#星色卒業式 〜きみは明日、あの星に行く〜

嶌田あき

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第2章

第8夜 海蛍恋模様(3)

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 朝焼けを望む海岸は、静寂に包まれていた。波の音だけが、ほんの少し聞こえる。
 砂浜に続く緩やかな階段に先輩と二人で座って、朝焼けを見ていた。先輩の長い黒髪が、ときおり海風になびく。その姿を横目で見ながら、俺は何を話せばいいのか必死に考えていた。話すきっかけを探そうとすればするほど、頭の中が真っ白になる。

 未来が妙に気を利かせ、「ちょっと写真撮ってくるね」なんて言って哲を誘い出し、さりげなく俺と先輩を置いていったのだ。未来のやつ、こんな風に俺たち二人きりにするなんて……。ありがたいけど、妙に緊張する。
 先輩は黙って海を見つめていた。きれいな形の耳。丸みを帯びた顎のライン。首筋に小さなほくろ。その横顔には、何か考え込んでるような表情が浮かんでる。

 二人の間に流れる静けさ。重くはないけど、どこか切ない雰囲気があった。

 俺は深呼吸をして、勇気を振り絞る。何か話さなきゃ。この大切な時間を無駄にしちゃいけない。何度もそう思うけれど、なかなか言葉が出てこない。先輩も、時々チラッと俺の方を見て何か話したそうな顔をする。その度に、俺の心臓が大きく跳ねる。気持ちが、まるで波のように寄せては返す。先輩の表情の意味を読み取ろうとするけれど、なかなか掴めない。

「先輩、最近、ちゃんと眠れてますか?」

 俺は少し緊張した声で聞いた。
 先輩はゆっくり頷いて、遠くを見ながら答えた。

「うん……まあまあかな」

 その声には、どこか寂しさが混ざってるように感じた。

「ほんとに?」

 沈黙が流れる。俺は先輩の横顔を盗み見た。その顔には、何か言葉にできない悩みがあるみたいだった。

「——先輩……嘘つかなくてもいいですよ」

 俺は勇気を出して尋ねた。

「何か悩んでることがあるんですか?」

 先輩は少し驚いたように俺を見た後、海の方に目を向けた。

「よく、眠れない……前より悪くなってるかも」

 先輩の声が震える。俺は黙って先輩の言葉に耳を傾けた。

「帰る場所がない」
「えっ?」
「たとえ、だよ——寂しさ、かな。誰かと本当につながってる感じがなくて……。眠ってる間に宇宙に投げ出されて、親も友達も、誰も知りあいのいない星に連れて行かれたらどうしようって。そんなことばかり考えてる」

 先輩は長い黒髪が膝に触れるくらい体を丸めた。瞳は遠くを見つめ、薄紫のワンピースが膝を包み込んでいる。膝を抱える姿は、まるで自分を守るみたいで、その顔には言葉にできない気持ちがあふれてた。いつもは軽く冗談を言う先輩が、まるで本当に経験したみたいに真剣な目で話してきて、俺はますます戸惑った。

「ばかみたいでしょう? 笑っていいよ」
「全然。ってか、なんとなくわかります。俺も、今の街に引っ越してきたとき、怖かったので。眠ってる間に連れてこられたってわけじゃないですけど」
「ふふっ」
「それに、もし、先輩が誰かに連れてこられたんだったとしても、いいじゃないですか」

 首を傾げる先輩。俺は迷わず言葉を続けた。

「だって、こうして先輩と会えたから」

 長い黒髪が顔を覆うように流れ落ち、彼女は恥ずかしそうに顔を背けてしまった。頬は桃色に染まっている。ワンピースの襟を両手でつかんで、体を小さくするように膝を抱える。唇を噛んで、言葉にできない気持ちを抑えてるみたいだった。

「先輩……」

 その瞬間、波間に小さな光が輝いているのに気がついた。

「あっ!」

 先輩が声を上げる。

「……海ほたるの群れだ」

 俺も目を凝らす。確かに、波打ち際に無数の小さな光が揺れている。

「見にいこう!」

 先輩が急に走り出した。その子供みたいな姿に、俺の心がドキッとする。
 ずっと言えなかった気持ち。迷惑かもって思って抑えてきた気持ち。でも、今なら……。

「蛍くん、早く!」

 先輩が手を振った。俺は大きく息を吸って、先輩の後を追った。

「海ほたる」

 その声には、純粋な驚きと喜びがあふれてた。俺は思わず先輩の顔を見つめた。彼女の目が輝き、頬が薄く染まっている。胸が締め付けられるような感覚を覚える。先輩はためらわずに、海に向かって走り出した。

「触ってみよう!」
「あーずるい、待ってくださいよ!」

 俺は慌てて先輩の後を追った。先輩は両手いっぱいに海ほたるをすくい上げた。
 その手の中で、青白い光が波打つように明滅している。先輩の顔には、まるで子供のような無邪気な喜びが広がっていた。

「見て、蛍くん! こんなにいっぱい!」

 先輩の声には、純粋な興奮があふれてた。でも、その目は人間の子供とは少し違う。そこには宇宙の深遠さを思わせる何かがあった。

 俺は先輩の笑顔に見とれた。月の光と海ほたるの光に照らされた先輩の顔は、今まで見たことないくらい輝いてた。瞳に映る淡い光は、まるで銀河のよう。
 時間が止まったと思った。

 次の瞬間、俺の中で何かが決壊した。今まで抑えてた気持ちが、大きな波みたいに押し寄せてくる。それは失う怖さだったのか、それとも勇気だったのか。

「先輩、孤独だなんて、そんな寂しいこと言わないでください。俺も、哲も未来も、みんないるじゃないですか。だから、そうやって、いつも楽しそうに、笑っててくださいよ」

 俺はもう泣いてたかもしれない。

「——うん。みんなにはすごく助けられてるよ。天文部、ずっと一人だったし。みんなと一緒にいるとすごく楽しい。嫌なことも全部忘れられる」
「じゃあなんで?」
「——忘れるからだよ。あの星に行ったら、忘れちゃうでしょ?」
「俺は忘れません!」
「私が忘れるのが嫌なの!」

 ——そうか。そうだったんだ。

「大好きって気持ちを、みんなとの思い出を、忘れちゃうのは嫌なの。蛍くんと見た朝焼けも、みんなで頑張った学園祭も、サプライズパーティーに驚かされた合宿も、忘れたくない。好きを忘れた私なんて、ただの抜け殻だよ。そんなんじゃ、あの星に行っても意味ないから!」

 俺は、ゆっくり先輩に近づいた。自分の心臓の鼓動が耳に響くのがわかる。
 先輩は不思議そうに俺を見上げた。俺はその瞳に映る自分の姿を見つめながら、そっと顔を近づけた。

「蛍く……」

 先輩の言葉を、俺の唇が遮った。
 柔らかくて、でもはっきりとした触れ合い。海ほたるの光が、2人の間でさらに明るく輝いているように見えた。
 キスは一瞬だった。
 でも、その一瞬で、世界が変わったみたいに感じた。俺の中で、何かが大きく動いた。それは恐れでも勇気でもなく、もっと純粋で、名前のつけられない、不確かな何かだった。
 俺が顔を離すと、先輩は驚いた表情で俺を見つめていた。

「蛍くん……」

 先輩の声が震えている。俺は言葉を失ったまま、先輩を見つめた。

「俺……先輩のことが好きです」

 やっと言葉が紡げた。

「ずっと……ずっと好きでした。先輩の不眠症を治したいと思ったのも、先輩のことをもっと知りたかったからで……」

 先輩は黙って俺の言葉を聞いている。その表情からは複雑な感情が読み取れる。

「俺、自分の気持ちをうまく言えないかもしれない。でも……先輩と一緒にいると、心が落ち着くんです。先輩の笑顔を見ると嬉しくなって……先輩が悲しそうだと胸が痛くなる。だから、先輩が忘れちゃっても、俺は絶対忘れません、先輩のことも、好きだって気持ちも。4光年の距離がなんです? プリンター植物の不具合? そんなので、この気持ち、こんなに好きな人を、そんなことで忘れるわけないじゃないですか!!」

 俺が言い切った言葉たちが波間に吸い取られると、砂浜には再び静寂が広がった。

「蛍くん……」

 先輩の声が、静けさを破る。俺は息を止めて、返事を待った。祈るような気持ちで空を見上げると、天の川が銀色の絵の具をキャンバスに散りばめたみたいに輝いていた。

「私も……蛍くんのこと、好きだよ」

 その言葉で、胸の中で何かがはじける。先輩の目に浮かぶ少しの戸惑いが、俺の心に小さな不安を呼び起こす。

「私の『好き』と蛍くんの『好き』が同じだといいな」

 先輩の言葉が、波の音みたいに心に響いた。

「——もう少し時間をくれる? この気持ちをもっとわかりたいんだ」

 俺は大きく息を吸って、ゆっくり頷く。
 胸の奥で何かが軋むのを感じながらも、先輩の気持ちを大切にしたい。
 目を向けると、砂浜一面に青白い光が広がっている。海ほたるだ。海岸線に沿ってずっと向こうの方まで続き、まるで天の川のように無数の小さな星が砂浜で瞬いているみたいだった。

「見て」

 先輩が不安げな表情で両手を広げた。

「まるで、宇宙に投げ出されちゃったみたい」

 俺は静かに先輩の手を取った。

「大丈夫です、先輩。眠っている間に宇宙の果てに連れ去られても、必ず見つけ出します。思い出を全部忘れちゃっても、俺が覚えてます。だから、安心して目を閉じて。ずっとそばにいるから」

 そのとき、流れ星が夜空を横切った。

「俺が、先輩の帰る場所になりますから」

 先輩と目が合い、二人で小さく笑った。言葉にはできないけど、きっと同じ願い事をしたんだ。俺たちの物語は、まだ始まったばかり。
 この広い宇宙の中で、俺たちの『好き』は、きっといつか同じ星座を描く。そう信じて、俺は静かに先輩の手を握り締めた。
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