上 下
20 / 75
光と影と痛み

しおりを挟む
 「ほなみちゃん、大丈夫かい?」
 
 不意に頭上で低く優しい声で呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。 
 そこに居たのは智也の父だった。仕事の途中で駆け付けたのだろう。いつものパリッとしたスーツ姿だ。後ろには智也が立っている。

「おじさん……」
「大丈夫だよ。きっと助かるから」

 智也の父は、ほなみの頭をそっと撫でた。
 ほなみは、頷くだけで精一杯だった。
 緊張が解れると同時に涙がこぼれ落ちる。
 すると手術室の扉が開き、医師が出て来た。

「娘さんですね?」

 医師は大きなマスクを付け、目だけを覗かせ、静かに訊ねた。
 ほなみの身体が嫌な予感で強張る。

「ご両親ですが、全身を強く打っていまして、あらゆる手を尽くしましたが……残念です」
「……」

 視界がぐにゃり、と歪み、倒れそうになるが、力強い腕がほなみを支えた。
 智也だった。

「最後のお別れをお願いいたします。」

 医師は静かにお辞儀をし、手術室の扉を開け、中へ入る様に促した。

「……しっかり……ご両親に、会ってあげなさい」

 智也の父が言ったが、ほなみは自分の力で足を踏み出す事がどうしても出来なかった。

「……お父さん……お母さん……やだ……嫌っ」
「仁科」

 智也は、ほなみの肩を強く抱き締めた。

「……大丈夫だ。俺が居る。俺や父さんや母さんがこれから、ほなみとずっと一緒に居るから大丈夫だ」
「智也く……ん?」

 その言葉の意味がわからないまま呆然としていたが、智也と、彼の父に手を引かれ、何とか手術室に入り、点滴で繋がれた両親と対面した。


「……!」


 ほなみは両親の変わり果てた姿に絶句した。
 顔にはぐるぐると包帯を巻かれ、目の部分だけがかろうじて覗いていた。
 白い包帯はところどころが赤い色で染みている。
 身体じゅうありとあらゆる場所を管で繋がれた両親は、いつもの姿と違いすぎた。
 ほなみは現実を受け止めきれず、その場で気を失った。両親の最期を見届けることもなくーー


  それ以来、ほなみは雷が嫌いになった。
 嫌いというより、とてつもない恐怖を感じるのだ。
 ほなみは智也の両親に引き取られた。
 智也とは高校の時から交際していた。
 2年生の夏、両親が不在の夜に、彼のベッドで初めて抱かれた。
 クールで感情を出さない智也だが、初めてほなみを抱き締めた時の腕に込められた力と、切ない目の色はいつもとは違った。
 初めての痛みに耐えながら横になっていると、部屋の中が明るく照らされ、雷の音が鳴り、智也に思わず抱き着いた。

「どうした?ほなみ?」
「怖い……」
「雷が怖いなんて子供みたいだな」
「お願い、今夜は一緒に眠って?」

 だが智也はほなみの手を解き、ベッドから抜け出して服を着はじめた。

「俺、ひとりで眠りたいから。シャワーを浴びてくるから、自分の部屋に戻っててくれよ」
「智也……?」

 ほなみは、信じられない気持ちで彼を見た。ふたりは恋人同士で、今まさに、初めて身体を重ね合わせたばかりだ。こんな時には、もっと甘くて優しい言葉があっても良いのではないだろうか。
 呆然とシーツを掴んだまま、ほなみは智也を見つめる。
 その表情は、またいつものポーカーフェースに戻っていた。


「早く何か着なよ。風邪をひくから……お休み」

 そっけなく言うと、彼は部屋から出て行った。
 ひとりになった部屋に、また閃光がきらめき轟音が響く。
 ほなみは耳を塞ぎ、心細さに震えた。

(早く自分の部屋へ戻らないと)

 ベッドから降りようと身を起こすと、脚の間に激痛が走った。



  身をふたつに引き裂かれるような痛みを感じながら、足を引きずるようにして何とか部屋を出て、自分のベッドに倒れ込んだ。
 稲妻が墜ち、家が軋む度に枕で頭を覆い、目を瞑り、時々襲うとてつもない痛みに耐える。
 なぜ、言えなかったのだろう。
(怖いのーー側にいて欲しいの)と。
 ほなみは、その夜を境に、ますます雷が恐ろしく、憎いとさえ思うようになった。











『君は旋律(恋)を奏でた
 君は旋律(恋)を撒いた
 渇いた砂に染み込むようにもっと もっと 欲しいって泣いているみたいだ』

 優しく甘い歌声で、ほなみは過去の夢から醒めた。目の前にあるのは、西本祐樹の逞しい首だった。
 見上げると、形の良い唇が唄っている。

(私だけの為に西君が唄っている――)

 胸の中が嬉しい気持ちと愛しさで一杯に満たされるのを感じて、ほなみは彼の身体をぎゅっと抱き締め返した。



しおりを挟む

処理中です...