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玉彦のこころ

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「比和子様。本日のお役目、お疲れ様でございました」

 離れを出る私に、松さんと那奈が恭しく頭を下げた。
 私は軽く頷くと外廊下を歩いて母屋へと帰る。
 一人だけになってしまった部屋で着替えをして、台所の須藤くんに本殿にいると伝えて外に出る。
 玉彦の紺地の羽織を肩に掛け、ブーツで庭の雪を踏みしめる。
 キュッと音を立てる雪が教えてくれるのは、今日がすごく寒いということ。

 玉彦が眠る本殿は無駄に広くて暖房が効きにくい。
 あとで多門にお願いして掛け布団を追加してもらった方が良いだろうか。

 空を見上げると粉雪が降り始めた。

 いつも神守の眼から目覚めるとき、私が一番最後に遅れて目覚めていたのに、私が目覚めても玉彦は眠り続けていた。
 もう二週間にもなる。
 呼吸もしているし寄り添えば身体だって温かいのに、そこに彼はいなかった。

 本殿の中に入ると、祭壇へ頭を向けて玉彦が眠っている。
 ここへ来るたびに思う。
 お葬式みたいだなって。
 本殿内には電気が引かれていないので、壁際や祭壇にいくつもの蝋燭の灯が揺らめく。
 窓もないので日中なのに薄暗い。
 私は玉彦の横に座り、彼の頬を撫でた。
 唇に触れて睫毛を擽っても反応はない。
 形の良い鼻に掌を翳すと呼吸しているのだけがわかる。

 いつになったら目覚めるんだろう。

 私が昏昏と眠り続けていたときには、二か月程で目覚めた。
 玉彦が呼びに来てくれて戻ると決めてから十日も時間が掛かった。
 だから二週間ほどのズレならまだ許容範囲なのかもしれない。

 そうは言っても、やはりこの状況は悲しく辛いものだ。
 生きているのにここに居ない。
 澄彦さんはお互いが拠りどころであると定めればどんな形であれ玉彦は私の元へと帰ると前に言ったけど、身体だけあっても帰ったことにはならない。
 心がないと帰ったことにはならないんだよ、玉彦……。

「乙女」

 私の隣に紺色の着流し姿の御倉神が現れて腰を下ろした。
 彼はあれ以来、学生服の少年の姿をとることはなく青年の姿で私に会いに来ていた。
 南天さんの話では私たちが眠り始めた翌日から御倉神は本殿でずっと私たちを見守り続けていたそうだ。
 あれだけの怪我をしたのに翌日には回復してるって凄いことだと思う。

「御倉神……」

「まだ揺蕩っておるのだな」

「うん……」

「乙女がこうなったときも次代は同じようにしていた。けれどこやつにはわたしの姿が見えぬ故、苦労させられた」

「そうなの?」

「こちらがいくら声掛けようとも石の様になっておった。仕方ないので揚げを呼んだのだ」

「揚げを呼んでどうすんのよ」

 言ってから思い当たって思わず小さく笑ってしまった。
 御倉神がいう揚げとは南天さんのことだろう。
 いつも揚げを用意してくれる人間だから、彼の中では揚げの人なんだろう。

「そっか。それで九条さんが引っ張り出されて皆で私の世界に入って来たのね」

「うむ。だがこやつの場合は乙女とは違うようで何んとも出来ぬ」

 珍しく眉間に皺を寄せて腕組みをした御倉神を見る。
 私は何度も眠り続ける玉彦の中へと入ろうと試みた。
 もう一度呼び戻そうと思って。
 もしかしたら私との会話にやっぱり納得が出来なくて残ってしまったのかと思って。
 でも何度試みても私は弾かれた。
 というより、視えなかった。
 御倉神や付喪神、白蛇の時の様に白光すらしなかったのだった。
 神守の眼が失われたのかと思って南天さんに相手をしてもらえば普段通りに発動したのでそうではない。
 ついでに澄彦さんにも協力をしてもらったら、とんでもない事実が判明した。
 正武家の人間が眠っている時は中には入られない。
 どうやら悪しきものや禍が眠って無防備な正武家の者に入り込めないようになっているようで、須藤くんが眠っている時には入り込めた。
 この事実に驚いたのは私だけではなく澄彦さんもだった。
 先人はあらゆる事態を想定して策を講じていたんだと舌を巻いていた。
 そんな訳で私はただただ眠り続ける玉彦を待つことしか出来ない。

 ただ一つの救いは神守の眼の作用から眠り始めたということ。
 玉彦はお力を消耗して眠りこけていると澄彦さんは考えていて、神守の眼で意識を無くした延長上でついでに回復をしているという。
 普通に眠ると身体も普通の状態だけど、眼の作用ならば必要最低限の活動で抑えられ、栄養の補給も必要ない。
 大人になった玉彦がそれほどまでにお力を消耗してしまったのには訳があって、西での狗の供養や鈴白へ戻ってからの粛清、赤駒の祓い、そして一番の原因は素戔嗚を呼び出してしまった事だったのである。
 後から調べれば素戔嗚とはとんでもなく上位の神様で、どうして彼が現れてしまったのか御倉神でさえ首を捻った。
 とにかくそんなとんでもない神様を呼び出してしまったものだから、玉彦のお力の総量が枯渇して現在充填中。
 そう澄彦さんは言うけれどあくまでも推測だから何とも言えない。

 そうして私はずっと玉彦が目覚めるのを待っている。
 正武家のお役目が終わればすぐに本殿の玉彦のところへ戻る。
 そして夜になって自分の部屋へと帰って、朝はお役目前まで一緒に。
 この生活サイクルは私が眠っていた頃の玉彦と全く同じだった。
 似た者同士なんだなって改めて思った。

「今宵はよく冷える」

「うん……。寒いね。玉彦寒くないかな」

 御倉神の言葉を受けて布団の中に手を滑り込ませると、温かい。

「大丈夫みたい」

 すると本殿の扉が遠慮がちにノックされた。
 もうそんな時間か。
 豹馬くんが夕餉だと知らせに来てくれたのだ。

 離れたくない重い腰を上げて私は本殿を後にした。

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