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伝えたいのに

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 ほなみの涙を見て、西本の表情が変わった。
 彼女を突き上げていた時の高揚が嘘のように、ヒリヒリとした痛みを喉の奥におぼえ、唇を噛んだ。

「……泣いてるのは……俺のせい?」
「違うよ……て……違わないかも……でもそうじゃなくて」
「……どっちなんだよ」

 彼は、声に苛立ちを滲ませる。

「あ、あのね……」

 誤解を解きたくて、ほなみは言葉を探すが、上手く出て来ない。
 そんな彼女を彼は一瞬刺すような鋭い目で見つめる。
 ほなみがビクッとして顔をそらすと、彼は深い溜息を苦しげに吐き、頭を抱えた。
 ほなみは身体を起こそうとしたが全身に痛みが走り、顔をしかめた。

「……痛っ」

 この前智也に抱かれたのはいつだったろうか。
 忘れてしまうくらい前の出来事のような気がする。

(智也はこんな風に私を抱かない。西君のように激しく私を攻めたりはしない……)

 西本は頭を起こし、心配するようにほなみを見た。

「……痛かったか?」
「違うの……そうじゃなくて……痛いのは他のところ……運動不足かな」

 重い雰囲気にならぬよう、努めて明るく答えたつもりだった。
 面倒な女だと思われたくなかった。
 彼に出会えたこの奇跡を、この一夜を、せめて素敵な思い出にしたい。

「……ゴメンなんて言わないからな」
「あっ」

 彼はほなみの腕を掴むと、再び組み敷いた。
 獣のようなギラついた色を目に浮かべる彼に、ほなみは何を言えばよいのかわからず、無言で見つめる。
 顎を掴まれ激しく唇を吸われ、苦しさで呻いた。
 長いキスがようやく終わり、彼は唇を離す。

「……嫌だったのか」
「……?」
「俺に抱かれるのが嫌だったのか!?」
「……西君」




  彼の瞳は、猛々しい色と悲しい色で混ざり合い、潤んでいた。

(――違う。嫌じゃない。貴方に全身で烈しく愛されて嬉しい――)

 と、言いたくて仕方がないのに、胸に重い物がのしかかっているようで、彼に言葉をかける事が出来ずに、ほなみはただ黙って見つめた。

「……だからそんな目で見るなって」

 彼は唇を歪め、ほなみを押さえ付ける腕に力を込め、耳や首筋に舌を這わせ始めた。

「……待っ……」

 愛された余韻で痺れていた身体に再び触れられ、ほなみの中は熱を帯び始める。

「好きだ……ひと目見た時から……」

 西本は、その言葉を口にすると同時に、猛々しいほどの感情のうねりが胸の中にあるのに戸惑う。
 優しく包みたい。いや、壊れるまで抱き締めたい。
 いいだろう?だって、ほなみも俺に惹かれているんじゃないのか?
 初めて逢ったあの夜、俺を見つめるほなみの瞳は、キラキラ輝いていた。
 俺を恋へと誘(いざな)うようにーー
 俺はまんまと罠にかかった。
 後戻りできないほどに、ほなみに焦がれてしまった。
 なのに、何故そんなに辛そうに泣く?
 
「好きだ……好きなんだよ」

 告白というよりは、まるで何かを懇願するような、すがるような声で彼はほなみの手を握り締め、指先に口付けた。 
 ほなみは、やはり何も言えず、涙を流し続ける。

 ――その言葉を、今でなく、もっと前に聞けていたのなら……
 そう、できるなら時間を今すぐに巻き戻したい……
 智也の物になる前に、貴方に出逢えていたら……

「なんとか……言えよ」

 彼の瞳が狂暴な光を帯び、乳房をつかみ、巧みに弄び始めた。
 ほなみは仰け反り、彼の髪を思わずかきむしる。

「あ……だ、だめ……また……」
「……ほなみは俺が好きじゃないんだろう?」

 泣きそうな声で言われ、ほなみは、否定の意味で首を振るが、彼は今にも泣き出しそうに見えた。

「俺が勝手に惚れて……強引に抱いただけだ……ほなみが望んだわけじゃない!」
「西く……ちが」


――あなたが好き――という言葉を飲み込む。こんなに恋しくて、求めているのに言えない。
 智也と結婚しているという現実が、こんな時にも頭から離れない。



 
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