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第1章

第1夜 不眠症夜曲(2)

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 夜空に無数の星々が瞬く中、学校の屋上で俺と先輩は寝袋に横たわっていた。冷たい夜風が頬を撫でる中、俺は緊張と期待が入り混じった気持ちで先輩の存在を強く意識していた。

 俺は星座を指さしながら、チラチラと先輩の横顔を盗み見た。月明かりに照らされた先輩の横顔は、まるで彫刻のように美しく、俺の心臓は早鐘を打ち始めた。

「ねえ、蛍くん。北斗七星、きれいだね」

 先輩が目を輝かせながら呟いた。

「昔の人は、あれを使って方角を知ったんですよね」

 俺が静かに言うと、先輩は優しく微笑みながら興味深そうに俺を見た。その瞳には、何か言いたげな思いが宿っているように見えた。

「うん。そうだった」

 ふとした言葉に出てくる過去形に、俺は胸が締め付けられるような悲しみを感じた。それは、きっと顔にも出ていたに違いない。先輩との時間が限られていることを、改めて思い知らされた気がした。

「ああ、今は……違うんですよね。北極星が北を指さなくなったから」
「――だよね」

 先輩は考え込むように言った。表情には、懐かしさと諦めが入り混じっているように見えた。
 地球の自転と公転の周期が同期する「潮汐ロック」のせいで、俺たちの住む街にはもう日が昇らない。地球はいつでも同じ面を太陽に向けているからだ。昼半球と夜半球ができ、境界をめぐる争いに、世界は混沌としていた。

「じゃあ今の人たちは、どうやって方角を?」

 先輩が小首をかしげる。

「ほとんどのGPS衛星がサ終しちゃったんで、今は量子コンパスがメインですかね。一周回って、星を使う方法もありといえばありですよね」
「へえ、人間の適応力って本当にすごいんだね……」

 先輩は感心したように頷きながら、俺をじっと見つめた。その眼差しに、俺は少し照れくさくなった。

「ハハハ。そんな胸を張るようなことじゃないすよ、きっと。もっとずっと、場当たり的」

 俺は星空を見上げながら言った。その瞬間、胸の奥に広がる虚無感と、それでも前に進もうとする気持ちが交錯した。

「まぁでも、もうそれもあんまり意味ないかもしれません。どうせ——」

 俺は言葉を途中で切った。言いかけて止めた言葉の重さが、夜空に漂うようだった。
 俺が思わずうつむくと、先輩は身を乗り出し、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。その仕草に、俺の心臓は再び早鐘を打ち始めた。

「どうせ、何?」
「えっ……あっ……いや、なんでも」

 きょとんと目を丸くする先輩。その表情には、少し寂しさと不安が混ざっているように見えた。

「フフフ。蛍くん、また『どうせ』って言ってるよ?」

 バチンと目が合い、俺は思わず視線を逸らしてしまった。先輩の顔が近すぎて、その呼吸さえ感じられるほどだ。心臓が早鐘を打ち、顔が熱くなるのを感じる。この距離感が、嬉しくも苦しい。

「あ、そうだ」

 俺は慌てて話題を変えようと、ポケットからイヤホンを取り出した。手が少し震えているのを、先輩に気づかれないよう祈る。

「この曲、星空にぴったりなんです。聴いてみませんか? きっと先輩も気に入ると思うんですけど……」

 先輩は鼻をすすりながら、興味深そうにイヤホンの片方を受け取った。その指が俺の手に触れた瞬間、電流が走ったような感覚がした。

「眠れるように、なるといいんですけど」

 俺はお気に入りのボカロ曲を再生し、二人で一つのイヤホンを分け合った。
 星空の下、音楽が流れ始めると先輩は静かに目を閉じ、音に身を委ねた。その表情は穏やかで、まるで別世界に旅立ったかのようだった。俺は先輩の横顔を見つめながら、この瞬間を永遠に記憶に留めたいと思った。

「……素敵な曲ね。まるで星空が歌っているみたい」
「良かった。先輩が気に入ってくれて」
「うん」
「でも、どうせ——この曲を作ったPも、もう地球に居ないんですけどね」

 俺は先輩の横顔を見つめながら、独り言のようにつぶやいた。その瞬間、先輩との間に広がる見えない壁を感じ、胸が痛んだ。

 先輩は空を見上げたまま、フフッというため息とも笑い声とも取れる小さな声をあげた。
 星明かりに照らされた先輩の表情は、いつもより柔らかく、そして儚げに見えた。まるで、遠い星のように触れられない存在のように感じられた。

 ああやっぱりそうなんだ——。俺は胸の中に温かいものが広がるのを感じた。
 やがてその気持ちの塊は熱を帯び、ぎゅうぎゅうと俺の心を締め付けるようになる。
 きっと、いや、絶対そうだ。

「あの、先輩……」

 俺は勇気を振り絞って口を開いた。言葉にすれば、何かが変わるかもしれない。そんな僅かな希望を胸に抱きながら。

「ん?」

 コテンっと首を傾げる先輩。
 ——眠れるようになると、いいですね。でも、それは同時に先輩との時間が終わることを意味する。その矛盾した思いに、俺は苦しくなった。

 その笑顔を失うのが怖い。先輩がいなくなる未来を想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。

「……あ、いえ。なんでもないです」

 俺は結局、本当の気持ちを伝えられずにいた。臆病な自分が情けなかった。
 どうせ。その言葉が、また心の中で重く響く。でも、本当にそれでいいのだろうか。

 どうせきみは、卒業したらあの星に行ってしまうから。
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