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第二章 せんれい
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テンパる私をよそに、あれだけ激しかったノックとドアノブを回す音が止まった。
こういう時ってさ、上を見たら覗いてたってパターンだよね……。
なので敢えて下を向く。
ゆっくりと。
ナメクジが床を這うような遅さで。
トイレのドアの下の隙間から、灰色のひび割れた皮膚に血が滲んだ指先が。
手の甲が見えて、私の足の方へと。
私は音を立てて蓋を閉めていた洋式の便器の上に尻餅をつくように倒れ込んだ。
その拍子に視線は上を向いてしまって。
あれだけ見ないようにしていたのに!
ドアの上から覗く、顔半分。
鼻から上のパターンじゃなく、縦に半分。
頭を横にしてるけど、傾げているはずの首は直角90度。
あり得ない角度で生首が横になっている。
男か女かもわかんない。
だって髪の毛ないし、肌は灰色ひび割れて、虚ろな目には白目が無く真っ黒で。
ニヤリと口角を上げた口も灰色で。
前歯がない口腔内の肉色だけが目に焼き付く。
「無理ーーーーーーっ!!」
私は素早く鍵を開けて、ドアを蹴り上げると外に飛び出し、手も洗わないまま走った。
怖くて後ろを振り向けない。
生首が浮かんで追いかけてきているんだろうか。
手はあったけど、足あんの!?
廊下を走り、角を横滑りしながら曲がれば、休憩時間で廊下に出てくる豹馬くん。
私は彼目掛けてスピードを落とさずに体当たりする。
「ぐあっ。上守……貴様」
少しよろめいただけで持ち堪えた豹馬くんは私を睨み付ける。
「ひょっ、ひょっ! 出た! 出た!」
「オレにそんな報告すんなよ……」
「ちがっ、出た!」
走ってきた廊下の先を指差せば、そちらを見て豹馬くんは呆れたように私の頭を軽く叩いた。
そこは何もない普通の廊下。
アイツは私を追い掛けて来なかったんだろうか。
豹馬くんに縋り付く手が小刻みに震える。
でも私は視たんだ。
確かに、視たんだ。
「上守?」
流石に豹馬くんもおかしいと感じたらしく、私の顔を覗き込んだ。
視線を合わそうとしても視界が揺れる。
「おい、大丈夫か。隠でもいたのか」
蔵人だったらまだ話が出来るよ!
さっきのアイツはそんなんじゃない。
わかんないけど、そんなんじゃない。
「うっ……」
今さら豹馬くんを掴む手が温かくて、安心して、さっきは出てこなかった涙が零れる。
こ、怖かった……。
「何かいたのか?」
コクコクと首振り人形のように頷けば、豹馬くんは私を置いて廊下の先へ行こうとする。
私はとっさに彼のシャツを引っ張った。
「一人にしないで……」
「マジかよ……。おい、須藤!」
豹馬くんは教室の中から泣いている私が見えないように背中を仰け反らせて、渡辺くんと話していた須藤くんを呼び出した。
彼はすぐに返事をして、こちらへ来ると私を見てティッシュでごしごしと涙を拭ってくれた。
地味に痛いです。
「え、玉彦様とまた?」
須藤くんってやっぱりちょっとズレてる。
「上守見てて。オレちょっと行ってくる」
須藤くんがどこにと聞く前に、豹馬くんが廊下を走りだす。
そして彼は廊下の角を曲がる前にその先を見て、先ほどの私のように全速力で戻ってきた。
「おい、上守! あれは何だ!?」
「え? なに? なんかいるの?」
戻ってきた豹馬くんと入れ違いで須藤くんが廊下を見に行く。
そして角を曲がらずに、こちらを振り向く。
「何もいないよー?」
「須藤くん、足!」
「走れ、須藤! 馬鹿!」
訳も解らずに走り出した須藤くんの足があったところに、一拍遅れて灰色の腕が空を切った。
のそりのそりと匍匐前進をしながら、徐々に姿を現したそれは、上半身しかなかった。
零れ出た内臓に尾を引かせ、こちらへと来る。
駆け寄ってきた須藤くんの無事を確かめるように彼の二の腕を掴む。
「なにも……。え?」
振り向いた須藤くんは身体を強張らせる。
普通の須藤くんには視えなくて、私が彼に触れたら視えるもの。
御倉神を視ることの出来る豹馬くんが視えるもの。
それはもう正武家のお役目の領分だった。
「玉様を呼べ、須藤!」
教室に入り、須藤くんは理由を告げる間もなく玉彦を引っ張ってくる。
「……」
不機嫌そうな玉彦は、私たちを前にして眉をひそめた。
廊下で雁首揃えて何をしているとでも言いたげだった。
そんな彼に三人揃って這い寄るものを指差せば、玉彦は無言でそちらへ視線を投げてこちらに戻す。
「くだらん遊びには付き合わぬ」
玉彦はそういうと教室へと戻ろうとする。
まさか、視えてない?
澄彦さんもそうだった。
縁の深い御倉神を視るときでさえ、私が触れていないと視えない。
注連縄で囲わなくては他の人に視認できなかった隠の蔵人は、一度認識してしまえば視ることは出来ていたのに。
これっていったいどういう事なの?
こういう時ってさ、上を見たら覗いてたってパターンだよね……。
なので敢えて下を向く。
ゆっくりと。
ナメクジが床を這うような遅さで。
トイレのドアの下の隙間から、灰色のひび割れた皮膚に血が滲んだ指先が。
手の甲が見えて、私の足の方へと。
私は音を立てて蓋を閉めていた洋式の便器の上に尻餅をつくように倒れ込んだ。
その拍子に視線は上を向いてしまって。
あれだけ見ないようにしていたのに!
ドアの上から覗く、顔半分。
鼻から上のパターンじゃなく、縦に半分。
頭を横にしてるけど、傾げているはずの首は直角90度。
あり得ない角度で生首が横になっている。
男か女かもわかんない。
だって髪の毛ないし、肌は灰色ひび割れて、虚ろな目には白目が無く真っ黒で。
ニヤリと口角を上げた口も灰色で。
前歯がない口腔内の肉色だけが目に焼き付く。
「無理ーーーーーーっ!!」
私は素早く鍵を開けて、ドアを蹴り上げると外に飛び出し、手も洗わないまま走った。
怖くて後ろを振り向けない。
生首が浮かんで追いかけてきているんだろうか。
手はあったけど、足あんの!?
廊下を走り、角を横滑りしながら曲がれば、休憩時間で廊下に出てくる豹馬くん。
私は彼目掛けてスピードを落とさずに体当たりする。
「ぐあっ。上守……貴様」
少しよろめいただけで持ち堪えた豹馬くんは私を睨み付ける。
「ひょっ、ひょっ! 出た! 出た!」
「オレにそんな報告すんなよ……」
「ちがっ、出た!」
走ってきた廊下の先を指差せば、そちらを見て豹馬くんは呆れたように私の頭を軽く叩いた。
そこは何もない普通の廊下。
アイツは私を追い掛けて来なかったんだろうか。
豹馬くんに縋り付く手が小刻みに震える。
でも私は視たんだ。
確かに、視たんだ。
「上守?」
流石に豹馬くんもおかしいと感じたらしく、私の顔を覗き込んだ。
視線を合わそうとしても視界が揺れる。
「おい、大丈夫か。隠でもいたのか」
蔵人だったらまだ話が出来るよ!
さっきのアイツはそんなんじゃない。
わかんないけど、そんなんじゃない。
「うっ……」
今さら豹馬くんを掴む手が温かくて、安心して、さっきは出てこなかった涙が零れる。
こ、怖かった……。
「何かいたのか?」
コクコクと首振り人形のように頷けば、豹馬くんは私を置いて廊下の先へ行こうとする。
私はとっさに彼のシャツを引っ張った。
「一人にしないで……」
「マジかよ……。おい、須藤!」
豹馬くんは教室の中から泣いている私が見えないように背中を仰け反らせて、渡辺くんと話していた須藤くんを呼び出した。
彼はすぐに返事をして、こちらへ来ると私を見てティッシュでごしごしと涙を拭ってくれた。
地味に痛いです。
「え、玉彦様とまた?」
須藤くんってやっぱりちょっとズレてる。
「上守見てて。オレちょっと行ってくる」
須藤くんがどこにと聞く前に、豹馬くんが廊下を走りだす。
そして彼は廊下の角を曲がる前にその先を見て、先ほどの私のように全速力で戻ってきた。
「おい、上守! あれは何だ!?」
「え? なに? なんかいるの?」
戻ってきた豹馬くんと入れ違いで須藤くんが廊下を見に行く。
そして角を曲がらずに、こちらを振り向く。
「何もいないよー?」
「須藤くん、足!」
「走れ、須藤! 馬鹿!」
訳も解らずに走り出した須藤くんの足があったところに、一拍遅れて灰色の腕が空を切った。
のそりのそりと匍匐前進をしながら、徐々に姿を現したそれは、上半身しかなかった。
零れ出た内臓に尾を引かせ、こちらへと来る。
駆け寄ってきた須藤くんの無事を確かめるように彼の二の腕を掴む。
「なにも……。え?」
振り向いた須藤くんは身体を強張らせる。
普通の須藤くんには視えなくて、私が彼に触れたら視えるもの。
御倉神を視ることの出来る豹馬くんが視えるもの。
それはもう正武家のお役目の領分だった。
「玉様を呼べ、須藤!」
教室に入り、須藤くんは理由を告げる間もなく玉彦を引っ張ってくる。
「……」
不機嫌そうな玉彦は、私たちを前にして眉をひそめた。
廊下で雁首揃えて何をしているとでも言いたげだった。
そんな彼に三人揃って這い寄るものを指差せば、玉彦は無言でそちらへ視線を投げてこちらに戻す。
「くだらん遊びには付き合わぬ」
玉彦はそういうと教室へと戻ろうとする。
まさか、視えてない?
澄彦さんもそうだった。
縁の深い御倉神を視るときでさえ、私が触れていないと視えない。
注連縄で囲わなくては他の人に視認できなかった隠の蔵人は、一度認識してしまえば視ることは出来ていたのに。
これっていったいどういう事なの?
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