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夫の帰国

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「あったあー!……いつもわたわたと探すから、callingの鍵は別にしておこうっ!て思うんだけど結局またそのままなんだよね~はははは!まあ結果オーライ!ほなみちゃん、開いたよ?」

 浜田は鍵をようやく捜しあて、ほなみの方を振り向く。

 ほなみの隣に智也が居るのを見て驚いたようにポカンと口を開けた。

 智也は都合がついて急遽帰国したらしい。

 マンションに向かって歩いていたら、往来で騒いでいる男達(三広と亮介の事だろう)が目について、ほなみを見つけた――ということだ。

 智也が青い色のバラの花束を差し出す。

「ただいま。久しぶりだね」

 相変わらず読めない表情だ。青いバラの色に正直ゾッとする。

「凄い……こんなの見るの初めて……ありがとう」

 ほなみは努めて明るい声を出し、喜んでいる振りをした。

 浜田が、傍でぽかんとしている。

 (何から説明しよう)

 浜田とは、散歩でよく顔を合わせ話もしてはいたが、家庭の話はしていなかった。隠していた訳ではなく、たまたま話題に出さなかっただけなのだが。

 智也が笑ってお辞儀をすると、浜田はこちらをちらっと見た。

「ああ!いつも、ほなみさんには仕事をお手伝いして貰ってます!このライヴハウスの社長の浜田 敏正(としまさ)という者です!」

「ほなみが仕事を?」

 浜田は、人の良い笑みを浮かべ、歯切れよく話す。

 智也は僅かに眉を上げた。

「人手が足りない時に、手伝って貰ってるんです。ほなみさんは音楽に明るいんで助かってるんですよ~」

 何か察したのだろうか。浜田が機転を利かせてくれているのが分かる。

 ほなみが話に合わせて頷いていると、三広と亮介が、青信号になった途端に横断歩道を競争しながら疾走してきた。

 三広の方が早く道を渡り切り、ガッツポーズする。

「ゴォール!」

「オーッノォーッ!エロ本猿に負けてしまうとは!神田亮介、なんたる不覚!」

 そして、ふたりは智也を見て目を真ん丸くした。


「この子たちは『クレッシェンド』ていうバンドのメンバーで~

 こっちの七五三みたいな方が根本三広君、そっちの不健康の見本みたいな胸板極薄ガリガリ男子が神田亮介君です。

 こう見えても、うちで得に贔屓(ひいき)にしているミュージシャンなんですよ。」

 浜田の雑な紹介に、ふたりは大いに不満そうに口を尖らせていた。

「ほなみさんから、貴方の事はよく聞いてますよ――とても優しい恋人だって」

「こっ……こ!?」

 三広が、目を剥いて叫び、亮介に口を塞がれている。

「いえ、夫です」

 智也は微笑してさらりと答えた。

「おっお……お――っ?……ぐぐ」

 三広が、今度は亮介に両手で口を塞がれた。

「……ああ、そうそう!恋人同士みたいに仲良しだってね!いやしかし美男美女のご夫婦ですなあ!」

 浜田が、ハハハと笑い、智也もにこやかな表情になる。

 「海外赴任で、妻には寂しい思いをさせてしまっていますので心配してるんですが……ご近所に親しくさせていただいている方が居るようで、安心しました」

 ほなみの心臓が嫌な音で鳴り、嫌な汗が背中を伝う。

(――西君と出会ってから数日、私が何を考え何をしていたかなど、智也は知らない。わかる筈はない――)

 物腰はいつも柔らかい智也だが、目だけは鋭くて、笑っている様に見えても本気で笑っているのか分からない事の方が多い。

 ――実は何もかも見透かされているのではないだろうか?

 と、背筋が寒くなった。


「実は、ほなみさんに頼みたい仕事の話しがありまして……で、このふたりも東京からやって来たわけなんです。

 帰国されてご夫婦水入らずのところ申し訳ありませんが、ちょっとだけ、ほなみさんをお借りしてもいいですか?」

「?」

 ほなみにも初耳の話だった。

 浜田がしきりに目配せをしているのに気付き、ほなみは慌てて頷いてみせた。

 智也は特に不審な顔もせず、腕時計をチラッと見る。

「構いませんよ。妻が皆様にご協力出来る事があるならぜひお願いします。

 ほなみ……俺は今から実家へ顔を出してくるから、ゆっくりしておいで」

 智也は、皆に会釈するとコートを翻し、駅方面に向かい歩いて行った。

 ほなみは、張り付いたような笑顔で手を振る。智也の姿が見えなくなり手を降ろすと、一気に膝の力が抜けてよろめいた。

「大丈夫?」

 亮介に抱き留められる。

「……はい。大丈夫……貧血かな……ごめんなさい」

 自分で立とうとするが手足に力が入らない。

 よく考えたら、家に何も食べ物が無くて朝から口にしたのは水だけだ。

 亮介は心配そうにほなみを見た。三広も側で立ち尽くしている。

「ほなみちゃん、お花を落としたよ?」

 浜田が、青バラの花束を拾い差し出した。

「あ、すいませ……」

 青い色が目に入ると、途端に全身を寒気が襲う。

「……顔色が……」

 皆がほなみの顔を覗き込む。

 ほなみは、頭の奥深くで、これからやってくるであろう、フラッシュバックを予感していた。

 身体が冷たくなり、目の前が段々と暗くなっていく――

 そう、バラの青い色は、中学生の時に見た、自動車事故に遭い運ばれた病院のベッドに横たわっていた両親の血の気の引いた手の色を思い出させた。

『――ほなみさん。手を握ってあげなさい――』

 智也の父が言ったが、変わり果てた両親を直視出来ずその青い手にも触れなかった――

「……嫌……怖い……怖い……」

 ほなみは小さく呟くと、意識を失ってしまった。

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