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あなたに、とらわれて

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 ほなみの手が震えている。

「あの……今日……とても素敵でした……
 ライヴの間……本当に……幸せでした……」

 ドキドキしてつっかえながら、やっとの思いでそう言ったほなみは、いつの間にか目の前に西本が立っている事に驚愕して小さく叫びそうになるが、彼の手が突然口を塞いだ為声は出ず、むぐむぐと呻いた。


「……黙って」

 西本は低い声で言うと、いきなりほなみを壁に押し付け、顎を持ち上げ唇を重ねてきた。
 手に握られていたチョコレートが床に落ちる。
 突然の彼の行動が理解出来ず、唇から逃れようと必死に腕で胸を押すが、力強い腕には敵わない。ほなみの唇は彼に思うままに吸われた。
 熱い溜息と共に、ぬるりとした感触の物が咥内に侵入して来て恐怖で身体が硬直する。
 彼の舌なのだ、という事を理解するのに数秒かかったほなみは、逃れようと身をよじった。
 彼の手は背中から腰に移動して、シャツの中に入ろうとしていた。

「……だっ……だめ!」

 必死に叫ぶと、手の力が若干緩み、西本が鋭く見つめた。
  その目がとても冷たい事に、言葉を失う。

「……あんた、これが望みなんじゃないの?わかってんだよ……」

 先程までの紳士的な振る舞いとは別人の様に、再びほなみを押さえ付け、首筋に唇を押し当ててきた。
 ほなみは、ぞくりと身を震わせたが、軽く耳をかじられ悲鳴を上げる。

「ねえ、ひょっとして、あんまり慣れてない?」

 からかうような声色で言われ、頬がかあっと熱くなった。
 彼の瞳が意地悪な色を帯びている。

「……それともアレか。慣れてないフリで男を喜ばせようって作戦?」

 ほなみは、カッとなり彼の頬を打った。 チョコレートの箱は西本の胸に当たり、ふたりの間の床に落ちた。
 小さな針が刺さっているように胸がズキズキと痛む。彼が触れた唇と、舌で掻き回された咥内が焼けて熱くて、口を両手でおおった。

 ーー何が悪いの?
 とでも言いそうな彼の薄桃色の唇が目に入り、爪先から頭のてっぺんまで物凄いスピードで猛烈な怒りが駆け抜けた。
 なぜ、そんな平気な顔をしていられるの?あんな事をしておいて? 
 今にも美しいメロディーを口ずさみそうなその唇でーー
 足元がフワフワして浮いてしまいそうなのは、彼のせい?
 心臓が飛び出てしまいそうに高鳴っているのは、彼のキスがうれしかったからなの?ーーううん、違う!……私は、唄う彼をこの目で見られたらそれで満足だった。それだけで良かったのに、なのにーー

「あなたなんか大嫌い!!」

 ほなみは後ずさりながら後ろ手にドアノブを回し、思い切り叫び大きな音を立ててドアを閉めた。
 浜田と立ち話し中のあぐりの目の前を通り過ぎて、大通りへ向かってズンズン歩く。

「サインもらった――?ねえ、何処に行くの?」
「ごめんね、今日は帰る」

 ほなみは下を向いたまま、点滅し始めた信号機の横断歩道を小走りで渡った。

「打ち上げに行かないの?」

 あぐりの叫びが聞こえたが、その声に背を向けマンションに向かい無茶苦茶に走った。
 部屋へ入りパソコンを開きメールをチェックするが誰からもメールは来ていない。
 服を乱雑に脱ぎちらかしながらバスルームへ向かった。片付けする気力など無い。
 シャワーの熱い湯を浴びながら唇や首筋に触れると西本のキスが思い出され、今さら身体の芯が熱くなる。
 (――ステージでは、爽やかな笑顔を振りまいて、楽屋でも始めはとても柔らかく優しげな笑みで私を見ていたのに……私をつかまえた腕は強くて……乱暴で無遠慮な言葉を投げつけて来た……同じ人がした事とは、とても思えない……)

 両目から、いつの間にか涙が溢れていた。



 "君は旋律(恋)を奏でた 君は旋律(恋)を撒いた"

 あの声が頭の中で渦巻いている。

 「――最低!大嫌いっ!」

 口をついて出た言葉とは裏腹に、彼の事を思い出して、これほどまでに心が揺れている。

 (私の何もかも、西君にとらわれてしまった……)


 
 西本は殴られた弾みで横を向き、数秒そのままでいたが、やがて呆気に取られた表情でほなみに向き直る。 
 ほなみは、落ちたチョコレートを拾い上げると彼に向かって投げ付けた。




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