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第九章 おやくめ
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しおりを挟む鳴黒村にある鬼の敷石の前に立ち、私は後藤さんの血が入った小瓶を握り締めていた。
そのままの体勢でずっと動かない私を三人は黙って後ろで見ている。
今、私の中にいる鈴白はどうしても鬼の敷石にいる元自分のお付きの女の子に蔵人を会わせたく無いらしく、私にずっと語り掛けている。
彼女にはもう私を動かす術がないので語り掛けてくるだけなのだが、無駄に精神がリンクしているものだから、それはもうダイレクトに心に伝わってくる。
鈴白の気持ちが解らない訳じゃない。
私だってこの隠に玉彦が惑わされたと聞いて良い気分にはならなかったのは確かである。
でも、だからってこの隠だけこのままってことにはならない。
「上守……?」
痺れを切らした豹馬くんが私の顔を覗き込んで、身体を一瞬ビクつかせた。
視える彼には私と鈴白が重なって視えていた。
「追い出すか? どうする?」
「追い出しちゃ、だめ。そんなことしたら蔵人と一緒に送ってあげることが出来なくなる……」
「じゃあ、どうすんだよ」
やるしかないんだけど、鈴白がずっと私の中でやめてと叫ぶ。
こんなに叫ばれていたら、集中できない。
「くっ、蔵人!」
私は苦し紛れに彼を呼び、正面に来てもらった。
途端に鈴白が大人しくなる。
蔵人は不思議そうに私を見て首を傾げる。
「あの、お願いがあるんだけど」
「あぁ、構わないが」
「この中の隠を送るまで私の手を握っていてくれない?」
たぶんこの場に玉彦がいたら問答無用で却下するような事を口にする。
でも鈴白を大人しくさせておくには、これしかないのだ。
あとで面倒が起きない様に豹馬くんに口止めをしておかなくては。
私にお願いされた蔵人は自分の右手のひらを見た後、こちらに差し出した。
「変なお願いしてごめんなさい……」
「なにか意味があるのか?」
鈴白が中の隠に嫉妬しているから、と、この鈍感な蔵人に言いたいけれど鈴白はそれも止めてと泣きそうになっている。
正直、泣きたいのはこちらだ。
「あー、うん。あるよ」
鈴白を大人しくさせておくっていう意味が。
理由を話さない私に蔵人はそれ以上尋ねてこなかった。
とにかく全面的に私を信用すると決めているようで、助かる。
そして私は考える。
このまま隠を解放すれば、蔵人と雪之丞さんが説得をしてくれるのだが、彼女は真っ直ぐに蔵人に飛んでくるだろう。
そうなると説得に応じたとしても、鈴白が煩すぎて私が彼女の中に入られないかもしれない。
なので私は強硬手段に出ることにした。
「豹馬くん、ちょっと小瓶の役を代わってくれる? それと蔵人と雪之丞さん、目を閉じていてほしいの。豹馬くんもね」
三人は訝し気に私を見る。
「あのね、前に私この中の隠に会ったことがあるの。だから、その。身に付けているものがね、ボロボロなわけ。女の子としてはそんなの男の人に見られたくないだろうと私は思うわけよ」
私の言い分に、三人はそんなこと思い至らなかったと感心して目を閉じる。
「豹馬くんまで今閉じてどうすんの! 小瓶の中身を振り掛けてからにしてよ」
そうして小瓶の中身を振り掛けられた私と同じ高さの鬼の敷石はゆっくりと入り口が開いてゆき、隠が出てくる。
私の黒いキャミソールを大事そうに抱えて、辺りを見渡して蔵人を見つければ駆け寄ってくるけれど、その隣に手を繋いだ私がいることに気が付いて、足を止め睨んできた。
その視線は恋する乙女の嫉妬と怒りに溢れていた。
ここに鈴白の姿かたちがあれば、彼女はその気持ちを悟られない様に隠していたと思う。
だって蔵人は自分の主人のお相手だもの。
でもいま私の中にいる鈴白を彼女は見ることが出来ない。
こちらを睨み付けてくれているのは、私にとって好都合だ。
これ幸いと、説得を試みる前にさっさと中に入ってしまう。
彼女の世界は夕陽色だった。
そしてやっぱりぽつんと一人佇んでいた彼女を見つけ、私は声を掛けた。
「こんばんは」
彼女は現実の世界と同じように私を睨み付けたまま動かない。
でもそれでは埒が明かないので、こちらから歩み寄る。
逃げられたら追い掛けなくちゃだけど、この世界ってどれくらいの広さなんだろ。
しかし心配をよそに彼女は逃げることはせずにいてくれた。
「ちょっと、いいかな?」
私は出来るだけゆっくりと優しく、今の状況やこれからの話を彼女に説明をする。
最初は聞こえているのか不安だったけれど、久吉が先に送られたと知ると彼女は口を震わせた。
「次は貴女の番。久吉が先に待ってるし、寂しくはないよ。それに先に行って、その格好綺麗にして蔵人が上がるのを待っていた方が良いと思うよ」
私がそう言えば、彼女は自分の着ているものの裾を握り締めた。
女の子だもんね。
好きな人の前では可愛い姿でいたいよね。
「どうする? 私じゃなくてどうしても蔵人から話を聞きたいなら戻るよ。でもあの姿じゃ……。今は目を閉じていてもらってるけど、流石に話をするとなると……」
私が確信犯的に誘導すれば、彼女はおずおずと頭を下げる。
「さきにゆきます……」
「じゃ、手を貸して。あとは私に任せといて!」
自信ありげに胸を叩くと、彼女はようやく態度を軟化させて微笑んだ。
この世界で徐々に彼女の姿が隠から元の姿へと変わっていく。
青白かった肌は、白く透き通る様に。
バサバサだった髪は、艶やかに長く。
人間だった頃の彼女は、さぞかし美しかったのだろう。
鈴白が蔵人に会わすのを嫌がった理由が良く解かる。
柔らかな手を握り上方を見上げると、もう既に久吉と岸本先生が迎えに来ていた。
一度上がる道が出来れば、先に上がった誰かが迎えに来やすいのかもしれない。
私が最初に送り出したのが面倒見の良い岸本先生で本当に良かった。
ゆっくりと彼女の手を上に離せば、浮上して二人と合流した。
久吉が嬉しそうにその周りをぐるぐると飛んでいる。
「次、何かよくわかんないけど! 暴れん坊の双子、送るから!」
私が下から大声を出して手を振れば、彼女は腕まくりをして私がしたようにトンと胸を叩いた。
これでようやく二人目。
私は大きく柏手を打った。
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