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第二章 くらやみ
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しおりを挟む私は指先が震えながらも、目を逸らすことが出来なかった。
だって双眼鏡越しなのに、明らかにそれはこっちを見ていて、目が合ってしまっている。
どれくらいの時間だったのか。
酷く長い時間だったようにも思うし、短かったのかもしれない。
裸の黒い異形な子供は、目を見開いてずっと私を見て動かない。
そして次の瞬間、ボロボロの歯を覗かせて大きな口で笑うと四つん這いになり。
顔はこちらに向けたまま、ものすごい勢いで這い寄ってきた。
真っ直ぐ、家に向かって。
私は双眼鏡を手から落とすと、慌ててカーテンを閉めた。
なにあれなにあれなにあれ!
逃げよう!
とにかく下へ行って、お祖父ちゃんに……!
後ずさりして窓から離れた。
バンバンバンバンバンバンバンバン!
それに合わせたかのように、外から私がいる二階の窓が叩かれる。
ガラスが割れてしまうくらい強く、連続で。
中に入れろというように。
アイツだ。アイツが家まで来ちゃったんだ!
私は急いで部屋を出て、階段を転がるように降りた。
茶の間に駆け込むと、みんなテレビを見ていたけど、何事かという様に私の部屋がある辺りの天井を見上げていた。
窓を叩く音は、まだ続いていて、みんなにも聞こえていた。
「なんだ、あの音は」
お祖父ちゃんはよっこらせと立って、二階へ行こうと私の横を通り過ぎようとする。
私はお祖父ちゃんの腕にしがみついた。
「ダメ! ダメだよ! 昨日のアイツが来ちゃったんだよ!」
「アイツって誰だ」
「そんなの知らないよ! でも危ないよ!」
叔父さんも立ち上がり、私のところへ来ると、昨日言ってた子供かと確認してくる。
何度も頷き肯定すると、叔父さんの顔色が変わる。
そしてお祖父ちゃんに何かを言いかけた時、二階の窓を叩く音が一瞬止んで、今度は茶の間の縁側の窓が激しく叩かれ始めた。
私を追い掛けて一階に来たんだろうか。
「うるさいわねぇ。誰か急ぎで訪ねてきたんじゃないですか?」
窓の近くにいた夏子さんが座ったままカーテンに手を伸ばす。
急ぎで訪ねてきて二階の窓なんて叩くと思う!?
普通ピンポン連打でしょ!
じゃなくて!
「開けちゃダメ!」
「夏子!」
叔父さんと私が叫んだのは同時だった。
そして夏子さんがカーテンを捲ったのも。
その時音はなぜか止んでいて。
理由はソイツが窓にへばりついていたからだった。
裸の子供。黒ずんでいて、栄養失調の様にお腹だけ膨れて手足は鳥の骨くらいに細い。
目だけは爛々としていて、私をずっと見ている。
「うぎゃああああああああああ!!」
夏子さんとお祖母ちゃんが耳をつんざく声を上げた。
叔父さんは物凄い速さで夏子さんを窓から引き摺り離し、お祖母ちゃんは腰が抜けて這いながら私たちの方へ。
「九児か!」
お祖父ちゃんがそう言うと、ソイツはまるでそうだとでもいうかの様に笑って、今度は窓を叩くのではなく、ガラスに体当たりを始める。
あの小さな体にどうしてあんなに力があるんだろうというくらいの強さだった。
「なんで九児が家に……。夏子の子はまだ生まれてないのに」
お祖母ちゃんは立ち竦む私の足を引っ張り座らせると、そう呟いた。
「あれ何なの。ガラス割れちゃうよ!」
九児と呼ばれたアレが体当たりするたび、私の身体は急激に冷えて震え出した。
ただ一つ、玉彦の御札が入っている封筒を握っていた手を除いて。
私はゆっくりと封筒の中から御札を取り出すと、みんなの視線を集めた御札は下半分が煤けたように黒くなっていた。
もしかしてこれが、九児を家に入らせないようにしている?
九児が体当たりするたび御札が目の前で黒くなっていく。
徐々に徐々に。
この御札が真っ黒になってしまったら、あの窓のガラスが割れてしまうだろうことはみんな感じていた。
「どうすればいいんだ?」
叔父さんは棒立ちになったお祖父ちゃんの身体を揺する。
それでお祖父ちゃんは我に返って、頭を振った。
「九児は玄関先にある子供の捨て名の和紙を口に含んですぐに居なくなると言われとる」
「九児って何なんですか!?」
夏子さんはお腹を抱えて中の赤ちゃんを守る体勢になっている。
「昔、口減らしの時に山に捨てられたこの村の子供らだと言われとる。時折山から下りてきて子供のおる家に一度だけ現れるんだが、そういう家には玄関先に子供の捨て名を半紙に書いて吊るしておく。そしたら九児はその紙を口に入れて、食べたつもりなんじゃろうなぁ、それで山に帰っていくんだが……。夏子の子はまだ生まれんし、比和子は子供じゃが村の子じゃないし、なんで家に……」
お祖父ちゃんの説明の間でも、ずっと九児は私を見ながら、体当たりをしていた。
アイツは夏子さんの赤ちゃんじゃなく、間違いなく私を狙ってきている。
このまま窓が割れて、私はアイツに捕まって、食べられてしまうんだろうか。
御札を握る手に力がこもる。
「追い払う方法は!?」
叔父さんがお祖父ちゃんに詰め寄ると、お祖父ちゃんは再び頭を振った。
「聞いたことも無い。子供が生まれたらすぐに捨て名を玄関に吊るす。吊るさなかった家なんぞ、聞いたことも無い」
「じゃあどうすれば!」
「わからん、わからん……!」
悔しそうにお祖父ちゃんは言葉を吐き出すと、私の御札に目をやる。
もう御札は残り一センチしか白い部分を残していなかった。
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