29 / 50
第3章
第10夜 異星入植録(3)
しおりを挟む
春の夜気が肌を刺す4月下旬のある夜、俺たち三人は重い足取りで先輩の家に向かっていた。花冷えの中、息が白く霞む。手に握りしめたノートが、まるで鉛のように重い。「先輩の忘れ物を届けに行く」はずなのに、胸の奥で何かが軋むような違和感が消えない。
「ねえ、蛍」
未来が俺の横顔を覗き込むように言った。その大きな瞳に不安が浮かんでいる。
「ねえ、ひかり先輩の家ってどんなだろう? 想像つかないよね」
その問いかけに、俺は答えられなかった。喉まで出かかった言葉を飲み込む。先輩のことを何も知らなかったという事実が、今さらながら胸に突き刺さる。
「……わからない」
やっと絞り出した言葉に、自分でも驚いた。その一言で、俺たちがいかに先輩のことを知らなかったかが露呈してしまって、急に恥ずかしくなる。
哲が眼鏡を直しながら、いつもの冷静な口調で言った。
「ひかり先輩らしく、きっと整然としていて、天体観測の資料がびっしり並んでるんじゃないかな」
「やめろよ」
俺は思わず声を荒げた。自分でも驚くほどの感情の高ぶりだった。
「そんな風に先輩のこと語られても……俺たち、本当に何も知らないんだって」
未来と哲が驚いた顔で俺を見つめる。俺は自分の感情の爆発に戸惑った。こんな風に感情的になる自分が、何だか他人事みたいだ。
「あ……ごめん……」
俺は小さく謝った。自分の声が遠くから聞こえてくるみたいだ。
「ただ、俺たち、本当に先輩のこと何も知らなかったんだって……今さらながら思い知らされて……」
言葉を失い、俺は歩みを止めた。春の風が頬を撫でるのに、どこか寒気を感じる。
未来が優しく俺の肩に手を置いた。その温もりが心に染みる。
「わかるよ、蛍。わたしも同じ気持ち。でも、だからこそ今日は大切なんだ。ひかり先輩のことをもっと知るチャンス。そう信じたい」
「ああ、そうかもな」
その言葉に、少し心が軽くなった。でも同時に、もっと早くこの気持ちに気づけていれば、という後悔が込み上げてくる。
三人で黙々と歩を進めると、古びたアパートが目に入った。「星雲館」という看板が、俺たちを宇宙へ誘うみたいに立っている。その文字を見て、現実感が一気に押し寄せてきた。
玄関のインターホンを押す瞬間、俺の手が震えていた。心臓の鼓動が耳に響く。しばらくして年配の男性が出てきた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あの、ここは、ひかり先輩……天野ひかりさんのお宅じゃないですか?」
俺が答えると、男性の表情が曇った。その瞬間、俺の心臓が凍りついた。何か決定的なことが起きたんだと、直感的に悟った。
「ああ。天野さんですか……」
男性は少し躊躇したあと、重い口調で続けた。
「申し訳ありませんが、天野さんはもうここにはいません」
声には、どこか同情の色が混じっている。
「私はこのアパートの管理人です。今、片付け中で散らかってますが、少し中でお話ししませんか?」
俺たちは顔を見合わせ、無言で頷いた。管理人さんに案内され、中へ入る。そこには何もない空間が広がっていた。壁の画鋲の跡とカーテンレールだけが、誰かが暮らしていた証だった。
部屋に入った瞬間、俺の意識が遠のいた。管理人さんの声が水中みたいにぼんやり聞こえる。先輩の痕跡が全て消えてしまったことに、言いようのない喪失感を覚えた。
「ひかり先輩は……本当に行っちゃったんだね」
未来が小さく呟いた。その声に、現実が重く圧し掛かる。
「ご存知かとは思いますが……」
管理人さんは静かに、しかし重々しく話し始めた。
「天野さんは先月、移住の手続きを全て済ませて出て行きました」
「移住……あの星に、ですよね?」
俺の声が震えた。
「ええ。一人暮らしの彼女は、全ての手続きを自分でこなしていました。驚いたことに、荷物のスキャンサービスまで使っていましたよ」
「スキャンサービス?」
哲が眼鏡を直しながら身を乗り出して尋ねた。
「それって、どういうものなんですか?」
管理人は少し考え込むように説明を続けた。
「移住者の大切な荷物をデータ化して、系外惑星に送るサービスです。物理的に持っていけない思い出の品を、デジタルデータとして持っていけるんです」
その言葉の一つ一つが、俺の心を深く抉る。ひかり先輩が一人で全てを抱え込んでいたことを思うと、胸が締め付けられる。
「俺たち……何もできなかったんだ」
俺は呟いた。
「先輩が一人で全部抱え込んでたのに……俺たち、何も気づかなかった」
未来が俺の手を握った。その手が少し震えている。
「蛍……大丈夫?」
その温もりが、逆に俺の無力感を際立たせる。何も言い返せない。
哲も珍しく声を震わせながら言った。
「僕たちが気づくべきだったんだ。でも……」
「でも何だよ!」
俺は突然立ち上がった。
「俺たちは何も分かってなかったんだ! 先輩の孤独も、苦しみも、何一つ!」
管理人さんは驚いた表情で俺たちを見つめていた。俺は自分の感情の爆発に我に返り、慌てて頭を下げた。
「ごめん……哲」
俺は震える声で言った。自分の声が遠くに聞こえる。
「いいよ。それに、まだ僕らにできることはあると思うけど」
そう言うと哲は俺のトートバッグを顎でさした。その瞬間、ノートの存在を思い出した。天文ドームで見つけた、先輩の忘れ物。俺はゆっくりとそれを取り出した。
「ねえ、蛍」
未来が俺の横顔を覗き込むように言った。その大きな瞳に不安が浮かんでいる。
「ねえ、ひかり先輩の家ってどんなだろう? 想像つかないよね」
その問いかけに、俺は答えられなかった。喉まで出かかった言葉を飲み込む。先輩のことを何も知らなかったという事実が、今さらながら胸に突き刺さる。
「……わからない」
やっと絞り出した言葉に、自分でも驚いた。その一言で、俺たちがいかに先輩のことを知らなかったかが露呈してしまって、急に恥ずかしくなる。
哲が眼鏡を直しながら、いつもの冷静な口調で言った。
「ひかり先輩らしく、きっと整然としていて、天体観測の資料がびっしり並んでるんじゃないかな」
「やめろよ」
俺は思わず声を荒げた。自分でも驚くほどの感情の高ぶりだった。
「そんな風に先輩のこと語られても……俺たち、本当に何も知らないんだって」
未来と哲が驚いた顔で俺を見つめる。俺は自分の感情の爆発に戸惑った。こんな風に感情的になる自分が、何だか他人事みたいだ。
「あ……ごめん……」
俺は小さく謝った。自分の声が遠くから聞こえてくるみたいだ。
「ただ、俺たち、本当に先輩のこと何も知らなかったんだって……今さらながら思い知らされて……」
言葉を失い、俺は歩みを止めた。春の風が頬を撫でるのに、どこか寒気を感じる。
未来が優しく俺の肩に手を置いた。その温もりが心に染みる。
「わかるよ、蛍。わたしも同じ気持ち。でも、だからこそ今日は大切なんだ。ひかり先輩のことをもっと知るチャンス。そう信じたい」
「ああ、そうかもな」
その言葉に、少し心が軽くなった。でも同時に、もっと早くこの気持ちに気づけていれば、という後悔が込み上げてくる。
三人で黙々と歩を進めると、古びたアパートが目に入った。「星雲館」という看板が、俺たちを宇宙へ誘うみたいに立っている。その文字を見て、現実感が一気に押し寄せてきた。
玄関のインターホンを押す瞬間、俺の手が震えていた。心臓の鼓動が耳に響く。しばらくして年配の男性が出てきた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あの、ここは、ひかり先輩……天野ひかりさんのお宅じゃないですか?」
俺が答えると、男性の表情が曇った。その瞬間、俺の心臓が凍りついた。何か決定的なことが起きたんだと、直感的に悟った。
「ああ。天野さんですか……」
男性は少し躊躇したあと、重い口調で続けた。
「申し訳ありませんが、天野さんはもうここにはいません」
声には、どこか同情の色が混じっている。
「私はこのアパートの管理人です。今、片付け中で散らかってますが、少し中でお話ししませんか?」
俺たちは顔を見合わせ、無言で頷いた。管理人さんに案内され、中へ入る。そこには何もない空間が広がっていた。壁の画鋲の跡とカーテンレールだけが、誰かが暮らしていた証だった。
部屋に入った瞬間、俺の意識が遠のいた。管理人さんの声が水中みたいにぼんやり聞こえる。先輩の痕跡が全て消えてしまったことに、言いようのない喪失感を覚えた。
「ひかり先輩は……本当に行っちゃったんだね」
未来が小さく呟いた。その声に、現実が重く圧し掛かる。
「ご存知かとは思いますが……」
管理人さんは静かに、しかし重々しく話し始めた。
「天野さんは先月、移住の手続きを全て済ませて出て行きました」
「移住……あの星に、ですよね?」
俺の声が震えた。
「ええ。一人暮らしの彼女は、全ての手続きを自分でこなしていました。驚いたことに、荷物のスキャンサービスまで使っていましたよ」
「スキャンサービス?」
哲が眼鏡を直しながら身を乗り出して尋ねた。
「それって、どういうものなんですか?」
管理人は少し考え込むように説明を続けた。
「移住者の大切な荷物をデータ化して、系外惑星に送るサービスです。物理的に持っていけない思い出の品を、デジタルデータとして持っていけるんです」
その言葉の一つ一つが、俺の心を深く抉る。ひかり先輩が一人で全てを抱え込んでいたことを思うと、胸が締め付けられる。
「俺たち……何もできなかったんだ」
俺は呟いた。
「先輩が一人で全部抱え込んでたのに……俺たち、何も気づかなかった」
未来が俺の手を握った。その手が少し震えている。
「蛍……大丈夫?」
その温もりが、逆に俺の無力感を際立たせる。何も言い返せない。
哲も珍しく声を震わせながら言った。
「僕たちが気づくべきだったんだ。でも……」
「でも何だよ!」
俺は突然立ち上がった。
「俺たちは何も分かってなかったんだ! 先輩の孤独も、苦しみも、何一つ!」
管理人さんは驚いた表情で俺たちを見つめていた。俺は自分の感情の爆発に我に返り、慌てて頭を下げた。
「ごめん……哲」
俺は震える声で言った。自分の声が遠くに聞こえる。
「いいよ。それに、まだ僕らにできることはあると思うけど」
そう言うと哲は俺のトートバッグを顎でさした。その瞬間、ノートの存在を思い出した。天文ドームで見つけた、先輩の忘れ物。俺はゆっくりとそれを取り出した。
14
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
文バレ!②
宇野片み緒
青春
文芸に関するワードを叫びながらバレーをする、
謎の新球技「文芸バレーボール」──
2113年3月、その全国大会が始まった!
全64校が出場する、2日間開催のトーナメント戦。
唄唄い高校は何者なのか? 万葉高校は?
聖コトバ学院や歌仙高校は全国でどう戦うのか?
大会1日目を丁寧に収録した豪華な中巻。
皆の意外な一面が見られるお泊り回も必見!
小題「★」は幕間のまんがコーナーです。
文/絵/デザイン他:宇野片み緒
※2018年に出した紙本(絶版)の電子版です。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
女子高生が、納屋から発掘したR32に乗る話
エクシモ爺
青春
高校3年生になった舞華は、念願の免許を取って車通学の許可も取得するが、母から一言「車は、お兄ちゃんが置いていったやつ使いなさい」と言われて愕然とする。
納屋の奥で埃を被っていた、レッドパールのR32型スカイラインGTS-tタイプMと、クルマ知識まったくゼロの舞華が織りなすハートフル(?)なカーライフストーリー。
・エアフロってどんなお風呂?
・本に書いてある方法じゃ、プラグ交換できないんですけどー。
・このHICASってランプなに~? マジクソハンドル重いんですけどー。
など、R32あるあるによって、ずぶの素人が、悪い道へと染められるのであった。
可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~
蒼田
青春
人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。
目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。
しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。
事故から助けることで始まる活発少女との関係。
愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。
愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。
故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。
*本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる