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マカロン

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 「ただいま……」

 部屋の中の空気はひんやりとして、キッチンもリビングも出かけた時のままの状態だった。

「智也?いないの?」

 思わず安堵の溜息を吐く。

 青い薔薇のほとんどはcallingに飾り、残りの数本は寝室に飾った。

 正直要らないと思った薔薇だが、家に飾っていないのは流石にまずい。

 リビングやキッチンに置く気分にはなれなかった。食欲が無くなるような気がする。

 浜田がくれた特製サンドイッチを冷蔵庫に入れると、ピアノの前に腰かける。今日のバタバタを頭の中で再現すると笑いが込み上げてきた。

 浜田は、お手製の料理を振る舞ってくれて、4人でワイワイ食事をしたのだが――本当に楽しいひと時だった。

**

「ちょーっと早いけどホワイトデーだよ?!」

 浜田がマカロンを作ってくれた。白い葉の形の皿の上に載せられた菓子は、一粒の宝石のようだ。

「凄い!可愛い!写真撮っていいですか?」

 ほなみははしゃぎ、スマホで色んな角度から撮影した。

「浜田さんて顔に似合わず器用だよな」

 亮介が笑う。

「女の子ってこういうの好きだよねーーそういや祐樹もこういう可愛いもの大好きだよな」

 三広が呟いた。

「……そうなの?」

 ほなみは、内心ドキドキしながら訊ねる。

「奴は大の甘党だね。バースデーには何度もケーキを作って届けたけど、ひとりで殆ど喰ってたらしいねえ。

『スウィーツは立派な栄養素でビタミンだ!』ていう奴の名言があるんよ。て、眺めてないで食べなさいよ?」

 浜田に促されるが、あまりにも可愛いそのピンクのお菓子をすぐに食べてしまうのはもったいない気がした。

「このマカロンはねっ?ほなみちゃんに食べられるために存在してるんだよっ!

 勿体なくて食べられないとか駄目だよ?マカロンが泣くし僕も泣くからねっ?

 真剣な顔で説得しているが、パンダのエプロンで話す姿はどう見ても怪しい。


「食べさせてあげるよ☆ほーら」

 亮介がフォークにマカロンを刺し、ほなみの口元に持ってくる。三広がその腕を掴んで憤慨した。

「亮介っ!セクハラ!」

「なんだよお猿。羨ましいんか?」

「ちっ……ちがっ……」

「君達ちょっと落ち着きなさいね?はい。食べよう!」

 浜田が、亮介からマカロンをひょいと取り上げてほなみの口に素早く含ませた。甘い苺とラズベリーの薫りが広がりあっという間に溶けてしまった。

「……美味しい!」

「ふふふ。美味しいでしょ。愛が込もってるからね?」

 突如、頬を綻ばせ、瞳をキラキラさせて喜ぶ西本の姿が脳裏に浮かぶ。

 作ってあげたい、と強く思った。

「あ、あのっ!作り方教えて欲しいです!」

「旦那様にプレゼントかい?」

「いえ……自分用です……」

 ほなみの頭の中は、西本祐樹への想いで溢れかえりそうだった。我ながら滑稽だ。 浜田は新しく落とした珈琲を淹れながら、そんなほなみに微笑んだ。

「……浜田さんの愛か。なんかやだな……」

 三広がボソッと呟く。

「うん。今日の料理も愛情込み?……何かが仕込まれてそうだ……」

 三広と亮介は顔を見合わせた。

「君達気づいちゃった?あのシチューはね、浜田の秘蔵黒魔術レシピのシチューだよ!食べてから数分でこの媚薬は効いてくる……?ほら、ちょっと身体が痺れてきただろう?」

 浜田は、芝居がかった低い声で言い、ふたりの顔を交互に見詰める。

「うがっ!身体が言うことを効かない……!」

 亮介は顔をしかめ、三広の頬を指で掴み左右にビヨンと引っ張った。

「いいい痛でええ――!なにずるんだっ!アホ亮介――!」

「すまん……身体が言うことを聞かないんだっ!」

 亮介は、更に三広の鼻を思い切り上に向けて豚鼻にした。

 目を白黒させ、三広は亮介の首を絞める。

「……ぐわあっ……こんの猿めえっ……」

 亮介は白目を剥き、三広の脇を擽り始めた。

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