9 / 50
第1章
第5夜 朝焼告白駅(2)
しおりを挟む
かつての賑わいが嘘のように静まり返った駅前商店街を歩いた。
俺たち二人の足音だけが、シャッター通りに響いていた。その音が街全体の寂しさを際立たせ、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
俺は星空を見上げながら、胸の中にある複雑な感情を言葉にしようと、ふと口を開いた。
「もうこの街の人たちは、〈永遠の眠り〉についてるんですかね?」
先輩は立ち止まり、閉ざされたパン屋のショーウィンドウに映る自分たちの姿を見つめた。
「そうね。たぶん」
先輩の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
移住計画は、人類の壮大な夢と引き換えに、故郷との別れを強いるものだった。それが自治体単位で淡々と行われていく様子を見て、俺は複雑な思いを抱いていた。
移住が終わり無人になった街の建物はすべて、白いポリエチレンの膜で覆われる。そうして樹脂が染み込んだコンクリートは数万年は保ち、やがて人類の生きた証として地層に残るのだと、地学の授業で教わった。そんなものを残してどうなる。俺にはそれがあまりにも虚しく響き、心の中で反発を感じた。
「何百万年後かに、誰かが掘り出すんですかね?」
「そうね。何億年後かも。地球にふたたび現れた知的生命体が地層を発見して、人類が居た時代『人新世』と名付けようではないか、って学会発表するとか」
先輩の声には、どこか皮肉めいたものが混じっていた。
「ハハハ。めっちゃ想像力豊かすね」
正直、遠い未来すぎてどうでもよかった。それよりも、今この瞬間の方が大切に思えた。
こんもりと白いふくらみに包まれた街は、布団をかぶって寝ているみたいだった。その光景に俺が思わずあくびをすると、それに釣られるように、先輩もあくびをした。
ふぁあ。
先輩が小さな口に手を当て、はにかみながらあくびをかむ姿。なんて可愛いんだろう。その瞬間、俺の心臓が大きく跳ねた。この光景こそがどう考えても何億年も保存されるべきもの。国宝で重要文化財で世界遺産——。俺はひとりでそう思ってニヤニヤした。
「先輩、永遠の眠りに行くのイヤなんですか?」
「地球も好きよ」
俺は首を傾げた。も? その一言に、どれほどの意味が込められているのか。
先輩の言葉は、いつも謎めいていた。その謎めいた言葉に、俺はますます惹かれていくのを感じた。
「ほんとに? それだけですか?」
俺は、自分でも気づかぬうちに、一歩先輩に近づいていた。
先輩は、困ったような、でも何かを決意したような表情を浮かべ、「……それ聞く?」と返してきた。その表情に、俺は言いようのない緊張感を覚えた。
「聞いちゃいます」
旅の疲れと眠けのせいで、俺は妙なテンションになってきていた。もう何も怖くない。
「……好きな人、いるとか?」
先輩の困った顔。これまた、たまらなくキュート。
「えーっと、その」
その瞬間、時が止まったかのようだった。
図星か。俺は自分の鼓動が耳に響くのを感じた。その音が、周りの静寂をさらに際立たせる。
先輩の困惑した表情、耳まで赤くなった顔、それでも必死に否定しようと手をブンブンと振る姿。すべてが、俺の心に刻まれていった。
「——恋心は送れないって話、本当だったんですね」
俺の言葉に、先輩は髪を揺らしてこくこく頷いた。
人間を4光年の彼方に移動させる手段はなかった。だから移民はデータで運ばれた。
これなら光速で送れる。行った先で「印刷」すればいいというのが科学者たちの至った結論だった。
地球でスキャンした脳と身体のデータだけをあの星に送り、身体は地球で保管される。いわゆるコールドスリープらしい。だから移民は〈移眠〉とも呼ばれた。大人たちがあの星に移住することを「眠りにつく」と言っている理由は、たぶんこれだ。
〈プリンター〉という植物がこの計画の鍵を握っているということだった。この特殊な植物はその名の通り、地球から送られてきたデータに従って、あらゆるものを印刷した。最初はウイルスや単細胞性の細菌をプリントアウトし、やがて成長すると大型の哺乳類まで出力できるようになる。巨大なそら豆のサヤのような構造体の中に植物性の胎盤が形成され、そこで脊椎動物が印刷されるという。いつだったか、俺は社会科見学で見たことがある。その記憶が蘇り、背筋が少し寒くなった。
「ま、分かりますよ。俺だって嫌だし」
〈プリンター〉では恋愛感情が印刷されないという不具合があり、それが指摘されたままになっていた。だからこそ、移住は若者に不人気だった。〈プリンター〉を作った種苗会社はリコールを拒否し、星間通信の不具合のせいにしていた。ネットで散々叩かれて、でもみんなすぐに忘れて、それで結局そのまま何も解決されてない。いつものことだ。もう無力感さえ感じない。
世界の運命とか文明の終焉とかよりも、もっと大事なものだってあるのに——。大人たちは、そんな簡単なことも分かってないらしい。
「今はまだ、心の準備が……」
先輩が口を尖らせる。
「まーたそんなこと言って」
俺は軽い調子で言ったが、内心では先輩の気持ちを理解しようと必死だった。
誰が誰を好きだったとか、誰と誰が付き合っていたかとか。そういうのはあの星に持っていけない。でも、むこうでまたゼロから関係を構築するのも面倒すぎる。
俺は先輩の横顔を見つめ、この気持ちをどう伝えればいいのか考えた。言葉にできない思いが、胸の中で渦巻いていた。
俺たち二人の足音だけが、シャッター通りに響いていた。その音が街全体の寂しさを際立たせ、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
俺は星空を見上げながら、胸の中にある複雑な感情を言葉にしようと、ふと口を開いた。
「もうこの街の人たちは、〈永遠の眠り〉についてるんですかね?」
先輩は立ち止まり、閉ざされたパン屋のショーウィンドウに映る自分たちの姿を見つめた。
「そうね。たぶん」
先輩の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
移住計画は、人類の壮大な夢と引き換えに、故郷との別れを強いるものだった。それが自治体単位で淡々と行われていく様子を見て、俺は複雑な思いを抱いていた。
移住が終わり無人になった街の建物はすべて、白いポリエチレンの膜で覆われる。そうして樹脂が染み込んだコンクリートは数万年は保ち、やがて人類の生きた証として地層に残るのだと、地学の授業で教わった。そんなものを残してどうなる。俺にはそれがあまりにも虚しく響き、心の中で反発を感じた。
「何百万年後かに、誰かが掘り出すんですかね?」
「そうね。何億年後かも。地球にふたたび現れた知的生命体が地層を発見して、人類が居た時代『人新世』と名付けようではないか、って学会発表するとか」
先輩の声には、どこか皮肉めいたものが混じっていた。
「ハハハ。めっちゃ想像力豊かすね」
正直、遠い未来すぎてどうでもよかった。それよりも、今この瞬間の方が大切に思えた。
こんもりと白いふくらみに包まれた街は、布団をかぶって寝ているみたいだった。その光景に俺が思わずあくびをすると、それに釣られるように、先輩もあくびをした。
ふぁあ。
先輩が小さな口に手を当て、はにかみながらあくびをかむ姿。なんて可愛いんだろう。その瞬間、俺の心臓が大きく跳ねた。この光景こそがどう考えても何億年も保存されるべきもの。国宝で重要文化財で世界遺産——。俺はひとりでそう思ってニヤニヤした。
「先輩、永遠の眠りに行くのイヤなんですか?」
「地球も好きよ」
俺は首を傾げた。も? その一言に、どれほどの意味が込められているのか。
先輩の言葉は、いつも謎めいていた。その謎めいた言葉に、俺はますます惹かれていくのを感じた。
「ほんとに? それだけですか?」
俺は、自分でも気づかぬうちに、一歩先輩に近づいていた。
先輩は、困ったような、でも何かを決意したような表情を浮かべ、「……それ聞く?」と返してきた。その表情に、俺は言いようのない緊張感を覚えた。
「聞いちゃいます」
旅の疲れと眠けのせいで、俺は妙なテンションになってきていた。もう何も怖くない。
「……好きな人、いるとか?」
先輩の困った顔。これまた、たまらなくキュート。
「えーっと、その」
その瞬間、時が止まったかのようだった。
図星か。俺は自分の鼓動が耳に響くのを感じた。その音が、周りの静寂をさらに際立たせる。
先輩の困惑した表情、耳まで赤くなった顔、それでも必死に否定しようと手をブンブンと振る姿。すべてが、俺の心に刻まれていった。
「——恋心は送れないって話、本当だったんですね」
俺の言葉に、先輩は髪を揺らしてこくこく頷いた。
人間を4光年の彼方に移動させる手段はなかった。だから移民はデータで運ばれた。
これなら光速で送れる。行った先で「印刷」すればいいというのが科学者たちの至った結論だった。
地球でスキャンした脳と身体のデータだけをあの星に送り、身体は地球で保管される。いわゆるコールドスリープらしい。だから移民は〈移眠〉とも呼ばれた。大人たちがあの星に移住することを「眠りにつく」と言っている理由は、たぶんこれだ。
〈プリンター〉という植物がこの計画の鍵を握っているということだった。この特殊な植物はその名の通り、地球から送られてきたデータに従って、あらゆるものを印刷した。最初はウイルスや単細胞性の細菌をプリントアウトし、やがて成長すると大型の哺乳類まで出力できるようになる。巨大なそら豆のサヤのような構造体の中に植物性の胎盤が形成され、そこで脊椎動物が印刷されるという。いつだったか、俺は社会科見学で見たことがある。その記憶が蘇り、背筋が少し寒くなった。
「ま、分かりますよ。俺だって嫌だし」
〈プリンター〉では恋愛感情が印刷されないという不具合があり、それが指摘されたままになっていた。だからこそ、移住は若者に不人気だった。〈プリンター〉を作った種苗会社はリコールを拒否し、星間通信の不具合のせいにしていた。ネットで散々叩かれて、でもみんなすぐに忘れて、それで結局そのまま何も解決されてない。いつものことだ。もう無力感さえ感じない。
世界の運命とか文明の終焉とかよりも、もっと大事なものだってあるのに——。大人たちは、そんな簡単なことも分かってないらしい。
「今はまだ、心の準備が……」
先輩が口を尖らせる。
「まーたそんなこと言って」
俺は軽い調子で言ったが、内心では先輩の気持ちを理解しようと必死だった。
誰が誰を好きだったとか、誰と誰が付き合っていたかとか。そういうのはあの星に持っていけない。でも、むこうでまたゼロから関係を構築するのも面倒すぎる。
俺は先輩の横顔を見つめ、この気持ちをどう伝えればいいのか考えた。言葉にできない思いが、胸の中で渦巻いていた。
30
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
黄昏は悲しき堕天使達のシュプール
Mr.M
青春
『ほろ苦い青春と淡い初恋の思い出は・・
黄昏色に染まる校庭で沈みゆく太陽と共に
儚くも露と消えていく』
ある朝、
目を覚ますとそこは二十年前の世界だった。
小学校六年生に戻った俺を取り巻く
懐かしい顔ぶれ。
優しい先生。
いじめっ子のグループ。
クラスで一番美しい少女。
そして。
密かに想い続けていた初恋の少女。
この世界は嘘と欺瞞に満ちている。
愛を語るには幼過ぎる少女達と
愛を語るには汚れ過ぎた大人。
少女は天使の様な微笑みで嘘を吐き、
大人は平然と他人を騙す。
ある時、
俺は隣のクラスの一人の少女の名前を思い出した。
そしてそれは大きな謎と後悔を俺に残した。
夕日に少女の涙が落ちる時、
俺は彼女達の笑顔と
失われた真実を
取り戻すことができるのだろうか。
月夜の理科部
嶌田あき
青春
優柔不断の女子高生・キョウカは、親友・カサネとクラスメイト理系男子・ユキとともに夜の理科室を訪れる。待っていたのは、〈星の王子さま〉と呼ばれる憧れの先輩・スバルと、天文部の望遠鏡を売り払おうとする理科部長・アヤ。理科室を夜に使うために必要となる5人目の部員として、キョウカは入部の誘いを受ける。
そんなある日、知人の研究者・竹戸瀬レネから研究手伝いのバイトの誘いを受ける。月面ローバーを使って地下の量子コンピューターから、あるデータを地球に持ち帰ってきて欲しいという。ユキは二つ返事でOKするも、相変わらず優柔不断のキョウカ。先輩に贈る月面望遠鏡の観測時間を条件に、バイトへの協力を決める。
理科部「夜隊」として入部したキョウカは、夜な夜な理科室に来てはユキとともに課題に取り組んだ。他のメンバー3人はそれぞれに忙しく、ユキと2人きりになることも多くなる。親との喧嘩、スバルの誕生日会、1学期の打ち上げ、夏休みの合宿などなど、絆を深めてゆく夜隊5人。
競うように訓練したAIプログラムが研究所に正式採用され大喜びする頃には、キョウカは数ヶ月のあいだ苦楽をともにしてきたユキを、とても大切に思うようになっていた。打算で始めた関係もこれで終わり、と9月最後の日曜日にデートに出かける。泣きながら別れた2人は、月にあるデータを地球に持ち帰る方法をそれぞれ模索しはじめた。
5年前の事故と月に取り残された脳情報。迫りくるデータ削除のタイムリミット。望遠鏡、月面ローバー、量子コンピューター。必要なものはきっと全部ある――。レネの過去を知ったキョウカは迷いを捨て、走り出す。
皆既月食の夜に集まったメンバーを信じ、理科部5人は月からのデータ回収に挑んだ――。
切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
我らおっさん・サークル「異世界召喚予備軍」
虚仮橋陣屋(こけばしじんや)
青春
おっさんの、おっさんによる、おっさんのためのほろ苦い青春ストーリー
サラリーマン・寺崎正・四〇歳。彼は何処にでもいるごく普通のおっさんだ。家族のために黙々と働き、家に帰って夕食を食べ、風呂に入って寝る。そんな真面目一辺倒の毎日を過ごす、無趣味な『つまらない人間』がある時見かけた奇妙なポスターにはこう書かれていた――サークル「異世界召喚予備軍」、メンバー募集!と。そこから始まるちょっと笑えて、ちょっと勇気を貰えて、ちょっと泣ける、おっさんたちのほろ苦い青春ストーリー。
私の隣は、心が見えない男の子
舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。
隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。
二人はこの春から、同じクラスの高校生。
一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。
きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる