月夜の理科部

嶌田あき

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第2夜 地球と月(上)

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 翌朝、暗い気持ちで教室に入り、静かに席に付くと「おはよー」なんてカサネの明るい声が聞こえてきた。私は生返事をしながら窓の外を眺めて過ごすポーズ。

「あれ? 元気ないねキョウカ? 彼氏とケンカでもした?」
「だったら良いんだけどね、アハハ」

 いつもなら「そうなの聞いてよ。彼ったらね――っておいッ」とノリツッコミで応じるのが定型文なのだけど、今朝はそんな元気も出ずに低空飛行だ。カサネは私のすぐ後ろの席につき、背中を指先でつついてきた。

「ねぇねぇ、それで、どうすることにした?」
「どうって、どうもなってないよ。慎重に考え中!」
「まーたそんなこと言って優柔不断こじらせてる」

 いつになく明るい。こういう話は、カサネの大好物である。

「だいたいさ、あんた望遠鏡じゃなくて、先輩かアヤかで悩んでるでしょ?」

 図星をつかれ、こくこくとうなずくしかない。彼女は待ってましたとばかりに高い声を出した。

「こういうときは3択。わかる? 引いてダメなら足してみろ、なわけ」

 全然よくわからないけど、妙に納得させられてしまう。

「あ、あのね。私はカサネとは違うのっ」

 カサネは何にでも二股をかける。進路も部活も彼氏も、文系と理系、軽音部と理科部、川端くんと湯川くん――いや、C組の小林くんだったかもしれない。

「カサネは浮気ばっかじゃん」
「エヘ。どれも浮ついた気持ちじゃなく本気だも~ん」

 カサネがケラケラ笑うと、少し長めのボブが舞って細い首が見える。陽気なおばちゃんキャラに似合わず、顔立ちや身体のラインは繊細の一言。

「先輩の気を引く何かがあればさ、あと1歩だと思うんだけどなぁ……」

 私は少しうつむき、首筋を流れてくるポニーテールの毛先を指でくるくるした。

「それだよキョウカ!」
「ん?」
「望遠鏡! プレゼントすりゃいいじゃん!」

 そんな簡単に言わないで、と口から出そうになる言葉を必死で飲み込む。
 今ある望遠鏡の『あり』か『なし』じゃなくて、新しい望遠鏡のプレゼント。現実味はないけど、追加の選択肢なのは違いなかった。

 カサネのこういうところがたまらなく好きだ。フラフラ浮ついているように見えて自分の考えはちゃんと持っていて、「そんなの無理じゃん」と私ならハナっから却下してしまうようなアイディアも自由に発想できる。ほんと尊敬する。自分で勝手に決めた殻のなかでウジウジと優柔不断して決められない私とは大違いだ。
 

 放課後、担任の得居とくい先生に呼び出され、しぶしぶ進路指導室に向かった。

「言われることはどうせアレに決まってる」

 なんて少しふてくされながらドアを開ける。手まねきしている得居先生の左でお茶をすすっているのは――竹戸瀬たけとせ礼寧れねさん!? 驚いた。なんで、学校に?

「あら、キョウカちゃん。こんにちは。そっか、あなたも月ノ波高校ツキコウだったっけ」

 若竹色のブラウスにパンツスーツで、あいかわらずスキのない美しさ。長い髪を耳にかけるあざとい仕草がぜんぜん嫌味じゃないのがすごい。

「レネさん。おひさしぶりでーす」

 微笑む彼女に見とれながら部屋に入ると、私はまたびっくりさせられた。彼女と机をはさんで向かいに、水城くんが座っていたから。

「よ」

 何なんだろ。何が始まるんだろう。

「あれ? もしかして竹戸瀬先生と證大寺さん、お知り合い?」

 得居先生が尋ねる。

「そうなんです。父の――」

 父の研究室を出た研究者だった。博士号をとってすぐに研究室を構えるほど超優秀らしいのだけど、そんなことを感じさせない物腰の柔らかさが素敵だ。歳だって私と10くらいしか離れてない。暑気払いとかテニス合宿とか研究室のイベントで何度も顔を合わせていて、私は一方的に姉みたいに慕っていた。

「ああ、なるほど。竹戸瀬先生は證大寺研究室のご出身でしたか。なるほど」

 得居先生はショートヘアの黒髪を揺らし、わざとらしくうなずいた。彼女は名前のわりに数学以外まるで不得意という憎めないキャラで、多くの生徒から慕われていた。それに、私はこの数学教師の「なるほど」が〈正解を知る問題を、わざわざ別ルートで解いて答えを再確認できて快感!〉的な意味だと知っていた。

「それで、レネさん、今日はどうして?」

「あぁ、ほら、月ノ波高校ツキコウ、今年からSSHでしょ? それで、卒業生あてに特別授業のお願いがきたの。さっきまで3年生に授業をしてたのよ」

 彼女が卒業生であることを、私はこのとき初めて知った。地元では、通常「ツキナミ高校」なんて揶揄するから、呼び名で卒業生かどうか分かる。

「SSH?」

 首をかしげる私。得居先生がチラッと目でたしなめる。

「スーパーサイエンスハイスクール。始業式の日に説明しましたけど?」

 私たちのやりとりにレネさんはクスリと笑い、話を続けた。

「それでね、授業するかわりに、高校生に私の研究を手伝ってほしいってお願いしたら、得居先生が協力してくださることになったの」
「研究のお手伝い、ですか」
「そう。月面基地のね」

 どういうこと? 状況の半分も理解できない。ぽかんと口を開けた私を見たレネさんが微笑み、得居先生が証明問題を解くように語りだした。これは長くなりそうだ――私は覚悟した。

「水城さんは理科部の代表として参加します。代わりに、SSH指定校がもらえる国からの援助金を理科部の活動費に上乗せします。あ、当然、部長の霜連さんも承諾済みです」

 なるほど、とモノマネで返したいくらい。

「理科部は活動費ゲットで満足。水城さんは専門家から月面基地について聞けて満足。私もお役所への報告書が書けて満足――」

 こうなると、得居先生の証明マシンガンは手がつけられなくなる。

「竹戸瀬先生のリクエストも満足。校長先生もお喜びに。こんなに全てが上手くいく解、なかなかお目にかかれないですよ」
「――私は、なんで呼ばれたんでしたっけ?」

 完全にヤブヘビだった。

「ほら、證大寺さん進路調査票に『バイトでもして確かめてから』なんて書いてましたよね」
「えっ?」
「でも、本校ではアルバイトは一切禁止。どういうつもりで書かれたんでしょうか?」
「えと、えっと……」

 返す言葉はない。どう考えても、この証明のほころびは見つけられなさそうだ。証明できないことが、すでに証明済み、って感じ。

「竹戸瀬先生のお手伝いなら学校公認です。確かめたいことをお確かめになって、それからまた進路指導室でお会いすることにしましょうか?」

 レネさんは長い人差し指をたてて頬にあてた。何かひらめいた様子だ。

「じゃあさ、今から月に行ってみよっ?」
「はいっ?」
「ねッ」

 圧がすごい。

「得居先生、理科室にVRゴーグルありますよね?」

 見かけによらずガンガン行動するタイプなのかな。まぁ研究者ってのは優秀なだけじゃ生き残れない世界なのかも。

「んええ、ああ、はい」

 私がわけも分からずとりあえず返事をする隣で「興味深いね」とかなんとか言って水城くんもついてきてくれた。彼がレネさんのことを「かぐや姫かよ」なんて言って憧れの目(?)で見ていたので、「なにか裏あるんじゃない」と釘を指しておいた。
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