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壊れたきらきら星

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 真由が頷くと、彼は、ステージ中央で狼狽える先生の方を向き、通る声で言う。

「いいでしょう、先生」

 呼び掛ける声は優しげだが、有無を云わさぬ迫力が込められていた。

 先生は、幼い彼に従うしかない。真由と彼がステージに上がり、観客に向かい一礼するのを見届けると、コホン、と咳払いした。

 何はともあれ、発表会が再開できる。

 先生は、椅子に座った二人が同時に頷くのと同時にタクトを天高く振った。

  
 小さな二人の手が同時に最初の音を鳴らす。

 少しざわめいていた客席は静まり、二人の演奏に耳を傾けた。

 右手のパートを真由が、左手のパートを彼が弾く。

 愛らしい主題のメロディーは、やがて複雑に変化していく。

 第二変奏、第三、と進むごとに難易度が高くなるきらきら星変奏曲。 

 真由は三歳からピアノを習っている。一度聴いた曲はほぼ覚え、弾くことができた。

 ただ、お手本や先生の指示に従わず、勝手にテンポを変えたり、弾いている途中で他の曲に変えてしまったり、オリジナルのメロディーを作ったりしてしまうことがある。その度に先生は頭を抱えていた。

 真由の才能は認めていたが、言うことを素直に聞く生徒のほうが扱いやすい。

 そういう意味では、真由はピアノ教室の異端児だった。

 だが、今日のステージの真由の演奏は、伸びやかで真っ直ぐでーーつまり、先生が良しとする「普遍的なキラキラ星」だった。

 しかも、お手本通りかつ、独創性溢れる音色を奏でている。

ーー最高に素敵だよ……一緒に空を翔んでいるみたいに……

 声に出さなくても、そんな彼の言葉が聴こえてくるような気がした。

 演奏は、最後の12変奏の部分に差し掛かる。

 三拍子のきらびやかなメロディーのテンポは、急き立てられるほどに速い。

 二人の指が目で追えないくらいに素早く鍵盤を踊り、大いなるクレッシェンドにのぼりつめた。

 先生のタクトがピシッと静止したと同時に、ふたりのキラキラ星は幕を閉じた。

 ややあって、誰かが手を鳴らし、それが合図かのように一斉に観客が大きな拍手を送る。

 演奏を終えた達成感から、真由が肩で大きく息をついたその時。

 彼は身を屈め、真由の唇にキスをした。

 
 
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