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第3章「冬」
9.雪雲ビターチョコレート(1)
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私の願いとは裏腹に、放った気球のカプセルは1週間経っても見つからなかった。無線が正常だった間のデータと、最後に受信したビーコン信号の方角から、気球は海に落下したらしい。最悪のシナリオだ。これまでの努力が水の泡になった絶望感に、悔しくて、悔しくて仕方がない。失敗を繰り返しても諦めず、ようやく飛ばすことができた気球が今頃海の藻屑に……そう思うと、胸が張り裂けそうだった。
(私なんかには無理だったんだ。お姉ちゃんですら最後は失敗したのに、自分の無鉄砲さに気づかなかったなんて……本当にバカみたい)
後悔の念が何度も頭をもたげる。でも今さら考えたところで、どうしようもない。
「無理しちゃダメよ。青春は有限なんだから」
「ていうか、それって天文部がやらなきゃいけないこと?」
同級生の何気ない言葉が刺さる。アドバイス通り「宇宙の渚」なんて大それたこと諦めて、もっと手の届く楽しいことに打ち込んでいれば良かったのかもしれない。
(羽合先生とゆっくり過ごす時間も、もっと作れたかもしれなかったのにな……)
理科室で思い出の品々を整理しながら、脳裏をよぎる後悔と格闘していた。無線機のマニュアル、カメラの保証書。今となってはゴミ同然だ。大切にとっておいた発泡スチロールの切れ端も釣り糸の残りも、全部ゴミ箱へ。理科部から借りたリールも返却した。
最後にパラシュートの残骸を片付け終えると、部屋に残ったのは予備の気球とヘリウムガスのボンベだけ。まるで何もかもが消え去ってしまったみたいだ。誰もいない静寂が、孤独感を増幅させた。
「もう諦めるしかないのかな……」
私はため息交じりにつぶやき、窓を開け放った。冷たい冬の空気を思い切り吸い込み、ゆっくりと吐き出す。沈みきった心がほんの少しだけ軽くなったような気がした。
そうして喪失感は日に日に薄れていくものの、新しいことに挑戦するやる気はまだ湧いてこない。それでも、目の前の現実をありのまま受け止めようと思えるようになってきた。「心の整理」ってやつなのかもしれない。
ただ一つ、まだ心の整理がついていないことがあった。
お姉ちゃんのこと。
両親から聞かされていた話はこうだ。お姉ちゃんは急性白血病を発症し、抗がん剤治療でいったんは寛解したかと思われた。だが高校3年の秋、病気が再発してしまう。骨髄移植をすることになったものの、病状は急速に悪化。卒業式からわずか2週間後、お姉ちゃんは帰らぬ人となった―ー。当時の私はおさなすぎて、お姉ちゃんの身に何が起きたのか理解できなかった。
2月14日。お姉ちゃんの誕生日。
家族の希望もあり祥月命日を待たずに七周忌が営まれた。菩提寺で行われた法要には、近くに住む叔父さん叔母さんなどごく限られた親族のほか、友人を代表して月城さんと羽合先生も列席した。
生きていれば今日で24歳になるーー。そんな一言から始まるお父さんの挨拶のあと読経が始まった。もう増えることのない彼女の歳をいつまで数え続けなければいけないのだろうかなんて……自分のそんな思考に嫌悪感を覚えつつ、 私は焼香に向かった。法要の後、一同は梅の名所を望む高台の料亭に場所を移した。
料亭の窓際で親族たちは久しぶりの再会を喜び合った。 私は同い年になったお姉ちゃんの写真を手に取り、窓の外を見やる。「ねぇお姉ちゃん、見て。綺麗でしょ」
満開の梅の花が、冬の澄んだ青空に淡いピンクを散りばめている。見頃を迎えた美しさに、思わず見とれてしまう。一方で羽合先生とは、学校とは違う場所で制服姿で話すのが妙に気恥ずかしい。 私は両親や月城さんとばかり話して過ごした。
親族との歓談もひと段落したころ、お父さんの提案でケーキが運ばれてきた。
「今日は綾の誕生日だからね」
お姉ちゃんが大好きだった洋菓子店の、甘くて大人の味わいのチョコレートケーキ。ささやかな誕生日の祝いに、皆で黙々とケーキを頬張る。コーヒーを飲み終えたころ、お父さんが私を呼び止めた。
「澪、ちょっといいかな。落ち着いて聞いてほしいんだ」
お父さんの真剣な口ぶりに、思わず身が引き締まる思いだった。お父さんはテーブルを囲む親族、そして羽合先生と目配せを交わし、話し始めた。
「そろそろ、真実を話してもいい頃合いだと思ってね」
そう前置きしてから、お父さんは重い口を開く。
「綾は、病気で死んだんじゃない。白血病だったのは、澪、きみなんだよ」
言葉の意味が全くわからなかった。
突然知らされた信じられない衝撃の事実に、 私の思考は完全に麻痺してしまった。
「ーーどういうこと……?」
呆然と周りを見回すが、驚いた様子の人は誰もいない。
「本当に申し訳ない。混乱するよね。こんな大事なこと、君にずっと隠していて……」
お父さんはいつになく優しい口調で私に語りかける。
「白血病だったのは君なんだ。綾はきみの白血病を治すための移植ドナーになって、肺塞栓症で命を落としたんだよ」
「えっ……? 私? お姉ちゃん? えっ、えっ?」
断片的な言葉しか出てこない。現実と記憶がごちゃごちゃに入り乱れ、一体何を信じていいのか分からない。
(私なんかには無理だったんだ。お姉ちゃんですら最後は失敗したのに、自分の無鉄砲さに気づかなかったなんて……本当にバカみたい)
後悔の念が何度も頭をもたげる。でも今さら考えたところで、どうしようもない。
「無理しちゃダメよ。青春は有限なんだから」
「ていうか、それって天文部がやらなきゃいけないこと?」
同級生の何気ない言葉が刺さる。アドバイス通り「宇宙の渚」なんて大それたこと諦めて、もっと手の届く楽しいことに打ち込んでいれば良かったのかもしれない。
(羽合先生とゆっくり過ごす時間も、もっと作れたかもしれなかったのにな……)
理科室で思い出の品々を整理しながら、脳裏をよぎる後悔と格闘していた。無線機のマニュアル、カメラの保証書。今となってはゴミ同然だ。大切にとっておいた発泡スチロールの切れ端も釣り糸の残りも、全部ゴミ箱へ。理科部から借りたリールも返却した。
最後にパラシュートの残骸を片付け終えると、部屋に残ったのは予備の気球とヘリウムガスのボンベだけ。まるで何もかもが消え去ってしまったみたいだ。誰もいない静寂が、孤独感を増幅させた。
「もう諦めるしかないのかな……」
私はため息交じりにつぶやき、窓を開け放った。冷たい冬の空気を思い切り吸い込み、ゆっくりと吐き出す。沈みきった心がほんの少しだけ軽くなったような気がした。
そうして喪失感は日に日に薄れていくものの、新しいことに挑戦するやる気はまだ湧いてこない。それでも、目の前の現実をありのまま受け止めようと思えるようになってきた。「心の整理」ってやつなのかもしれない。
ただ一つ、まだ心の整理がついていないことがあった。
お姉ちゃんのこと。
両親から聞かされていた話はこうだ。お姉ちゃんは急性白血病を発症し、抗がん剤治療でいったんは寛解したかと思われた。だが高校3年の秋、病気が再発してしまう。骨髄移植をすることになったものの、病状は急速に悪化。卒業式からわずか2週間後、お姉ちゃんは帰らぬ人となった―ー。当時の私はおさなすぎて、お姉ちゃんの身に何が起きたのか理解できなかった。
2月14日。お姉ちゃんの誕生日。
家族の希望もあり祥月命日を待たずに七周忌が営まれた。菩提寺で行われた法要には、近くに住む叔父さん叔母さんなどごく限られた親族のほか、友人を代表して月城さんと羽合先生も列席した。
生きていれば今日で24歳になるーー。そんな一言から始まるお父さんの挨拶のあと読経が始まった。もう増えることのない彼女の歳をいつまで数え続けなければいけないのだろうかなんて……自分のそんな思考に嫌悪感を覚えつつ、 私は焼香に向かった。法要の後、一同は梅の名所を望む高台の料亭に場所を移した。
料亭の窓際で親族たちは久しぶりの再会を喜び合った。 私は同い年になったお姉ちゃんの写真を手に取り、窓の外を見やる。「ねぇお姉ちゃん、見て。綺麗でしょ」
満開の梅の花が、冬の澄んだ青空に淡いピンクを散りばめている。見頃を迎えた美しさに、思わず見とれてしまう。一方で羽合先生とは、学校とは違う場所で制服姿で話すのが妙に気恥ずかしい。 私は両親や月城さんとばかり話して過ごした。
親族との歓談もひと段落したころ、お父さんの提案でケーキが運ばれてきた。
「今日は綾の誕生日だからね」
お姉ちゃんが大好きだった洋菓子店の、甘くて大人の味わいのチョコレートケーキ。ささやかな誕生日の祝いに、皆で黙々とケーキを頬張る。コーヒーを飲み終えたころ、お父さんが私を呼び止めた。
「澪、ちょっといいかな。落ち着いて聞いてほしいんだ」
お父さんの真剣な口ぶりに、思わず身が引き締まる思いだった。お父さんはテーブルを囲む親族、そして羽合先生と目配せを交わし、話し始めた。
「そろそろ、真実を話してもいい頃合いだと思ってね」
そう前置きしてから、お父さんは重い口を開く。
「綾は、病気で死んだんじゃない。白血病だったのは、澪、きみなんだよ」
言葉の意味が全くわからなかった。
突然知らされた信じられない衝撃の事実に、 私の思考は完全に麻痺してしまった。
「ーーどういうこと……?」
呆然と周りを見回すが、驚いた様子の人は誰もいない。
「本当に申し訳ない。混乱するよね。こんな大事なこと、君にずっと隠していて……」
お父さんはいつになく優しい口調で私に語りかける。
「白血病だったのは君なんだ。綾はきみの白血病を治すための移植ドナーになって、肺塞栓症で命を落としたんだよ」
「えっ……? 私? お姉ちゃん? えっ、えっ?」
断片的な言葉しか出てこない。現実と記憶がごちゃごちゃに入り乱れ、一体何を信じていいのか分からない。
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