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第八章 ろくおぬ
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しおりを挟む何度も訪れた正武家の当主の間。
畳に擦りつけるように低頭して、面々が揃うのを私は待っている。
その時が来れば澄彦さんからお声が掛かる。
指先は冷たくなり、この場に私の味方は誰も居ないと考えれば身が竦んだ。
いや、味方は一人だけいる。
私の中で小さく震える鈴白。
頼り無くて儚いけど。
衣擦れや足音がして、全ての動きが止まりようやく場が整った。
「上げよ。……神守の者」
澄彦さんが置いた一拍に玉彦と同じ戸惑いを感じながらも、私は姿勢を正した。
正面に澄彦さんを真っ直ぐに見据える。
「蔵人との接触があったと次代から聞いている。……して、願いとは」
「本殿にある蔵人の左腕を私に下さい」
「なぜだ」
「蔵人に必要だからです」
「それは蔵人を元の姿に戻し、共に去る。ということか」
ただただ静かな澄彦さんの問い掛けに、諦め感が漂った。
何かを勘違いされていると思って、周囲を見れば皆一様に視線を伏せていた。
え、ちょっと、待ってよ。
「違います!」
私は腰を浮かせて必死の思いで否定した。
確かに蔵人と鈴白を去らせるつもりではいるけれど、私が去るつもりなんてサラサラないのだ。
「ではなぜ左腕が必要なのだ」
「それは、六隠廻りをする為です」
「もしやまた華隠が」
「違います!」
語気を強めた私に、澄彦さんが少しだけ身を引いた。
私は大きく息を吐き出して、吸い込む。
「神守の者として、六隠廻りをし、鬼の敷石に封じられている隠を送ります」
「それは一体……?」
「隠の蔵人を連れ、五隠に対峙します。私の身を護るのは蔵人です。左腕が無くてはいざという時に困ります」
「そこはかとなくではあるが、読めてきた。面白いことを考える」
澄彦さんは手にしていた黒い扇で口元を隠して、含み笑いをする。
続きをと促され、私は再び誤解を招かない様に鈴白と頑張って練った計画を説明すれば、当主の間に一瞬静寂が訪れた。
澄彦さんが自分の掌に畳んだ扇を考えるように何度も打ち付ける音だけが響く。
一定のリズムで刻まれていた音が止み、澄彦さんは彼の左手側に無表情で真っ直ぐ前だけをみていた玉彦に声を掛けた。
「どう思う? 次代」
玉彦は一瞬私を流し見てから、澄彦さんに向かった。
「あまりにも未熟。それだけです」
ばっさりと切られた私は首が項垂れた。
そうでしょうとも。
まだ神守の眼で送り出したのは岸本先生だけ。
幼い時からお役目を任されていた玉彦と比べたら、象とミジンコだ。
でもミジンコだって、意地はある。
「という訳で、却下だ。神守の者。正武家としてその送りは了承できかねる」
「でも……!」
蔵人と約束をしたのだ。
絶対にどうにかするって。
悪いようにはしないって。
彼は私を信じるとさえ言ってくれたのだ。
「反論は赦さず」
言い放たれた澄彦さんの言葉には正武家の意思がある。
この五村の地で連綿とする絶対のしきたり。
この地は正武家の統治する鎮めの場。
逆らうことは赦されない。
でも私は知ってしまったのだ。
蔵人の言葉を切っ掛けに、正武家が絶対ではない時もあると。
当主の間へと赴く前に、私は地下の書庫へと立ち寄り隠が封じられた時代の物を素早く読んだ。
相変わらず訳の分かんない達筆な文字ばかりだったけど、その中に神守の巫女の記述があった。
私はこの言葉が正解なのか自信が持てないまま口にした。
かの時代の神守の巫女が正武家に発言した内容そのままに。
「正武家当主に進言する。これは同じ帝の命を賜った神守の意思である。正武家は神守の上に在らず。ゆえに従うことを一蹴する。同時に正武家当主に乞う。この度の件、神守に尽力せよ」
遠い昔。
正武家は時の帝の命でこの鈴白に根を張った。
その時に御門森などの彼らに付き従う一族も共にやって来た。
けれど神守だけは違ったのだ。
神守の眼について竹婆が語っていたこと。
そこに神守の本来の在り方があった。
『鈴白へ呼ばれた『神守』の者は、帝よりの信任厚く、正武家の為に尽力する様にと仰せつかった』
そう、神守は正武家の付き人ではない。
帝から正武家の力になれと命を受けて、鈴白へと来た。
だから、正武家のお役目に関して発言を許されていた。
あくまでも神守は帝の命により正武家に尽力しているのであって、不服とあらば逆らう。
それは正武家を暴走させないストッパーの役割もあった。
けれど時代を重ねるうちに曖昧になって、正武家はいつの間にか神守の上にあると皆が思い違いをしてしまった。
だから能力が無くなった神守の任を正武家が解いたことになっていたけれど、この五村の地は正しい認識のもと、神守をお父さんの代から復活させた。
この地が正武家の『いずれ訪れるその時』に神守が必要であると判断したから。
私が言い放った言葉の裏の裏にある意味を、澄彦さんはどこまで汲み取ってくれただろうか。
お屋敷の書庫にあるものは、澄彦さんも玉彦も一通り読んではいるはずだ。
そこにある神守の記述に対して、少しくらい違和感を持たなかっただろうか。
たとえもう任を解いてしまった一族のことだとしても。
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