上 下
47 / 111
絶対零度の癇癪

3

しおりを挟む

「まず今回の御倉神の件です。今後も何かある時には私は御倉神と共にあるべきなのでしょうか」

「今回だけだ。いくら君の守護を司る宇迦之御魂神とはいえ、そうそうこちらの都合の良いようには動かせまい。さっそく次代と揉めたか?」

「私にとっては半日足らずでしたが、こちらでは三日だったそうで大層お怒りでした」

 私がそう答えると、澄彦さんは黒い扇で口元を隠しつつ顔を背けて笑った。
 わざわざ聞かなくても知っていた癖に、あえて言わせるのだから人が悪い。
 とりあえず澄彦さんの回答に胸を撫で下ろした。
 これからも今回の様に御倉神と一緒ということになれば、私の眼の負担がどれ程になるのか見当もつかない。
 今のところは何も無いけれど、今後もないとは言い切れない。

「神と対話するということは時間が歪む。この世の理とは少し外れてしまうのだ。昔話にもあっただろう? 浦島太郎。あれは普通の人間だから玉手箱を持たされたが、神守の場合はそのような制約は持たされずに帰されただろうな」

 澄彦さんに言われて、その通りだと思った。
 三日とはいえ私は浦島太郎だった。
 そうしたら竜宮城の乙姫様は、御倉神。
 そんな馬鹿なことを考えていたら、澄彦さんが私に二点目をと促した。

「二点目は、神守の眼の力についてです。生前九条さんと考察していた過去の神守の力のうち、一つだけ発現させることが出来たのでご報告をと」

「それは、でかした! 九条が身罷って頓挫したと思っていたが、出来たか」

「はい。先日の百鬼夜行の際に多門の黒駒を従わせることが出来ました」

「あれは多門の命ではなかったのだな?」

「はい。本人も自分の命ではないと言っていましたので」

「そうか……」

 感慨深げに腕を組んで澄彦さんは天井へと顔を向けた。
 私と九条さんは正武家に眠る神守の者に関する書物を掻き集めて、過去にどのような眼の力を発現させていたのかを調べていた。
 その中で私が発現出来るものがあれば手に入れようと画策していた。
 これについては澄彦さんからの要望も多少あり、優先的に他者を従える力を探せと仰せつかっていた。
 そして今回私が手に入れたのは、人ではないモノで、尚且つ私がそのモノの真名を知っていれば一時だけ従わせることが出来る力。
 九条さん曰く、最近では真名をそのまま使う習慣が根付いているので、新しいモノであればある程名前と真名が同じなのだそうだ。
 よほどでない限り、近代では真名をわざわざ創る習慣はないのだと教えてもらった。
 ちなみに澄彦さんの命により、次代の玉彦には私と九条さんの試みは伏せられていた。
 理由は色々とあるけれど、当主が神守の眼を利用しようとすれば反発が必至だったからだと思われる。

「それと、あの。三点目なんですけど……。これは神守ではなく、比和子としてお聞きしたいんですけど」

「なんだい? 比和子ちゃん」

 澄彦さんはさっと表情を変えて、私に微笑んだ。
 どうやら当主様モードは終了した様である。
 こんな事を澄彦さんに聞いて、果たして解決案が私に浮かぶのか疑問ではあるけれど、正武家の人間は玉彦を除いて澄彦さんしかいないのだ。

「お力の揺らぎは、何歳位で治まるものなんですか?」

「えっ……。あぁ、今回は酷かったみたいだね。そっちの母屋に電気屋が出入りしてたね」

「……はい」

「ぶっちゃけ揺らぎはね、子供を作るしかない。そうすれば治まる」

 やっぱり、そうだったか……。
 何となく予想はしていたのよ。
 安定させるために女性を抱く。治めるためにそのお力の塊を別の者に宿す。
 至ってシンプルな流れだった。

 私と玉彦は二人で話し合った結果、まだ子供は迎えないことにしている。
 あと三年は。

「わかりました……。ありがとうございます」

「そんなに息子の揺らぎは安定させられないのかい?」

「いえ、夏前までは大丈夫だったんですけど……。色々あって……」

「あっ……。ごめん。ちょっとセクハラしちゃったね。悪い悪い」

 頬が少し赤くなった澄彦さんを見て、私も赤くなる。
 でもこればっかりは澄彦さんにしか聞けないのだ。

 私は澄彦さんに一礼すると、そそくさと当主の間を出た。
 小走りで母屋に戻り、そのまま台所へ行ってお水をがぶ飲みする。
 グラスを叩き付けるように置くと、その場に居た須藤くんと南天さんが私を不思議そうに見た。

「どうしたの?」

「何でもないよ。あれ? 豹馬くんは?」

 既に片付けられた台所には、二人しかいなかった。
 いつもならだいたい豹馬くんもいて、三人でテレビを観ながら夜食を食べている時間なのに。

「豹馬は疲れが溜まっているようでしたので、一度帰宅させました」

 南天さんが須藤くんの代わりに教えてくれた。
 言われてみれば豹馬くんは、お役目の次の日にゆっくり夜は休むと言っていたのに百鬼夜行に駆り出され、その翌日には清藤の件で澄彦さんとお屋敷内で色々とあった。
 しかも今日まで厳戒態勢だったらしいので、疲労もピークだったんだろうな。

「やっぱりまだここよりも御門森のお家の方が休まるんですかね……」

 独身の稀人は結婚するまではこのお屋敷が家なのだ。
 でも身体を休められない家はどうなのかと思う。

「まだ甘えがあるんですよ。鍛え直しが必要ですね」

 苦笑した南天さんの目が一瞬鋭く光って、須藤くんは顔を伏せた。
 なんだろう、いま二人の間に何か見えない緊張の糸が走ったように思うんだけど。

しおりを挟む

処理中です...