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1.上弦
第6夜 来週と来年
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「今度は私がレネさんを紹介してあげる番だね」
なんて気楽に誘ったものの、いまさら少しだけ恥ずかしくなってきていた。
水城くんはただのクラスメイト。性格は即断即決で、優柔不断な私と正反対。相性悪そうだ。共通の趣味もない。そもそも、私には憧れの先輩だっている。それなのに、今日は恋人のように駅南口で待ち合わせし、友達に会わぬように東京行きの高速バスにそそくさと乗った。今は私の隣の席で居心地悪そうにしている。
「證大寺さん、ごめんね。わざわざ休みの日に」
彼なりに気を遣ってくれているようだった。
「いいよいいよ。私もレネさんの研究室行ってみたかったし」
駆け落ちみたいな何とも言えない背徳感をごまかすように、会話を続けた。
「得居先生に相談したらさ、二つ返事でオーケーしてくれんだけど、水城くん、何か知ってる?」
「ハハ。たぶんそれ、SSHの予算使いたいだけだよ」
「ああ、それで気前良く特急代まで出してくれたのか。なるほど」
「ハハッ。モノマネ? 似てる似てる! ハハハハ」
1時間ほどでバスは東京テレポート駅に着いた。ロータリーから大きな観覧車が見え、エスカレーターの出口から流れ出てくる人波に私は目をくるくるした。
「わっ、私たち、なんだかデートみたいだね」
なんて、水城くんをからかうつもりが「そう?」と華麗にスルーされ、私のほうが恥ずかしくなってきてしまった。
得居先生に持たされた特急代と高速バスの運賃の差額で、少し早めの昼食をとってからレネさんの研究室に向かった。
指定された場所は大学ではなく、お台場にある科学館だった。
水城くんと2人でいることに、不思議な居心地の良さを感じ始めていた。ただ、何がそうさせているのかは、よく分からない。まさか友人に出くわすことなんてないだろうという安心感。互いの秘密を共有してしまったマフィアの信頼関係みたいなものなのかも。
「あ、あのさ。水城くんって、レネさんのこと――」
彼はビルの前に立つ巨大ロボットを、少年のような目で興味深そうに眺めていた。
「フフッ。ああー、ちゃんと言ってなかったね」
不意をつかれたふうでもなく、思わせぶりな笑みを浮かべた。
「じつはね、彼女はAIなんじゃないかって思って、調べてるんだ」
「えっ!? どういうこと?」
彼はふふふと笑みを浮かべるだけで私の疑問はいっこうに解消されないまま、研究所にたどり着いてしまった。
ひっそりとした守衛所で受付を済ませ、おそるおそる5階に向かう。直線を基調とするガラスの壁と、滑らかな曲線を描く金属の骨組みに満たされた建物内は、まるで宇宙船の中に迷い込んでしまったみたい。ガラス張りの部屋がいくつも並ぶ真っ直ぐな廊下で、1室だけ明かりがついていた。どうやらそこがレネさんの研究室らしい。
ドアを開けると、デニムパンツに七分袖のボーダー姿のレネさんが出迎えた。学校で会ったときとは打って変わって、リラックスした様子。
「いらっしゃい。あらカレシ連れ?」
「え、あ、違いますよ! ああ、ほら、こないだ会ってますよね? 同じクラスの水城くん」
水城くんは「どうも」と間の悪そうな顔で会釈する。
「ふふふ。冗談ジョーダン」
そう言ってレネさんは、散らかっていた書類の束をガサッと端によけて笑った。
「ゴメンね。越してきたばかりで……。座って。いま、コーヒー入れるから」
雑然とした部屋を見渡していると、レネさんの鼻歌が聞こえてきた。ウキウキとカップを選び、部屋の片隅にある小型エスプレッソマシンからコーヒーを注いでいる。浮かれているのがばればれなところが、なんだかやっぱり憎めない。
「あの、これ、父から預かってきました」
さっそく私はソファーの前の竹製のローテーブルに菓子折りを差し出した。
「研究室発足のお祝いだそうです」
「わ! ありがとう。お菓子、かな? よーし、早速開けよう」
時折見るレネさんの無邪気さがズルいなと、前々から思っていた。単なるクールビューティではなく、何かが欠けている。そんな感じ。それが彼女の魅力にもなっていた。
「それで、キョウカちゃんは、月面ローバー、どうすることにした?」
レネさんは3人分のコーヒーをテーブルに置くと、ソファーに腰掛けた。サラサラと長い髪をたくし上げ、竹色のマグカップでコーヒーをすする。
「それが、じつは、まだちょっと悩んでまして……」
「ふうん。もしかして、恋の悩み、かな。ウフフ」
天然系に見えて、なかなか鋭かった。私がもじもじしていると、水城くんが突拍子もない話を持ち出した。
「あの、竹戸瀬先生、月面望遠鏡の観測時間、持っていたりしませんか?」
「えっ?」
「じつは系外惑星を観測しようとしてる先輩がいて、でも学校のじゃ当然見えなくて……」
レネさんの話では、月面望遠鏡はハワイ島の大型望遠鏡のように、世界中の研究者の共用施設だという。計画書の審査を通過して初めて望遠鏡が使える。採択率は10%程らしい。
「3年生の天文部のコでしょ? 羽合くん? 珍しい名前だから覚えてるわ。この前の特別授業のときに、望遠鏡に質問があるとか言ってた――」
「そうです。それで、もしよろしければ、観測時間を分けていただけませんか?」
「ん? チョット待って。観測計画、採択されてたから……」
レネさんは机に戻り、無造作に置かれたラップトップを確認した。
「えーと、私の割り当ては……4月25日ね」
「え!? 25日って、来週じゃないですか?」
思わず水城くんと顔を見合わせた。
――望遠鏡のプレゼント。カサネの言ってた三択じゃん。
「あ、あの、私からもお願いします。先輩が望遠鏡を売らなくて済むように」
「――あ! キョウカちゃんの言ってた『別のこと』って、このこと?」
私がこくりとうなずくとレネさんはにぃっと子供みたいに目を細めて笑った。
「よーし、わかった! 系外惑星も楽しそうだし、あなたたちに付き合ってあげる」
「え、ホントですか?」
上機嫌でニコニコしていたレネさんはますます笑顔になり、ピッと人差し指を立てウインクする。
「でも、交換条件。月面ローバーのAIの訓練を手伝うこと!」
いたずらっ子のように八重歯を見せた。
「まずは課題。全部で5つ。必ず全部やってね。それが条件」
「は、はい! 必ずやります! 先輩のためなら、あ、いや……その……」
私がしどろもどろに返事をするとレネさんは口元に手を当てて笑った。
「あ、そうだ、言い忘れてたけど――」
「はい?」
「私の観測時間、来年の4月25日だけど、大丈夫?」
レネさんは大事なことを言い忘れるというのは、證大寺家の夕食でも話題になるほど有名な話だった。水城くんにも言ってあったのに、すっかり油断していた。
「あれ? それじゃあ先輩、卒業しちゃってるな……」
こうして研究を手伝うバイトの報酬は、月面望遠鏡の観測時間と決まった。でも、これじゃあ先輩の誕生日には間に合わない。
取り組むべきかどうかは、振り出しに戻ってしまった。悩みは深い。
なんて気楽に誘ったものの、いまさら少しだけ恥ずかしくなってきていた。
水城くんはただのクラスメイト。性格は即断即決で、優柔不断な私と正反対。相性悪そうだ。共通の趣味もない。そもそも、私には憧れの先輩だっている。それなのに、今日は恋人のように駅南口で待ち合わせし、友達に会わぬように東京行きの高速バスにそそくさと乗った。今は私の隣の席で居心地悪そうにしている。
「證大寺さん、ごめんね。わざわざ休みの日に」
彼なりに気を遣ってくれているようだった。
「いいよいいよ。私もレネさんの研究室行ってみたかったし」
駆け落ちみたいな何とも言えない背徳感をごまかすように、会話を続けた。
「得居先生に相談したらさ、二つ返事でオーケーしてくれんだけど、水城くん、何か知ってる?」
「ハハ。たぶんそれ、SSHの予算使いたいだけだよ」
「ああ、それで気前良く特急代まで出してくれたのか。なるほど」
「ハハッ。モノマネ? 似てる似てる! ハハハハ」
1時間ほどでバスは東京テレポート駅に着いた。ロータリーから大きな観覧車が見え、エスカレーターの出口から流れ出てくる人波に私は目をくるくるした。
「わっ、私たち、なんだかデートみたいだね」
なんて、水城くんをからかうつもりが「そう?」と華麗にスルーされ、私のほうが恥ずかしくなってきてしまった。
得居先生に持たされた特急代と高速バスの運賃の差額で、少し早めの昼食をとってからレネさんの研究室に向かった。
指定された場所は大学ではなく、お台場にある科学館だった。
水城くんと2人でいることに、不思議な居心地の良さを感じ始めていた。ただ、何がそうさせているのかは、よく分からない。まさか友人に出くわすことなんてないだろうという安心感。互いの秘密を共有してしまったマフィアの信頼関係みたいなものなのかも。
「あ、あのさ。水城くんって、レネさんのこと――」
彼はビルの前に立つ巨大ロボットを、少年のような目で興味深そうに眺めていた。
「フフッ。ああー、ちゃんと言ってなかったね」
不意をつかれたふうでもなく、思わせぶりな笑みを浮かべた。
「じつはね、彼女はAIなんじゃないかって思って、調べてるんだ」
「えっ!? どういうこと?」
彼はふふふと笑みを浮かべるだけで私の疑問はいっこうに解消されないまま、研究所にたどり着いてしまった。
ひっそりとした守衛所で受付を済ませ、おそるおそる5階に向かう。直線を基調とするガラスの壁と、滑らかな曲線を描く金属の骨組みに満たされた建物内は、まるで宇宙船の中に迷い込んでしまったみたい。ガラス張りの部屋がいくつも並ぶ真っ直ぐな廊下で、1室だけ明かりがついていた。どうやらそこがレネさんの研究室らしい。
ドアを開けると、デニムパンツに七分袖のボーダー姿のレネさんが出迎えた。学校で会ったときとは打って変わって、リラックスした様子。
「いらっしゃい。あらカレシ連れ?」
「え、あ、違いますよ! ああ、ほら、こないだ会ってますよね? 同じクラスの水城くん」
水城くんは「どうも」と間の悪そうな顔で会釈する。
「ふふふ。冗談ジョーダン」
そう言ってレネさんは、散らかっていた書類の束をガサッと端によけて笑った。
「ゴメンね。越してきたばかりで……。座って。いま、コーヒー入れるから」
雑然とした部屋を見渡していると、レネさんの鼻歌が聞こえてきた。ウキウキとカップを選び、部屋の片隅にある小型エスプレッソマシンからコーヒーを注いでいる。浮かれているのがばればれなところが、なんだかやっぱり憎めない。
「あの、これ、父から預かってきました」
さっそく私はソファーの前の竹製のローテーブルに菓子折りを差し出した。
「研究室発足のお祝いだそうです」
「わ! ありがとう。お菓子、かな? よーし、早速開けよう」
時折見るレネさんの無邪気さがズルいなと、前々から思っていた。単なるクールビューティではなく、何かが欠けている。そんな感じ。それが彼女の魅力にもなっていた。
「それで、キョウカちゃんは、月面ローバー、どうすることにした?」
レネさんは3人分のコーヒーをテーブルに置くと、ソファーに腰掛けた。サラサラと長い髪をたくし上げ、竹色のマグカップでコーヒーをすする。
「それが、じつは、まだちょっと悩んでまして……」
「ふうん。もしかして、恋の悩み、かな。ウフフ」
天然系に見えて、なかなか鋭かった。私がもじもじしていると、水城くんが突拍子もない話を持ち出した。
「あの、竹戸瀬先生、月面望遠鏡の観測時間、持っていたりしませんか?」
「えっ?」
「じつは系外惑星を観測しようとしてる先輩がいて、でも学校のじゃ当然見えなくて……」
レネさんの話では、月面望遠鏡はハワイ島の大型望遠鏡のように、世界中の研究者の共用施設だという。計画書の審査を通過して初めて望遠鏡が使える。採択率は10%程らしい。
「3年生の天文部のコでしょ? 羽合くん? 珍しい名前だから覚えてるわ。この前の特別授業のときに、望遠鏡に質問があるとか言ってた――」
「そうです。それで、もしよろしければ、観測時間を分けていただけませんか?」
「ん? チョット待って。観測計画、採択されてたから……」
レネさんは机に戻り、無造作に置かれたラップトップを確認した。
「えーと、私の割り当ては……4月25日ね」
「え!? 25日って、来週じゃないですか?」
思わず水城くんと顔を見合わせた。
――望遠鏡のプレゼント。カサネの言ってた三択じゃん。
「あ、あの、私からもお願いします。先輩が望遠鏡を売らなくて済むように」
「――あ! キョウカちゃんの言ってた『別のこと』って、このこと?」
私がこくりとうなずくとレネさんはにぃっと子供みたいに目を細めて笑った。
「よーし、わかった! 系外惑星も楽しそうだし、あなたたちに付き合ってあげる」
「え、ホントですか?」
上機嫌でニコニコしていたレネさんはますます笑顔になり、ピッと人差し指を立てウインクする。
「でも、交換条件。月面ローバーのAIの訓練を手伝うこと!」
いたずらっ子のように八重歯を見せた。
「まずは課題。全部で5つ。必ず全部やってね。それが条件」
「は、はい! 必ずやります! 先輩のためなら、あ、いや……その……」
私がしどろもどろに返事をするとレネさんは口元に手を当てて笑った。
「あ、そうだ、言い忘れてたけど――」
「はい?」
「私の観測時間、来年の4月25日だけど、大丈夫?」
レネさんは大事なことを言い忘れるというのは、證大寺家の夕食でも話題になるほど有名な話だった。水城くんにも言ってあったのに、すっかり油断していた。
「あれ? それじゃあ先輩、卒業しちゃってるな……」
こうして研究を手伝うバイトの報酬は、月面望遠鏡の観測時間と決まった。でも、これじゃあ先輩の誕生日には間に合わない。
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