12 / 56
2.望
第9夜 わらじとタイムマシン(上)
しおりを挟む
夜の理科部に出入りしていることは、両親には内緒にしていた。活動日はカサネと図書館行っていることにしていたのだ。そんなある夜の図書館での勉強のあと、ひさしぶりにカサネが私の家で夕飯を食べていくことになった。
3歳上の兄と5歳下の弟。男子2人を擁する證大寺家の食卓に死角はなかった。名物と化したわらじ大のトンカツに大盛りの千切りキャベツ。野菜多めの具沢山みそ汁、ほうれんそうのおひたし、お刺身。ほかほかご飯は湯気まで美味しそう。
6人がけの大きなダイニングテーブルの右の隅がカサネの定位置。隣に私が座り、お父さんと対面になる。
「野今さん。いつも京ちゃんと仲良くしてくれて、ありがとうね」
父はどんなことでも親身になって考えてくれる、私にとっては友達みたいな存在でもあった。しかし、1年の学年末テストの残念な結果を見せた頃から「教科書よんだ?」か「伸びしろ世界一!」しか言わなくなってしまった。
メニューが2種類しかない定食屋みたい、なんて思っている。
「いえ。仲良くしてもらってるのは、私なんですよ。あははは」
「カサネちゃん、遠慮せず食べていってね。あ、言わなくても大丈夫か。アハハ」
母はいつも優しくふわりとそばにいて、味方でいてくれる。でも、事あるごとに自身のインターハイ優勝の話を持ち出しては「何でも良いから突き抜けるのよ」などと、真綿で首を締めるような圧をかけてくる。こっちは、さしずめ〈注文の少ない料理店〉か。
「いただきまあす!」
カサネの楽しそうな声。
「あぁ実家が2つあるみたいで、私ホント幸せなんです!」
美味しそうに夕飯を頬張るカサネの姿に目を細め、父が私に話しかける。
「そういえば、京ちゃん。竹戸瀬くんから聞いたけど、研究、手伝ってるらしいね?」
「う、うん。SSHの一環とか。私と、あと同じクラスの水城くんが抜擢されて」
レネさんは父の研究室出身である。2人は研究のことで頻繁にやり取りをしているらしかった。
「ほら、今日は月が出てるでしょ。月面基地へのアップリンクの日。京ちゃんのデータも、今日の便で月に送られるのかな?」
まずい流れだ――。私は直感した。
「なかなか優秀なAIを訓練したみたいだね。竹戸瀬くん褒めてたよ?」
「そ、そう?」
「でも、シミュレータとはいえ、時間かかるでしょ? そんなのいつやってるの?」
口元からカツがぽろりと落ちた。思わず父から目を逸らす。
「まさか、京ちゃん。図書館でやってるの? ってそんなわけないか。ははは」
「お、お父さん。そうなんです。図書館で、ちょっと息抜きに。ね、キョウカ?」
緊急事態を察したカサネが、慌てて会話割り込んだ。父は瞬間的にカサネの嘘を感じとったはずだが、すぐには指摘しなかった。
「意外とこういうの得意みたいで、ちょっとの時間で、パパっとできちゃう子みたいで。そういう人って居るんですよね。ハハハ」
カサネはタジタジになりながらも、必死で踏ん張った。その様子を見た父は「ふーん……」と休めていた箸を手に取り、刺身を口へ運んだ。しばらく泳がせて様子を見るタイプ?
母は違った。彼女はバウンドしたボールを早い段階で打ち返すテニスの攻撃的プレイスタイルそのままに、私・カサネ組に考える時間を与えない。
「あれ? あなたたちが行ってるのって、駅ビルの市立図書館でしょ?」
「あそこはVRも古いし、無線LANも遅いでしょ?」
「それに、データはどうしてるのかしら?」
厳しい質問が次々と繰り出される展開。私もカサネも息切れしてきた。
「アハハ。そう。そうなの。なかなかね。アハハ」
粘り強くベースラインに張り付く父の後衛と、動くものはハエでも打つと言わんばかりの母の前衛。この2人との戦いは本当に嫌なパターンだった。
「んー何かひっかかるな。図書館はSINET7に繋がってないし、大変だと思うけど……」
父はあごを触り、わざとらしく何かを考えるような仕草をした。彼は通信網を研究していることもあり、この手のことにとても詳しかった。よく知っているくせに、知らないふりして質問攻め。そして、私とカサネの返しが甘くなる1玉を虎視眈々と待っているのだ。
「あ、ネットはね、学校の――」と私。
そして、強打に見せかけて、よくコントロールされた深いクロス。
「ほんとは、学校でやってるよね?」
父にじぃっと見つめられ、返す言葉はない。「そうなの?」と念押しされたカサネもついに音を上げた。
「……はい。あ、でもキョウカは悪くないんです。私が、そそのかしただけで……」
顔は青ざめていた。いつもの余裕シャクシャクの表情はない。
「ふーん。で、親に隠れて二足のわらじを履いてるつもりだった? その結果が、この前の中間テストなのかい?」
父は少しだけ頬を緩め、私を見つめた。
言い返す言葉のない私は茶碗を置き、静かに耳を傾けるのみ。食べかけのわらじカツが冷めていくのがわかる。兄も弟も席をたち、気がつくとテーブルには4人だけだ。
「京ちゃん。何のために勉強するか分かってる? テストのためじゃないよ。ましてや、いい大学に入るためでもない。サインとかコサインが今は何の役にたつのか分からないよね。いまは京ちゃんの無限の可能性を1つずつ試してる途中なの。そのための学校の勉強」
父は、図書館という嘘や中間テストの成績に怒っているのではない様子だった。
「月面は甘くないよ。もし、AIが誤作動して大事なローバーが破損したら、どうする?」
「えっ……」
「ゲームの世界じゃない。生身の世界。リセットも、セーブも、できないんだよ?」
父に言われるまで、一度もそんなことを考えてこなかった。
月に人は居ない。たとえローバーが破損しても修理はできない。故障したローバーで、予定通りの探査や実験を行うことは難しい。そうなれば、世界中の研究者の夢と希望が詰め込まれた実験は台無しだ。もちろん、そうならないよう、プログラムは専門家によって安全性が厳しくテストされる。私たちのプログラムは、まだ1次審査さえ通過していなかった。
「よく、考えよう? 月面基地にどれだけの人の夢がつめこまれてるのか、さ。それをリスクに曝してまで、京ちゃんがやりたいと思っているものは何?」
「……もういい。もういいよ! お父さんは、全然私のことなんて、分かってない!!」
運命の、7月7日が迫っていた。
「あ、ちょっ、キョウカ。どこいくの?」
制止する母を振り払い、私はスニーカーのかかとを踏んだまま家を飛び出した。
3歳上の兄と5歳下の弟。男子2人を擁する證大寺家の食卓に死角はなかった。名物と化したわらじ大のトンカツに大盛りの千切りキャベツ。野菜多めの具沢山みそ汁、ほうれんそうのおひたし、お刺身。ほかほかご飯は湯気まで美味しそう。
6人がけの大きなダイニングテーブルの右の隅がカサネの定位置。隣に私が座り、お父さんと対面になる。
「野今さん。いつも京ちゃんと仲良くしてくれて、ありがとうね」
父はどんなことでも親身になって考えてくれる、私にとっては友達みたいな存在でもあった。しかし、1年の学年末テストの残念な結果を見せた頃から「教科書よんだ?」か「伸びしろ世界一!」しか言わなくなってしまった。
メニューが2種類しかない定食屋みたい、なんて思っている。
「いえ。仲良くしてもらってるのは、私なんですよ。あははは」
「カサネちゃん、遠慮せず食べていってね。あ、言わなくても大丈夫か。アハハ」
母はいつも優しくふわりとそばにいて、味方でいてくれる。でも、事あるごとに自身のインターハイ優勝の話を持ち出しては「何でも良いから突き抜けるのよ」などと、真綿で首を締めるような圧をかけてくる。こっちは、さしずめ〈注文の少ない料理店〉か。
「いただきまあす!」
カサネの楽しそうな声。
「あぁ実家が2つあるみたいで、私ホント幸せなんです!」
美味しそうに夕飯を頬張るカサネの姿に目を細め、父が私に話しかける。
「そういえば、京ちゃん。竹戸瀬くんから聞いたけど、研究、手伝ってるらしいね?」
「う、うん。SSHの一環とか。私と、あと同じクラスの水城くんが抜擢されて」
レネさんは父の研究室出身である。2人は研究のことで頻繁にやり取りをしているらしかった。
「ほら、今日は月が出てるでしょ。月面基地へのアップリンクの日。京ちゃんのデータも、今日の便で月に送られるのかな?」
まずい流れだ――。私は直感した。
「なかなか優秀なAIを訓練したみたいだね。竹戸瀬くん褒めてたよ?」
「そ、そう?」
「でも、シミュレータとはいえ、時間かかるでしょ? そんなのいつやってるの?」
口元からカツがぽろりと落ちた。思わず父から目を逸らす。
「まさか、京ちゃん。図書館でやってるの? ってそんなわけないか。ははは」
「お、お父さん。そうなんです。図書館で、ちょっと息抜きに。ね、キョウカ?」
緊急事態を察したカサネが、慌てて会話割り込んだ。父は瞬間的にカサネの嘘を感じとったはずだが、すぐには指摘しなかった。
「意外とこういうの得意みたいで、ちょっとの時間で、パパっとできちゃう子みたいで。そういう人って居るんですよね。ハハハ」
カサネはタジタジになりながらも、必死で踏ん張った。その様子を見た父は「ふーん……」と休めていた箸を手に取り、刺身を口へ運んだ。しばらく泳がせて様子を見るタイプ?
母は違った。彼女はバウンドしたボールを早い段階で打ち返すテニスの攻撃的プレイスタイルそのままに、私・カサネ組に考える時間を与えない。
「あれ? あなたたちが行ってるのって、駅ビルの市立図書館でしょ?」
「あそこはVRも古いし、無線LANも遅いでしょ?」
「それに、データはどうしてるのかしら?」
厳しい質問が次々と繰り出される展開。私もカサネも息切れしてきた。
「アハハ。そう。そうなの。なかなかね。アハハ」
粘り強くベースラインに張り付く父の後衛と、動くものはハエでも打つと言わんばかりの母の前衛。この2人との戦いは本当に嫌なパターンだった。
「んー何かひっかかるな。図書館はSINET7に繋がってないし、大変だと思うけど……」
父はあごを触り、わざとらしく何かを考えるような仕草をした。彼は通信網を研究していることもあり、この手のことにとても詳しかった。よく知っているくせに、知らないふりして質問攻め。そして、私とカサネの返しが甘くなる1玉を虎視眈々と待っているのだ。
「あ、ネットはね、学校の――」と私。
そして、強打に見せかけて、よくコントロールされた深いクロス。
「ほんとは、学校でやってるよね?」
父にじぃっと見つめられ、返す言葉はない。「そうなの?」と念押しされたカサネもついに音を上げた。
「……はい。あ、でもキョウカは悪くないんです。私が、そそのかしただけで……」
顔は青ざめていた。いつもの余裕シャクシャクの表情はない。
「ふーん。で、親に隠れて二足のわらじを履いてるつもりだった? その結果が、この前の中間テストなのかい?」
父は少しだけ頬を緩め、私を見つめた。
言い返す言葉のない私は茶碗を置き、静かに耳を傾けるのみ。食べかけのわらじカツが冷めていくのがわかる。兄も弟も席をたち、気がつくとテーブルには4人だけだ。
「京ちゃん。何のために勉強するか分かってる? テストのためじゃないよ。ましてや、いい大学に入るためでもない。サインとかコサインが今は何の役にたつのか分からないよね。いまは京ちゃんの無限の可能性を1つずつ試してる途中なの。そのための学校の勉強」
父は、図書館という嘘や中間テストの成績に怒っているのではない様子だった。
「月面は甘くないよ。もし、AIが誤作動して大事なローバーが破損したら、どうする?」
「えっ……」
「ゲームの世界じゃない。生身の世界。リセットも、セーブも、できないんだよ?」
父に言われるまで、一度もそんなことを考えてこなかった。
月に人は居ない。たとえローバーが破損しても修理はできない。故障したローバーで、予定通りの探査や実験を行うことは難しい。そうなれば、世界中の研究者の夢と希望が詰め込まれた実験は台無しだ。もちろん、そうならないよう、プログラムは専門家によって安全性が厳しくテストされる。私たちのプログラムは、まだ1次審査さえ通過していなかった。
「よく、考えよう? 月面基地にどれだけの人の夢がつめこまれてるのか、さ。それをリスクに曝してまで、京ちゃんがやりたいと思っているものは何?」
「……もういい。もういいよ! お父さんは、全然私のことなんて、分かってない!!」
運命の、7月7日が迫っていた。
「あ、ちょっ、キョウカ。どこいくの?」
制止する母を振り払い、私はスニーカーのかかとを踏んだまま家を飛び出した。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。
ヤマネ姫の幸福論
ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。
一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。
彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。
しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。
主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます!
どうぞ、よろしくお願いいたします!
時のコカリナ
遊馬友仁
ライト文芸
高校二年生の坂井夏生は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
スカートなんて履きたくない
もちっぱち
青春
齋藤咲夜(さいとうさや)は、坂本翼(さかもとつばさ)と一緒に
高校の文化祭を楽しんでいた。
イケメン男子っぽい女子の同級生の悠(はるか)との関係が友達よりさらにどんどん近づくハラハラドキドキのストーリーになっています。
女友達との関係が主として描いてます。
百合小説です
ガールズラブが苦手な方は
ご遠慮ください
表紙イラスト:ノノメ様
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる