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2.望
第8夜 ライブハウスとレストラン(上)
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私の優柔不断が役に立つと水城くんが気づいたのは、親に内緒で夜の理科部に出入りを始めてから10夜も過ぎた頃だった。
日中は夏を先取りしたような汗ばむ陽気。それに比べて冷え込む夜の理科室。我先にと夏服に衣替えしてしまった私は、二の腕の寒さにちょっぴり後悔し始めていた。
親に内緒で理科部に出入りしている後ろめたさも、鳥肌に一役買っていた。身バレに怯えながらもメジャーデビューを目指す、パンクバンドのボーカルみたいな気分。そう思うと、いつもの理科室も、客入りを待つスモーク烟るライブハウスに見えた。
「うわっ、なにこの煙?」
煙は、隣の化学実験室から流れ込んできていた。おそらく、アヤが電気炉で何かを焼き始めたのだろう。鼻をつく酢のような匂い。
「きゃー、ドラフトの扉、閉め忘れてたぁ」
というカサネの叫び声も運ばれてきた。
先輩は基本、天文ドームに直行直帰で理科室にはほとんど顔を出さなかった。せっかく入部したというのに先輩に会えず、私はモヤモヤとした夜を過ごしていた。かと言って屋上の天文ドーム〈瑛璃庵〉をひとり訪ねる勇気もない。カサネも最近はアヤの手伝いに忙しく、物理実験室に居ないことのほうが多かった。そんなわけで、今夜も私と水城くんで2人きりだ。
「證大寺さん、ちょっとコレ見てくれる? ほら〈燕の子安貝〉と〈龍の頸の珠〉の課題。どっちも、證大寺さんのほうが、成績いい」
水城くんがラップトップの画面を指差した。
「え、ホント? あんまり自信なかったんだけどなぁ……」
私はえへんと鼻をすすった。これらの変テコな名前は、レネさんがつけた課題の愛称だ。
どちらも、竹取物語に出てくる宝物の名前らしい。
「すごいね。かなり非自明。これ、どうやったの?」
「えっとね、燕のほうはね――」
課題1〈燕の子安貝〉は、不安定な足場の上で、月面ローバーのロボットアームを動かして細かな作業をするという課題だった。凹凸のある床の上でローバーを操り、高所にあるプラグを引き抜かせる。そして、それを別のソケットに差し込む。たぶん私が手でやれば一瞬でできる。ローバーにやらせると難儀だ。
プラグの高さが絶妙に意地悪く設計されていた。アームを限界まで伸ばす必要があり、ぐらつく足元と相まって、6輪のローバーと言えどもバランスをくずしやすい。
「私のローバーはね、ぐらつく勢いを使ってプラグを引き抜くの」
「わ、大胆!」
私の優柔不断は、水城くんの予想を大きく超えた力を発揮した。
「姿勢が安定するまで待たないの?」
「待てないの」
水城くんに尋ねられると私は立ち上がり、両手を広げた。
「最初はね、水城くんの言う通り安定させてから作業に入るように訓練してたんだ」
私は平均台の上でも歩くようにして、実験テーブルの間をうろうろした。
「でも、いつが良いタイミングなのか迷っちゃってさ……」
「なるほどね。優柔不断の證大寺さんらしいね。ハハハハ」
水城くんにそう言われ、まんざらでもない。いつも足を引っ張ってばかりの優柔不断が、月面では役に立つ――。なんとも痛快だ。ここがライブハウスだったら、私はパンキッシュにシャウトしていたところだ。
You 銃 Foo Dang!
スモーク烟る理科室に立ち、マイクを握る姿を夢想しニヤニヤした。親に内緒でパンクバンドの練習をするには、月面基地はうってつけかもね、なんて思いながら。
「やっぱり、證大寺さんはおもしろい」
水城くんはそう呟いて、興味深そうに頷いた。
「龍のほうは、何もしてなかったんだけどな?」
私は自分のAIがなぜうまくいったのか、あまり。いや、まったく理解していなかった。
課題2〈龍の頸の珠〉は、いかにも持ちにくそうな球状の金属部品を引き抜くという、これまたイヤミな課題だった。しかも、毎回必ず予期せぬことが発生するよう、シミュレーターには念入りにイジワルがプログラムされていた。舞い上げた砂によるセンサーの異常反応。暴走したローバーは8の字ヘドバン。強く掴みすぎた金属部品は歪んで修復不能――。
私たちのローバーは、これでもかというくらい、様々な不運に見舞われた。
「全部のことを想定して、対応策を考えておくなんて、できないよね?」
「ああ。だから、起こる確率が高そうなのから優先的にAIを訓練したんだけど……」
彼の作戦は理にかなっていた。起こりうる全てのことに対応できるようAIを訓練するのは不可能。なので、発生確率の高い順につぶしていく。かしこいやり方だ。
「私は、逆に、起こりそうにないことが、どれくらい起こりそうにないのか、試してみたの」
「え!? どういうこと?」
「変な位置にローバーを停めてみたり、急発進させたり。アームもぐるぐる動かした。指定位置以外のとこを持ってみたりもしたよ」
「ハハハハ――いや、まてよ。もしかしたら、その遊びで、證大寺さんのAIは何が起こってもいいかを学習したってことなんじゃない?」
きょとんとする私を横目に、彼は得意げな顔で説明を続けた。
「子供が公園で遊ぶとき、最初のうちはいろんな危ないことするよね? 何をやったら怪我するか分からずにさ。やめときゃいいのに、高い所登ったりとか」
「ああ、確かに。弟もすり傷とかたんこぶ、よく作ってたなぁ」
「そうそう。ヒヤリとする経験を沢山積むことで、何をしたら怪我するか学ぶでしょ?」
彼の話に、やんちゃ盛りの5歳の弟に手を焼く自分の姿を思い出した。理屈はよくわからないけど。なんだか納得できる。
「優柔不断、月面では役に立つんだね。アハハ」
私が明るく笑うと彼も白い歯を見せた。
「これは、なかなか非自明だね。ハハハハ」
タトゥーみたいにまとわりつき、どうしても隠せない優柔不断。もう私のトレードマークになっていた。それが月面で活きてくるなんて、思いもよらなかった。でも嬉しさと恥ずかしさが半々。
一刻も早く課題をすべて解き、観測時間をゲット。そして、羽合先輩に振り向いてもらうんだ! もう、なりふり構っていられない。そんな感情が私を突き動かし始めていた。
観客で満員の地球を月面から見下ろし、心の中のガイコツマイクにもう一度叫んだ。
Say!! You 銃 Foo Dang!!
日中は夏を先取りしたような汗ばむ陽気。それに比べて冷え込む夜の理科室。我先にと夏服に衣替えしてしまった私は、二の腕の寒さにちょっぴり後悔し始めていた。
親に内緒で理科部に出入りしている後ろめたさも、鳥肌に一役買っていた。身バレに怯えながらもメジャーデビューを目指す、パンクバンドのボーカルみたいな気分。そう思うと、いつもの理科室も、客入りを待つスモーク烟るライブハウスに見えた。
「うわっ、なにこの煙?」
煙は、隣の化学実験室から流れ込んできていた。おそらく、アヤが電気炉で何かを焼き始めたのだろう。鼻をつく酢のような匂い。
「きゃー、ドラフトの扉、閉め忘れてたぁ」
というカサネの叫び声も運ばれてきた。
先輩は基本、天文ドームに直行直帰で理科室にはほとんど顔を出さなかった。せっかく入部したというのに先輩に会えず、私はモヤモヤとした夜を過ごしていた。かと言って屋上の天文ドーム〈瑛璃庵〉をひとり訪ねる勇気もない。カサネも最近はアヤの手伝いに忙しく、物理実験室に居ないことのほうが多かった。そんなわけで、今夜も私と水城くんで2人きりだ。
「證大寺さん、ちょっとコレ見てくれる? ほら〈燕の子安貝〉と〈龍の頸の珠〉の課題。どっちも、證大寺さんのほうが、成績いい」
水城くんがラップトップの画面を指差した。
「え、ホント? あんまり自信なかったんだけどなぁ……」
私はえへんと鼻をすすった。これらの変テコな名前は、レネさんがつけた課題の愛称だ。
どちらも、竹取物語に出てくる宝物の名前らしい。
「すごいね。かなり非自明。これ、どうやったの?」
「えっとね、燕のほうはね――」
課題1〈燕の子安貝〉は、不安定な足場の上で、月面ローバーのロボットアームを動かして細かな作業をするという課題だった。凹凸のある床の上でローバーを操り、高所にあるプラグを引き抜かせる。そして、それを別のソケットに差し込む。たぶん私が手でやれば一瞬でできる。ローバーにやらせると難儀だ。
プラグの高さが絶妙に意地悪く設計されていた。アームを限界まで伸ばす必要があり、ぐらつく足元と相まって、6輪のローバーと言えどもバランスをくずしやすい。
「私のローバーはね、ぐらつく勢いを使ってプラグを引き抜くの」
「わ、大胆!」
私の優柔不断は、水城くんの予想を大きく超えた力を発揮した。
「姿勢が安定するまで待たないの?」
「待てないの」
水城くんに尋ねられると私は立ち上がり、両手を広げた。
「最初はね、水城くんの言う通り安定させてから作業に入るように訓練してたんだ」
私は平均台の上でも歩くようにして、実験テーブルの間をうろうろした。
「でも、いつが良いタイミングなのか迷っちゃってさ……」
「なるほどね。優柔不断の證大寺さんらしいね。ハハハハ」
水城くんにそう言われ、まんざらでもない。いつも足を引っ張ってばかりの優柔不断が、月面では役に立つ――。なんとも痛快だ。ここがライブハウスだったら、私はパンキッシュにシャウトしていたところだ。
You 銃 Foo Dang!
スモーク烟る理科室に立ち、マイクを握る姿を夢想しニヤニヤした。親に内緒でパンクバンドの練習をするには、月面基地はうってつけかもね、なんて思いながら。
「やっぱり、證大寺さんはおもしろい」
水城くんはそう呟いて、興味深そうに頷いた。
「龍のほうは、何もしてなかったんだけどな?」
私は自分のAIがなぜうまくいったのか、あまり。いや、まったく理解していなかった。
課題2〈龍の頸の珠〉は、いかにも持ちにくそうな球状の金属部品を引き抜くという、これまたイヤミな課題だった。しかも、毎回必ず予期せぬことが発生するよう、シミュレーターには念入りにイジワルがプログラムされていた。舞い上げた砂によるセンサーの異常反応。暴走したローバーは8の字ヘドバン。強く掴みすぎた金属部品は歪んで修復不能――。
私たちのローバーは、これでもかというくらい、様々な不運に見舞われた。
「全部のことを想定して、対応策を考えておくなんて、できないよね?」
「ああ。だから、起こる確率が高そうなのから優先的にAIを訓練したんだけど……」
彼の作戦は理にかなっていた。起こりうる全てのことに対応できるようAIを訓練するのは不可能。なので、発生確率の高い順につぶしていく。かしこいやり方だ。
「私は、逆に、起こりそうにないことが、どれくらい起こりそうにないのか、試してみたの」
「え!? どういうこと?」
「変な位置にローバーを停めてみたり、急発進させたり。アームもぐるぐる動かした。指定位置以外のとこを持ってみたりもしたよ」
「ハハハハ――いや、まてよ。もしかしたら、その遊びで、證大寺さんのAIは何が起こってもいいかを学習したってことなんじゃない?」
きょとんとする私を横目に、彼は得意げな顔で説明を続けた。
「子供が公園で遊ぶとき、最初のうちはいろんな危ないことするよね? 何をやったら怪我するか分からずにさ。やめときゃいいのに、高い所登ったりとか」
「ああ、確かに。弟もすり傷とかたんこぶ、よく作ってたなぁ」
「そうそう。ヒヤリとする経験を沢山積むことで、何をしたら怪我するか学ぶでしょ?」
彼の話に、やんちゃ盛りの5歳の弟に手を焼く自分の姿を思い出した。理屈はよくわからないけど。なんだか納得できる。
「優柔不断、月面では役に立つんだね。アハハ」
私が明るく笑うと彼も白い歯を見せた。
「これは、なかなか非自明だね。ハハハハ」
タトゥーみたいにまとわりつき、どうしても隠せない優柔不断。もう私のトレードマークになっていた。それが月面で活きてくるなんて、思いもよらなかった。でも嬉しさと恥ずかしさが半々。
一刻も早く課題をすべて解き、観測時間をゲット。そして、羽合先輩に振り向いてもらうんだ! もう、なりふり構っていられない。そんな感情が私を突き動かし始めていた。
観客で満員の地球を月面から見下ろし、心の中のガイコツマイクにもう一度叫んだ。
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