理がやって来た。
真理と目が合うと、反射的に頬がカッと熱くなる。
(へ、変な事を桃子が言うから――!)
桃子は上を指差すと、顎でしゃくってみせた。
「あの高い所にあるあの箱さ、取ってくれない?」
「ん――?なんだあれ」
「明日の朝食に使うホットサンドプレートだよ。
志村さんが最後の食事はど――してもそれにしたいんだって」
真理は目を輝かせる。
「なにぃっ!?俺もホットサンド大好きだぞ!」
「はいはい良かったね。だからさ、アレ取って明日使えるように出しておいて……
お二人さん頼むよ?」
桃子はそう言って去ろうとする。
「ど、何処へ行くのよ」
桃子は口元を歪ませ、にやりと笑った。
「ちょっと野暮用してくるから~!
真理にもチャンスあげてね?お姉ちゃん!」
「も、桃子ぉ!」
桃子は行ってしまい、厨房に真理と二人きりになる。
「脚立は何処だ?」
「あ、うん……そこの道具入れに」
美名は扉を開けようとするが、何故か開かない。
「ぬぬぬ――っ」
「ちょっとどけ」
真理が美名を押し退ける。
あっけなく扉は開いて、呆れた声を出した。
「……引くんだよこれは」
「やだ――っごめん……えへへ」
美名が笑うと、真理もクスリと顔を綻ばせる。
その優しい瞳にドキリとしてしまい、美名は下を向いてしまう。
「なあ……お前大丈夫か」
「えっ」
真理は一生懸命言葉を選んでいる様だったが上手く言えないらしく、顔をしかめて頭を掻いた。
「その……翔大がさ……あ――……う……つまり」
「……うん。ありがとう」
「?俺、何もしてねえし言ってねえよ?」
「ううん……それでも……ありがとう」
(……そうだ。私は結局しょう君に甘えていたんだ。
ずっと歌手を目指していたけれど、一人でデビューするより、しょう君のバンドと一緒にという事になって何処か心強さもあったし……
しょう君の音楽センスやプレイも大好きで尊敬していたし、しょう君と一緒なら間違いないって……
安心して甘えきっていたんだ……)
(――けれど、それと恋愛は全く別なのだ。
音楽を一緒にしていく仲間なら、きっちりと線を引く強さを私が持たなくてはならなかったのに……
私に優しくしてくれるしょう君に甘えていたんだ。
その結果、道が別れる事になってしまって……)
黙ってしまった美名の顔を真理が不意に覗き込んできて、美名は慌てて笑顔を作るが、彼の表情が曇った。
「ワリイ。俺が翔大を抑えるつもりだったのに……何も出来なかったな」
「えっ……そんな!真理君が何で……」
真理は拳を固めると、自分の頬を殴り、その衝撃でよろけた。
「――ま、真理君?」
美名が支えようと手を伸ばすが、真理はそれをかわす。
「赤くなってる……冷やさなきゃ」
「いいんだよ!触るな!」
鋭い声に、美名はビクリと固まる。
「だから、そんな顔すんなよ……お前に怒ってるんじゃないんだよ」
真理は苦く笑った。
「え……?」
「何も出来なかった自分に腹が立つんだ……
お前を守れなかった」
「真理君……!」
いつにない熱さがその瞳に見えて、ドキリとした。
「美名……俺」
「は、はい?」
真理は俯いて、何秒か唇を結んでいたが、深い溜め息を吐くと、突然美名の頬をビヨンと引っ張った。
「い、いたあ――!」
「腹が痛いんだ俺は!」
「はあ?」
「だから、さっさとアレを出すぞ!」
真理は脚立に乗り箱を下ろした途端、
「これで言われた事はやったぞ!ああ、明日の朝の飯が楽しみだ!ワハハハ!俺は腹が痛いからもう寝る!」
と叫んで厨房から去ろうとするが、入り口に綾波がいて叫ぶ。
「ひいっ!」
「お化けみたいな反応をするなよ……失礼な奴だな。もう話は終わったのか?」
「!」
真理は、真っ赤になった。
「腹が痛いんだって?お大事にな」
綾波が肩を叩くと、真理は真っ赤な顔のままで小走りに出ていった。
「真理君……?」
つねられた頬に指で触れながら、美名が思わず呟くと綾波の目がギラリと光り、腕を掴まれた。
「こっちへ来い」
「綾波さんっ?」
強引に引っ張られ、大股で歩く綾波に美名は必死でついていく。
キッチンでは、桃子と三広以外の面子がまだお茶をしながらテレビを見ていた。
志村が二人を見てニッコリ笑う。
「屋根裏にもう一つ寝室があるわよ~良かったら使ってね」
隣でコーヒーを飲んでいた真理が盛大に吹き出した。
「うわ真理っ何してるんだよ――」
「ぐえっ……げぼっごぼっ」
真理の咳は止まる様子がなかった。
由清が立ち上がりティッシュを探し大騒ぎしている。
「真理君……大丈夫?」
美名が声をかけた時、身体がフワリと浮き上がった。
「他のやつを構うな」
目の前で鋭い瞳が燃えていた。
綾波に抱き上げられ、美名はまるで拐われるかの様にその場から連れ去られた。
合宿場のキッチンでは桃子がルンルンとパイを切り分けて居る。
「あ、お茶淹れるね……皆さん、何を飲む?
紅茶かコーヒーか……」
「俺コーヒー」
「紅茶で……」
「コーヒーお願いね」
「俺は紅茶だ」
「はーい!紅茶!」
「紅茶三つにコーヒー二つ……
しょう君はどっち?……あっ」
美名は無意識にそう聞いてしまい、口を押さえた。
皆が微妙な顔をする中で、綾波は露骨に嫌そうに眉をしかめる。
「おい……奴が居るわけないだろう」
翔大は、昨日病院に行き念のため二日ほど入院する事になった。
ここから車で五分程の距離にある大きな病院だ。
「……う、うん。ついいつもの感じで呼んじゃった……アハハ」
「……」
綾波は気分が悪そうに、そっぽを向いてしまう。
「こら、綾波君!いい加減大人気ないわよ!」
「そ、そうだよ綾ちゃん!」
志村と三広がたしなめるが、綾波は知らん顔でテレビニュースを見始めた。
美名はいたたまれなくなり、お茶を淹れに桃子が居るキッチンに行く。
桃子はアップルパイを前にナイフを持ち真剣に悩んでいた。
「あ、お姉ちゃん。八等分にするのにどうやって切ったらいいと思う?上手くやらないと崩れちゃう……」
「八……?あっ」
美名は頭の中で人数を数えたが、翔大も入っている事に気付く。
「明日、東京に帰る前に病院に志村さんが行くんだって。
だからこれ、翔大さんに届けてもらうの」
桃子が器用にパイを同じ大きさに切り分けていくのを見て、美名は胸がつまってしまう。
桃子はお皿に盛り付けて、翔大の分のパイをラッブに綺麗に包み、可愛い袋に入れてリボンをかけた。
「お姉ちゃんが責任を感じる事はないよ。翔大さんが強引に迫ったのが悪いんだから……」
「……」
返事のしようがないまま、美名はコーヒーと紅茶を注いだ。
翔大は、今回の事の責任を取って、バンドから抜ける、と自ら志村に言ったのだ。
志村は引き留めようと説得したらしいが、本人の決意が固いらしい。
そして、
“真理と由清は関係ないから、二人の事を宜しくお願いします、美名と一緒に予定通り売り出してやって下さい”
と病院のベッドの上で土下座したらしい……
(ミュージシャンとしてこれから活躍する筈だったしょう君が、私のせいで……)
皆に
「美名ちゃんは悪くない」と言って貰えても、心の中の重りが美名を苦しめる。
志村は明るく振る舞ってはいるが、あれだけ翔大を気に入っていた訳だから、相当ガッカリしているに違いない。
(私が、ちゃんとしていれば……こんな事には……)
不意に、美名の口の中に甘いパイが突っ込まれた。
「ふぐっ」
桃子が目の前で美名を睨んでいる。
「ほら!噛む!」
「んむんむっ」
「美味しいでしょ?」
「ん……んまい!」
「ふふっ!当然!」
桃子はニッコリすると、頭をポンポン叩いた。
「今は考えても仕方ないよ。それに、しょう君実力あるもん。這い上がって凄いミュージシャンになるに決まってる!ね?」
「う……うん」
「ほら!また泣かないの!皆が心配するよ?
さ、運ぼうか~!」
トレーを持って行こうとすると、厨房の入り口に真理がいて咳払いしていた。
「あれ?真理、居たの」
「居たわ!さっきから!
……運ぶの手伝いに来たんだよ」
「あら――真理のくせに気が利く――!
明日は雨だ!」
「失礼な奴だなお前は!」
ブツブツ言いながら真理がトレーを持っていってくれた。
桃子がその後ろ姿をマジマジ見てボソりと言う。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「真理にしたら?」
「――へ!?」
思わぬ言葉に美名はナイフを足元に落とし、青くなる。
「あぶな!何してんの――」
桃子は床に刺さったナイフを引き抜いた。
「な、何で真理君?」
「え――だって、翔大さんが一番の有力候補だったけど……今回の事でいくら何でもお姉ちゃんだって気まずいでしょ?」
「も、桃子……だから……ね?私には綾波さんが……」
桃子の眼鏡がキラリと光る。
「あいつはヤダ」
「や、ヤダってあんた」
「姉ちゃんはあいつを好きなのかも知れないけどね、私はやっぱり気に食わないの。
翔大さんを階段から引き摺り下ろした時のあいつの目……
今思い出してもゾッとするわよ」
「ま、待ってよ……あれは私の為に」
「勿論それは分かってる。でもさ……アイツ、ちょっと怖くない?普通じゃないよ」
「そんな……そんな事ないよ」
「だからさ、真理にしたら?」
「だから何故そうなるの?」
美名は脱力する。
「だって真理、お姉ちゃんの事が好きでしょ?」
さらりと言われ、何の事か理解するのに数秒間かかった。
「ええ―――!?」
「姉ちゃん反応遅い」
美名は心臓をばくばくさせながら真理の今までの態度や言葉を反芻した。
(いつも真理君は口が悪くて、そんな素振りは全く……)
「あ!!」
真理に抱き締められた事を思い出し、頬がかあっと熱くなる。
「なんか思い当たるんだ。やっぱりね」
桃子は冷静に頷く。
「ち、違うよ!違う!」
「あいつ、最初は性格悪いかなって思ってたけどさ、口が悪くて照れ屋なだけで実は普通の男子じゃない。
顔もまあまあだし、筋肉あるし、綾波なんかより全然良くない?」
「ち、ちょっと――!何を勝手な事を」
その時、真理がキッチンにひょっこり顔を出した。
「おいお前ら、茶が冷めるぞ!」
「ひいっ――ま、真理くんっ」
驚いて絶叫してしまい、真理は目を丸くした。
「な、何だよ?」
「あ――真理!ちょっとこっち来て!」
「何だ?」
桃子が手招きすると、真理がやって来た。
真理と目が合うと、反射的に頬がカッと熱くなる。
(へ、変な事を桃子が言うから――!)
桃子は上を指差すと、顎でしゃくってみせた。
「あの高い所にあるあの箱さ、取ってくれない?」
「ん――?なんだあれ」
「明日の朝食に使うホットサンドプレートだよ。
志村さんが最後の食事はど――してもそれにしたいんだって」
真理は目を輝かせる。
「なにぃっ!?俺もホットサンド大好きだぞ!」
「はいはい良かったね。だからさ、アレ取って明日使えるように出しておいて……
お二人さん頼むよ?」
桃子はそう言って去ろうとする。
「ど、何処へ行くのよ」
桃子は口元を歪ませ、にやりと笑った。
「ちょっと野暮用してくるから~!
真理にもチャンスあげてね?お姉ちゃん!」
「も、桃子ぉ!」
桃子は行ってしまい、厨房に真理と二人きりになる。
「脚立は何処だ?」
「あ、うん……そこの道具入れに」
美名は扉を開けようとするが、何故か開かない。
「ぬぬぬ――っ」
「ちょっとどけ」
真理が美名を押し退ける。
あっけなく扉は開いて、呆れた声を出した。
「……引くんだよこれは」
「やだ――っごめん……えへへ」
美名が笑うと、真理もクスリと顔を綻ばせる。
その優しい瞳にドキリとしてしまい、美名は下を向いてしまう。
「なあ……お前大丈夫か」
「えっ」
真理は一生懸命言葉を選んでいる様だったが上手く言えないらしく、顔をしかめて頭を掻いた。
「その……翔大がさ……あ――……う……つまり」
「……うん。ありがとう」
「?俺、何もしてねえし言ってねえよ?」
「ううん……それでも……ありがとう」
(……そうだ。私は結局しょう君に甘えていたんだ。
ずっと歌手を目指していたけれど、一人でデビューするより、しょう君のバンドと一緒にという事になって何処か心強さもあったし……
しょう君の音楽センスやプレイも大好きで尊敬していたし、しょう君と一緒なら間違いないって……
安心して甘えきっていたんだ……)
(――けれど、それと恋愛は全く別なのだ。
音楽を一緒にしていく仲間なら、きっちりと線を引く強さを私が持たなくてはならなかったのに……
私に優しくしてくれるしょう君に甘えていたんだ。
その結果、道が別れる事になってしまって……)
黙ってしまった美名の顔を真理が不意に覗き込んできて、美名は慌てて笑顔を作るが、彼の表情が曇った。
「ワリイ。俺が翔大を抑えるつもりだったのに……何も出来なかったな」
「えっ……そんな!真理君が何で……」
真理は拳を固めると、自分の頬を殴り、その衝撃でよろけた。
「――ま、真理君?」
美名が支えようと手を伸ばすが、真理はそれをかわす。
「赤くなってる……冷やさなきゃ」
「いいんだよ!触るな!」
鋭い声に、美名はビクリと固まる。
「だから、そんな顔すんなよ……お前に怒ってるんじゃないんだよ」
真理は苦く笑った。
「え……?」
「何も出来なかった自分に腹が立つんだ……
お前を守れなかった」
「真理君……!」
いつにない熱さがその瞳に見えて、ドキリとした。
「美名……俺」
「は、はい?」
真理は俯いて、何秒か唇を結んでいたが、深い溜め息を吐くと、突然美名の頬をビヨンと引っ張った。
「い、いたあ――!」
「腹が痛いんだ俺は!」
「はあ?」
「だから、さっさとアレを出すぞ!」
真理は脚立に乗り箱を下ろした途端、
「これで言われた事はやったぞ!ああ、明日の朝の飯が楽しみだ!ワハハハ!俺は腹が痛いからもう寝る!」
と叫んで厨房から去ろうとするが、入り口に綾波がいて叫ぶ。
「ひいっ!」
「お化けみたいな反応をするなよ……失礼な奴だな。もう話は終わったのか?」
「!」
真理は、真っ赤になった。
「腹が痛いんだって?お大事にな」
綾波が肩を叩くと、真理は真っ赤な顔のままで小走りに出ていった。
「真理君……?」
つねられた頬に指で触れながら、美名が思わず呟くと綾波の目がギラリと光り、腕を掴まれた。
「こっちへ来い」
「綾波さんっ?」
強引に引っ張られ、大股で歩く綾波に美名は必死でついていく。
キッチンでは、桃子と三広以外の面子がまだお茶をしながらテレビを見ていた。
志村が二人を見てニッコリ笑う。
「屋根裏にもう一つ寝室があるわよ~良かったら使ってね」
隣でコーヒーを飲んでいた真理が盛大に吹き出した。
「うわ真理っ何してるんだよ――」
「ぐえっ……げぼっごぼっ」
真理の咳は止まる様子がなかった。
由清が立ち上がりティッシュを探し大騒ぎしている。
「真理君……大丈夫?」
美名が声をかけた時、身体がフワリと浮き上がった。
「他のやつを構うな」
目の前で鋭い瞳が燃えていた。
綾波に抱き上げられ、美名はまるで拐われるかの様にその場から連れ去られた。
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