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光と影と痛み
②
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「ほなみちゃん、大丈夫かい?」
不意に頭上で低く優しい声で呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。
そこに居たのは智也の父だった。仕事の途中で駆け付けたのだろう。いつものパリッとしたスーツ姿だ。後ろには智也が立っている。
「おじさん……」
「大丈夫だよ。きっと助かるから」
智也の父は、ほなみの頭をそっと撫でた。
ほなみは、頷くだけで精一杯だった。
緊張が解れると同時に涙がこぼれ落ちる。
すると手術室の扉が開き、医師が出て来た。
「娘さんですね?」
医師は大きなマスクを付け、目だけを覗かせ、静かに訊ねた。
ほなみの身体が嫌な予感で強張る。
「ご両親ですが、全身を強く打っていまして、あらゆる手を尽くしましたが……残念です」
「……」
視界がぐにゃり、と歪み、倒れそうになるが、力強い腕がほなみを支えた。
智也だった。
「最後のお別れをお願いいたします。」
医師は静かにお辞儀をし、手術室の扉を開け、中へ入る様に促した。
「……しっかり……ご両親に、会ってあげなさい」
智也の父が言ったが、ほなみは自分の力で足を踏み出す事がどうしても出来なかった。
「……お父さん……お母さん……やだ……嫌っ」
「仁科」
智也は、ほなみの肩を強く抱き締めた。
「……大丈夫だ。俺が居る。俺や父さんや母さんがこれから、ほなみとずっと一緒に居るから大丈夫だ」
「智也く……ん?」
その言葉の意味がわからないまま呆然としていたが、智也と、彼の父に手を引かれ、何とか手術室に入り、点滴で繋がれた両親と対面した。
「……!」
ほなみは両親の変わり果てた姿に絶句した。
顔にはぐるぐると包帯を巻かれ、目の部分だけがかろうじて覗いていた。
白い包帯はところどころが赤い色で染みている。
身体じゅうありとあらゆる場所を管で繋がれた両親は、いつもの姿と違いすぎた。
ほなみは現実を受け止めきれず、その場で気を失った。両親の最期を見届けることもなくーー
それ以来、ほなみは雷が嫌いになった。
嫌いというより、とてつもない恐怖を感じるのだ。
ほなみは智也の両親に引き取られた。
智也とは高校の時から交際していた。
2年生の夏、両親が不在の夜に、彼のベッドで初めて抱かれた。
クールで感情を出さない智也だが、初めてほなみを抱き締めた時の腕に込められた力と、切ない目の色はいつもとは違った。
初めての痛みに耐えながら横になっていると、部屋の中が明るく照らされ、雷の音が鳴り、智也に思わず抱き着いた。
「どうした?ほなみ?」
「怖い……」
「雷が怖いなんて子供みたいだな」
「お願い、今夜は一緒に眠って?」
だが智也はほなみの手を解き、ベッドから抜け出して服を着はじめた。
「俺、ひとりで眠りたいから。シャワーを浴びてくるから、自分の部屋に戻っててくれよ」
「智也……?」
ほなみは、信じられない気持ちで彼を見た。ふたりは恋人同士で、今まさに、初めて身体を重ね合わせたばかりだ。こんな時には、もっと甘くて優しい言葉があっても良いのではないだろうか。
呆然とシーツを掴んだまま、ほなみは智也を見つめる。
その表情は、またいつものポーカーフェースに戻っていた。
「早く何か着なよ。風邪をひくから……お休み」
そっけなく言うと、彼は部屋から出て行った。
ひとりになった部屋に、また閃光がきらめき轟音が響く。
ほなみは耳を塞ぎ、心細さに震えた。
(早く自分の部屋へ戻らないと)
ベッドから降りようと身を起こすと、脚の間に激痛が走った。
身をふたつに引き裂かれるような痛みを感じながら、足を引きずるようにして何とか部屋を出て、自分のベッドに倒れ込んだ。
稲妻が墜ち、家が軋む度に枕で頭を覆い、目を瞑り、時々襲うとてつもない痛みに耐える。
なぜ、言えなかったのだろう。
(怖いのーー側にいて欲しいの)と。
ほなみは、その夜を境に、ますます雷が恐ろしく、憎いとさえ思うようになった。
『君は旋律(恋)を奏でた
君は旋律(恋)を撒いた
渇いた砂に染み込むようにもっと もっと 欲しいって泣いているみたいだ』
優しく甘い歌声で、ほなみは過去の夢から醒めた。目の前にあるのは、西本祐樹の逞しい首だった。
見上げると、形の良い唇が唄っている。
(私だけの為に西君が唄っている――)
胸の中が嬉しい気持ちと愛しさで一杯に満たされるのを感じて、ほなみは彼の身体をぎゅっと抱き締め返した。
不意に頭上で低く優しい声で呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。
そこに居たのは智也の父だった。仕事の途中で駆け付けたのだろう。いつものパリッとしたスーツ姿だ。後ろには智也が立っている。
「おじさん……」
「大丈夫だよ。きっと助かるから」
智也の父は、ほなみの頭をそっと撫でた。
ほなみは、頷くだけで精一杯だった。
緊張が解れると同時に涙がこぼれ落ちる。
すると手術室の扉が開き、医師が出て来た。
「娘さんですね?」
医師は大きなマスクを付け、目だけを覗かせ、静かに訊ねた。
ほなみの身体が嫌な予感で強張る。
「ご両親ですが、全身を強く打っていまして、あらゆる手を尽くしましたが……残念です」
「……」
視界がぐにゃり、と歪み、倒れそうになるが、力強い腕がほなみを支えた。
智也だった。
「最後のお別れをお願いいたします。」
医師は静かにお辞儀をし、手術室の扉を開け、中へ入る様に促した。
「……しっかり……ご両親に、会ってあげなさい」
智也の父が言ったが、ほなみは自分の力で足を踏み出す事がどうしても出来なかった。
「……お父さん……お母さん……やだ……嫌っ」
「仁科」
智也は、ほなみの肩を強く抱き締めた。
「……大丈夫だ。俺が居る。俺や父さんや母さんがこれから、ほなみとずっと一緒に居るから大丈夫だ」
「智也く……ん?」
その言葉の意味がわからないまま呆然としていたが、智也と、彼の父に手を引かれ、何とか手術室に入り、点滴で繋がれた両親と対面した。
「……!」
ほなみは両親の変わり果てた姿に絶句した。
顔にはぐるぐると包帯を巻かれ、目の部分だけがかろうじて覗いていた。
白い包帯はところどころが赤い色で染みている。
身体じゅうありとあらゆる場所を管で繋がれた両親は、いつもの姿と違いすぎた。
ほなみは現実を受け止めきれず、その場で気を失った。両親の最期を見届けることもなくーー
それ以来、ほなみは雷が嫌いになった。
嫌いというより、とてつもない恐怖を感じるのだ。
ほなみは智也の両親に引き取られた。
智也とは高校の時から交際していた。
2年生の夏、両親が不在の夜に、彼のベッドで初めて抱かれた。
クールで感情を出さない智也だが、初めてほなみを抱き締めた時の腕に込められた力と、切ない目の色はいつもとは違った。
初めての痛みに耐えながら横になっていると、部屋の中が明るく照らされ、雷の音が鳴り、智也に思わず抱き着いた。
「どうした?ほなみ?」
「怖い……」
「雷が怖いなんて子供みたいだな」
「お願い、今夜は一緒に眠って?」
だが智也はほなみの手を解き、ベッドから抜け出して服を着はじめた。
「俺、ひとりで眠りたいから。シャワーを浴びてくるから、自分の部屋に戻っててくれよ」
「智也……?」
ほなみは、信じられない気持ちで彼を見た。ふたりは恋人同士で、今まさに、初めて身体を重ね合わせたばかりだ。こんな時には、もっと甘くて優しい言葉があっても良いのではないだろうか。
呆然とシーツを掴んだまま、ほなみは智也を見つめる。
その表情は、またいつものポーカーフェースに戻っていた。
「早く何か着なよ。風邪をひくから……お休み」
そっけなく言うと、彼は部屋から出て行った。
ひとりになった部屋に、また閃光がきらめき轟音が響く。
ほなみは耳を塞ぎ、心細さに震えた。
(早く自分の部屋へ戻らないと)
ベッドから降りようと身を起こすと、脚の間に激痛が走った。
身をふたつに引き裂かれるような痛みを感じながら、足を引きずるようにして何とか部屋を出て、自分のベッドに倒れ込んだ。
稲妻が墜ち、家が軋む度に枕で頭を覆い、目を瞑り、時々襲うとてつもない痛みに耐える。
なぜ、言えなかったのだろう。
(怖いのーー側にいて欲しいの)と。
ほなみは、その夜を境に、ますます雷が恐ろしく、憎いとさえ思うようになった。
『君は旋律(恋)を奏でた
君は旋律(恋)を撒いた
渇いた砂に染み込むようにもっと もっと 欲しいって泣いているみたいだ』
優しく甘い歌声で、ほなみは過去の夢から醒めた。目の前にあるのは、西本祐樹の逞しい首だった。
見上げると、形の良い唇が唄っている。
(私だけの為に西君が唄っている――)
胸の中が嬉しい気持ちと愛しさで一杯に満たされるのを感じて、ほなみは彼の身体をぎゅっと抱き締め返した。
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