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マカロン

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「ぎゃああああ」

 三広は、甲高く叫びながら椅子からずり落ちた。すると亮介が馬乗りになり身体じゅうをつつき、擽る。

「ぎゃっ……ひひひ……やめろ……ストップ……りょ……すけ……ひっ……てめ……許さん……ギャハハハハ」

「笑いは腹筋を使うんだぞ?!トレーニングをしてやってるんだ!有り難く思え!ふはははは!」

 ほなみはハラハラしてその有様を見ていた。

 浜田は、珈琲を美味しそうに啜り、ふたりを指差す。

「この子たち、阿呆でしょ?」

 ほなみは返事に困り曖昧に笑った。

「西君も野村君も、阿呆な子だけどねえ。普段は阿呆でも音楽の事になると覚醒しちゃうんだよね。普段は眠れる獅子……いや、言いすぎだね。眠れる番犬くらいかな?」

 ほなみは、罵り合いながらどつき合いを始めた彼らを見てしみじみと言った。

「……本当に仲が良いんですね……じゃれ合う程に仲良しって素敵かも……」

「旦那さんに自分の本心を言えてる?」

 突然智也の事を聞かれ、ほなみは押し黙る。

「何でもかんでも本心を言う必要はないけどさ。例えばあんな風にじゃれあったりできるかい?」

 浜田は、プロレスの技の掛け合いを始めた亮介と三広を見て言った。

「……」

「東京に行く事、僕からも旦那さんに説明しようか?」


 「いえ、智也は頭ごなしに反対する人ではないし……それに私が何処に行こうと、彼は関心なんか無いと思います。」

 つい本音をぽろり、と零してしまった。

 浜田は何も言わずに、穏やかな表情のまま珈琲を啜る。

「……多分私は贅沢なんです。この上我が儘を思ったら罰が当たります……」

「罰なんかないよ」

 そう言ってくれる浜田の思いやりが嬉しい。目にじわりと涙が滲む。

「東京には皆のお手伝いに行くわけですし……智也も何も言わないと思います」

 胸が逸るのを抑えられない。

 ――東京に行く。

 クレッシェンドの皆の為に、再始動に向けてお手伝いをしに行く。

 本当にそうしようと心から思っているけれど、それ以上に逢いたい。

 彼の、時には悪戯に輝き、ある時には潤み、切ない色を浮かべる瞳。

 甘い優しい声。

 西君に逢いたい。

 彼の姿をこの目で見て、自分と同じ世界に存在しているという事を、もう一度感じたい――

 笑顔を思い浮かべるだけで胸の奥が切なく締め付けられた。

「……実はマカロンにも媚薬が仕込んであるんだよ。」

 浜田は丁寧な手つきでグラスを磨きあげ、艶やかな光沢に満足げに頷き、ぽつりと呟く。

「自分に素直になる勇気の出る、媚薬だよ」


 

「素直になるだってっ?いいよ!いいよ!ほなみちゃん!バンバン吐き出して楽になるんだ――!……悲しい事があったら俺に何でも言ってよ!受け止めるよ? 身体ごと受け止めるのも大歓迎だからね!」

 亮介がいつの間にか隣に来ていた。手をギュッと握りキラキラの笑顔を向けている。すると、三広にドラムスティックで殴られ崩れ堕ちた。

「油断も隙もねーな!……ほなみちゃん、本当にゴメンね?東京に来たら、こいつの魔の手から守るから安心してね!」

 三広は床でのびている亮介を足で転がし、鼻息荒く言い放つ。

「さて?どっちが魔の手なんだかわかりませんなあ」

 浜田がニヤニヤして彼を見ると、三広はムキになって喚いた。

「変な事言うな――!俺は心からそう思って……もごもご」

「はいはいはい。ちょっと静かにしようかね」

 浜田は三広の口を塞いで穏やかに話す。

「……ほなみちゃんが、自分の素直な気持ちのまま、生きていけたらいいね」

**

 callingでの団欒を回想しながら、鍵盤をつまびき、哀愁漂う和音を奏でてみる。

 (――この間、このピアノを西君が弾いたのだっけ)

 鍵盤に踊るしなやかな指を思い出しながらふと目を閉じた時、玄関がガチャリと開いた。ほなみの意識が一気に現実に引き戻される。

「……ただいま」

 低い声と共にリビングに足音が近付いてくる。

 ほなみは、ピアノの前に座ったまま震える手を握りしめ、心の中で自分に言い聞かせた。

 

――自分に素直になる勇気――自分に素直になる勇気――


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