30 / 56
3.下弦
第18夜 出会いと別れ(上)
しおりを挟む
情報通信研究所の本館は、県の公共施設にもなっていた。最上階の展望台と1階のエントランスホールは、研究所が休みの土曜日でも一般開放されている。レネさんの部屋を去り、ガラス扉のエレベーターを降りたところで私は知る顔に出くわした。
「あっ」
「よ!」
「あれ? ユキくんもレネさんに呼ばれて?」
「え!? 竹戸瀬さん、こっち来てるの?」
「あ、いや……。うん。だけど……今、忙しそうだったから。また今度にすれば?」
「ああ、大丈夫。今日は違う用で」
先日泣きべそかいてバイバイした手前、いまさら2人きりで彼の顔を見るのは気まずかった。彼はいつもどおり落ち着いた声。相変わらず飄々としている。
「ちょっと證大寺先生に聞きたいことがあって。メールしたら、研究所に来るようにって」
「え!? お父さん、今日は家だよ? ……ん? あれっ? どういうこと?」
「えっ?」
「――まさか……」
親の心、子知らず。父なりの計らいなのだろうか。出かけていった娘が涙を浮かべて帰宅したら、さすがに何事かと思ったようだ。こういうとき、父親というのは周りをよく見ずに、とりあえず何か行動しなくてはと思うものなのだろうか。科学者であっても。
5つの課題を全て解き終わった今となっては、私とユキくんには共通の目標も、相談したいこともあいにく持ち合わせていなかった。互いの秘密の交換にはじまり、互いの想い人を紹介しあう。そして、その想い人のために打算で協力してきた日々。そろそろ終止符を打つ時なのかな――。私は彼を1階ロビー奥のカフェに誘った。
手のこんだ創作スイーツと、自家焙煎のサインフォンコーヒー。知る人ぞ知る穴場。研究所が休みの土曜日のほうが、むしろ空いている。父を待つ間の暇つぶしに使ったり、誰にも会いたくない時に来てみたりと、このカフェとは中学の頃からの付き合いである。
「あ、キョウカちゃん。いらっしゃい」
いつものマスター。久しぶりの来店にも関わらず、彼は「珍しいね」なんて無粋なことは尋ねない。ユキくんにウインクしながら、彼は私たちを特等席に案内してくれた。
大きな窓から差し込む夕陽。たっぷりの秋。こげ茶で艶のあるアンティークのイスと丸テーブル。月の絵柄のレトロなシュガーポットが、すまし顔で載っている。
「アフタヌーンセット、お願いします」
向かい合って座るとすぐ、私は慣れた様子で注文した。ユキくんはキョトンとした表情で私を見て、マスター、メニュー、そして私と、3周ほどくるくると眺めた。
「裏メニューなの」
「なるほど。ハハハ」
「なんでも表と裏があるんだよォ」
私は彼の口真似をしてみた。
契約茶園のダージリンと特製ショートブレッドのセット。イギリス帰りの研究所長と私だけが知る、秘密のメニュー。コーヒー専門店を装っているのは、所員の多くがコーヒー派だかららしい。なんか、スパイみたい。
「――俺はさ、振られたよ」
「えっ?」
「あらかじめ、プログラムされてたみたいに。ハハ」
乾いた笑いが、彼の落ち込みの深さを象徴していた。私はとても驚いた。彼が振られたことにではなくて、彼がレネさんにきちんと想いを伝えたということに。
「そっかぁ……残念だったね……」
ティーカップが、かちゃりと小さな音を立てる。
「キョウカさんは、上手くいった?」
「え? ……うん。まぁ、ね……」
私は少しうつむいた。
「アレ? あんま嬉しそうじゃないね?」
ユキくんに覗き込まれ、私は右の頬をなでながら是正する。
「そ、そんなことないよ。あー。うん。ホッとしてるだけ」
「そう? それならいいけどさ」
彼は少しだけ寂しそうな目をした。うつろう表情を眺めながら、私はバターの香るショートブレッドをほおばった。サクサクとした食感を堪能し、ざらつく前に紅茶をひとくち。
ユキくんは夕陽で金色になった私の長い髪を眺め、頬杖をついた。
「あっ」
「よ!」
「あれ? ユキくんもレネさんに呼ばれて?」
「え!? 竹戸瀬さん、こっち来てるの?」
「あ、いや……。うん。だけど……今、忙しそうだったから。また今度にすれば?」
「ああ、大丈夫。今日は違う用で」
先日泣きべそかいてバイバイした手前、いまさら2人きりで彼の顔を見るのは気まずかった。彼はいつもどおり落ち着いた声。相変わらず飄々としている。
「ちょっと證大寺先生に聞きたいことがあって。メールしたら、研究所に来るようにって」
「え!? お父さん、今日は家だよ? ……ん? あれっ? どういうこと?」
「えっ?」
「――まさか……」
親の心、子知らず。父なりの計らいなのだろうか。出かけていった娘が涙を浮かべて帰宅したら、さすがに何事かと思ったようだ。こういうとき、父親というのは周りをよく見ずに、とりあえず何か行動しなくてはと思うものなのだろうか。科学者であっても。
5つの課題を全て解き終わった今となっては、私とユキくんには共通の目標も、相談したいこともあいにく持ち合わせていなかった。互いの秘密の交換にはじまり、互いの想い人を紹介しあう。そして、その想い人のために打算で協力してきた日々。そろそろ終止符を打つ時なのかな――。私は彼を1階ロビー奥のカフェに誘った。
手のこんだ創作スイーツと、自家焙煎のサインフォンコーヒー。知る人ぞ知る穴場。研究所が休みの土曜日のほうが、むしろ空いている。父を待つ間の暇つぶしに使ったり、誰にも会いたくない時に来てみたりと、このカフェとは中学の頃からの付き合いである。
「あ、キョウカちゃん。いらっしゃい」
いつものマスター。久しぶりの来店にも関わらず、彼は「珍しいね」なんて無粋なことは尋ねない。ユキくんにウインクしながら、彼は私たちを特等席に案内してくれた。
大きな窓から差し込む夕陽。たっぷりの秋。こげ茶で艶のあるアンティークのイスと丸テーブル。月の絵柄のレトロなシュガーポットが、すまし顔で載っている。
「アフタヌーンセット、お願いします」
向かい合って座るとすぐ、私は慣れた様子で注文した。ユキくんはキョトンとした表情で私を見て、マスター、メニュー、そして私と、3周ほどくるくると眺めた。
「裏メニューなの」
「なるほど。ハハハ」
「なんでも表と裏があるんだよォ」
私は彼の口真似をしてみた。
契約茶園のダージリンと特製ショートブレッドのセット。イギリス帰りの研究所長と私だけが知る、秘密のメニュー。コーヒー専門店を装っているのは、所員の多くがコーヒー派だかららしい。なんか、スパイみたい。
「――俺はさ、振られたよ」
「えっ?」
「あらかじめ、プログラムされてたみたいに。ハハ」
乾いた笑いが、彼の落ち込みの深さを象徴していた。私はとても驚いた。彼が振られたことにではなくて、彼がレネさんにきちんと想いを伝えたということに。
「そっかぁ……残念だったね……」
ティーカップが、かちゃりと小さな音を立てる。
「キョウカさんは、上手くいった?」
「え? ……うん。まぁ、ね……」
私は少しうつむいた。
「アレ? あんま嬉しそうじゃないね?」
ユキくんに覗き込まれ、私は右の頬をなでながら是正する。
「そ、そんなことないよ。あー。うん。ホッとしてるだけ」
「そう? それならいいけどさ」
彼は少しだけ寂しそうな目をした。うつろう表情を眺めながら、私はバターの香るショートブレッドをほおばった。サクサクとした食感を堪能し、ざらつく前に紅茶をひとくち。
ユキくんは夕陽で金色になった私の長い髪を眺め、頬杖をついた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
ほつれ家族
陸沢宝史
青春
高校二年生の椎橋松貴はアルバイトをしていたその理由は姉の借金返済を手伝うためだった。ある日、松貴は同じ高校に通っている先輩の永松栗之と知り合い仲を深めていく。だが二人は家族関係で問題を抱えており、やがて問題は複雑化していく中自分の家族と向き合っていく。
Cutie Skip ★
月琴そう🌱*
青春
少年期の友情が破綻してしまった小学生も最後の年。瑞月と恵風はそれぞれに原因を察しながら、自分たちの元を離れた結日を呼び戻すことをしなかった。それまでの男、男、女の三人から男女一対一となり、思春期の繊細な障害を乗り越えて、ふたりは腹心の友という間柄になる。それは一方的に離れて行った結日を、再び振り向かせるほどだった。
自分が置き去りにした後悔を掘り起こし、結日は瑞月とよりを戻そうと企むが、想いが強いあまりそれは少し怪しげな方向へ。
高校生になり、瑞月は恵風に友情とは別の想いを打ち明けるが、それに対して慎重な恵風。学校生活での様々な出会いや出来事が、煮え切らない恵風の気付きとなり瑞月の想いが実る。
学校では瑞月と恵風の微笑ましい関係に嫉妬を膨らます、瑞月のクラスメイトの虹生と旺汰。虹生と旺汰は結日の想いを知り、”自分たちのやり方”で協力を図る。
どんな荒波が自分にぶち当たろうとも、瑞月はへこたれやしない。恵風のそばを離れない。離れてはいけないのだ。なぜなら恵風は人間以外をも恋に落とす強力なフェロモンの持ち主であると、自身が身を持って気付いてしまったからである。恵風の幸せ、そして自分のためにもその引力には誰も巻き込んではいけない。
一方、恵風の片割れである結日にも、得体の知れないものが備わっているようだ。瑞月との友情を二度と手放そうとしないその執念は、周りが翻弄するほどだ。一度は手放したがそれは幼い頃から育てもの。自分たちの友情を将来の義兄弟関係と位置付け遠慮を知らない。
こどもの頃の風景を練り込んだ、幼なじみの男女、同性の友情と恋愛の風景。
表紙:むにさん
ファンファーレ!
ほしのことば
青春
♡完結まで毎日投稿♡
高校2年生の初夏、ユキは余命1年だと申告された。思えば、今まで「なんとなく」で生きてきた人生。延命治療も勧められたが、ユキは治療はせず、残りの人生を全力で生きることを決意した。
友情・恋愛・行事・学業…。
今まで適当にこなしてきただけの毎日を全力で過ごすことで、ユキの「生」に関する気持ちは段々と動いていく。
主人公のユキの心情を軸に、ユキが全力で生きることで起きる周りの心情の変化も描く。
誰もが感じたことのある青春時代の悩みや感動が、きっとあなたの心に寄り添う作品。
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。
片翼のエール
乃南羽緒
青春
「おまえのテニスに足りないものがある」
高校総体テニス競技個人決勝。
大神謙吾は、一学年上の好敵手に敗北を喫した。
技術、スタミナ、メンタルどれをとっても申し分ないはずの大神のテニスに、ひとつ足りないものがある、と。
それを教えてくれるだろうと好敵手から名指しされたのは、『七浦』という人物。
そいつはまさかの女子で、あまつさえテニス部所属の経験がないヤツだった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる