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2.望
第15夜 月とうさぎ(下)
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参道から少し外れたところに、ひっそり佇むガラス工房があった。とんぼ玉をつくる体験コースを予約してあった。お守り代わりにするつもりだ。化学実験室でガラス細工をするアヤを見た、ユキくんの発案でもあった。
「ガラス棒、鉛筆みたいに持って? いい? そうそう」
ボーイッシュな声で、ときに厳しく声をかける職人気質な工房の女性。
「はい、そうしたら、回しながらバーナーにかける。あ、もっとゆっくり!」
店に入るなり「硝子と書いてショーコです。ヨロシク」と名乗った彼女は20代前半くらい。栗毛のベリーショートに麻のシャツ。首元で光る、商品のとんぼ玉ネックレスがよく似合う。
彼女の指示通り、まずガラス棒を予熱し頃合いをみて炎に入れた。バーナーの青白い炎が、ガラス棒から上の部分だけオレンジ色に変わる。
「あ、炎色反応?」
ユキくんがすかさず理系知識を披露する。
「あら、よく知ってるわね。キミたち何年生?」
「高2です」
「フーン」
含みのある返事。ショーコさんはニヤニヤしていた。
「――で、付き合ってるの?」
思わず口ごもる私に「はい、手はとめないよ」なんてショーコさんは笑った。
温度が高い外側の炎にガラス棒を保持しないといけない。だが、これが結構難しい。
「はい。溶けてきたよ。くるくる回して!」
「わっわっ」
「油断すると、ボタッといっちゃうよ」
炎の中で赤熱したガラス棒は、水あめのようにとろけた。少しずつ姿を現すガラス玉。どろっと落ちないよう、右手でガラス棒を回転させる。ショーコさんの指示で、今度は左手にある鉄の芯棒も炎で炙る。芯棒も赤くなったら、いよいよガラスを巻き取る。ゆっくり回転させた芯棒に赤熱するガラスをたらす。左手に粘り気を感じた。
「キョウカさん、何作る?」
そう言ってユキくんは私の手元を覗き込んできた。
「ちょっと! 完成するまで見ちゃダメ!」
「ハハハ。はいはい。わかったわかった」
大きな作業机を囲み、ショーコさんに向かって隣り合わせに座る。どうしたって、互いの手元は見えてしまう。でもあまりよそ見をしている余裕はない。
玉はあっという間に程よい大きさになった。ショーコさんの合図で、右手のガラス棒を下に、左手の芯棒を上に動かし、炎の中で泣き別れさせる。
「はい、油断しない! 芯棒、回して!」
「わっ、わっ、難しい!」
溶けたガラスは、ゆるい水あめ状。芯棒を常に回転させておかないと、形を保てない。
ふたたびじりじりとガラス玉を炙る。表面の凸凹はなくなり、やがてきれいな玉になった。
ショーコさんはユキくんの後に回り込み、手際よくガラス棒を受け取った。私もショーコさんに促されて、ぎこちなく玉を炎から出した。こうして、メインの大玉ができあがると、今度は色のついた細いガラス棒でひと工夫。思い思いのデコレーション。
「あ、ちょっ、見ないで! ユキくん先に終わったなら、あっちで休憩してて!」
「はいはい。わかったわかった」
完成――。芯棒の先でガラスがゆっくり冷えると、徐々に鮮やかな色が浮かび上がってくる。
「どれどれ? キョウカさん、どんなの作ったの?」
「エヘヘ。私のはね、じゃーん、ウサギ!」
乳白色の玉にピンク色の耳と赤い目。丸々としたウサギだ。
「おお。いいね」
「そういう、ユキくんは何? チョコボール?」
「ち、違うって。月でしょ、どう見ても!」
明るい琥珀色に、泡のようなクリーム色の水玉が入る。満月みたいなユキくんのとんぼ玉。うっすらマーブル模様も入っていて、なかなか手が込んでいる。だいぶ手伝ってもらったと見える。
キャッキャと楽しそうな私たちを眺め「フフ。やっぱ付き合ってんじゃん」とショーコさんは聞こえるように呟いた。
しばらくして、後片付けのすんだショーコさんから麦茶が差し出された。
「2人、高校は一緒? この辺だと、月ノ波高校とかかな?」
ここでも見つけた、呼び名で分かる卒業生。
「そうです。理科部なんです、私たち」
麦茶をぐびぐび飲み、私はまたも優柔不断を燻ぶらせていた。
「あ、あのさ……」
「どうした?」
ユキくんが首をかしげる。
「あの……とんぼ玉、交換しない?」
「え!? 俺の? いまいちじゃない?」
「……それがいいの」
ついに言った。
「ユキくんのが、いいの……」
「――そう? じゃあいいよ」
言ってしまえば、なんてことはない。彼はすんなり受け入れてくれた。
「エヘヘ。私のウサギをあげるね。あんまり自信無いけどさ……」
ショーコさんが無言で芯棒をコツンとして玉を外す。手際よくヤスリがけしてから、小さな茶色の紙袋に入れてくれた。
こうして月は私の手の中に、ウサギは彼の手の中に収まった。それぞれは、単に琥珀色の玉と、白いネズミのガラス細工。2つ並べて、ようやく、月とウサギだとわかるというような出来栄えだった。私たちには、それでよかった。
2人しか知らない暗号を共有する、くすぐったい感じ。2つのとんぼ玉が顔を合わせたときだけ現れる、秘密のメッセージ。知っているのも、持っているのも、地球上で2人だけだ。
「キョウカさん。ありがとう。大事にするよ」
「うん――。私も、一生大事にする」
2人きりで過ごすのは、今日が最後。もう、子供じゃないんだ。わかってる――。私は、ユキくんの幸せを願い、彼とずっと一緒に居ることはできないと理解していた。ユキくんを喜ばせるためにも、羽合先輩と結ばれよう、なんて思ってもいた。
レネさんの課題も全て解き、望遠鏡の観測時間も手に入れた。あとは私もユキくんも、それぞれの想い人に、心の内を伝えるだけだ。
ショーコさんが「またねー」と言っていた意味も咀嚼できぬまま、工房を出た。もう日が暮れかかり、満月までもう少しという大きな月が昇っていた。
私は空の高いところを眺めた。月を見るわけでもなく、星を見るわけでもなく。
下を向くと、涙が出そうだから――。永遠の別れじゃないのは分かっていた。この先もずっと、教室で顔を合わせるだろうし、夜の理科室でもこれまでどおりだ。でも、今この時の顔の今この時の彼とはもう会えない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。残念で、愛おしくて、悔しくて、狂おしくて――。
「キョウカさん?」
優しい目で私を見つめていた。
「ユキくん……」
工房の前に立ち尽くす。私もユキくんの目をじっと見た。
「私……」
こんなに優柔不断で、どうしようもなくて。それでもキミは――。
「……ううん。なんでもない」
私は大きく吸い込んだ息を「ふぅ」と吐き、鼻を少しすすった。
目をどんなに優しくつぶっても、大きな涙の粒がこぼれた。ふいにユキくんの指が頬にふれ、優しく涙をぬぐった。なんて温かい手だろう。また涙した。
でも彼は、それ以上は何もしない。それでいいんだよ――。暖かい気持ちになった。言いたくなかった一言を言う時が来た。
「じゃあね。ユキくん」
彼は指についた私の涙を愛おしそうに眺めた。2人同時に「うん」と何かを確認すると、工房の前の道を互いに反対向きに歩きだした。
「お互い、ガンバろうぜ」
涙でぐしゃぐしゃの顔になった私は、彼の声に振り返ることができなかった。
10月1日。中秋の名月。
2人がもう2人じゃない頃。お互い、どんな月を見るのだろうか。
「ガラス棒、鉛筆みたいに持って? いい? そうそう」
ボーイッシュな声で、ときに厳しく声をかける職人気質な工房の女性。
「はい、そうしたら、回しながらバーナーにかける。あ、もっとゆっくり!」
店に入るなり「硝子と書いてショーコです。ヨロシク」と名乗った彼女は20代前半くらい。栗毛のベリーショートに麻のシャツ。首元で光る、商品のとんぼ玉ネックレスがよく似合う。
彼女の指示通り、まずガラス棒を予熱し頃合いをみて炎に入れた。バーナーの青白い炎が、ガラス棒から上の部分だけオレンジ色に変わる。
「あ、炎色反応?」
ユキくんがすかさず理系知識を披露する。
「あら、よく知ってるわね。キミたち何年生?」
「高2です」
「フーン」
含みのある返事。ショーコさんはニヤニヤしていた。
「――で、付き合ってるの?」
思わず口ごもる私に「はい、手はとめないよ」なんてショーコさんは笑った。
温度が高い外側の炎にガラス棒を保持しないといけない。だが、これが結構難しい。
「はい。溶けてきたよ。くるくる回して!」
「わっわっ」
「油断すると、ボタッといっちゃうよ」
炎の中で赤熱したガラス棒は、水あめのようにとろけた。少しずつ姿を現すガラス玉。どろっと落ちないよう、右手でガラス棒を回転させる。ショーコさんの指示で、今度は左手にある鉄の芯棒も炎で炙る。芯棒も赤くなったら、いよいよガラスを巻き取る。ゆっくり回転させた芯棒に赤熱するガラスをたらす。左手に粘り気を感じた。
「キョウカさん、何作る?」
そう言ってユキくんは私の手元を覗き込んできた。
「ちょっと! 完成するまで見ちゃダメ!」
「ハハハ。はいはい。わかったわかった」
大きな作業机を囲み、ショーコさんに向かって隣り合わせに座る。どうしたって、互いの手元は見えてしまう。でもあまりよそ見をしている余裕はない。
玉はあっという間に程よい大きさになった。ショーコさんの合図で、右手のガラス棒を下に、左手の芯棒を上に動かし、炎の中で泣き別れさせる。
「はい、油断しない! 芯棒、回して!」
「わっ、わっ、難しい!」
溶けたガラスは、ゆるい水あめ状。芯棒を常に回転させておかないと、形を保てない。
ふたたびじりじりとガラス玉を炙る。表面の凸凹はなくなり、やがてきれいな玉になった。
ショーコさんはユキくんの後に回り込み、手際よくガラス棒を受け取った。私もショーコさんに促されて、ぎこちなく玉を炎から出した。こうして、メインの大玉ができあがると、今度は色のついた細いガラス棒でひと工夫。思い思いのデコレーション。
「あ、ちょっ、見ないで! ユキくん先に終わったなら、あっちで休憩してて!」
「はいはい。わかったわかった」
完成――。芯棒の先でガラスがゆっくり冷えると、徐々に鮮やかな色が浮かび上がってくる。
「どれどれ? キョウカさん、どんなの作ったの?」
「エヘヘ。私のはね、じゃーん、ウサギ!」
乳白色の玉にピンク色の耳と赤い目。丸々としたウサギだ。
「おお。いいね」
「そういう、ユキくんは何? チョコボール?」
「ち、違うって。月でしょ、どう見ても!」
明るい琥珀色に、泡のようなクリーム色の水玉が入る。満月みたいなユキくんのとんぼ玉。うっすらマーブル模様も入っていて、なかなか手が込んでいる。だいぶ手伝ってもらったと見える。
キャッキャと楽しそうな私たちを眺め「フフ。やっぱ付き合ってんじゃん」とショーコさんは聞こえるように呟いた。
しばらくして、後片付けのすんだショーコさんから麦茶が差し出された。
「2人、高校は一緒? この辺だと、月ノ波高校とかかな?」
ここでも見つけた、呼び名で分かる卒業生。
「そうです。理科部なんです、私たち」
麦茶をぐびぐび飲み、私はまたも優柔不断を燻ぶらせていた。
「あ、あのさ……」
「どうした?」
ユキくんが首をかしげる。
「あの……とんぼ玉、交換しない?」
「え!? 俺の? いまいちじゃない?」
「……それがいいの」
ついに言った。
「ユキくんのが、いいの……」
「――そう? じゃあいいよ」
言ってしまえば、なんてことはない。彼はすんなり受け入れてくれた。
「エヘヘ。私のウサギをあげるね。あんまり自信無いけどさ……」
ショーコさんが無言で芯棒をコツンとして玉を外す。手際よくヤスリがけしてから、小さな茶色の紙袋に入れてくれた。
こうして月は私の手の中に、ウサギは彼の手の中に収まった。それぞれは、単に琥珀色の玉と、白いネズミのガラス細工。2つ並べて、ようやく、月とウサギだとわかるというような出来栄えだった。私たちには、それでよかった。
2人しか知らない暗号を共有する、くすぐったい感じ。2つのとんぼ玉が顔を合わせたときだけ現れる、秘密のメッセージ。知っているのも、持っているのも、地球上で2人だけだ。
「キョウカさん。ありがとう。大事にするよ」
「うん――。私も、一生大事にする」
2人きりで過ごすのは、今日が最後。もう、子供じゃないんだ。わかってる――。私は、ユキくんの幸せを願い、彼とずっと一緒に居ることはできないと理解していた。ユキくんを喜ばせるためにも、羽合先輩と結ばれよう、なんて思ってもいた。
レネさんの課題も全て解き、望遠鏡の観測時間も手に入れた。あとは私もユキくんも、それぞれの想い人に、心の内を伝えるだけだ。
ショーコさんが「またねー」と言っていた意味も咀嚼できぬまま、工房を出た。もう日が暮れかかり、満月までもう少しという大きな月が昇っていた。
私は空の高いところを眺めた。月を見るわけでもなく、星を見るわけでもなく。
下を向くと、涙が出そうだから――。永遠の別れじゃないのは分かっていた。この先もずっと、教室で顔を合わせるだろうし、夜の理科室でもこれまでどおりだ。でも、今この時の顔の今この時の彼とはもう会えない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。残念で、愛おしくて、悔しくて、狂おしくて――。
「キョウカさん?」
優しい目で私を見つめていた。
「ユキくん……」
工房の前に立ち尽くす。私もユキくんの目をじっと見た。
「私……」
こんなに優柔不断で、どうしようもなくて。それでもキミは――。
「……ううん。なんでもない」
私は大きく吸い込んだ息を「ふぅ」と吐き、鼻を少しすすった。
目をどんなに優しくつぶっても、大きな涙の粒がこぼれた。ふいにユキくんの指が頬にふれ、優しく涙をぬぐった。なんて温かい手だろう。また涙した。
でも彼は、それ以上は何もしない。それでいいんだよ――。暖かい気持ちになった。言いたくなかった一言を言う時が来た。
「じゃあね。ユキくん」
彼は指についた私の涙を愛おしそうに眺めた。2人同時に「うん」と何かを確認すると、工房の前の道を互いに反対向きに歩きだした。
「お互い、ガンバろうぜ」
涙でぐしゃぐしゃの顔になった私は、彼の声に振り返ることができなかった。
10月1日。中秋の名月。
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