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えっと……誰ですか?
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「えっと……誰ですか?」
きっと、そう言った瞬間に糸は切れてしまったのだろう。
さかのぼること、3年前。
当時中2だった私は、いつものように通学路を帰っていた。
もともと大人しいほうな性格が災いして、私はクラスで孤立していた。いじめられていたとかじゃなくて、単純に1人だった。
つまり、一緒に帰る友達もいなかった。
「ふわぁ……」
軽く口に手をそえながら大あくび。部活の帰り道は、いつもこうだ。必ず、眠くなる。
てくてくと歩くゆるい坂と、申し訳程度にある汚れたガードレールが滲んだ。
「あの日のーよーろこーびとー」
周りをきょろきょろと見まわし、誰もいないことを確認する。横をたまに車が走っているだけで、人影はさっぱり見当たらなかった。ほっと息をついて、今日音楽で習った曲を口ずさむ。人がいたら、変に思われてしまう。
今日のおやつはなんだろう。チョコケーキかな。それとも、最近食べてないマフィンとかかな。あ、クッキーっていう選択肢もある。他にも……。
歌いながら、今日のおやつについて考えを巡らす。美味しい想像ばかりで、私は思わず笑ってしまった。早く家に帰りたい!
坂を下りきって2個ほど曲がり角を曲がったら、すぐに家だ。のんびり歩いていられず、かけ出す。カバンの中で教科書ががたがたと揺れた。
坂が終わり、平坦な道に入った。あとは2つ曲がるだけ。部活で鍛えた脚力をフルに使って、私は走った。
ーーーここで歩いておけば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
キキーッ。ドン。
ふわっと体が宙に浮いた。
「え……」
思わず声が漏れる。黒い傷だらけの車が妙にはっきりと見えた。
ちょっとだけ近づいた空がみるみるうちに離れていく。汚れたガードレールが近づいてきた。
これ……落ちる?
思った時にはもう遅く。ガンッと地面に頭がぶつかり、鈍い音がした。一瞬おいて激しい痛みが雷のように走り抜ける。体が焼けるようだ。
「ぁ……落ちたわ」
ふっと力なく笑うと、目の前が真っ暗になった。
ぼやーっと、目の前が霞んでいる。
焦点があったりあわなかったりのそれを掴もうと、私は手を伸ばした。
とたん、骨が砕けるような痛みが走った。
「うゎぁぁぁ……」
手を抱え込み、呻く。体はがたがたと震え、額に脂汗が流れた。膝を曲げると左足が引っ張り戻される。横に寝返ろうとするとズキンと背中が痛んだ。
「なに……?どうなってるの……?」
痛みで朦朧としてきた意識の中、呟く。
「あ、目ぇ覚めましたー?」
答えてくれたのは、女の人だった。
「よかったですぅ、先生に行ってきますねー」
カタンとトレーを近くにおいて、女の人は部屋から出ていった。
今の人……看護師?ナースっぽいかっこしてた。じゃあここは……病院?
何がなんだかわからない。なんで私は病院なんかにいるんだっけ……。
思い出そうとすると、ズキッと鈍く頭が痛んだ。
何があった?私は何をした?どうなって私はここにいるの?そしてこの大量の怪我はいったい……
ガラガラガラッ。
勢いよく扉を開け放つ音。カツカツカツと、早いヒールの音もする。私はなんとなく身の危険を感じて、布団に潜り込んだ。
布団の中の白を見つめて息を潜めていると、聞いたことがない女の人の声がした。
「寝てるじゃない。目覚めたって言ったわよね?」
「困ります。患者さんは絶対安静なんですから」
反論しているのは、さっきの看護師さんのようだ。じゃあもう1人は……?
「まったく、迷惑ばっかりかけやがって。ろくな娘じゃないわ。引き取ってあげたってのに……」
「失礼ですが、そんな言い方はないと思いますよ!仮にも子供でしょう!?かわいいと思わないんですか!?」
「思わないわよ、そんなもん。好きで引き取った訳じゃないし、引き取りたいって言ったのは夫だもの。亡くなったけどね」
「あなた……!」
「なに?看護師なんかになんか言われる筋合いはないわよ。赤の他人でしょ?家族関係にまで踏み込むつもり?」
「……申し訳ありません。でも、一旦お引き取り願えませんか?患者さんの絶対安静は、先生からも厳命されておりますので」
「はいはい、帰ればいいんでしょ、帰れば」
カツカツカツ、バタン。
誰かが部屋から出ていく音がした。
「はぁ……」
看護師さんがため息をついて、カチャカチャと器具を揃えているような音がする。寝たふりを続けていると、トレーを持って看護師さんは部屋から出ていった。
「よいしょっ……と」
もがくようにして布団から頭を出す。いったい今の話はなんだったのだろうか。
話から察するに、あのヒールの人は私の母親だ。そして、私はたぶん養子。
「全然覚えてないや……」
ふっと息をついて、天井を見上げる。ちょっと灰色がかった白色は、窓から差し込む光を反射してちらちらと光っていた。
私は……どうなったのだろう。
この状況で親がわからないとなると、記憶喪失だろうか。でも、自分の名前は覚えている。軽く足し算や引き算をしてみるが、簡単にできる。この前習った二次方程式を思い浮かべることもできた。
となると……ドラマでよくある、家族だけ忘れたパターンだろうか。親だけ忘れるとか、兄弟だけ忘れるとか、友達覚えてるのに家族全員忘れるとか。
「って、そんなドラマみたいな話ある訳ないじゃん」
馬鹿馬鹿しすぎて、考えていて笑ってしまった。まだ親にしか会っていない。それに、何があってここにいるかも思い出せていない。一時だけのことで、きっと思い出すだろう。うん、きっとそう。
そんなことをぼんやり考えていると、部屋の外が急に騒がしくなった。
「ーーーー!!!」
「ーーーーー!ーーー!!!」
誰かが叫んでいる。少し遠いのか、くぐもっていてよく聞こえない。
「ーーーー!ーーーーって言ってんでしょ!!!」
「さすがに病院としてもそれは見過ごせません!!!いくらなんでもそれは……!」
「だからいいって言ってんでしょ!お金は払ったじゃない!何がダメなの!?」
あ、またあの人だ。今度は何しにきたの?
すぐにわかった。喚き散らす声、カツカツと激しいヒールの音。さっきの看護師さんとやり合っているのだろうか。今度はなんの話だろう?
「そうです、さすがに見過ごせませんよ」
キャンキャン喚く私の母親(?)を、ゆったりと深みのある声が遮った。
「先生!」
看護師さんのほっとしたような声。先生……医者かな?
「親なら親なりの責任をきちんと果たすものです。それが例え、自分のお腹を痛めて産んだ子じゃないとしても」
「だからこそいらないの!!!邪魔なだけじゃない!!!もういい加減愛想尽きたのよ!責任なんて知ったこっちゃないわ!」
「……なら、本人にそれを直接言ったらどうですか」
「先生!!!」
看護師さんが抗議の声をあげた。
「そうね!」
ガラガラガラッ!
勢いよく扉の開く音。ヒールを折る勢いで近寄ってくる足音に、私はすっかり威圧されていた。
カツン、と私のベットの前で立ち止まった音。私は天井を見つめるのをやめ、しぶしぶ首をもたげた。
そこには、私の記憶にまったくない人が立っていた。
真っ白くなるほど塗りこまれた化粧。口紅はてらてらと赤く光り、ピンクのチークがラメを強調しながらはたきこまれている。
服は真っ赤なワンピース。年に似合わないフリフリの多さと、なんとなく古くさい感じのするデザインは吐き気をもよおすほど。
服に合わせたのか編み込まれて1つにまとめられた髪は、たくさんささっているきらきらの石がついたピンのせいで、上から埃をまぶしたような感じになっている。毛先のバサバサ感が古い箒さながらなので、なおさら。
笑ってはいけない、笑ってはいけないと懸命に堪えたのだが、笑いはついに私の喉を超えて出てきてしまった。
「ぶっふぉ!!!……あっはっはっはっ!!!」
突然笑いだした私を、母親(?)はキチガイか何かのように見ている。
「何ですか?」
ひとしきり笑って、ヒィヒィ言いながらやっとのことで私が笑いを収めて聞くと、石になりそうなくらい強い視線が私を射抜いた。
「私はあんたを捨てるから!それだけよ」
「は?いや、あの……」
突然捨てるとはっきり言われて驚く私を、女の人は満足そうに眺めている。
「それだけ。今日から私はあんたの親じゃないから。もともといらなかった子だから、どうでもいいけどね」
「いや、だから……」
「書類は私の方で書いておくから、あんたはここではいって言えばいいのよ」
「だから、あの……」
「安心して、病院の人が証人になってくれるわ。ね?」
満面の笑みで後ろを振り返る母親。その背中に、いい加減限界だった私は爆弾を投げつけた。
「人の話聞けっつってんだろがクソババア」
「はぁ!?」
バサッと髪を振って女の人が振り返る。後ろで見に来ていたらしい看護師さんが何人か吹き出した。
「あんた、私にそんな口聞いていいと思ってんの!?私が誰だかわかってるでしょうね!母親よ、は は お や!育ててやったのに何その口の聞きざまは!!!」
「……」
「なんとか言いなさいよ!!!」
「いやあの、誰だかわかんないのに言われても……」
「「「「「「はぁ!?」」」」」」
女の人はじめ、看護師さんやお医者さんまで、見に来ていた全員の声が揃った。
「えっと……誰ですか?」
うすうす察してたとはいえ、赤の他人だ。本気できょとんとした顔で聞いてやった。
「……!もう帰るわ!とりあえずあんたとは縁切ったから!」
カツカツカツッ!!!
真っ赤になった顔をぱくぱくさせて、母親は走り去った。ヒールの音までかなり怒っている。
「いや、知らないんだから怒られてもなぁ……」
いい加減痛くなっていた首を戻し、天井を見上げて私はぼやいた。
「……飯塚 梨里奈さん?」
「はい?」
微かに首をかしげて見ると、お医者さんがいつの間にかベットの脇に来ていた。
「本当に、覚えないのかい?」
「何がですか?」
「さっきの人だよ、さっきの人」
「あ、はい。覚えてません。あれ、誰ですか?」
「……君の母親だよ」
あ、やっぱりか。
「そうなんですか?あんな化粧濃くて不細工な金魚おばさんが?」
「ふふっ……あはははは!」
思ったことをそのまま言うと、お医者さんは笑い出してしまった。
「面白いね、君は」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、お医者さんは言った。
「そうですか?」
「あぁ。……ところで、君はどうしたい?」
「はい?」
「たぶんあの人は本当に縁を切るだろう。その時、君はどうする?いつまでも病院に泊めるわけにも行かないし……」
「その時はその時で、自分でなんとかしますよ。なんとか事情話せば施設で暮らしながらバイトなどもできると思いますし。きっとなんとかなります」
「そうか……」
笑って言った私に、お医者さんはため息をついた。君は強いな、と呟く。
「ところで、自分の名前以外は何か覚えているかい?」
「足し算とか引き算は普通にできました。二次方程式をこの前習ったって記憶もありましたし。それより、」
私はガバッと身を起こして尋ねた。背中が痛むが、そんなこと気にしていられない。
「何があったんですか?どうして私はここにいるんですか?」
「で、近くの人が通報してくれたらしい。そして、今に至る。」
「はぁ……」
事故の全貌を聞いた私は、ただただ呆れていた。これは完全に、単なるもらい事故だ。それで記憶喪失って……ドラマかよ。
「犯人は捕まったんですか?」
「ああ。幸い君を発見した人の通報が早かったから、凹んだ跡がある車はすぐに見つかった。ガードレールのペンキもついていたようだしね」
「それはそれは……」
「だから安心していていいだろう。私も話しすぎたな。ゆっくり休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。医者として当たり前のことをしたまでだ」
やたらとカッコいい台詞を残して、先生は去っていった。
「事故、かぁ」
軽く布団を捲って見下ろせば左手にはギプス。胴にも厚く包帯が巻かれ、入院の服が着せられている。少し首をもたげて足元を見れば、漫画とかでよくある足を吊るタイプのやつで左足が吊るされている。右手にはガーゼの上から包帯が巻かれているようで、微かに血が滲んでいる。左と違って手首のところだけで済んでいるからまだましだろうか。
「結構大怪我だよねぇ……」
記憶喪失までなっちゃうしなぁ……どうしよっかな……。
などと考えていると、コンコン、ガラガラッと看護師さんが入ってきた。
「点滴で痛み止め入れますけどいいですかぁ?」
こくりと頷く。すると看護師さんは手際よく私の腕をアルコールで拭いて、痛いと感じる前にさっと針を入れてしまった。
「早いですね……」
思わず言うと、看護師さんはくすりと笑って言った。
「経験ですよー。やるうちにどんどん慣れてくるんですぅ」
そう答える間にも針がずれないようにテープで止めている。目にも止まらぬ早業だ。
「はい、できましたー!だんだん眠くなってくるかもしれませんけど、薬の効果なんで安心して寝てくださいねぇ。では、失礼しますぅ」
……やってることはかっこいいのに、いちいち語尾に小文字つけんので全部台無し。もっと真面目な喋り方すればいいのに。
「はぁ……」
脱力して目を閉じる。過去の記憶を辿ろうとしてみたが、やはり自分の名前以外何も出てこない。まだ無理かな?
すうっと眠気が襲ってきた。心地よいそれに身を任せると、布団に沈み込むような感覚をおぼえた。その暖かさに包み込まれて、私は意識を手放した。
きっと、そう言った瞬間に糸は切れてしまったのだろう。
さかのぼること、3年前。
当時中2だった私は、いつものように通学路を帰っていた。
もともと大人しいほうな性格が災いして、私はクラスで孤立していた。いじめられていたとかじゃなくて、単純に1人だった。
つまり、一緒に帰る友達もいなかった。
「ふわぁ……」
軽く口に手をそえながら大あくび。部活の帰り道は、いつもこうだ。必ず、眠くなる。
てくてくと歩くゆるい坂と、申し訳程度にある汚れたガードレールが滲んだ。
「あの日のーよーろこーびとー」
周りをきょろきょろと見まわし、誰もいないことを確認する。横をたまに車が走っているだけで、人影はさっぱり見当たらなかった。ほっと息をついて、今日音楽で習った曲を口ずさむ。人がいたら、変に思われてしまう。
今日のおやつはなんだろう。チョコケーキかな。それとも、最近食べてないマフィンとかかな。あ、クッキーっていう選択肢もある。他にも……。
歌いながら、今日のおやつについて考えを巡らす。美味しい想像ばかりで、私は思わず笑ってしまった。早く家に帰りたい!
坂を下りきって2個ほど曲がり角を曲がったら、すぐに家だ。のんびり歩いていられず、かけ出す。カバンの中で教科書ががたがたと揺れた。
坂が終わり、平坦な道に入った。あとは2つ曲がるだけ。部活で鍛えた脚力をフルに使って、私は走った。
ーーーここで歩いておけば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
キキーッ。ドン。
ふわっと体が宙に浮いた。
「え……」
思わず声が漏れる。黒い傷だらけの車が妙にはっきりと見えた。
ちょっとだけ近づいた空がみるみるうちに離れていく。汚れたガードレールが近づいてきた。
これ……落ちる?
思った時にはもう遅く。ガンッと地面に頭がぶつかり、鈍い音がした。一瞬おいて激しい痛みが雷のように走り抜ける。体が焼けるようだ。
「ぁ……落ちたわ」
ふっと力なく笑うと、目の前が真っ暗になった。
ぼやーっと、目の前が霞んでいる。
焦点があったりあわなかったりのそれを掴もうと、私は手を伸ばした。
とたん、骨が砕けるような痛みが走った。
「うゎぁぁぁ……」
手を抱え込み、呻く。体はがたがたと震え、額に脂汗が流れた。膝を曲げると左足が引っ張り戻される。横に寝返ろうとするとズキンと背中が痛んだ。
「なに……?どうなってるの……?」
痛みで朦朧としてきた意識の中、呟く。
「あ、目ぇ覚めましたー?」
答えてくれたのは、女の人だった。
「よかったですぅ、先生に行ってきますねー」
カタンとトレーを近くにおいて、女の人は部屋から出ていった。
今の人……看護師?ナースっぽいかっこしてた。じゃあここは……病院?
何がなんだかわからない。なんで私は病院なんかにいるんだっけ……。
思い出そうとすると、ズキッと鈍く頭が痛んだ。
何があった?私は何をした?どうなって私はここにいるの?そしてこの大量の怪我はいったい……
ガラガラガラッ。
勢いよく扉を開け放つ音。カツカツカツと、早いヒールの音もする。私はなんとなく身の危険を感じて、布団に潜り込んだ。
布団の中の白を見つめて息を潜めていると、聞いたことがない女の人の声がした。
「寝てるじゃない。目覚めたって言ったわよね?」
「困ります。患者さんは絶対安静なんですから」
反論しているのは、さっきの看護師さんのようだ。じゃあもう1人は……?
「まったく、迷惑ばっかりかけやがって。ろくな娘じゃないわ。引き取ってあげたってのに……」
「失礼ですが、そんな言い方はないと思いますよ!仮にも子供でしょう!?かわいいと思わないんですか!?」
「思わないわよ、そんなもん。好きで引き取った訳じゃないし、引き取りたいって言ったのは夫だもの。亡くなったけどね」
「あなた……!」
「なに?看護師なんかになんか言われる筋合いはないわよ。赤の他人でしょ?家族関係にまで踏み込むつもり?」
「……申し訳ありません。でも、一旦お引き取り願えませんか?患者さんの絶対安静は、先生からも厳命されておりますので」
「はいはい、帰ればいいんでしょ、帰れば」
カツカツカツ、バタン。
誰かが部屋から出ていく音がした。
「はぁ……」
看護師さんがため息をついて、カチャカチャと器具を揃えているような音がする。寝たふりを続けていると、トレーを持って看護師さんは部屋から出ていった。
「よいしょっ……と」
もがくようにして布団から頭を出す。いったい今の話はなんだったのだろうか。
話から察するに、あのヒールの人は私の母親だ。そして、私はたぶん養子。
「全然覚えてないや……」
ふっと息をついて、天井を見上げる。ちょっと灰色がかった白色は、窓から差し込む光を反射してちらちらと光っていた。
私は……どうなったのだろう。
この状況で親がわからないとなると、記憶喪失だろうか。でも、自分の名前は覚えている。軽く足し算や引き算をしてみるが、簡単にできる。この前習った二次方程式を思い浮かべることもできた。
となると……ドラマでよくある、家族だけ忘れたパターンだろうか。親だけ忘れるとか、兄弟だけ忘れるとか、友達覚えてるのに家族全員忘れるとか。
「って、そんなドラマみたいな話ある訳ないじゃん」
馬鹿馬鹿しすぎて、考えていて笑ってしまった。まだ親にしか会っていない。それに、何があってここにいるかも思い出せていない。一時だけのことで、きっと思い出すだろう。うん、きっとそう。
そんなことをぼんやり考えていると、部屋の外が急に騒がしくなった。
「ーーーー!!!」
「ーーーーー!ーーー!!!」
誰かが叫んでいる。少し遠いのか、くぐもっていてよく聞こえない。
「ーーーー!ーーーーって言ってんでしょ!!!」
「さすがに病院としてもそれは見過ごせません!!!いくらなんでもそれは……!」
「だからいいって言ってんでしょ!お金は払ったじゃない!何がダメなの!?」
あ、またあの人だ。今度は何しにきたの?
すぐにわかった。喚き散らす声、カツカツと激しいヒールの音。さっきの看護師さんとやり合っているのだろうか。今度はなんの話だろう?
「そうです、さすがに見過ごせませんよ」
キャンキャン喚く私の母親(?)を、ゆったりと深みのある声が遮った。
「先生!」
看護師さんのほっとしたような声。先生……医者かな?
「親なら親なりの責任をきちんと果たすものです。それが例え、自分のお腹を痛めて産んだ子じゃないとしても」
「だからこそいらないの!!!邪魔なだけじゃない!!!もういい加減愛想尽きたのよ!責任なんて知ったこっちゃないわ!」
「……なら、本人にそれを直接言ったらどうですか」
「先生!!!」
看護師さんが抗議の声をあげた。
「そうね!」
ガラガラガラッ!
勢いよく扉の開く音。ヒールを折る勢いで近寄ってくる足音に、私はすっかり威圧されていた。
カツン、と私のベットの前で立ち止まった音。私は天井を見つめるのをやめ、しぶしぶ首をもたげた。
そこには、私の記憶にまったくない人が立っていた。
真っ白くなるほど塗りこまれた化粧。口紅はてらてらと赤く光り、ピンクのチークがラメを強調しながらはたきこまれている。
服は真っ赤なワンピース。年に似合わないフリフリの多さと、なんとなく古くさい感じのするデザインは吐き気をもよおすほど。
服に合わせたのか編み込まれて1つにまとめられた髪は、たくさんささっているきらきらの石がついたピンのせいで、上から埃をまぶしたような感じになっている。毛先のバサバサ感が古い箒さながらなので、なおさら。
笑ってはいけない、笑ってはいけないと懸命に堪えたのだが、笑いはついに私の喉を超えて出てきてしまった。
「ぶっふぉ!!!……あっはっはっはっ!!!」
突然笑いだした私を、母親(?)はキチガイか何かのように見ている。
「何ですか?」
ひとしきり笑って、ヒィヒィ言いながらやっとのことで私が笑いを収めて聞くと、石になりそうなくらい強い視線が私を射抜いた。
「私はあんたを捨てるから!それだけよ」
「は?いや、あの……」
突然捨てるとはっきり言われて驚く私を、女の人は満足そうに眺めている。
「それだけ。今日から私はあんたの親じゃないから。もともといらなかった子だから、どうでもいいけどね」
「いや、だから……」
「書類は私の方で書いておくから、あんたはここではいって言えばいいのよ」
「だから、あの……」
「安心して、病院の人が証人になってくれるわ。ね?」
満面の笑みで後ろを振り返る母親。その背中に、いい加減限界だった私は爆弾を投げつけた。
「人の話聞けっつってんだろがクソババア」
「はぁ!?」
バサッと髪を振って女の人が振り返る。後ろで見に来ていたらしい看護師さんが何人か吹き出した。
「あんた、私にそんな口聞いていいと思ってんの!?私が誰だかわかってるでしょうね!母親よ、は は お や!育ててやったのに何その口の聞きざまは!!!」
「……」
「なんとか言いなさいよ!!!」
「いやあの、誰だかわかんないのに言われても……」
「「「「「「はぁ!?」」」」」」
女の人はじめ、看護師さんやお医者さんまで、見に来ていた全員の声が揃った。
「えっと……誰ですか?」
うすうす察してたとはいえ、赤の他人だ。本気できょとんとした顔で聞いてやった。
「……!もう帰るわ!とりあえずあんたとは縁切ったから!」
カツカツカツッ!!!
真っ赤になった顔をぱくぱくさせて、母親は走り去った。ヒールの音までかなり怒っている。
「いや、知らないんだから怒られてもなぁ……」
いい加減痛くなっていた首を戻し、天井を見上げて私はぼやいた。
「……飯塚 梨里奈さん?」
「はい?」
微かに首をかしげて見ると、お医者さんがいつの間にかベットの脇に来ていた。
「本当に、覚えないのかい?」
「何がですか?」
「さっきの人だよ、さっきの人」
「あ、はい。覚えてません。あれ、誰ですか?」
「……君の母親だよ」
あ、やっぱりか。
「そうなんですか?あんな化粧濃くて不細工な金魚おばさんが?」
「ふふっ……あはははは!」
思ったことをそのまま言うと、お医者さんは笑い出してしまった。
「面白いね、君は」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、お医者さんは言った。
「そうですか?」
「あぁ。……ところで、君はどうしたい?」
「はい?」
「たぶんあの人は本当に縁を切るだろう。その時、君はどうする?いつまでも病院に泊めるわけにも行かないし……」
「その時はその時で、自分でなんとかしますよ。なんとか事情話せば施設で暮らしながらバイトなどもできると思いますし。きっとなんとかなります」
「そうか……」
笑って言った私に、お医者さんはため息をついた。君は強いな、と呟く。
「ところで、自分の名前以外は何か覚えているかい?」
「足し算とか引き算は普通にできました。二次方程式をこの前習ったって記憶もありましたし。それより、」
私はガバッと身を起こして尋ねた。背中が痛むが、そんなこと気にしていられない。
「何があったんですか?どうして私はここにいるんですか?」
「で、近くの人が通報してくれたらしい。そして、今に至る。」
「はぁ……」
事故の全貌を聞いた私は、ただただ呆れていた。これは完全に、単なるもらい事故だ。それで記憶喪失って……ドラマかよ。
「犯人は捕まったんですか?」
「ああ。幸い君を発見した人の通報が早かったから、凹んだ跡がある車はすぐに見つかった。ガードレールのペンキもついていたようだしね」
「それはそれは……」
「だから安心していていいだろう。私も話しすぎたな。ゆっくり休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。医者として当たり前のことをしたまでだ」
やたらとカッコいい台詞を残して、先生は去っていった。
「事故、かぁ」
軽く布団を捲って見下ろせば左手にはギプス。胴にも厚く包帯が巻かれ、入院の服が着せられている。少し首をもたげて足元を見れば、漫画とかでよくある足を吊るタイプのやつで左足が吊るされている。右手にはガーゼの上から包帯が巻かれているようで、微かに血が滲んでいる。左と違って手首のところだけで済んでいるからまだましだろうか。
「結構大怪我だよねぇ……」
記憶喪失までなっちゃうしなぁ……どうしよっかな……。
などと考えていると、コンコン、ガラガラッと看護師さんが入ってきた。
「点滴で痛み止め入れますけどいいですかぁ?」
こくりと頷く。すると看護師さんは手際よく私の腕をアルコールで拭いて、痛いと感じる前にさっと針を入れてしまった。
「早いですね……」
思わず言うと、看護師さんはくすりと笑って言った。
「経験ですよー。やるうちにどんどん慣れてくるんですぅ」
そう答える間にも針がずれないようにテープで止めている。目にも止まらぬ早業だ。
「はい、できましたー!だんだん眠くなってくるかもしれませんけど、薬の効果なんで安心して寝てくださいねぇ。では、失礼しますぅ」
……やってることはかっこいいのに、いちいち語尾に小文字つけんので全部台無し。もっと真面目な喋り方すればいいのに。
「はぁ……」
脱力して目を閉じる。過去の記憶を辿ろうとしてみたが、やはり自分の名前以外何も出てこない。まだ無理かな?
すうっと眠気が襲ってきた。心地よいそれに身を任せると、布団に沈み込むような感覚をおぼえた。その暖かさに包み込まれて、私は意識を手放した。
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