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第一章 たまひこ
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しおりを挟む「叔父さん、私……」
何かとんでもないことをしてしまったのだろうか。
お母さんが言っていた「しきたり」の何かを破ったのだろうか。
石段を上るのはアウトってお祖父ちゃん、言ってたっけ?
それともその先にある玉彦のお屋敷が、川下さんのお屋敷のようにアウト物件だったのだろうか。
縁側の淵に座り、煙草を吸っていた叔父さんの横に座ると、叔父さんの大きな手が頭にポンッと乗せられた。
「大丈夫。玉彦様は、この村の惣領息子様だ。悪いようには絶対ならないよ」
「そうりょうむすこ?」
さっきからずっと気になっていた。
みんな玉彦のことを様を付けて呼ぶ。
「惣領息子様は、この辺り一帯を治める家の跡取り様ってこと」
「村長さんの孫なの?」
「うーん。村長さんは選挙で決まるだろう?」
叔父さんは何とか私が理解できるレベルまで話を分かりやすくするため、頭を捻る。
「玉彦様の家は、そんな制度が出来るずっと昔からこの土地を治めているんだ」
「じゃあこの辺全部、玉彦の家の土地なの?」
玉彦を呼び捨てにした私に少し叔父さんはギョッとして、辺りを見渡す。
「比和子ちゃんは玉彦様に会った時、そういう呼び方をして何も無かった?」
「え、ないよ。アイツ、私のことお前とか言うし」
「そうか……」
叔父さんはちょっと安心したように笑って、夜空に浮かぶ月を仰ぎ見た。
「比和子ちゃんは、やっぱり兄貴の娘なんだなぁ」
「それってどういう……」
その時、垣根の向こうからお祖父ちゃんたちを乗せた車のエンジンの音が聞こえてきた。
車のライトが駐車場を照らすと、鶏の羽ばたく音がする。
そしてもう一台。後ろから赤い軽自動車が入ってくる。
叔父さんに話の続きを聞こうと口を開く前に、軽自動車から村長さんが飛び出し、縁側に腰かけていた私の前に小走りで駆けてきた。
村長さんの奥さんも大きな包みを持って後を追う。
「表門より玉彦様に会うたというのは本当か!」
「あ、はい」
何だか大事になってきたなと不安に思っていると、隣にいた叔父さんが私の肩に優しく触れる。
大丈夫だよって言ってくれているみたいだった。
「それで、それで玉彦様はなんと」
村長さんは意気込み、私との距離を詰めもう目の前に居る。
「明日遊びに来いって」
「っはぁ~……」
村長さんは腰が抜けたのかその場にへたり込んだ。
そこでようやくお祖父ちゃんたちがこちらにやって来た。
「比和子、明日玉彦様のところへ行く時にこれを着て行くんだ」
そう言ってお祖父ちゃんは村長さんの奥さんが持っている紫色の風呂敷を広げる。
そこから顔を覗かせたのは、金色の花の刺繍が施されている赤い着物だった。
一瞬頭に浮かんだのは、そんなもの着てあの石段を裾を捲りながら汗だくで攻略する私の姿だ。
「嫌だよ!」
無理無理!
着物なんて着たことないし、帯でお腹を締められてたらプリンが美味しくなくなりそうだ。
「玉彦様に失礼があっちゃいかん!」
村長さんが私を叱りつけるような大声を上げる。
お祖父ちゃんも後ろで頷いている。
お祖母ちゃんなんか胸の前で手を合わせていた。
そんな状況を打開してくれたのは、叔父さんの一言だった。
「普通で、良いんじゃないかな?」
「光次朗!」
お祖母ちゃんは非難するように叔父さんの名を口にする。
それでも叔父さんは一歩も引かなかった。
「今日、玉彦様に何か言われた?」
「ううん」
「じゃあ普段通りで良いんじゃないか? 兄貴の時みたく」
お父さんの時?
お祖父ちゃんたちは、うーんと唸って、そのまま話し合いを始める。
「夏子、比和子ちゃんを中に。君も、もう休め」
叔父さんに促されて家の中に入ると、玄関から夏子さんが戻ってきて一緒に二階に上がる。
「今どきお出掛けで着物はないわよねぇ。せめて可愛いワンピースとかなら分かるけど」
車のキーを指先でクルクル回して夏子さんは笑う。
ちょっとずれた夏子さんの言い分に、プリンを食べに行くだけでお出掛けって、と心の中で突っ込みつつ、私はお父さんの部屋の襖を開いた。
こうして私の長いけれど、あっという間の夏休みは始まった。
私はきっと、この田舎で過ごした夏休みを一生忘れない。
玉彦と過ごしたこの時間を。
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