月夜の理科部

嶌田あき

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3.下弦

第18夜 出会いと別れ(下)

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「竹戸瀬さんがアメリカ行きたい理由、知ってた?」

 どうやら、レネさんの渡航見送りのことをまだ知らないようだ。

「もしかして、カレシ……とか?」

 彼は黙ってコクリと頷いた。何をやっているのやら。私は「ふふん」と鼻を鳴らした。ろくに情報収集もせず、丸腰で秘密基地に乗り込んで、最初のトラップで足をすくわれて帰ってくるなんて。

「レネさんも隅に置けないなぁ……」

 彼女の涙の理由をまた1つ知り、私はひとくち紅茶を飲んだ。

「まぁとにかくさ。これで晴れて、俺たちの打算関係も終わりだね」

 ユキくんは思いつめた表情で私に吐露した。

「アハハ。打算関係って……」
「羽合先輩に誤解されちゃ悪いし、もう2人で会うのはやめよう」
「えーっ。私は、まだ手伝ってほしいこと、あるんだけどナ」

 そう言ってから、私は腕組みなんてして、あれこれ理屈を考えだした。

「天文部、一緒に再建しない?」
「なんで? それこそ先輩に相談でしょ?」
「じ、じゃあさ。月面望遠鏡で何を見たらいいか、相談させてよ?」
「だから、それも先輩次第でしょ?」

 私は、ボロボロとこぼれたショートブレッドの粉をかき集めるように、理由を探した。こじつけでも、すぐバレる嘘でも、なんでもいい。思いついたのを、次から次にまくし立てた。

「月面ローバーでサーバールームに侵入してさ」
「量子コンピューターで、レネさんのデータを――」
「いっそ、月面望遠鏡をのっとっちゃうとか」

 ユキくんに「いや。もう、いいよ」ときっぱり言い切られ、返す言葉はない。カウンターから聞こえる、マスターの洗いものの音だけが、カチャカチャと虚しく響いた。
 引き止めてほしかった。でも、それをそのまま一言一句そのとおり言わない限り、ユキくんには伝わらないってことも知っていた。
 出会いと別れは、いつだって非対称。
 出会いがあるから、別れがある。けれど、別れが先で、出会いが後なんてことはあり得ない。少なくとも、この宇宙では。だからといって「出会わなければ、別れなくて済んだのに」なんていうふうに、私は片付けたくなかった。
(だって、もう、出会ってしまったんだもの)
 2人同じ額の代金を、2人別々に会計する。ここからはもう、それぞれの出会いと、それぞれの別れを進もう。そんなことを考えながら前庭を並んで歩いた。名残惜しいな。そう思っているのは私だけかもと思うと悔しかった。正門で元来た道を振り返り、私は灯りの消えた本館ビルのガラス窓を、下から上へと数えた。

(あと、25秒だけ。一緒に居たい)

 展望台まで数え上げたとき、屋上のアンテナ群をかき分けて、一筋のレーザー光線が発射された。暗くなった空の一点を、音もなく引っ張るような黄緑色の糸。その、今にも切れそうな細い線を挟んで並び、私たちは空を見上げた。

「――月? 見えないけど?」
「通信じゃなく、測距用かな?」

 今、2人一緒に月を見られたら、元に戻れる気がした。それなのに、ピンと張られた釣り糸の先はただの夜空で、月はなかった。黄緑色の境界線が、世界を夜空ごと2人分に切り分けたみたいだ。私はぐっと唇をかみしめた。

「じゃあ、バイバイ……」

 ユキくんの前に立つと、引き裂かれるような胸の痛みをなぜか感じるようになった。

「キョウカさん。羽合先輩と、頑張ってね」

 ユキくんは、苦々しい表情をしていた。「これでいい。彼女が幸せになるのなら」なんて、口にしなくても顔に書いてあった。
 お互いが、お互いのことを想うために出会い、お互いのことを想うがゆえに別れる。
 出会いと別れは、いつだって非対称で、いつも隣り合わせなんだ。

 2人が2人になってからも、理科部の活動は続いた。
 運動会の人気種目、クラブ対抗仮装リレー。
 綿密な計算と万全の予備実験が売りの理科部は、馬術部と並ぶダークホース中のダークホース。昼隊の1年生が白衣の全力疾走でリード稼ぐと、ユキくんと先輩扮する月面ローバーが砂にスタックして帳消しに。プチ喧嘩別れした理系男子2人に、仲直りの仮装大賞が贈られると「来年は火星ローバーにします」なんていうヒーローインタビュー。

 文化部の1つである理科部は、11月の文化祭でこそ輝く。目玉は、美術部顔負けのアヤの個展と、茶道部と共催の創作スイーツお茶処。パンダ用の竹を、敢えて前面に出した特製ようかんは、意外にも大好評だった。アヤの月面小皿とともに飛ぶように売れ、赤字続きの理科部の懐を大いに潤した。
 アヤは月光賞の授賞式に和服で登場し、後夜祭を沸かせた。入学希望の中学生も学園祭には数多く参加している。来年は男子の入部希望者が増えそうだ。その〈理系男子ギャップ大好き説〉提唱者のカサネは、軽音部の練習にかかりきりで、しばらく理科部に顔を出していなかった。最終日のステージにポップな衣装のスリーピースバンドで登場したかと思うと、ギターを掻き鳴らし「バイバイ! また会おう!」と学園祭のフィナーレを告げた。かっこよすぎでしょ。

 季節は秋から冬へと移ろい、理科部の活動も、学校行事も、ぜんぶスワイプするみたいに、つぎつぎ過去の思い出になっていった。
 私が「あれこれ手を動かしていたら」なんて高を括っていたレネさんのデータを月から取り戻す方法も、結局思いつかないまま2ヶ月が経とうとしていた。笑って泣いて、出会って別れて、理科部のメンバーと時間も空間も共にすればするほど、私の戦いは孤独を極めた。

(5問全部解けたし、AIプログラムだって正式採用されたんだから……)

 私には、先輩ともうまくいってるんだなんていう驕りもあった。
 漠然と、自分1人の力でデータを月面基地から取り戻せるなんて考えてもいた。だから、あてもなく夜の理科室に行っては目の前のことに明け暮れた。誰かに相談するという選択肢がはじめから抜け落ち、優柔不断することもできなかった。
 そして気付いたときには、夜隊の5人は、同じ場所から違う星を眺めるようになっていた。
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